蚕種は、半紙大の蚕種紙に一粒並べに産卵されたままの状態で販売されました。農閑期になると蚕種業者は、生産した蚕種紙を背負ってお得意先の養蚕農家を回り、前年に渡した種紙の代金を受け取り、翌年用の蚕種紙を渡して周りました。良い繭がたくさん取れれば、その秘訣を聞き、取れなければ飼育方法を指導する蚕種業者は養蚕の優れた技術指導員でもありました。また、塩尻では、養蚕技術の改良や新品種の育成、組合を作って質の悪い蚕種が出回るのを防ぐなど品質向上の取り組みも行われ、蚕種の郷としての評判を支えました。幕末、外国との貿易が始まると塩尻の蚕種は、蚕の病気で養蚕業が全滅の危機に瀕していたイタリアやフランスにも輸出され、1枚3両から4両でいくらでも売れたそうです。
小さくて高価、また高度の技術で製造された蚕種は、現代の精密、電子機器産業につながる内陸型産業の原型とも言えるのではないでしょうか。
写真は、種紙の販売員(塩尻地区写真集より)
地区コード | 塩尻地区 |
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投稿者 | やまさん |
管理番号 | 3129 |
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カテゴリ名 | 蚕種の郷 |
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