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1超誓寺超誓寺寺下駅の近く、駅からすこし坂を上ったところにあるお寺です。 丁寧に管理された綺麗な庭園を備えています。2020-05-26
2生島足島神社生島足島神社生島足島神社は、長野県上田市下之郷にある神社。式内社。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社(ウィキペディアより引用) 日本の中央にある神社として知られる神社。年初めにおみくじを引きに行ったが、巫女さんが優しかった。2020-05-26
3秋葉神社秋葉神社二子塚古墳の隣にある神社です。御祭神は火之迦具土神です。二子塚古墳の存在は知っていましたが、神社の存在は今回初めて知りました。草が茂っていたのと神社が古かったため、少し不思議な空気感を感じました。また草が茂っていますが、人が歩ける道があり、誰かが手入れをしてくれたり、参拝をしている人がいまでもいることも感じられました。2020-05-26
4縣諏訪神社縣諏訪神社縣諏訪神社は、明治までは諏訪社という名称でしたが、諏訪社が旧縣村にあったことから、明治11年に縣諏訪神社と改称されました。縣諏訪神社と境内にある伊豆宮公園は私が小学生の時によく訪れた場所で、懐かしかったため撮影しました。木の揺れる音や鳥の鳴き声が聞こえる自然豊かな場所です。2020-05-26
5上田市に古墳?(二子塚古墳)上田市に古墳?(二子塚古墳)前方後円墳です。はっきりと形が残るものは小県策地方唯一であり、大変貴重とされています。発掘調査が行われていないため、内部の様子は不明ですが墳時代中期のものとされています。発掘調査が行われていないため、全貌が見られず残念ですが、どちらが前方部でどちらが後円部なのかを考えてみると楽しかったです。また、上田市に古墳があることはあまり知られていないため、もっと多くの人に知ってもらえるといいと思います。2020-05-26
6弥栄神社弥栄神社大星神社の拝殿の左奥にある神社です。創建時代は不詳ですが、宝永8年(1711)4月再建の記録が残っています。周りの柵が新しくなっていたため、柵だけ浮いてるように感じられました。大星神社の奥にあるため、気づかない人も多くいると思います。2020-05-26
7金井村の跡金井村の跡1742年8月に起こった土石流によって流失した金井村を後世に伝えるための石碑です。東御中央公園の駐車場に置かれています。この石碑の裏には、金井村が流失した年月や犠牲者の数が刻まれています。普段東御中央公園に来るときには通り過ぎていましたが、改めて見ると石碑は大きく、重要なことが書かれていると感じたため撮影しました。歴史を知るための重要な石碑だと思いました。2020-05-26
8大星神社大星神社創建時代は不詳ですが、第60代醍醐天皇延長2年(924)に社殿を改築された記録が存在しています。御祭神は、事代主命・建御名方刀美命・前八坂刀売命です。秋にはお祭りが開かれるため、賑わいを見せます。自然が豊富でその場にいるだけで、力を貰える、パワースポットのような雰囲気を感じられることができます。境内案内板が古く、一部読むのが困難な箇所がありました。また以前は、ゲートボール場があり、ご老人の遊び場となっていたのですが、いつの間にか駐車場になっており、時間を感じさせられ少し寂しい気持ちになりました。2020-05-26
9崇福山 安楽寺崇福山 安楽寺信州最古の禅寺である安楽寺の池です。別所の湯で出会った幸村と左平次はこの寺で語り合い、最後の時まで続く2人の友情はここから始まったとされています。 その境内の中にとても美しい池があります。牡丹と鯉がとても良い絵になります。2020-05-26
10城山公園の橋たち城山公園の橋たちここは栃木県小山市にある城山公園です。 この市は小山評定が開かれたことから「開運のまち おやま」として歴史をブランドとして全国に発信しています。 さて、公園として多くの方が利用しているこの地、実は かつて栃木県が下野国と呼ばれていた頃、小山城(祇園城)というお城があったそうです。 その跡地につくられたのがこの公園です。 今でもその名残として複数の橋がありました。 それぞれ、色も形も異なる橋とそれらが纏う雰囲気に以前から惹かれていたので少しでも写真で伝わればと記事にしてみました。2020-05-26
11毘沙門山古墳毘沙門山古墳これは栃木県にある毘沙門山古墳という寒川古墳群蹟の一つです。 田んぼがずっと広がっている平地にポツンとここだけ木が生え膨らんでいたので以前から何か気になっていました。 近づいてみると説明書きから寒川古墳群蹟で現存する唯一の古墳であることが分かりました。 5世紀後半に造られたとされる古墳で正確な規模は不明なものの推定全長41.2メートル、後円部34メートル、高さ5.18メートル、周湟幅約1.2メートルの前方後円墳だそうです。 また、周湟内からは土師器や埴輪片なども発見されているそうで何だかワクワクしました。 実際に前方後円墳を見たのは初めてでしたが、地上からではあまり形のイメージが湧かない不思議なものに感じました。2020-05-26
12明治時代を体感!旧中込学校明治時代を体感!旧中込学校佐久市に現存する擬洋風学校である。明治8年に完成し、日本国内に現存する擬洋風学校としては最も古い建築物の1つでもあり、長野県宝・国重要文化財に指定されている。また、敷地を含めて国史跡にも指定されている。移築や改変等が少ないため、当時に近い姿で残っている点が特徴であり、気軽に明治の雰囲気を感じる事ができる。 正面から見て横長でなく縦長な形をした校舎、八角形の塔の部分には太鼓が吊るされている点が興味深い。他にも、カラフルなガラスが目を引き、魅力を感じる。2020-05-26
13塚田歴史伝説館塚田歴史伝説館巴波川沿いにある風情ある蔵の景観を見せてくれる江戸時代の材木問屋の家屋を歴史伝説館として公開しています。塚田家は江戸時代後期の弘化年間(1844~48)から木材回漕問屋を営んできた豪商でした。当時は木材を筏に巴波川から利根川を経由して江戸深川の木場まで運んだと言われています。蔵芝居《巴波川悲話》のロボット人形劇では、ロボットおばあちゃんの三味線演奏がとても印象深いです。2020-05-26
14生島足島神社生島足島神社生島足島神社へ行ってきました。神社の名前はよく聞くのですが、今まで行ったことがなかったので、気になって行ってみました。 生島足島神社は大きな池が特徴的な神社で、鳥居をくぐると池の上に社が建っていました。 池では鯉や鴨が泳いでいて、芝生で休んでいる鴨の姿もありました。 境内にはもの凄く独特な御神木がありました。印象に残る姿形をしていたので、思わず写真を撮ってしまいました。2020-05-26
15とちぎ山車会館とちぎ山車会館栃木県の指定有形民俗文化財である山車の保存も兼ねて、2年に1度開催される『とちぎ秋まつり』の興奮をいつでも楽しめるようにと、3台の山車を常時展示し、定期的に他の3台と入れ替えながら、デジタル技術を駆使して秋まつりを再現して見ることが出来ます。平成30年には、映像の改修及び多言語音声ガイドの設置を行い、最新技術でリニューアルされました。2020-05-26
16神秘的な空間へ!鼻顔稲荷神社神秘的な空間へ!鼻顔稲荷神社日本五大稲荷の一つ。京都伏見稲荷の御分霊を祀ると伝えられている。 少し離れた場所から見ると湯川の断崖に鎮座する姿と独特な色合いが目を引き、実際に探索してみると神秘的な雰囲気を感じることができる。特におすすめするポイントはいくつも並んでいる朱色の鳥居である。2020-05-26
17とちぎ蔵の街美術館とちぎ蔵の街美術館約200年前(江戸時代後期)に建てられた土蔵3棟を改修して、平成15年に美術館として現代に甦らせ、栃木市ゆかりの作家の作品を中心に収蔵しています。 美術品だけでなく、古い日本家屋が楽しめます。2020-05-26
18小諸宿本陣主屋小諸宿本陣主屋 小諸宿本陣主屋は、慶長16年に設けられた小諸宿の建物で、参勤交代や善光寺参拝の旅人の交通の要として、隆盛を極めました。参勤交代の際には、大名も休泊したそうです。  その後、明治11年に佐久市に移転されましたが、平成9年に再び小諸市に移転され、現在は歴史資料館となっています。2020-05-26
19真田神社真田神社立派な鳥居の真田神社。上田市民のお散歩コースの一角になっている。上田城跡公園内にあり、境内には真田井戸と呼ばれる井戸がある。 歴代の上田城主を合祀し上田城跡守護の由緒ある神社として地域住民に愛されている。 大学入学を祈願し、ここを訪れることも。 神社としての威厳を保ちつつ、現代要素も感じる。2020-05-26
20戌立石器時代住居跡戌立石器時代住居跡縄文時代中期末の敷石部をともなう住居跡。 付近には現在は小諸市分の寺ノ浦のほか、広い範囲に集落跡が確認されており、大集落跡であったと思われる。 復元住居は昭和63年度に建てられた。 辺りは木々が生い茂っているが、石器時代は河川があったと思われ、多くの人々がいたのだろうか。 現在は投稿写真のような復元住居が1つあるのみで、どこか忘れられている寂しさも感じた。2020-05-26
21寺ノ浦石器時代住居跡寺ノ浦石器時代住居跡三方ケ峰から南に緩やかに傾斜する丘陵上に位置。 昭和の初めに調査が行われるようになり、1930年(昭和5年)、縄文時代後期の住居址が発掘され、出土品には縄文土器や打製石斧・磨製石斧などがあったといいます。 復原住居が建てられたが、落雷で壊されてしまった。 今は看板などしか残っていないが、国の史跡指定を受けている大変珍しい場所であることに驚きました。2020-05-26
22長野県 善光寺長野県 善光寺長野県の中でも歴史のある観光名所の善光寺。 善光寺は無宗派の単立仏教寺院。 本尊の一光三尊阿弥陀如来は日本最古のものとして知られている。 長野県に住んでいるものとしては一度は行くべきところである。2020-05-26
23常楽寺常楽寺北向観音から歩いたところに位置する。 小さな池やキレイな松が静けさを感じさせるかやぶき屋根のお寺。周りには松の木がたたずむ観光名所だ。いまではあまり見ないかやぶき屋根がなんだか古き良き、を感じられる場所だった。2020-05-26
24上田城跡地上田城跡地かつて上田城があったと場所です。敷地内には真田神社や上田城本丸跡、博物館やスポーツの競技場等があります。多くの人でにぎわう場所であり、上田城や真田の歴史について学ぶことができます。 4月には上田城千本桜祭りが開催されます。他にも上田真田まつり・上田城紅葉まつりというイベントが開催されています。 周りが自然に囲まれており雰囲気が良い場所です。神社があり、その近くの丘からの景色もとても良いです。2020-05-26
25眞田神社眞田神社上田城城跡跡地にある眞田の神社です。。真田氏、仙石氏、松平氏達歴代上田城主を御祭神としている。もともとは松平氏を祭っていたことから松平神社と称していました。上田城の跡地内に構えており、落ち着いた雰囲気にとても惹かれるものとなっています。真田井戸の奥の丘に登ると素晴らしい景色が見えます。2020-05-26
26上田高校上田高校上田高校にある大きな門です。高校にこんだけ大きな門があるのは、なかなかないです。とても歴史を感じます。ここからたくさん優秀な生徒が育ち、この上田市をさらに、発展させてくれることを願っています。2020-05-26
27田安門田安門徳川家16代目の徳川家達の屋敷に置かれていた門です。家達は東京に移住したもののこの門は静岡に残され、その後の静岡大空襲でも滅びることがありませんでした。 現在は私の母校の高校の門として利用されています。そのような歴史ある門が母校にあることを誇りに思います。2020-05-25
28静岡浅間神社静岡浅間神社徳川家康とゆかりが深い神社で、徳川幕府の指示によって造営されたものです。静岡を代表するお祭りの1つである廿日会祭が開催される神社として知られています。 明治時代に別々の家で管理されていた3つの神社が、1つの神社となったことが面白いなと思います。2020-05-25
29久能山東照宮久能山東照宮晩年を駿府で過ごした徳川家康が埋葬された神社で、国宝にも認定されています。明治時代以降50年に一度社殿を始めとした諸建造物の漆塗り替えが行われています。 東照宮までには1159段の階段があり、「いちいちご苦労さん」と呼ばれていることに市民の親しみを感じます。2020-05-25
30登呂遺跡登呂遺跡日本で初めて発見された弥生時代の水田跡の遺構です。 火起こしなどを体験することができ、弥生時代の人の生活を感じることが出来ます。 第二次世界大戦中の軍需工場建設の際に発見されたということに驚きました。2020-05-25
31石久摩神社(上田原古戦場の碑)石久摩神社(上田原古戦場の碑)1548年、武田信玄と村上義清が武力衝突した上田原合戦の中心地と言われる神社。この合戦を世に伝えるため石久摩神社境内に記念碑が建てられている。 道路に面してすぐの赤い鳥居が存在感を出している神社だが、鳥居の奥は足を踏み入れたことはなかった。改めて、ここで戦があったという歴史を思うと感慨深い。 夕方に訪れると、また日中とは違った厳かな雰囲気を感じられる場所である。2020-05-25
32石久摩神社石久摩神社鳥居の横には、「上田原合戦」前後の出来事が書いてあったり、「上田原古戦場」と書かれた石碑がある。  上田原合戦とは、1548年、武田信玄と村上義清が激しい戦いを行い、両軍合わせて数千人という戦死者を出した。この戦いは、川中島合戦の前哨戦ともいわれる有名な戦いである。  この神社は、旧上田原村の産土神であり、1827年神祇官より社号を明神社から石久摩神社に改称を受け今に至る。2020-05-25
33海野宿跡海野宿跡海野宿は1625年に北国街道の宿駅として開設されました。現在でも当時の景観を維持しており、風情が漂っています。休憩処や物産処もあり、東御市では人気の観光スポットとなっています。 また、昭和61年には日本の道百選、62年には重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。2020-05-25
34保屋野々原古戦場跡保屋野々原古戦場跡一週間前ほど急にこの柱が立っていた。 こんな近所に武田軍と村上軍の戦いが起こっていたなんて考えたこともなかった。 私は、すごいところに住んでいるのかもしれないと思った。2020-05-25
35日露戦後忠魂碑(上田市)日露戦後忠魂碑(上田市)日露戦争に出征し戦死した兵士の記念のために制作された記念碑。上田市からも戦争に出征し戦った人がいることが分かるものである。一人一人の名前が記されており、地域の記録として存在している。戦争と平和について考えさせられるものである。2020-05-25
36武高國神社武高國神社塩田地域自治センター近くにある神社。普段は静かな雰囲気で落ち着く場所。そばには遊具があり、学校終わりや休日では子供たちがよく遊んでいる。祭りの時期には多くの人が訪れにぎやかである。2020-05-25
37道祖神(上田市塩田町駅周辺)道祖神(上田市塩田町駅周辺)守り神として道の辻に祀られている石仏。甲信越地方や関東地方で多く見られ、上田市にも点在する。様々な形状をしており、ここの道祖神は双体である。要所においてあるのか目に留まりやすい。塩田町駅近くにある道祖神は川のすぐそばにあるため特に目に留まりやすいが、草木に覆われているため近づきにくい。2020-05-25
38須波三穂神社東の宮須波三穂神社東の宮総本社は長野県諏訪市にある諏訪神社です。 同じ地域内にもう1つ神社があり、それぞれ東の宮と西の宮という名前で区別されています。 創建は天暦6年(952年)です。 とても長い歴史のある神社が家の近くにあったことにとても驚きました。2020-05-25
39【迫力!!】安楽寺 黒門【迫力!!】安楽寺 黒門安楽寺境内の入り口にあたる門。安楽寺の山号である崇福山という文字が大きく飾られており、中に吸い込まれるようなインパクトがあります。黒門の説明看板に貼ってあるシールも風情があって見どころです。2020-05-25
40安楽寺(黒門)安楽寺(黒門)黒門。安楽寺の入口にあり、崇福山と大きく書いてある。外国の観光客のために多くの場所で英語表記されているため外国人でも楽しめる。歴史が古く近所の人などから大事にされていて非常に綺麗に残っている。看板の文字は山福崇ではなく崇福山と右から読む。大きな門でインパクトがあり忘れない。2020-05-25
41明治史料館明治史料館地元の主に幕末から明治のころの歴史とその資料について展示がされています。また、江原素六という人物についての展示もしています。2020-05-24
42熊に注意っ!米子瀧山不動寺熊に注意っ!米子瀧山不動寺米子瀧山不動寺は、日本三大不動尊の一つで古くから「米子のお不動さん」と呼ばれ、家内安全・無病息災・五穀豊穣・厄除け・商売繁昌・病気平癒など現世利益をご祈願・ご祈祷する真言密教(東密)寺院です。熊の生息域にあるため、注意してください。周りは緑で溢れており、心が晴れる気持ちになります。2020-05-24
43クラシック美術館クラシック美術館“庶民のよろこびと悲しみにつつまれた品によって、あたらしき美の発見のあること”との想いがこめられた日本画家・岡信孝氏のコレクション約2,000点を中心に、大正末期から昭和初期の着物や、大正ガラス、李朝民芸など、昔の生活の品々を展示しています。館名の“クラシック”には、“蔵”の町と古き美しき“もの”への想いが込められています。美術館前の蔵の街並みも、魅力的です。2020-05-24
44八丁鎧塚古墳群八丁鎧塚古墳群須坂市には古代氏族の墳墓である古墳が多く分布しています。そのほとんどが、川原石を積み上げた積石塚と呼ばれる古墳です。中でも、八丁鎧塚古墳は県史跡に指定されています。 畑や果樹園に囲まれているので、頑張って探してください。2020-05-24
45田中本家博物館田中本家博物館江戸時代の豪商の館を利用した博物館。江戸時代中期からの豪商・田中家の所蔵品・資料が展示されています。昔のおもちゃや人形なども展示されているため、子供も楽しむことができると思います。また、春は桜、夏は芍薬、秋はもみじ、冬は雪と四季により表情を変える日本庭園を見ることもできます。2020-05-24
46松本城松本城松本城は戦国時代の永正年間に造られた深志城が始まりで、現存する五重六階の天守の中で日本最古の国宝の城です。黒と白のコントラストがアルプスの山々に映えて見事な景観です。松本城は標高590メートルの盆地内平地に位置しています。江戸の家康を監視する城として、甲府城・高島城・上田城・小諸城・沼田城とともに秀吉側の城主が配置された江戸包囲網のひとつの城といわれています。 松本城の桜は、加藤清正が城見のために松本城を訪れた時に駒をつないだという話を伝える桜です。春にお散歩をしながらお花見をするのもおすすめです。2020-05-24
47世界のタイル博物館世界のタイル博物館この博物館は、山本コレクションとINAX独自の資料による装飾タイルを展示公開し、来館者が「観て、学んで、発見」する、日本で唯一の研究博物館です。1階常設展は、「装飾する魂(たましい)」をテーマに5500年前のクレイペグ空間、4650年前のエジプト最古のタイル空間、イスラームのドーム天井の再現など、ライブミュージアムにふさわしい臨場感あふれるタイル空間を再現。世界の他の博物館でも体験できない時代別の装飾タイル空間が誕生しました。 2階常設展は「時空を超えるタイルたち」をテーマに、中近東諸国(オリエント・イスラーム)、スペイン、オランダ、イギリス、中国、日本という地域別の展示を追いながら、5500年前から近代までのタイルの歴史の流れや個々のタイル技術についても、理解しやすいように解説を加えて展示してい2020-05-24
48窯のある広場・資料館窯のある広場・資料館INAXライブミュージアムの「窯のある広場・資料館」。 「窯のある広場・資料館」は、1921年から1971年まで、土管や焼酎瓶、タイルなどのやきもの製品を製造していた工場を、LIXIL(当時INAX)が整備し、1986年から公開している文化施設で、国の登録有形文化財にも指定されています。創建当時の姿にできるだけ近づけると共に、更に100年先に残せるものとすることを目指し、外壁の仕上げや瓦の風合いにもこだわって再生しました。建屋内部の煉瓦造の大きな窯の迫力や、太い木材が露出した梁や柱、見上げた天井のトラスなど、建物自体の魅力も大いに楽しんでいただけます。 展示においては、煉瓦の窯の内部に炎の映像を投影し、窯焚きの様子を臨場感いっぱいに再現したプロジェクションマッピングが見どころです。入ってすぐにある煙突の存在感に2020-05-24
49椎名道三顕彰碑椎名道三顕彰碑椎名道三は滑川市で生まれ、生涯に開田した面積は1,200ヘクタールにも達するといわれており、多くの農民の貧困を救ってきました。優れた仕事に感謝し、その業績を永く後世に伝えようと道三の家があった近くにこの椎名道三顕彰碑が建てられました。 ほとんどの富山県民は小学生時代に椎名道三について学ぶのではないかと思います。山奥にありあまり目立たず見つけられにくい所ではありますが、歴史残る大切な石碑です。 こう見えて公園らしく多少のスペースもあるので、ちょっとした遊べる空間にもなると思います。2020-05-23
50上田城上田城ここは上田城。 上田城には、南櫓・北櫓・東虎口櫓門をはじめとし、真田石などかつての城を感じさせる見所が数多くある。 映画「サマーウォーズ」での陣内家お屋敷の門として登場することでも有名であり、多くのファンが訪れるスポットとなっている。2020-05-23
51信濃国分寺信濃国分寺歴史の長いお寺。 1月8日には八日堂縁日が行われる。2020-05-23
52下塩尻 庚申塔下塩尻 庚申塔庚申塔(こうしんとう)は、庚申塚(こうしんづか)ともいい、中国より伝来した道教に由来する庚申信仰に基づいて建てられた石塔のことを言います。庚申講を3年18回続けた記念に建立されることが多いそうです。塚の上に石塔を建てることから庚申塚、塔の建立に際して供養を伴ったことから庚申供養塔とも呼ばれています。 出典:庚申塔 - Wikipedia 庚申という言葉もその歴史についてもあまり知る人は少ないのではないかと思います。実際に調べてみると多くの歴史があり、様々な情報があるため歴史的に興味が持てます。他の都道府県にもあるため、実際にその場へ赴き、どういった歴史があったのか調べたくなります。2020-05-21
53上塩尻神社上塩尻神社祭神は諏訪大明神です。奈良時代に舎人嶋(現元宿)に創建したが、1595年(文禄4)の大洪水で流出し、1709年(宝永6)現在地に再建した。 上塩尻は養蚕が盛んだったようで、立派な土塀に囲まれた家々が狭い道沿いに立ち並んでいます。狭い道を登って行くと神社が建っており、祠には万葉歌碑が祀られています。一度再建はされたものの、古くから万葉歌碑が現在も残っているのはとても面白い。2020-05-21
54長野大学長野大学公立化したのは最近だが、私立の時代も含めその歴史は長い。今はコロナの影響で入れない。道から見える図書館が特徴的。2020-05-21
55天満宮天満宮1771年(明和8年)の創建と伝えられ、舟形の地形が特徴です。古い絵馬や俳句の額が掲げられています。明治6年に村社になり、かつては春秋の例祭には村人の踊り、大々神楽、相撲等が奉納されました。敷地内には、福島安正書の「菅公一千年記念碑」もあります。 出典:『上田 しおじり』/塩尻地区近代化遺産活用ガイドブック編集委員会/ 発行 上田市教育委員会 2003年3月 学問の神様とも呼ばれている菅原道真を祭神とする神社の一つであり、正月にはここで年を越す方もいます。昭和時代からありながらきれいなまま現存しているのが面白い。2020-05-21
56水天宮水天宮下塩尻字日月地籍に舟人の守護神、水の神、安産の神として水天宮が祀られています。千曲川水系では比較的大きな社殿と言われ、毎年9月には神主が来場して区民が例祭を行っています。 出典:『上田 しおじり』/塩尻地区近代化遺産活用ガイドブック編集委員会/ 発行 上田市教育委員会 2003年3月 少子化という地域課題がある中でこういった神様が祀られていることにより地域の方々に安心と安寧を与えているという歴史的な効果が素晴らしく、興味を持たせてくれる。2020-05-21
57上塩尻の蚕種製造民家群と文書を見聞する上塩尻の蚕種製造民家群と文書を見聞する2018/08/18、上田市上塩尻の蚕種製造民家群と文書を見聞する会を開きました。長野大学前川研究室、上塩尻自治会、上塩尻今昔の会の連携で実施したものです。地元上塩尻の方々を中心に、建築や歴史文化の専門の方などが加わり20名ほどが参加しました。暑いとは言え、連日の猛暑からは解放されたように秋めいた爽やかさが感じられる一日となりました。

全国的にも稀有な蚕種製造民家群

幕末から近代にかけて日本の産業を牽引した蚕糸業の中でも、長野県は蚕糸王国と呼ばれるほどに近代日本の殖産興業に貢献をしました。その中で上田小県は蚕都上田と呼ばれ、その中心地の一つでした。とりわけ上塩尻を中心とした塩尻地区は蚕種製造の一大中心地となり、江戸時代から幾人もの優れた蚕種製造家を輩出した他、各家が蚕種製造業を営んで
2020-05-10
58藤本蚕業歴史館藤本蚕業歴史館蚕種製造の中心地であった歴史館。文書館と展示施設の機能を併せ持っている。2020-04-29
59秋和の文庫蔵を訪ねる秋和の文庫蔵を訪ねる2/17、地元の方々と学生と秋和文庫蔵を訪ねました。 秋和は蚕種製造の中心地であった塩尻村の中で、上塩尻、下塩尻と共に蚕種製造が営まれ、蚕都上田の興隆にも大きく貢献した一地域です。そうした近代の地域の背景を知る上でも地元の古い資料は欠かせないものです。 いくつか手にした文書は「明治十八年 祭典諸事記載帳」「明治三十年度 人夫賃金支払帳 塩尻村秋和土木委員」「明治十年第三月 秋和学校貸附金証書」「明治十三年金銀出納簿 一月ヨリ 秋和学校」などなど。少し手に取っただけでもまるでタイムカプセルから地域の埋もれた歴史に陽光が当てられたかのような感興がありました。 これらの資料をどうするか。それが問題です。地元の資料は地元の力でともかくも目録化に着手するのが第一との課題を共有しました。2020-04-22
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