歴史景観ウォッチング 新町・諏訪部編 ③山浦邸

歴史景観ウォッチング 新町・諏訪部編 ③山浦邸

 北国街道を西に進み、髙橋で矢出沢川を渡る100mほど手前に「北向観音」の道標がある。そこを南に折れ、千曲川を渡ると松本に向かう保福寺街道となる。古代、東国と都を行き来する東山道として拓かれ、近くには日里駅(わたりのうまや)跡と推定される礎石(いぼ神様)が残っている。東山道を浦野で左に折れ別所峠を越えると北向観音のある別所温泉に至る。
 明治になって信越線が引かれ、上田駅ができるまでは川西方面から城下に入るにはこの道が使われたため、出入口となる坂下には商店も並んでいた。
 山浦家は、江戸時代は、雑貨、よろずやをやっていて、松本街道の出入り口で繁盛していた。明治2年のチャラ金騒動で川西方面からきた一揆衆も、「油や」(屋号)には、手をつけるなと言い交し、打ちこわしにあわなかった。2代目の当主は、蔵を開け放して入っていたコメなどを持って行かせた。明治になって上田駅ができ上田橋ができると人通りはなくなったため、店をやめて2階を使って養蚕をやるようになった。
母屋、表・裏の土蔵は、文化年間に新潟の大工によって建てられた。趣旨は理解した。2階は、蔵造のように2重天井になっていている。平成10年に、玄関など手を入れた。道路に面した北側の部分を今でも店と呼んでいる。

登録日:2023-09-24 投稿者:やまさん
地区コード新町(西部地区)
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