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1独鈷山風穴へと到る独鈷山風穴へと到る長野大学より歩くこと1時間と15分、龍光院へと足を進めた。 そこよりさらに山に踏み入って、案内に従って風穴へと進む。 しかし、何かおかしい、途中にはいのしか対策のフェンス、転がる石ころ、更には害獣用のトラップが仕掛けられている。 道を間違えたかと、不安になりつつも進むと、私は独鈷山風穴へと到った。2022-05-10
2江戸の上田藩中屋敷跡を対岸から望む江戸の上田藩中屋敷跡を対岸から望む▲上:上田藩中屋敷跡を対岸から望む ▼下:『江戸切絵図・浅草御蔵前辺図』の部分(屋敷は松平伊賀守と記されている)    (下記国立国会図書館の図版を使用) 隅田川のこの地点(▲上)は、東京都墨田区横網町になります。ちょうど背後に両国国技館がある辺りの位置です。対岸は浅草橋付近、かつては浅草瓦町と呼ばれた辺りで、上田藩中屋敷の跡地になります。向かって右手方向は幕府の御蔵(米蔵)が建ち並んでいた場所になります。言い換えれば、舟運が物流の主流であった時代、ここがまさにその物流の江戸の中心地でした。 上田藩の江戸屋敷は年代によって変遷します。上屋敷は長らく神田の昌平橋付近にありました。上田藩主松平忠固が老中になったのに伴い、上屋敷は大名小路(現在の皇居外苑)に移ります。その後、幕末はこの2022-05-09
3SL C56-144SL C56-144佐久鉄道が国有化され、昭和13年に小海線の輸送の主役として活躍した。引退してあと、昭和48年に小諸市に貸与されました。C56は日本には20台しか残っておらずとても貴重な文化財であると言える。機関車の重厚な車体は迫力があります。2022-05-05
4海應院海應院天文5年に創建された曹洞宗の古い寺。昔は小諸城内五軒町にあり、関ヶ原合戦の際に真田氏を攻めた徳永秀忠の宿舎にもなった。小諸市の花である「コスモスミレ」を見ることが出来る。寺までの石畳が距離があり、中に入っていくと外の喧噪が遠くなっていくのを肌で感じることが出来る。2022-05-05
5医療法人山月会 小諸医院・小諸病院介護医療院医療法人山月会 小諸医院・小諸病院介護医療院小諸市役所の通りを挟んだ向かい側にある。 旧館は外観が明治の洋風な建物のように趣深いデザインです。その設計は静岡庁舎などを手掛けた中村與資平。勝手口には豪華な木造の門があり時代を感じさせる。2022-05-05
6サントミューゼができる前サントミューゼができる前サントミューゼは、昭和24~56に操業していたたばこ産業(株)の上田工場(JT)跡地だそうだ。JTから工場跡地の活用を上田市に打診し、再開発が行われ公共ゾーンとして建てられたのがサントミューゼだ。また、JT以前、上田が蚕都として栄えていた頃は金紡の上田工場だったらしい。上田市マルチメディア情報センターのYouTubeでは、当時の様子を見ることができる。工場で働く女性の姿、彼女らが広場でダンスする様子、少し映り込んだ上田城などが映像で記録してあった。2022-02-02
7別所神社別所神社熊野本宮大社の分霊のため、鎌倉時代(1190~1199年の間)に「熊野社」として建てられた。その後、天和2年(1682年)に現在の場所に転移建設され、明治11年(1878年)に「別所神社」に改称された。2021-12-21
8三楽時(安楽寺・常楽寺・長楽寺)三楽時(安楽寺・常楽寺・長楽寺)安楽寺の創設ははっきりしていないが、729~749年の間に高層として知られる行基(ぎょうぎ)によって、また、824~834年の間に慈覚大師円仁によって開かれたという説がある。国宝にも指定された八角三重塔があり、こちらに使われている木材を調査したところ、正応2年(1289年)に伐採した木材が内部に使用されていたことがわかり、13世紀末に建築された塔であると考えられている。 常楽寺は北向観音堂と同じく天長2年に建てられた。境内には樹齢350年とも言われる宝船ののような御船の松があり、この宝船で阿弥陀様が極楽浄土に導いてくれるという。また、本堂の裏には北向観音の霊像が出現したとされた場所に700年もの歴史がある石造多宝塔が保存されており、鎌倉時代に天台宗の拠点として栄えていたことが伺える。 長楽寺は焼失して現在は存在2021-12-21
9北向観音堂北向観音堂厄除観音として知られる北向観音堂は、天長2年(825年)に比叡山延暦寺座主慈覚大師円仁(えんにん)によって建てられた霊場である。一度は源平争乱の中、木曾義仲の手によって八角三重塔と石造多宝塔を残し全焼してしまったが、建長4年(1252年)北条国時によって再興された。ここには、鬼女紅葉退治絵馬が飾られている。2021-12-21
10上田城の歴史2上田城の歴史2関ヶ原の合戦後、上田城は徳川の手で破却されたが、真田に代わって上田城主となった仙石氏によって復興された。1626年に修復された上田城は真田氏時代の縄張りを受け継いだとみられ、仙石氏の後に城主となった松平氏の代になっても、その姿にほとんど変化はなかった。明治維新後、廃藩置県により1874年に上田城は民間に払い下げられ、再び廃城となった。この際、本丸付近を一括して購入した丸山平八郎氏は、1879年の祭り神社(現真田神社)創建に当たり本丸南側の土地を神社用として寄附し1893年には残りの土地を遊園地要として寄附した。これが上田城跡のの公園化の第一歩になった。2021-11-14
11上田城の歴史上田城の歴史上田城は、真田幸村の父、真田昌幸によって1585年に完成したと考えられている。初め徳川家康のもとで上杉に対する城として築かれたが、沼田領の帰属をめぐり、徳川と手切れとなり、その後上杉方の城として完成した。 その直後、徳川の大軍が上田城を責め、第一次上田合戦(神川合戦)が勃発したが、昌幸の巧みな戦術により徳川軍は大敗した。また、1600年には関ヶ原合戦の前哨戦といえる第二次上田合戦が起こり、徳川秀忠率いる3万8千人の軍勢が攻め寄せたが、これも見事に退けた。この徳川との二度の合戦に勝利したことで、真田と上田城の名は、天下に知られるところとなった。2021-11-14
12半過古墳群半過古墳群縄文、弥生、平安時代のものが見つかっているそうです。2021-05-06
13富士山文化遺産センター富士山文化遺産センター富士山文化遺産センターという名前の通り、富士山が文化遺産として登録された理由を示す歴史館のような施設。 学生は無料ではいることが出来、訪問時はあいにくの曇りであったが、晴れの際はテラスから富士山を眺めることも出来る。2021-05-06
14国重要文化財が眠る長福寺国重要文化財が眠る長福寺生島足島神社のすぐ隣にあるお寺。「信州夢殿」と称される八角のお堂の中には、国重要文化財である救世観音が祀られている。2021-05-06
15方光寺方光寺 松本日光方光寺は西暦730(天平2)年に建立されたとされる、長野県内で最も古い歴史をもつお寺の一つです。厄除け縁日には毎年多くの人が訪れ、テレビコマーシャルが放映されていたりもします。  あまり大きなお寺ではありませんが、落ち着いた雰囲気が非常に趣深い場所です。私が参拝したときは他に人もおらず、静かにお参りできました。穏やかにお寺をお参りしたい方はぜひ行ってみていただきたいです。 参考:松本日光方光寺公式 http://houkouji.com/ 画像引用:「歩いてみたブログ」https://iwalkedblog.com/?p=69852 画像アドレス:https://iwalkedblog.com/wp-content/uploads/2021/04/hokoji-matsumoto-7.jpg2021-05-06
16真っ赤な本殿・生島足島神社真っ赤な本殿・生島足島神社生島大神と足島大神を祀る神社。周りを池に囲まれた真っ赤な本殿が特徴的。有名どころとあり、参拝客も多かった。2021-05-06
17駿府城駿府城これは静岡市にある駿府城の写真である。別名が静岡城や府中城。築城主は徳川家康であり、石垣やお濠などが存在する。いくつか再建造物があるがとても歴史があるものである。上田には上田城があるため相違点や類似点などを見る懈怠と思う。2021-05-05
18歴史を感じる誉田別神社歴史を感じる誉田別神社調べても詳しい情報がなかなか出てこない、謎深い神社。名前から推測すると、全国に3万から4万あるといわれている八幡様を祀る八幡系神社の一つと思われる。交通量の多い大通りの脇にポツンとたたずみ、そこだけ時が止まっているかのような厳かな空気を醸し出している。2021-05-05
19住宅街に佇む・加美畑神社住宅街に佇む・加美畑神社上田原の戦いの際、武田信玄が先勝祈願したとされている神社。住宅街の中にひっそりと構えられている鳥居をくぐって進むと、そこには歴史を感じる本殿が存在感を放っている。2021-05-05
20上田原合戦の中心地・石久摩神社上田原合戦の中心地・石久摩神社武田信玄と村上義清が武力衝突した上田原合戦(1548)の中心地。境内にはその歴史を伝える上田原古戦場の碑が置かれている。現在の静かな住宅街の様子からは、そのような戦いがあったということはとても想像できない。2021-05-05
21丸子顕彰碑丸子顕彰碑 丸子町の工業100年を記念した碑。この碑は、1990(平成2)年に丸子町の工業が100年になったのを契機に、丸子文化会館の向かい側に丸子工業百年記念公園が造営された際に建てられた。顕彰碑やその周りには、丸子の工業の発展に尽くした幾人の偉人の碑やその紹介文があり、丸子の工業史を知ることが出来るスポットの1つとなっている。2021-05-05
22上田蚕種-2上田蚕種-2 上田蚕種協業組合事務棟の説明文。建物の特徴について説明されている。上田蚕種株式会社は時代の進行に伴って蚕糸の中心地から軍需工場、そして戦後の名称変更等、様々な役割を担っていた。このような建物の存在は、主に20世紀における上田の様相の変化を知るうえで重要であると考える。2021-05-05
23上田蚕種-1上田蚕種-1 上田蚕種協業組合事務棟の写真。この建物は、1916(大正5)年に上田蚕種株式会社として建てられた。上田蚕種株式会社は、上田蚕糸専門学校(現・信州大学繊維学部)や小県蚕業学校(現・上田東高校)を抱える上田市常田に設立され、上田蚕糸の中心地として機能した。戦後に協同組合及び協業組合として一時名称が変更されたが、2003(平成15)年に再び株式会社の名が復活した。協業組合時代に建物が国の登録有形文化財に指定されたため、この名になっている。2021-05-05
24深志神社深志神社 松本駅から徒歩15分ほどの場所に鎮座される深志神社は、1339(暦応2)年に創建された歴史と由緒のある神社です。    建御名方富命(お諏訪さま)と菅原道真公(天神さま)をお祀りしている深志神社には初詣や学問の合格祈願などに多くの人々が訪れます。私も高校受験の前に合格祈願に参拝し、合格後はお礼参りにも足を運ばせていただきました。  鮮やかな朱に塗られた神楽殿,拝殿が印象的で、見る人々を惹きつけます。 参考及び画像引用:深志神社公式 https://www.fukashi-tenjin.or.jp/ 画像アドレス:https://www.fukashi-tenjin.or.jp/wp-content/uploads/2020/09/DSC07874-scaled-e1599961091406.jpg    2021-05-05
25四柱神社四柱神社 松本市中心部に鎮座される四柱神社は、明治十二年に明治天皇の思し召しのもと創建された、比較的歴史の浅い神社です。  主神の天之御中主神はたいへん神位の高い神様でおられるため、「願い事むすびの社」として全国各地から参拝者が訪れます。    松本駅から松本城へ向かう道の途中にあるので、たいへん立ち寄りやすいかと思われます。鳩が集まる場所でもあり、エサもあげられるので少しのんびりした空気を楽しみたい方も足をお運びになってもいいかもしれません。   参考:四柱神社公式:https://www.go.tvm.ne.jp/~yohasira/ 画像引用:「日本の結婚式」https://nihon-kekkon.com/wakon/yohasira/ 画像アドレス:https://nihon-kekkon.com/common/img/uploads/2018/11/cea6b5f8a4e14a19bc2efdbaa932cd4014948c05-2.jpg2021-05-05
26愛宕神社(仁古田)愛宕神社(仁古田)川西の仁古田地区の愛宕山中腹に建立されています。火伏の神が奉られているとされています。見晴らし台も設置されていたりと、周りの景色を楽しみたい方にはオススメです。パワースポットとも呼ばれていることがあるという噂なので、ハイキングを兼ねていかがでしょうか。私も登りましたがとても良い運動になると思います。2021-05-05
27塩野神社(保野)塩野神社(保野)市内にある塩野神社と名がつく2つの神社のうちの1つである。黄色く塗られた鳥居も特徴的である。この宮を中心に行われる祇園祭が市の無形文化財にしてされている。加えて廻り舞台も文化財にしてされている。毎年夏に祇園祭が執り行われるので、機会があれば参加してみたいとも思う。2021-05-05
28池生神社池生神社小島大池のすぐ脇に建立されている神社。拝殿は新しく立て替えられている。池の周りに奉られている神社はみる機会が少ないので、参拝するには良い機会だと思う。2021-05-05
29五加八幡神社石灯籠五加八幡神社石灯籠これほどの大きな石灯籠はなかなか見ることは出来ない。灯篭の正面には勝海舟の筆とされる「修善生洪福」という文字が刻まれている。近くに八幡大神縣社もあるのでぜひ行かれてみてはいかがでしょうか。2021-05-05
30八幡大神縣社八幡大神縣社源義仲とも縁のある社。社は周辺を住宅街で囲まれているが、それを感じさせないほど落ち着いた雰囲気が作られいる。他にもいつもの小さな社があるので、立ち寄るには良い場所だと言える。2021-05-05
31龍翔館龍翔館地元の歴史にまつわる者が多く飾られている。有名な船も入り口に飾られている。2021-05-05
32須坂市立博物館須坂市立博物館臥竜公園内にある。 館内は3つのブースに分かれており、須坂藩関係の資料、東日本最大級の積石塚古墳である八丁塚古墳の出土品などの古墳の出土品、製糸業の資料が展示してある。 大きな瓦が出迎えてくれる。 須坂市の歴史を知ることができる貴重な博物館で、入館料自体もすごく安い。2021-05-05
33木の電柱木の電柱木の電柱を見つけた。 昭和30年代までの電柱は、木製丸太だったそうだ。 一瞬、目を疑った。けれど、歩いていくと結構な数の木の電柱があった。普段全然、地域を見ていないんだな~と感じた。2021-05-05
34上田城 堀の中の自然上田城 堀の中の自然 上田城の魅力の一つに堀がある。その中を歩いているとたくさんの自然に触れることができる。ふと上を向くと…。きれいな景色がどこでも見れてしまう。  昔通っていた電車の名残も感じながら、歴史ロマンに浸るのもいいのではないだろうか。  2021-05-05
35陣馬塚古墳陣馬塚古墳陣馬塚古墳は古墳時代後期の円墳です。 染屋台地を見下ろす位置にある陣馬塚古墳の埋葬者は、この台地の開発にかかわった先駆的有力者だったと考えられています。 自然に囲まれ、玄蕃山の高台に位置する様は、埋葬者がいかに力を持っていたかを想像させられます。2021-05-04
36東條健代神社東條健代神社上田市にある東條健代神社は由緒・創建年月とも不明で謎に包まれていましたが、悠然と構える本堂からは歴史を感じさせられました。 また境内には上田市指定樹林の立派なケヤキが立ち並んでおり、自然の力強さも感じられました。 また本殿にある彫刻はとても素晴らしいモノでした。2021-05-04
37保野の市神保野の市神今回の街歩きで初めて発見したが、上田に住んで以来の疑問を解決できる発端になった。保野という地域では、昔に市場が開かれておりその市場ががあった跡である。市神とは市場が安全に開かれるために見守る神様のことである。夏場にこの地域にお神輿があるが、地域の伝統的なお祭りが開かれていることに関連していると思った。2021-05-03
38上田警察署保野分署跡上田警察署保野分署跡塩田郵便局近くの細い道にある跡である。以前から存じていたが、じっくり見ることはなかったため選んだ。明治時代にこの場所に分署があり、非常に短い期間ではあったものの現在でも跡が残っていることに関心を持った。かなり広い範囲の分署であったことから、地域の住民の方々に密接にかかわっていたのではないかと推測した。2021-05-03
39他田塚古墳他田塚古墳古墳が崩れないように石を重ね合わせてつくったとみられるトンネルのようなものを見て、昔の時代にこんなにすごいものをつくることができたことを不思議に思った。2021-05-03
40上田城跡公園上田城跡公園上田城とその周辺の石碑・石像、自然。全体的に緑が多く、池などもあったため夏に来ると涼しげだった。歴史的な建物を詳しく知るためというよりかは、観光を楽しむのが適している。歴史を学ぶなら博物館へ行くのが良いだろう。2021-05-03
41長福寺長福寺生島足島神社に隣に建つ長福寺は平安時代の康保2年(965)創建で、創基は祐存上人と伝えられています。境内の一隅にある八角円堂は奈良、法隆寺の夢殿を模して、二分の一の縮尺で建てられた美しい御堂で、信州夢殿と呼ばれて親しまれています。2021-05-03
42真田神社真田神社真田氏、仙石氏、松平氏という歴代の上田城主を御祭神としている。おみくじの種類が豊富で、歴史に興味が無く友達や家族と来ても楽しめるだろう。2021-05-03
43生島足島神社生島足島神社生きとし生けるもの万物に生命力を与える「生島大神」と、生きとし生けるもの万物に満足を与える「足島大神」の二神が祀られている。大きな神社なため、出店があったりする。買い食いしても楽しめるだろう。2021-05-03
44長福寺長福寺曹洞宗のお寺。小さなお寺。2021-05-03
45超誓寺超誓寺浄土教のお寺。小さなお寺。春は桜がきれい。2021-05-03
46長野市松代 赤柴銅山採掘跡長野市松代 赤柴銅山採掘跡長野市松代にある赤柴銅山。現在は採掘が行われていない。坑道の中には大量のカマドウマが…。2021-01-26
47上塩尻地域 佐藤邸上塩尻地域 佐藤邸上塩尻地域の蚕種製造民家。藤本善右衛門の四男佐藤尾之七の邸宅であった。現在も佐藤邸では蚕種業を営んでいた頃の雰囲気を感じることができる。2021-01-26
48上田探検3まとめ上田探検3まとめ今回は常田館製糸場のみの探検となったが、非常に歴史を体感することが出来、有意義な探検となったと思っている。今回の探検で、信州大学繊維学部講堂を除く上田の主要な蚕糸施設は大方訪れたので、次回からは丸子にあるいくつかの蚕糸施設を訪れたいと思った。2020-11-18
49常田館製糸場-4常田館製糸場-4繭蔵内にある倉庫の一つ。旧字体で「第二号倉庫」と書かれている。このように現在では使用されていない漢字が表記されていることからも、繭蔵が非常に歴史の古い建物であることが感じられる。2020-11-18
50上田城上田城ここに来るのは2回目。自然が豊かでとても清々しい。 歴史的なものも感じる気がした。2020-11-04
51太神宮社太神宮社料理の神様、四条公神社があるらしい。奥には鳥居が連続しているところがあり、馬の像もあり、とてもデカイ。ビックリした。他に横町太神宮社、横町伊勢宮、おたや様などの呼び名があるそうです。2020-11-04
52生島足島神社生島足島神社下之郷駅から徒歩で約5分で着いた。 生ける万物に生命力を与える「生島大神」そして生ける万物に満足を与える「足島大神」の二神が祀られているらしい。 行けば生命力や満足感を得られることは間違いないだろう。全体的に赤いという印象があった。2020-10-21
53安楽寺と八角三重塔安楽寺と八角三重塔安楽寺に続く道のり。とてもいい写真が撮れた。自然と一体になれる感じがする。八角三重塔は近くで見ると迫力があった。鎌倉時代からあるとは思えないほど綺麗で立派だった。2020-10-21
54北向観音堂北向観音堂ここ北向観音には初めてきました。 門から本堂にかけて歩いていくと様々な感情が沸き上がりました。景色がきれい、これはどうやって作ったんだなど、とても良いスポットでした。2020-10-21
55安楽寺 国宝八角三重塔安楽寺 国宝八角三重塔八角三重塔は、長野県最初の国宝に指定されたそうです。 上から撮影すると、カメラに収まり切らないぐらい迫力がある建造物でした。この写真は、下から撮影したベストショットです。 歴史ある八角三重塔の美しさは格別でした。2020-10-20
56上田探検Ⅰ 生島足島神社上田探検Ⅰ 生島足島神社生きとし生けるもの万物に生命力を与える「生島大神」と、生きとし生けるもの万物に満足を与える「足島大神」の二神が祀られ、摂社(下社・下宮)には諏訪大神が祀られる信濃屈指の古社です。赤い鳥居が印象的で、近くを通ると必ず目に入ります。境内には歴史館があり、昔の姿を見ることができます。2020-10-18
57安楽寺 国宝八角三重塔安楽寺 国宝八角三重塔安楽寺は長野県上田市別所温泉にある曹洞宗の寺院です。また長野県で最古の禅寺であるといわれています。安楽寺にある木造八角三重塔は、木造の八角塔としては全国で一つしかないという貴重な建築で、長野県では一番早く国宝に指定されました。 国宝の八角八重塔は本殿の裏を上った山腹にありました。お地蔵様の並ぶ道を通って階段の上を見上げると、どっしりと構えた八角八重塔が見えました。近くで見るとなお厳かで歴史を感じました。神秘的で幻想的な場所でパワーをたくさんもらえました。2020-10-18
58別所線大学前駅の「信州の学海」説明板別所線大学前駅の「信州の学海」説明板「学問を志す者が大海に流れ込むがごとく集まる」ことが学海の意味するところです。 「凡そ経論に渉るの学者…遠方より来(きた)って皆至る」 歴史ある鉄道、別所線の大学前駅にた説明板「信州の学海」の謂れを記した説明板が掲げられています。長野大学の学生たちが設置したものです。しっかりと地元に「信州の学海」を明示してくれていてありがたい。2020-09-12
59信州の学海 秋の前山寺信州の学海 秋の前山寺信州上田には素晴らしい歴史と観光資源があるものです。とりわけここ塩田平は中世において「信州の学海」とも呼ばれたように、この地の寺院が学問の場となっていました。 秋のある日、気持ちよい気候に誘われて、塩田平を少し回ってきました。前山寺にも久しぶりに立ち寄ってきました。さらに秋が深まり、紅葉の前山寺はさぞかし美しいことでしょう。三重の塔のたたずまいの端正なこと。信州上田を代表する名勝地です。観光資源化した「前山寺のくるみお萩」についても改めて考察してみたいものです。2020-09-12
60「信州の学海」碑「信州の学海」碑かつて塩田を「信州の学海」と呼んだのは、鎌倉時代の高僧・無関普門。遠地へのアクセスも困難であった当時、遠方から学問を修めに塩田の地まで人々がやってきたことを象徴する呼称です。「学びの海」、なんとまた意味深い言語化かと思います。 塩田中学校に「信州の学海」碑があります。 「信州に却回して塩田に館す乃ち信州の学海なり」 確かに碑にその謂れが刻まれています。 cf.塩田中学校のホームページにも紹介されています。 http://www.school.umic.jp/shioda/2008/0603-104114.php2020-09-12
61猫瓦猫瓦猫瓦という独特な瓦の家。上塩尻地区にたくさんあった。猫瓦は、蚕糸業の家に多く、養蚕農家を悩ますネズミの食害の魔除けとして使われた。歴史を感じる。2020-08-09
62藤本蚕業歴史館内部-4藤本蚕業歴史館内部-4歴史館内部資料の一部。賞状や人工ふ化装置の構造の説明などが展示されている。人工ふ化装置の存在は、蚕種製造業が科学的に行われていたことの証明になり、私はそこに興味を持った。2020-08-09
63藤本蚕業歴史館内部-3藤本蚕業歴史館内部-3歴史館内部の独特な構造。内部では、このような配管などにより、空気が循環されていて、蚕に適した環境が保たれていた。障子戸などまるで民家のような作りであるにもかかわらず、蚕種製造の工場の役割を果たしていた事は興味深い。2020-08-09
64藤本蚕業歴史館内部-2藤本蚕業歴史館内部-2歴史館の資料の一部。当時の上田の文化が垣間見れる。2020-08-09
65藤本蚕業歴史館内部-1藤本蚕業歴史館内部-1歴史館にある説明文。当時の上田の蚕種輸出による繁栄を伝えている。写真には、その繁栄ぶりが詳しく書かれ、特に、62万石という有名な大名と同レベルの生産を誇っていたことは驚愕に値する。2020-08-09
66藤本蚕業歴史館藤本蚕業歴史館上塩尻にある藤本蚕業歴史館。藤本工業株式会社が前身である藤本蚕業の社屋に2009年に開館した。蚕種製造業に関する様々な資料が展示されている。2020-08-09
67上田城跡 本丸東虎口上田城跡 本丸東虎口上田城跡地の城門。今は訪れた人を迎える門となっているため常に開きっぱなしの状態になっている。この門は市民の協力の下で買い戻されたというエピソードがある。上田城跡地のシンボル的な存在であることに間違いない。2020-08-08
68経塚(堂寺畑)経塚(堂寺畑)経文が出土したそうだが、未調査であり地蔵様が鎮座されている場所。 昔は堂寺畑と呼ばれた地域。 古い時代(仙福寺建立以前?)には寺があったと思われている。2020-08-07
69上塩尻 蚕種製造民家まちなみウオッチング上塩尻 蚕種製造民家まちなみウオッチング私の所属するJIA(日本建築家協会)長野県クラブと、長野大学前川道博研究室において、上田市上塩尻地区に残る蚕種製造民家や歴史的な街並みの見学会が行われました。全国的にも珍しい民家建築が多く残るこの地の未来に向けた保全や活用方法を考えるきっかけとして、企画されたもので、詳しくはJIA長野県クラブのHPの会員レポートをご覧ください。 https://jia-nagano.com/blog/9487.html2020-08-07
70法住寺虚空蔵堂法住寺虚空蔵堂虚空蔵堂(こくぞうどう)は平安時代に創建されたと伝えられる天台宗の古刹(こさつ、古い寺)・法住寺の信仰の中心となっています。堂名の虚空蔵が部落名になっているほど地域信仰の中心となってきました。 選んだ理由としては国の重要文化財に指定された程大切な建物で、もちろん依田窪(よだくぼ)地方最古の建物であることから行ってみたいと思ったからです。2020-08-06
71天台宗別格本山 北向観音天台宗別格本山 北向観音北向観音堂は、平安時代初期の天長2年(825年)、比叡山延暦寺座主の慈覚大師円仁により開創された霊場です。安和2年(969年)、平維茂は一山を修理し、三楽寺、四院、六十坊を増築したと伝えられています。寿永元年(1182年)には源平争乱の中、木曾義仲の手により八角三重塔と石造多宝塔を残して全て焼失してしまいますが、源頼朝の命のもと伽藍復興がおこなわれ、建長4年(1252年)、塩田陸奥守北条国時により再興されました。堂が北に向いているのは、わが国でもほとんど例がありません。 選んだ理由としては北向観音堂は全国的に珍しい建物で面白さがあると思ったからです。2020-08-06
72前山塩野神社拝殿及び本殿前山塩野神社拝殿及び本殿独鈷山〔とっこざん〕の北の山麓に位置し、その古さを物語る大きく深い森につつまれた神社が前山の塩野神社です。神社の前には太鼓橋がかかっていますが、その下には独鈷山の清らかな湧き水が滝となって流れ、それがやがて本流の産川と合流して塩田平を潤〔うるお〕しています。 この建築物を選んだ理由としてはこの神社には建物の歴史と言える棟札が、文明年間より今日まで30枚そろっていることや「甲子〔きのえね〕大祭」といって60年毎の神事が継続され、盛大に行われているため、いつか行ってみたいと思ったからです。2020-08-06
73安楽寺八角三重塔安楽寺八角三重塔安楽寺にある木造八角三重塔は、木造の八角塔としては全国で一つしかないという貴重な建築で、長野県では一番早く「国宝」に指定されました。「国宝」といえば、「世界的にみて国民の宝とすべきもの」(「文化財保護法」)となっていますので、この塔は長野県が世界に誇る貴重な文化財ということになります。 この建築物を選んだ理由としてはふつうの塔は四角のものですが、この塔は「八角形」であるという希少性から、他の人にも知ってほしいからです。2020-08-06
74砥石城・米山城砥石城・米山城県の史跡に指定されている山城。城跡からは上田市街と真田の町並みが一望できます。 この地方に勢力を張っていた村上義清の重要な拠点であり、武田信玄が2度目の敗北を喫した「砥石崩れ」の舞台です。 2009年のアニメ映画館「サマーウォーズ」の舞台となりました。 三方を崖っぷちで囲まれ、攻めてくる敵を迎え撃つのにもってこいの地形と見晴らしの良さ、理想的な山城に思えます。 軽く登山ですが、よく整備されて、登りやすいです。 朝遅く出て、ゆっくり登っても、午前中に降りて来られます。 小学生の遠足で行くようです。 駐車場あります。無料。 上信越自動車道・上田菅平ICから、車で約5分で着きます。2020-08-03
75真田山種月院長谷寺真田山種月院長谷寺曹洞宗の寺院 長野県上田市真田町長4646番地 真田幸隆と真田昌幸の墓があります。 2016年のNHK大河ドラマ「真田丸」の頃に道路や駐車場など整備され、行きやすくなりました。 春にはしだれ桜が見事です。 今(7月)は、紫陽花の季節です。 本堂の扉が閉まっているので、自分で開けて参拝します。本堂に上がってお参りできます。 終わったら必ず閉めます。山のお寺なので、野鳥や動物が入ってしまうそうです。 写経を奉納し、御朱印をいただきました。2020-07-24
76みすゞ飴本舗みすゞ飴本舗100年以上の歴史があるここ「みすゞ飴本舗」では信州の伝統であるみすゞ飴を販売しています。飴だけでなく、四季のジャムやゼリーな様々な果実の風味を楽しむことができます。また、お店は大正13年から現存している歴史ある建築物であり、店内も大正の雰囲気が味わえる素敵な空間でした。ぜひ、訪れてみてください。2020-07-21
77繭蔵1繭蔵1みすゞ飴本舗の駐車場にあった建物。昔は繭蔵として使われ、上田駅への輸送基地になっていた。和風で、歴史を感じさせる。2020-07-20
78第二代上田市長・勝俣英吉郎の像第二代上田市長・勝俣英吉郎の像上田が興隆した背景には蚕糸業の興隆があります。蚕糸業で発展した上田は1919年に市制を施行し、その頃から「蚕都上田」と呼ばれるようになってきました。歴代市長の政治的貢献も顕彰すべきものでしょうが、歴史的には第3代・成澤伍一郎、第4代・伊藤傳兵衞のネームバリューの大きさからかどうも第1代、第2代の影が薄いのは否めません。 市制施行からもかれこれ100年近くが経ち、当時の市長を知る人などはこの世に存在しなくなりました。上田城跡公園の中にひっそりと佇む銅像があります。それが、第2代市長・勝俣英吉郎の像です。 勝俣こそ蚕都上田の絶頂期に市長を務めた人物です。1929年の世界恐慌で蚕糸業のみならず、日本が一挙に大不況に陥った直後の1930年に逝去したというあたりも不思議に象徴的です。 この顕彰像、面白2020-07-18
79旧小県蚕業学校の校歌旧小県蚕業学校の校歌2017/01/28投稿、マイブログからの転載。 長野大学に赴任した最初の年、まだ蚕都上田や小県蚕業学校などの予備知識がなかった頃、上田東高校を視察で訪れ、たまたま目にしたこの校歌に驚愕しました。「校基百年」碑の裏面に刻まれています。 作詞 土井晩翠 作曲 岡野貞一 小県蚕業学校は1892年の創立です。明治以後の唱歌で最も著名な作詞家、作曲家の名前を見て、何という歴史のある学校かと。さらには歌詞がただ事ではない。 3番まで歌詞がありますが、2番の歌詞は少し来るモノがあります。 ♪国の富増し 世を利する  わが蚕業の 尊きを  あけくれ常に 胸にして  青春の子ら 励み合う 富国の中核産業であった蚕業を担う人材を育成する使命が謳われています。蚕業の尊さを明けても暮れても胸にして励まし合う。土井2020-07-18
80上塩尻蚕種製造民家群上塩尻蚕種製造民家群全国一の蚕種製造地といっていい上塩尻の蚕種製造民家群。古いまちなみの地区は全国に数多くあっても蚕種製造民家群がこれだけの規模で現存している地区は国内では稀有です。世界一の蚕糸王国であった日本の蚕種製造の中心地として並外れた価値を持つ産業遺産ではないかと思います。これこそ「世界遺産」にふさわしい。 上塩尻蚕種製造民家群はこれまでにも全国的に関心を持たれる節目がありながら、それをステップに次に踏み出しきれなかった経緯があります。 ふり返ってみると小林昌人氏による集落・民家の調査レポートが古い(「蚕業の先駆者を輩出した上田市 上塩尻の集落と民家」『信濃』1990年1号)。同氏による『写真集 民家の風貌』(1994年)にも上塩尻の民家が収録されています。大がかりな調査事業としては上田市による「塩尻地2020-07-18
81下塩尻蚕種製造民家群の佇まい下塩尻蚕種製造民家群の佇まい2017/11/27の記録。日本一の蚕種製造地を私は「上塩尻蚕種製造民家群」と呼んできましたが、より包摂的には「塩尻地区蚕種製造民家群」と呼ぶのが適切です。本日、日本ナショナルトラストのUさんが上田に来訪され、地元の方と塩尻地区(秋和・上塩尻・下塩尻)を見聞しました。 下塩尻はこれまであまり見聞したことがなく、地元のMさんの御案内で私も認識を新たにしました。下塩尻は北国街道沿いばかりでなく、千曲川沿いの一帯に「蚕種製造民家群」が集積しています。上塩尻と違い、千曲川沿いの低地に屋敷が広がっているせいか、一軒一軒の家々の敷地が広く、狭いところに屋敷がひしめきあう上塩尻とは対照的です。総じてゆったり感があります。その佇まいが下塩尻の景観をなしています。川べりという立地のせいか、集落の景観が群馬県2020-07-18
82学生と旧常田館製糸場を見学学生と旧常田館製糸場を見学2018/05/10午後、1年生のゼミで「上田まちなか探検」を実施しました。最初の約1時間、常田館製糸場を見学しました。常田館製糸場は製糸工場の産業遺産で、笠原工業が管理しています。重要文化財に指定されています。2年前の2016年、天皇皇后両陛下が視察で訪問されました。 蚕都上田の中でも常田館製糸場は代表的な上田の製糸場です。1900年に創業しています。歴史ある産業遺産であるにもかかわらず、上田の地元住民でも知らない方が多い。 見学当日、笠原工業の笠原会長が1年生17人に対応をしてくださいました。次世代を担う若い学生たちへの産業文化の伝承というミッションをお感じになってのことと思います。蚕糸業のことを平易に手短に解説をされ、皇后陛下とのお約束だからと、皇室の養蚕に関するビデオを見せていただきまし2020-07-18
83小県蚕業学校(上田東高)の校歌小県蚕業学校(上田東高)の校歌2018/05/10、1年生ゼミでの上田探検。信州大学繊維学部に続き、上田蚕種へ。信大の裏口から実にアクセスしやすいミニマムパスを見つけ、そのパスを抜けると旧小県蚕業学校(上田東高校)の真ん前に出ました。 小県蚕業学校は全国で営まれていた養蚕を各地で指導する養蚕教師を養成していた中等教育機関です。全国からここへ養蚕を学びに生徒が集まっていました。国の基幹産業でもあった蚕糸業(養蚕)を支える人材を育成していた学校です。このような言い方が適切かどうかわかりませんが、現在は全国のどこにでもあるいわゆる「普通高校」と化してしまいました。かと言って蚕業学校のまま、現在に残るわけにもいきません。普通高校と化したのはやむを得ない。 この学校の歴史の重さはその校歌にも刻まれています。通過する道路際から2020-07-18
84上塩尻元宿・蚕室民家の佇まい、清水さん宅上塩尻元宿・蚕室民家の佇まい、清水さん宅2018/11/05、上塩尻・元宿の清水さん宅を訪れました。元宿は上塩尻の中心である北国街道沿いの大村とは違い、千曲川沿いの平坦な土地に広がる区域です。かつて千曲川の大洪水により壊滅的な被害を受けた歴史的背景があります。その一方で、千曲川の上流から運ばれる肥沃な土砂が桑の栽培に適し、この地の蚕種製造を育みました。この条件は千曲川沿いに広がる下塩尻にも共通しています。 清水さん宅の主屋は上田市の調査資料によると明治28年に建てられたらしい。蚕種製造民家の多くが明治20年代に建てられています。門の構えも立派です。中庭も丁寧に手入れがされて、屋敷全体の佇まいが美しい。家の品格というものを感じます。 清水さん宅の敷地からは上塩尻の中心の集落が遠望できます。背後に虚空蔵山系の山が一望できます。蚕種製造2020-07-18
85上塩尻文庫蔵上塩尻文庫蔵2017/09/26、長野県上田市の塩尻公民館に併設されている「上塩尻文書蔵」に潜入させていただきました。嘉永年間以後の文書が保管されています。希少なものは江戸期の地図など。上塩尻の歴史を解き明かすのに欠かせない資料(史料)の他、つい最近までの自治会の文書も保管されています。 目にする資料に接するたび、その時代に跳躍したかのようなワクワク感が沸き起こり、文書蔵=タイムカプセル体験の醍醐味を感じました。 ここに保管されている資料の他にも、上塩尻には藤本蚕業歴史館の他、個々人のお宅に私蔵されている資料があると聞いています。 東北大学の長谷部弘氏は「上塩尻には公私にわたる歴史資料が歴史学研究史上まれにみるほど大量かつ集中的に残されて」いると書いています(長谷部弘他著『近世日本の地域社会と共同2020-07-18
86上田藩主/老中・松平忠固の墓上田藩主/老中・松平忠固の墓2018/05/10、願行寺にある松平忠固の墓を訪れました。上田藩主・松平忠固(1812~1859)は2度に渡り、老中をつとめた人物です。老中の職にあった時に、日米和親条約(1854年締結)、日米修好通商条約(1858年締結)を結んだことの功績は極めて大きい。日本が列強と互角に対し、列強並みの好条件で列強と貿易協定を結んだことは、その後の日本の近代化を決定づけたと言ってもいい。貿易を推進し、殖産興業を推進しました。 上田における松平氏に対する関心の低さは、この墓の状況が端的に物語っています。かつての願行寺は上田城と対峙するように大手町~海野町の旧城下町のメインストリートの対極に位置し、海野町の通りはその門前のように位置していました。しかし、その道筋が真っ直ぐに貫通し、願行寺の真ん中は道路によって分断されました。さら2020-07-18
87上塩尻の蚕種製造民家群と文書を見聞する上塩尻の蚕種製造民家群と文書を見聞する2018/08/18、上田市上塩尻の蚕種製造民家群と文書を見聞する会を開きました。長野大学前川研究室、上塩尻自治会、上塩尻今昔の会の連携で実施したものです。地元上塩尻の方々を中心に、建築や歴史文化の専門の方などが加わり20名ほどが参加しました。 幕末から近代にかけて日本の産業を牽引した蚕糸業の中でも、長野県は蚕糸王国と呼ばれるほどに近代日本の殖産興業に貢献をしました。その中で上田小県は蚕都上田と呼ばれ、その中心地の一つでした。とりわけ上塩尻を中心とした塩尻地区は蚕種製造の一大中心地となり、江戸時代から幾人もの優れた蚕種製造家を輩出した他、各家が蚕種製造業を営んでいました。その当時の蚕種製造民家は現在もなお数多く残り、「蚕種製造民家群」という全国的にも稀有な歴史的景観地区となっています。 2020-07-18
88上塩尻の景観上塩尻の景観2018/09/09、(長野県上田市)上塩尻へ立ち寄ってきました。北国街道沿いに広がる上塩尻の景観が美しい。それぞれの家々は街道沿いには塀がめぐらされて門が構えられています。飾り気がなく、シンプルな集落の佇まいです。特色あるのはそれぞれが二階建ての瓦葺の建物で、2階に蚕室が備わっていること。建物も塀も質が高く、それが趣のある文化的景観をつくり出しています。二階の蚕室の雨戸も景観に美しさを添えています。旧街道の道筋は車が1台通過できる程度の幅しかありません。車を屋敷の中に入れる事は不可能です。現代の生活に欠かせない車が屋敷の中にすら入れない不自由を抱えながら、古い建物が維持され、このような美しい景観が維持されていることに感銘を受けます。 西側に面している建物は細い路地に面し、窓のない木造2020-07-18
89上塩尻の集落の模型(1992年)発見上塩尻の集落の模型(1992年)発見蚕種製造民家群が数多く残る上塩尻の民家は1989年度から1991年度にかけて当時の工学院大学山崎弘研究室によって調査されました。それからかれこれ30年近くが経過し、その調査を知る人も少なくなったばかりでなく、所在がわからなくなっていた調査資料を最近になってやっと探り当てることができました。そのことだけでも大きな感動です。 そしてつい先日、その調査で作成された上塩尻の集落のミニチュアが発見され、眼前で確認しました。「長野県上田市上塩尻の養蚕民家集落 Scale:1/500 1992.3.28 工学院大学 山崎研究室」と記されています。 山崎研究室の調査では、上塩尻の蚕種製造民家のうち23軒が調査され、それらの民家については間取りも仔細に調査されました。それらの民家については実物そっくりのミニチュアが作られています。現在は2020-07-18
90凛々しい表情の上田天満宮凛々しい表情の上田天満宮アリオ上田店周辺の道を歩いていると横から、筧 十蔵像からの視線を感じました。街歩きの途中で歴史を感じることができます。菅原道真公がご祭神として奉られていて、本尊は菅原道真公の座像で江戸中期の作といわれている、、、2020-07-13
91生島足島神社 山宮社生島足島神社 山宮社東山の麓から、10分ほどなだらかな山道を登っていくと、密やかに生島足島神社の山宮社があります。 ここは、生島足島神ではなく諏訪大社の神様を祀ってあるらしく、山中に山宮社を置くことで、里にある生島足島神社との間に、山と里でエネルギー循環が起きることを意図したようです。 神道では、万物に神々の意識が宿るとする「八百万の神」の思想を大切にしていますが、昔の人は、自然に対して畏敬の念を抱き、山に神聖なものを見出していたのですね。 この山宮社は、先日、日本遺産に認定されたレイライン(生島足島神社〜信濃国分寺へと続く光の筋)の中心に位置します。 皆さん、ぜひ、行かれてみてください!2020-06-29
92常田館製糸場常田館製糸場常田館製糸場は1900年(明治33年)から約120年間操業しましたそして、明治日本の産業遺産として現存する建築物の歴史的価値が評価され、現在は国の重要文化財に指定されています。 。そして、常田館製糸場のほかにも上田市には糸に関連した町や遺産があることが分かった。2020-06-23
93吉田原古墳吉田原古墳 蒼久保地区みすず台にある古墳で、墳丘や内部の石室の状態がほぼ完全に残っている。  現在は団地の中の古墳となっているが、もともとは神川が千曲川に合流する東側の段丘上の見晴らしの良い場所に造られた古墳である。2020-06-12
94大蔵京古墳大蔵京古墳秋和地区の北側にそびえる虚空蔵山南麓の傾斜面に自然の地形を利用して造られた古墳。古墳の形は方墳とされているが、かつては双子塚とも呼ばれたことがあり、前方後円墳と見られた時期もある。  古墳の東隣には、江戸時代に神社の社殿が造られたり、古墳の頂部には日露戦争戦没忠魂碑が建てられている。上田盆地では、今のところ最も古い古墳と考えられている。2020-06-12
95他田塚古墳他田塚古墳 塩田平を望む下之郷の東山山麓の南西斜面にある、下之郷古墳群の中心的な古墳。この古墳には、信濃の古代豪族である他田氏に関係した古墳との言い伝えがある。古墳の平面の形は円墳で、南西部に入り口がある横穴式石室をもった大きな古墳である。2020-06-12
96生島足島神社生島足島神社 生きとし生けるもの万物に生命力を与える「生島大神」と、生きとし生けるもの万物に満足を与える「足島大神」の二神が祀られている古社。  創建の年代は明らかではないが、神代の昔に、建御名方富命(たけみなかたとみのみこと)が諏訪の地に下降する途すがら、この地にお泊まりになり二柱の大神に奉仕し、米粥を煮て献ぜられてたと伝えられ、その故事は今も御籠祭という神事として伝えられている。2020-06-12
97旧宣教使館旧宣教使館 旧宣教使館は明治37年に、カナダ・メソジスト派新参町教会の婦人宣教師の住宅として建てられた。  この建物には、イギリス系の開拓者によって成立した「アーリー・アメリカン様式が用いられている。2020-06-12
98穂高神社穂高神社穂高駅から徒歩数分でつく地元では有名な神社。 ここ数年で改修作業がはいり建物がきれいになりとても厳かな雰囲気が出ていてとてもいい。パワースポットとしても有名でそこそこ観光客が訪れる。お土産屋さんも充実している。また、なぜか地元の人は車を買ったらここに来る。交通安全のご利益でもあるのだろうか?詳細求む。 ここには過去初詣や地元の祭りであるお船祭りに来ていてとても思い出に残る場所。みなさんも一度訪れてみてはいかがでしょうか。2020-06-05
99上田城上田城初めて上田城に行ってきました。コロナの影響にもかかわらず、かなりの人がいてびっくりしました。石垣や建物に歴史を感じました。2020-05-31
100上田城上田城日本百名城 二十七番・日本夜景遺産に認定されている。 桜の時期は花見に最適で夜景も綺麗。イベントも行われていて楽しい。2020-05-27
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