ケムリの城は、やせた岩尾根を何本もの堀切が区切り、平坦な場所はごくわずかです。堀切は、東西に深く切り落ちていて、渡るには危険を伴います。平坦地が少ないため、常時、多くの人を配置するのは困難に思えます。稜線を駆け上り、稜線をたどって坂城に侵入する敵を足止めさせる役割が大きかったのではないかと推察しました。
急で、滑りやすく、東西は切り落ち、登山道のわかりにくいところもあり、子どもが登るには、危険が大きいように思いました。
西南に下る尾根の突端に土塁に囲まれた平坦があり、標識はありませんが、燕(つばくろ)城の跡と思われます。
登山道を見失い、1時間かけて上塩尻神社の上に下山しました。
全景写真の左の鉄塔が25番でケムリの城、下に降りて24番、右に上がって23番が持越城の位置です。稜線を右に登ると虚空蔵山になります。
地区コード | 西部地区 |
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ライセンス | ![]() |
投稿者 | やまさん |
管理番号 | 3254 |
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カテゴリ名 | 山城山系 |
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