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登録リスト(該当:138件)
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写真
タイトル
説明
登録日
1
2024 4月 ゆうすげの里の花桃全開✿
2024 4月中旬〜ゆうすげと蝶の里の皆さんが整備する新幹線高架横の花桃が見事に開花しました✿✿ 白、ピンク、紅ピンクに加えて、それらが見事に混合した彩で 思わず写真を撮リました。 道路〜、また、夕暮れには、うさぎ峰方面に入っていく林道〜美しく見えました。
2024-04-26
2
真田石
こちらの写真は真田石です!!説明文もあります。
2024-04-12
3
真田井戸
上田城の真田井戸の写真です。
2024-04-12
4
上田城の桜
これは上田城にいったときの写真です。桜はとてもきれいでした
2024-04-12
5
上田城の石樋
この写真は、上田城の陸上競技場の近くでとれた写真です。
2024-04-12
6
~ 上 田 城 ~
これは上田城で撮れた写真です!
2024-04-12
7
真田石
上田城の真田石の写真です。
2024-04-12
8
上田城
これは上田城で頑張った写真です
2024-04-12
9
子ども地域探検2024スタート!
今年も地域を探検し魅力を発信していきます。 写真は令和6年4月12日の上田城です。 たくさんの人で賑わっていました。
2024-04-12
10
上田城と桜
桜が満開になった上田城の写真を取りました。
2024-04-12
11
(通称)らくだ公園
みんなに、らくだ公園と呼ばれている公園の写真を載せたポスターを作りました。
2024-04-05
12
築城から江戸時代までの上田城
上田城の歴史や写真です。
2024-04-05
13
2024 3月31日 花桃イベント
3月31日午前に行われた花桃イベントに参加しました。 主催は、「花いっぱいの会」の皆さんです。日頃からまちづくりの会では、顔なじみですが、こうしてしっかり参加するのは初めてでした。 天気は良く、花桃は蕾でしたが、今年初の里山散策の機会となり、休んでいた身体が春陽気で気持ちよく目覚めました。 子供から老若男女の大人の参加で、賑わいました。 ビンゴゲームには、春を見つける写真が用意されていて、楽しく歩きました。自分でも見つけたものを撮ってみました。
2024-04-03
14
2024 3月21日 ベトナムの若者 が「ねこ型花壇」へ
2024年初めてのボランティアに入国直後のベトナムの若者13名が来て下さいました。2週間ほど前に来日したばかりです。通訳さんとグローバル研究会の方も来て下さいました。 前夜からの積雪もあり、春分の日も過ぎたのにとても寒い日でした。 当日は、中止も検討でしたが、是非にと彼女たちは、事前の情報でしっかり防寒して来てくれました。雪は初めてと触ったりしながらセンターから徒歩で来てくれました。 周りの石垣や梅の花も写真に収めていました。 花苗は、未だ無いので、1段目の石垣の上にチューリップの球根を植えてもらいました。 4月から彼女たちは、県内の企業に勤務されます。 4月にはチューリップも可愛らしく咲くことでしょう。 「たいへんありがとうございました。」
2024-03-23
15
上田城
上田城の写真です。
2024-03-08
16
上田西小学校5年1組の総合学習支援
2024 2月28日 午前に西小学校5年1組の総合学習支援に行きました。西部地域デジタルマップに生徒さん達が、上げる事を支援する時間でした。 生徒さんたちは、事前総合学習時間で上田城や近隣の公園、地域の気になる場所や物を写真に撮りためていました。 その中から、気にいった写真を上げ、テーマをつけて説明文を載せる方法を学びました。 担任の先生とまちづくりの会の長野大学前川教授より、説明を受け、ゼミ員の大学生さんと西部地域自然環境副部長の山﨑洋さん、企業の地域担当の方の支援を受けて行いました。取材の方も見えていました。 生徒さんは、皆で協力して気に入ったベストの記事を載せる事ができました。 大人の記事が多かったデジタルマップは、生徒さん達の面白みのある楽しい記事で一杯になりました。
2024-02-29
17
矢出沢川
この写真は西小学校の近くにある川【矢出沢川】です。 この川はいろんな生き物があるのでぜひ行って下さい。
2024-02-28
18
景観・花と緑まちづくりフォーラム NO2
11月23日 に行われた「信州上田 景観・花と緑まちづくりフォーラム」では、コンクールの後、歴史まちづくりに関する活動報告として「デジタルマップを活用した地域づくり」と題し、西部地域まちづくりの会より、自然環境部会の山﨑洋副会長さんが、報告しました。 デジタルマップを映し出し、「ゆうすげと蝶の里」「花いっぱいの会」「桜堤の会」「ねこ瓦を愛する会」の地域に根ざした活動を紹介しました。 また、「上田西小学校」の生徒さんが自分たちで、地域の矢出沢川について歴史や現況を調べ、デジタルマップを使って調査報告をした事も紹介されました。 参加の皆さんは、デジタルマップに映し出された写真や内容に見入っていました。
2023-11-25
19
飛行機から撮った昭和4年の上田市
上塩尻の藤本蚕業歴史館には数多くの大正・昭和期の雑誌や新聞なども保管されています。 『アサヒグラフ臨時増刊号 東日本航空号』(1929年=昭和4年)にあっと驚く写真が! 当時の上田市の航空写真です。市街の南西部を捉えています。まさか戦前の上田市の航空写真があるとは思ってもいませんでした。藤本蚕業歴史館に保存されている資料の一つです。この雑誌、藤本蚕業歴史館に行って、手に取って見るしかないですね!
2023-10-24
20
ベトナムの若人さんとのバスハイク
2023 10月18日にグローバル共生研究会の皆さんの企画で、塩尻地区在住のベトナムの若者皆さんと地域の方とバスハイクにご一緒させて頂きました。 天気も秋晴れ、爽やかな中、生島足島神社に参拝し、その後に美ヶ原美術館に行きました。 宮司さんから、日本では、仏教と神事の両方が信仰されている事、参拝の仕方を教えていただきました。 美ヶ原では、信州の山々のパノラマを背景に記念写真を撮りました。オブジェの中を散策しました。外界よりも気温が低く、風がありましたが、皆さん、楽しんでいました。 これから、初の信州の冬を迎えるベトナムの方もいます。 楽しんで過ごしてほしいです。
2023-10-21
21
ベトナム技能実習生感謝の集い
2023 10月11日12時〜15時に上田グローバル共生社会づくり研究会主催の「技能実習生感謝の集い」が行われました。 日頃お世話になっている地域の方を研修センターに招待してベトナム料理とベトナムの舞踊、歌で、文化交流を図るというものでした。 自治会長さんや商工会の方や関係する支援団体、まちづくりの方々が参加されました。また、TVやラジオの取材の方もみえていました。 アオサイを身に着けた女性技能実習生による舞踊や男性の白い衣装姿での歌の披露がありました。 とても綺麗で優雅なもので、参加者は、写真を撮るなどして見入っていました。 また、料理もフォーやベトナム春巻き、野菜や肉を焼いて、秋の穏やかな天気のもと、美味しくいただきました。 ベトナムの若い方々が、地域に住んで、働き、日本人を招
2023-10-12
22
歴史的景観ウォッチング 新町・諏訪部編 ②田村邸
江戸時代から蚕種製造業を営んでいた。祖父の時代には、種繭を2百貫目とっていた。桑畠は、桑屋に見てもらい、足りない分は、坂城から買っていた。種付けする時は、雌雄鑑別に近隣から人を集めた。 矢出沢川の河岸にほら穴を掘り、蚕種の貯蔵をした。茨城にも販路があった。 父の趣味が写真で、その頃の写真もあるので整理して見てもらえるようにしておく。 建物 長屋門(総2階建て、白壁、気抜きあり)は、200 年前、江戸時代からのものと伝えられている。 母屋(総2階建て、白壁、気抜きあり)は、明治18年築の記録あり。座敷は、吹き抜け15畳 桑貯蔵蔵(地下に1mほど掘り下げ) 蚕種製造棟(2階で蚕種製造をした)
2023-09-23
23
歴史的景観ウォッチング 新町・諏訪部編 見学先民家
11月4日の景観ウォッチングでは、別紙のコースで5軒の民家の見学させていただきます。 それぞれの民家について下見でお聞きした概略を順次「地域デジタルマップ」に投稿します。当日は、素敵な写真を撮り、貴重なお話を聞き出してください。
2023-09-23
24
歴史的景観ウォッチング 新町・諏訪部編 案内回覧
11月4日(土)に、「歴史的景観ウォッチング 新町・諏訪部編」を催行します。 北国街道や養蚕・蚕種業を営んでいた民家が残る新町・諏訪部地区を歩き、由緒や来歴をお聞きし、見学させていただきます。写真を撮り、お話とともに「西部地域デジタルマップ」に投稿して、デジタル記録として残します。 多くの皆さんの参加をお待ちしています。後日、配布する回覧をご覧ください。
2023-09-23
25
(=^・^=)型花壇の上にもアサギマダラが
2023 9月21日、午前にベトナムの若い女性6名が、ボランティアに来られましたが、離れて上から写真を取った写真の中に偶然、一頭のアサギマダラが飛来しているところが写りました。 今年は、藤袴は咲いていますが、アサギマダラは、飛来が少ないようです。温暖化のせいかとも心配されています。 これから飛来してくることを期待します。 偶然でしたが、写真に残せたことは、良かったです。また、この蝶が、遠くから一生懸命飛んできたと思うといとおしさが増しました。
2023-09-23
26
上塩尻地区運動会 NO2
ボッチャ、卓球の写真です。 皆さん、生き生きとして頑張っていました。 お疲れ様でした。
2023-09-12
27
その後の(=^・^=)花壇
今年の夏は、猛暑続きで、雨の量も少ないです。 東山の石垣、(=^・^=)型花壇迄、隔日で水を運んで、水やりを行ってきました。雑草も、凄いスピードで育っていて、除草も追いつきません。なるべく除草剤は、使わずに用手で頑張っているのですが。 その後の花壇は、上記の事で精一杯! 皆で植えた✿は、ひげと目の上の部分が枯れました。二三日前に補植をしました。 会員とベトナムの会社員女性とやっています。 もう少し涼しくなったら、皆さんの参加でまた、整備をしていきたいと思います。 また、秋〜冬にかけて、北国街道~東山迄、まちめぐりを企画したいと思います。 そのために、可愛いパンフレットあるいは、冊子も作っていく予定です。作成には、西部まちづくりの会からの補助を活用していきます。 写真は、現在の
2023-08-27
28
自然環境部会副会長 2023 6/10 東信ジャーナルに掲載
自然環境部会の副会長をしておられる山﨑洋先生が、2023年6月10日、東信ジャーナルに載りました。 経歴と今、やっている西部地域まちづくりの活動に入るまでの契機、想いが綴られています。 今は、自治会長の仕事もされ、多忙の中、まちづくりの活動に尽力されてます。ご紹介いたします。 # 東信ジャーナルさんより、西部地域デジタルmapへの掲載の許可を頂いています。 (写真の加減で、文章が読みづらいかもしれません)
2023-07-28
29
2023/7/1 常磐町大雨注意報と用水路
梅雨雨前線と線状降水帯による大雨で九州地方では洪水、土砂災害が起こっていた7月1日夕方、長野県中部でも大雨が降った。上田市では大雨、洪水、雷注意報が発令されたが、1時間降水量23㎜のかなり強い雨だった。 水門を確認しながら常磐町町内を回ったところ、南33班のkさん宅北の水路(写真1)は、先にある水門はすでに開けてあるにもかかわらず、満水状態となり、一部は、道路にあふれ始めていた。水路をさかのぼると、東10班のMさん宅南の水路(写真2)は、道と水路の境が見えなくなっていた。さらにさかのぼり常磐町南東の角では、一部が低くなった水路(写真3)の壁を越えて休耕田に用水がとうとうと流れ込み、プール状(写真4)に水がたまり始めていた。 用水を流れに沿って下っていくと、中20班Kさん宅東
2023-07-02
30
ベトナムの若人さんのねこ型花壇の整備参加 NO2
ベトナムの若人さんの石垣段畑、ねこ型花壇整備参加の様子、写真の追加です。 ラベンダーの土と苗を購入時に行きました。
2023-06-30
31
ベトナムの若人さんの北国街道巡り No2
6/15 上塩尻自治会主催、グローバル共生社会研究会、ねこ瓦の会協働のベトナムの若人さんの北国街道巡りご案内の続きの写真を載せます。 上塩尻神社と座間神社、佐藤家住宅門前の様子です。
2023-06-17
32
ベトナムの若人さんの上塩尻北国街道巡り
2023 6/15 上塩尻自治会(会長 山﨑恭義さん、副会長 清水敏郎さん)では、上田市に新しく来られたベトナムの若人を招き、上塩尻の北国街道と上、座間両神社をご案内しました。自治会と地元の上田グローバル共生社会研究会、ねこ瓦を愛する会との協働で、前中2時間ほどでした。 公民館前に集合し、北国街道にある小岩井紡工房の見学、佐藤家住宅外観の見学、ねこ瓦、多様な石垣の説明、気抜きの古民家の古路地巡り、両神社では、参拝もされました。 工房では、女性が織りの体験をしたり、紬を簡単に肩に掛けて、着せてもらい、写真も取りました。終始「可愛い、綺麗」と声が上がり、故郷に写メを送りました。また、佐藤家住宅やねこ瓦を見ながら、蚕種のが盛んであった時代のこと、蚕を育てるための人々の暮らし、桑の石垣畑、
2023-06-17
33
ホタルの飛翔状況
下塩尻ホタル水路に、今年もホタルが飛んでいます。 6月5日からホタルの見守りを始め、昨年と比較すると少なく、初日は30匹でした。本日は天候も悪く130匹程度でした。 この写真は6月10日に撮影に来られたカメラマンにいただきました。貴重な写真をありがとうございました。まだ1週間程度はホタルも飛んでくれると思います。静かな夜にホタルと星を眺めにきませんか。
2023-06-14
34
秋和地区 瀧澤家にあった「ねこ瓦」
先日、秋和地区の蚕種、養蚕が盛んであった頃に造られた古民家で「ねこ瓦」もあった滝澤家が、壊されて平地になったとの記事がアップされていました。瀧澤家の写真を撮ってあったので、載せます。 その頃の特徴である蚕室や土間、軒には「ねこ瓦」がありました。通路から見て東側に「ねこ瓦」2枚が見えました。 火災予防の祈願の「水」の漢字、「雲水」柄でした。 壊された事情もあったことでしょう。古文書資料と「ねこ瓦」も保存されていることを願います。
2023-06-07
35
滝澤秋曉「司令塔」より⑤
手塩にかけて育てた蚕が繭になった時(収繭)の喜びをこう書いている。 『5齢になって、蚕が部屋という部屋にいきわたって、予定の籠数をも通り越していく。この時、いろんな連中が来る。教員に引率された蚕業学校の生徒、支那人の留学生、役人や組合の技師、入れ替わり、立ち代わり応接も大抵なことじゃない。しかし、いい蚕を飼っているという確信があるから、案内しても気が引けることはない。 朝3時に起きて、午前午後とも休憩1回約30分ずつ、昼寝が1時間、夜寝るのが11時。いよいよ蚕をまぶし(蚕に繭を作らせるために、ワラで作った個室)に入れ、美しい繭が、蚕室の屋根裏から床板の上まで真っ白くきらびやかに満ち渡るのを見ると、いやだいやだと言い続けたのはどこの誰かという気持ちになる。 4月下旬から9月上
2023-06-04
36
滝澤秋曉「司令塔」より④
「司令塔」の中で、最もページがさかれているのは、養蚕の仕事だ。明治末期 の養蚕の様子と人を使って養蚕に打ち込む姿が生き生きと描かれている。 『4月中旬か5月の初めに蚕は出る。掃きたてた(卵からふ化したて)当座は、蚕籠数もごく少ないが、眠(蚕は成長過程で4回脱皮する。脱皮の際、桑を食べず、静止している状態を眠という。眠と眠の間を齢といい、4眠5齢で繭をつくる。この間おおよそ30日程度)を重ねるにしたがって、恐ろしく殖えてきて、5室が残らずふさがるのも30日そこそこのうちだ。 僕は掃きたて以来蚕室の常番だが、蚕が2室を増えると、母屋から宿直の助手を連れてくる。妻と妹、2人して2号室の泊り番をする。 にぎやかでいいのは寝がけに給桑(桑を与える)する時だ。母や、下男や、炊事当番の女ども
2023-06-04
37
蚕種家滝澤秋曉「司令塔」より③
滝澤家の蚕室についてはこのように書いている。 『僕の養蚕は、いつでも2号蚕室(北側にある大蚕室)が根城で、それにあふれたのを1号蚕室(門東側の小蚕室)へ、1号に余ったのを母屋に移す。1号と母屋は母が指揮を執っている。』 屋敷と蚕室のつくりは、次のようだった。 『長屋門の東側には納屋、薪屋、味噌蔵、貯桑場が、西側には、寝室、文庫蔵、穀蔵がつながっている。母屋の北30mに東西方向に間口12間半(約22m)、奥行きは3間(約5m強)、南に1m、北に2m幅の通しの内廊下のついた2号蚕室がある。中央には玄関兼司令塔が凸出している。屋根は、18mの気抜き屋根、大屋根と廊下の屋根が3段になっているので、外から見ると2階づくりに見えるが、平屋っである。ただ、床下は1m強の上、さらに地下に60センチ掘り下げ
2023-05-22
38
蚕種家滝澤秋曉「司令塔」より②
蚕種家としての秋曉の仕事の様子はこう書かれている。 『司令塔へ籠りきるのは、製種(蚕種を造る)時で、朝のうち一通り指図をすると仕事に馴れた一人二人連れて司令塔に上がる。蚕種の注文の手紙は、1日に30通ほど、お礼や返事のはがきや手紙を書く。一方で、伝習生(蚕種製造について学びにきている若者)が(産卵)台紙に、店の印をおす。薄どり(蚕種の数が少ない)、厚どり(多い)、枠入などと仕分ける。自分は、手紙が片付くと帳簿に注文を書き入れる。』 *明治後期、郵便制度が整うと蚕種を持って出張販売することは少なくなくなり、郵便で送り、郵便為替で代金を受け取るようになった。写真は、塩尻小学校郷土資料室に寄贈された滝澤家の蚕種の発送箱。箱には昭和と入っている。山梨県の得意先に7枚を送るもの。なぜ、
2023-05-22
39
蚕種家滝澤秋曉「司令塔」より①
文学者滝沢秋曉は、明治29年重い脚気を患い、東京での文学活動を切り上げふるさと秋和に帰省した。その後、秋曉は作品を書きながら、家業の蚕種業にも精を出す。明治41年には、その暮らしぶりを「司令塔」という作品で発表した。 「司令塔」(滝澤秋曉著作集)から、当時の蚕種家の生活を抜き出してみた。「司令塔」とは、写真(上田市誌「上田の風土と近代文学」より)の蚕室の中央2階に見える部屋を指していて、次のように書いている。(原文通りでなく、わかり易いように手を入れた) 『2号蚕室の前面に飛び出して、下は蚕室の大玄関、はしごを上ると5畳敷の小座敷がある。東西3面は、ガラスをはめた明かり障子で、広庭を見下ろす。 養蚕中、やれ郡長だ、やれ県の役人だ、視察だなんだかんだとくる来客に、母屋に引
2023-05-22
40
矢出沢川のゴミ調査隊!
私達は矢出沢川にゴミがたくさん落ちている事に気づき、ゴミ拾いに行きました。拾ったゴミは写真のように燃えるゴミ、ビニールゴミ、危険物にして分別をしました。残念ながら、半分埋まっていてどうやっても取れない自転車のタイヤもありました。たくさんのゴミが見つかりました。分別したゴミは学校でリサイクルできるものはリサイクルし、先生のお願いして学校で捨てました。 9月の活動でたくさんのゴミを回収することができました。しかし、せっかくゴミを拾ったのに、別の探検で矢出沢川のそばを通ると、同じようなゴミが落ちているのを見かけます。 川にゴミを捨
2023-03-09
41
水路探検隊!!
【3枚目】(西小前の水路の写真) 田んぼから水路をたどっていくと、西小学校の中庭の地下を通って昇降口の前を流れている水路に続いていました。その水門の先は、東から西へと水が流れていました。東側の水路は、矢出沢川から水を取り入れられていることが分かりました。 【4枚目】(初めて見つけた田んぼの写真) 水路は、秋和方面に続いていて、秋和児童センターの裏あたりまで探検しましたが、その田んぼ以外は、水路から直接水を引いている田んぼは見つかりませんでした。 【5枚目】(田んぼのマップ) しか
2023-03-09
42
矢出沢川のゴミ調査隊!
私達は矢出沢川にゴミがたくさん落ちている事に気づき、ゴミ拾いに行きました。拾ったゴミは写真のように燃えるゴミ、ビニールゴミ、危険物にして分別をしました。残念ながら、半分埋まっていてどうやっても取れない自転車のタイヤもありました。たくさんのゴミが見つかりました。分別したゴミは学校でリサイクルできるものはリサイクルし、先生のお願いして学校で捨てました。 9月の活動でたくさんのゴミを回収することができました。しかし、せっかくゴミを拾ったのに、別の探検で矢出沢川のそばを通ると、同じようなゴミが落ちているのを見かけます。 川にゴミを捨
2023-03-09
43
太郎山山系の山城〈ケムリの城跡・燕城②〉
ケムリの城は、やせた岩尾根を何本もの堀切が区切り、平坦な場所はごくわずかです。堀切は、東西に深く切り落ちていて、渡るには危険を伴います。平坦地が少ないため、常時、多くの人を配置するのは困難に思えます。稜線を駆け上り、稜線をたどって坂城に侵入する敵を足止めさせる役割が大きかったのではないかと推察しました。 急で、滑りやすく、東西は切り落ち、登山道のわかりにくいところもあり、子どもが登るには、危険が大きいように思いました。 西南に下る尾根の突端に土塁に囲まれた平坦があり、標識はありませんが、燕(つばくろ)城の跡と思われます。 登山道を見失い、1時間かけて上塩尻神社の上に下山しました。 全景写真の左の鉄塔が25番でケムリの城、下に降りて24番、右に上がって23番が持越城の位置です。
2023-03-07
44
新年の「ねこ瓦の会亅コミュ
2023 2/21 筒けんさんの交流スペースで、「 りんくる Nekogawala亅の会を行いました。 小岩井アマキさんの「猫がわらは見守る新聞亅や散策したときの写真をパネルにして交流室に飾りました。 撮りためた「ねこ瓦亅の写真を皆で見て楽しんだり、今年の西部まちづくりの会の活動について話し合いました。 また、昨年の国登録文化財、佐藤家の見学会でそこに掲げてある11枚の「ねこ瓦亅について説明を行ったことやまちあるきイベントでも北国街道の「ねこ瓦亅について案内した事を確認しました。 上田紬や伝統工芸の話にも広がりました。「ねこ瓦亅の絵柄、Designについても話題になりました。
2023-03-05
45
地域探究学習の成果発表〈西小6年1組〉
卒業に向けて大忙しの西小の6年1組の皆さんの学習発表練習を参観させてもらいました。総合的な学習の時間にグループで取り組んできた「虚空蔵沢と矢出沢川の水質」、「学校の周りの水路と上田城の周りの水路」、「堀越せぎと矢出沢川の歴史」、「太郎山の山城と戦国時代の上田」などについて、地図や写真を使ってわかりやすく発表してくれました。なによりも、自分の足と目、耳を使って、手を使って矢出沢川の清掃をするグループなどもあり、自分の生活する地域の歴史や環境に迫る探究的な学習姿勢に感心しました。そして、成果を「デジタルマップ」に投稿して、多くの人に見てもらうという願いにうれしくなりました。デジタル記録に残る良い卒業記念にもなるのではないでしょうか。楽しみにしてください。
2023-02-21
46
改めて「ねこ瓦亅 2023 2月
先日、蚕種の勉強をする機会があり、上田の歴史に精通している方とお会いしました。 歴史を勉強するに当たり、古くから残っているもの、文書を勉強するに当たり、それがその時代の日本や世界情勢に影響された痕跡を残しながら、姿を留めている事を認識することが大切とのお話でした。 例えば、戦争や国の政策、産業、民衆の文化や暮らし等、影響の内容は、色々有ります。それが今後に繋がる教訓や方向が見えてくるという内容でした。 蚕種は知っていても、「ねこ瓦亅を知らない方が多い事も分かりました。 この地域の「ねこ瓦亅を改めて歴史を伝える貴重な存在であり、その価値は、他の古文書や古建築同様、とうていお金に換算ものでないと感じ入りました。 それをデザイン、創作、掲げた想いを伝え、保存していく
2023-02-05
47
写真展:里山に生きる~秋和の鳥たち~
10月に西部公民館の写真展に出品された野鳥の写真展が1月14日(土)~2月19日(日)まで、上田プラザホテルエントランス〔まちなかギャラリー〕で行われています。 木々に隠れて動き回る、大空高く飛ぶ、水辺に集う、野鳥の一瞬の姿が切り取られ、愛らしく、勇壮な鳥たちの姿を見ることができます。 大きな望遠レンズを抱え、毎日のように秋和の裏山に登る林茂夫さん見せてくれる野鳥の世界は、身近にも豊かな自然があることを教えてくれます。 ぜひ、ご覧ください。
2023-01-17
48
蝶の里 一年の振り返り 自然編
ゆうすげと蝶の里は、12/27の松の採取(門松用)を残して、一年の活動を終えました。 春夏秋冬、それぞれの季節毎の姿を魅せてくれました。会員の食草や草木と土の手入れに答える如く、思わず佇んだり、カメラを向けたりするほど、素敵なものでした。 これまでにアップ出来なかった写真をアップしたいと思います。 初夏の藤袴の開花始め、夏のひまわりと百日草、アサギマダラ飛来の一足前にたくさん飛来したヒョウモン蝶の仲間、秋の秋桜、すすきと吾亦紅に停まる赤とんぼ、中々住宅地の庭では見られない姿に癒やされました。
2022-12-13
49
太郎山山系の山城①
木々が葉を落とし、太郎山の尾根や谷がはっきりと見えるようになってきた。尾根を登ってみるとあちこちに石垣や溝によって区切られた平地がみられる。これは、室町~戦国時代に築かれた山城や砦の跡。 戦国時代、坂城を本拠地とする村上氏と真田地域を本拠地とする真田氏が競い合っていた。甲斐(山梨県)から信濃(長野県)に進出してきた武田氏の勢力が強まると、真田氏は武田氏と手を結び、村上氏は越後の上杉氏に助けを求め、上田地方ではたびたび合戦が起こなわれ、両雄が雌雄を決する川中島の決戦につながっていく。山城や砦の多くは、その頃に築かれ、見張りや交通の要地を確保したり、合戦の時に領民が避難するために築かれた。いずれも、山の斜面やがけを利用して防備を固めている。 写真は、Googleに山城や砦の跡を書き
2022-12-10
50
七ツ池の1つ
これは上塩尻をまちあるきする中で何度か見てきたものですが、今まで名称がよく分からなかった中で、今回地元の方に聞いて知ることができました。上塩尻の中でもこれは写真の1つしか見たことないですが、とても貴重なものだと見てて感じました。そして、地元のことやそこにあるものについて知るには、一番は地元の方に聞くのがとても勉強になり、知れることがたくさんあることも実感しました。
2022-12-10
51
還暦を迎えた常磐町①
令和4(2022)年、常磐町は創立60周年を迎えた。昭和37(1962)年、生塚の水田地帯に県が造成した分譲団地に40戸が入居して常磐町自治会が生まれた。30周年の記念誌にはそのころの様子について、こう書かれている。 住民にとって、日々の生活は泥と水と暗闇との闘いであった。広い田んぼのど真ん中にできた常磐団地は、はじめの2~3年は、ホタルが飛び交い、カエルの大合唱が終夜聞かれ、国道を走る車のヘッドライトが流れ星のようによく見えたものである。 写真は誕生直後の常磐町の様子。
2022-12-02
52
塩尻小学まなびサイト①
11月に秋和の地域探検を取り組んだ3年生が、探検のまとめを「塩尻小まなびサイト」にアップしました。グループごとに「おすすめポイント」の写真を撮ってくる計画でしたが、WiFi環境がない場所ではタブレットが立ち上がらず、写真は同行したボランティアから提供してもらいました。 長野大生の支援でグループごとに、写真を選び、タイトルをつけ、説明文を打込み、位置情報をクリックし、投稿までこぎつけました。
2022-12-01
53
塩尻小でデジタルマップ投稿の学習②
3年生の学級では、今年度は総合的な学習で地域探検をしている。11月初旬には秋和地区をおとずれ、見どころを写真に撮り、今回の学習を活かしてデジタルマップに投稿したいという意気込みにあふれ、あっという間の1時間が過ぎた。 小学生の地域探検の成果が、西部地域デジタルマップにも投稿されることを期待している。
2022-10-31
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塩尻小でデジタルマップ投稿の学習①
10月31日、塩尻小3年生の学級では、長野大学生の支援を受け、特設サイト「塩尻小まなびサイト」を使い、デジタルマップにどのように投稿するか学んだ。 タブレットの使い方には慣れている3年生も、学び始めたばかりのローマ字を使い入力するのは手こずっていたが、学生や友達の助けを受け、写真を投稿し、また、友達の投稿した写真を開き、歓声を上げていた。
2022-10-31
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急斜面の太陽光発電②
今年の春、市の指導で写真のような安全対策をとるという看板が立ちました。周囲にフェンスをし、雨水受けの水路を作り、集めた雨水を枡に受けて地下浸透させるという計画のようです。着工が6月1日、完了が12月20日とあり、いつ取り掛かるのかと待っていましたがまだ始まりません。 市の担当課に聞いたところ、設置については市と事前協議をし、指摘された事項について対応を返答し、協定書を作り施工するという手順なのだそうですが、まだ、返答がなく催促してるところだそうです。すでに発送電しているのは条例違反とのことで、再度催促するとの返答でした。 安全重視し、すぐに対応をとるように願っています。
2022-10-28
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生塚 花いっぱいの会 コスモス散歩道 2022年9月26日
18号上田バイパス沿いの側道、生塚神社周辺約300mほどに秋の季節はコスモスが咲いています。 先日は9月13日の夕方にいって写真を撮りましたが、今回はもう少し咲きそろったかなと思って2回目の訪問です。 きれいに咲いていて散歩コースには最適ですね!
2022-10-01
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デジタルマップに挑戦
桜づつみとホタルの会(下塩尻)の要請で、デジタルマップ投稿の講習会が下塩尻公民館で行われました。夜の会にもかかわらず、講師の長野大学の前川先生、長野大学生3名を合わせて20名の参加者が、熱心に取り組みました。 初めにデジタルマップの説明を聞き、視聴をしたのちそれぞれがスマホからデジタルマップを見る、ユーザー登録をする、投稿フォームから投稿する体験をしました。「スマホは、電話とショートメールしか使わない」という方も、学生の支援で一つ一つ壁を乗り越え、手持ちの写真を投稿する段階までくると笑顔が出て、達成感が広がりました。 皆さんがお持ちの貴重なお話や地域の素敵な自然や歴史遺産ついて投稿されることをお持ちしています。 なお、他の地域でもデジタルマップ講習会をご希望の方は「西部
2022-09-28
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デジタルマップ写真展
デジタルマップの中から西部地域の素敵な風景をピックアップして展示しています。 西部公民館の廊下で10月2日(日)から23日(日)までの予定ですが、すでに展示しています。 ぜひ、ご覧ください。 まだ間に合いますので、これはという写真がありましたら、マップに投稿してください。 なお、10月2日(日)は、12時30分から4時までロビーでデジタルマップのデモンストレーションを行います。体験できますので、関心のある方、疑問や質問のある方は是非お出かけください。
2022-09-28
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上塩尻 ゆうすげと蝶の里 2022年9月21日
2022年9月21日の上塩尻のゆうすげと蝶の里のアサギマダラの様子です。 この写真を撮影した日は生憎の空模様でしたが、7~8頭ほどのアサギマダラがフジバカマの周りを舞っていました。 この場所は、太郎山の登山者用の駐車場もありますのでそこに停めてご覧いただけます。 アサギマダラは10月の初旬ごろまで飛来して、その後は南下するとのこと。 ぜひこの機会に、ゆうすげと蝶の里のアサギマダラを見に来てくださいね!
2022-09-22
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花いっぱいの会活動日
毎月第3土曜日は活動日です。6時半に集まり草との戦いです。 とても爽やかな朝でした。望遠レンズで写真を撮っている方もいました。 11月の写真展の応募用かな?皆さんもどうですか? 今、コスモス見頃です。2年前に植えた曼珠沙華も咲きだしました。 運動不足になっていませんか?是非 お散歩にお出掛け下さい。 クルマは退避所に停めてゆっくりご覧下さい。
2022-09-17
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生塚 花いっぱいの会 コスモス散歩道 2022年9月13日
18号上田バイパス沿いの側道、生塚神社周辺約300mほどに秋の季節はコスモスが咲いています。 地元の花いっぱいの会さんが少しずつ整備をされています。 この道には、2019年には、ハナモモも植えられ、ハナモモをみる散策道も整備され、イベントなども行われています。 2022年は夕方に訪れました。夕陽と一緒にコスモスの写真を撮りたかったのですが、あいにくの曇り空。 しかし、国道18号バイパスを走る車のライトとのコントラストがとてもいい感じの場所です。 涼しくなってからの散歩コースとしてはお勧めの場所ですね。
2022-09-14
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西部マップ活動記(2)まちあるき西部地区2019/04
2019年春、部会員でまずは西部地域のまちあるきを実施しました。ただしあまりにもエリアが広いので3回に分けて。4月は北国街道沿いの西部地区、5月は秋和・上塩尻、6月は上塩尻・下塩尻。この日のルートは下紺屋町公会堂前からスタートし旧北国街道沿いに地域見聞。生塚を経由し西部公民館が終点。 まちあるきをしながらタブレットやデジカメで写真に撮りデジタルマップに投稿しました。情報機器にまだ慣れていない部会員のサポートに長野大学前川ゼミの学生が参加しました。午前まちあるき、午後は西部公民館でデジタルマップへ投稿。身近なエリアなのに発見することばかりです。地域理解がぐっと進みました。さらに「タブレット初めて使ったけれども、意外に簡単だった」という感想が多数。年齢を超え「マップづくり」を和気あ
2022-09-03
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2009年開館当時の藤本蚕業歴史館
★写真:2009年10月蚕都上田プロジェクトが実施した見学ツアーの様子 上田市上塩尻に「藤本蚕業歴史館」が開館したのが2009年10月です。今年2022年、早いものでそれから13年近くが経ちます。日本一の蚕種(蚕の卵)の製造地だった上塩尻の中でも一番の中心的な蚕種製造企業だったのが「藤本蚕業」(現在の藤本工業の前身)です。藤本蚕業歴史館は藤本蚕業の蚕室を再利用して開設しました。同社所蔵の膨大な社内文書も保全されています。一般に馴染みがない「蚕種」や上塩尻の背景を知る上で欠かせない情報源となる施設です。 13年経過すると当時はご健在だった方もお亡くなりになった方やリタイアして活動から遠ざかられた方もいます。その時の記録が希少な記録となってきました。
2022-08-31
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「アメリカザリガニ」身近だけれどヤバイやつ⑥
しかし、昨年またアメリカザリガニが大発生し、また食われてしまった。PTA作業で池を干し、泥上げ、10本ほどハスを植えたが、鉢に入れてたまま池に置いた1本を残して食べられてしまった。網でとったり、児童がザリガニ釣りをしたりして何千匹というザりガニを取り、近所の保育園や幼稚園に配ったりしたが、水を引いている用水路からどんどんと侵入してくるので追いつかず、苦慮しているとのこと。 塩尻小学校の名物のハス池を取り戻すには、地域の知恵と力が欠かせない事態となっている。 写真は、「塩尻小学校80周年記念誌」より(大正7年)
2022-08-08
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「アメリカザリガニ」身近だけれどヤバイやつ④
アメリカザリガニは、塩尻小学校のハス池に大きな被害をもたらしている。今年の夏のハス池の写真には、小さな1株のハスの葉が見えるだけ。池の水面が広々と広がり、奥の方に黄色い花を咲かせるコウホネの葉が茂っているばかり。
2022-08-08
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座摩神社入り口
座摩神社入り口の写真です。階段が少し急で登るのが大変そうだと思いました。
2022-07-28
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ゆうすげと蝶の里にある桑の木・葉とウマノスズクサ
2022年6月20日(月)に大学のゼミのフィールドワークにて、上塩尻にあるゆうすげと蝶の里に行きました。この場所があることは知っていましたが、今回地元民でありながら初めて訪問しました。 ゆうすげと蝶の里には、桑の木やクルミの木などたくさんの植物がありました。写真の1,2枚目は桑の木と葉っぱです。そこに実る桑の実も今回初めて食べさせていただきました。こういった植物の実は少し苦手意識がありましたが、思っていた以上に美味しかったです。 また、3枚目の写真は、ウマノスズクサという植物です。今まで見たこともなく初めて聞いた植物でした。名前の通り、葉っぱの形が馬の顔に似ていて、とても面白かったです。 季節によっては、アサギマダラという蝶も見られるみたいなので、また訪れたいと思いました。
2022-06-26
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西部地域デジタル写真展を実施してみて感じたこと
5月1日(日)~5月14日(土)の2週間にわたって行った西部地域デジタル写真展について、先行して実施した29日(金)の分も含め、34件投稿していただきました。参加してくださった皆さん、ありがとうございました。 今回初めての企画でしたが、思っていた以上に投稿記事が多く、呼びかけなどを積極的に行うことで投稿してみようと挑戦してくださる方もいて、今後もっとこの西部地域デジタルマップを多くの方に認知していただき、西部地域の情報を充実させていきたいと感じました。 この「西部地域デジタルマップ」というサイトは、今回の写真展だけでなく、いつでも利用することが可能です。写真展で投稿してもらった投稿記事(写真)もこの記事の画像のように、いつでもご覧いただけます。 興味を持っていただけましたら、ぜひユーザー登録をし
2022-05-30
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上塩尻蚕種製造民家群7 佐藤宗家「藤本」邸宅の銅版画 ②
写真は、佐藤宗家「藤本」の明治中頃の様子を描いた「藤本善右衛門邸宅」(「日本博覧図」M30年発行 上田市立博物館蔵より)の銅版画である。居宅は昭和2年に焼失し、現在残るのは門と右側の2階建土蔵とその手前の2階建第一蚕室・第2蚕室、土蔵2棟のみである。敷地は600坪ほどでこのあたりでは最も広いが、蚕種製造民家が立ち並ぶ狭い扇状地では、これ以上の敷地を確保することは難しかったのではないだろうか。周りはぼかされているが、実際には狭い小路があるだけで蚕種製造民家が軒を並べている。
2022-05-30
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上塩尻蚕種製造民家群5 国の登録有形文化財「佐藤家住宅(三ツ引)」④
写真は、庭にある消火栓。 塩尻村では昭和4年、裏山の沢を水源にして水道が引かれた。当時、村長をしていたこともあり佐藤家には消火栓が設けられた。当時は、めったに見られない設備で現在も残っているのはここと佐藤宗家「藤本」だけである。
2022-05-30
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上塩尻蚕種製造民家群5 国の登録有形文化財「佐藤家住宅(三ツ引)③
写真は、銅版画が出された後に蚕具を消毒するために増築された消毒室。内部を漆喰で塗り固め、消毒薬(ホルマリン)が外部に漏れない構造になっている。信大繊維学部にもあったそうだが、今は見られない。
2022-05-30
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上塩尻蚕種製造民家群5 国の登録有形文化財「佐藤家住宅(三ツ引)」②
写真は、門を入って右手奥にある江戸時代に建てられた茅葺を鉄板で覆った平屋の主屋。右側は明治になって増築された2階建瓦葺、気抜きの屋根のある蚕室。主屋の裏に平屋茅葺(鉄板仮葺)の奥上段(座敷棟)がある。江戸末期から明治期に蚕種業が盛んになるにつれ、次々に増築改修され、蚕室は9部屋をかぞえるようなになった。蚕室づくりの家は、養蚕のために温度や湿度管理に注意が払われ、天井は高く、開口部は大きいが、壁を厚くするため、夏涼しく、冬もあまり寒くないという。 今後、いつまで、保存、管理ができるか心配されている。
2022-05-30
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上塩尻蚕種製造民家群5 国の登録有形文化財「佐藤家住宅(三ツ引)」①
佐藤家は先祖が室町時代に栃木県からやってきたと伝えられている。文禄4(1595)年の千曲川洪水で流された元宿から現在の山すその地に移り、江戸時代中期から蚕種製造を始めた。佐藤宗家「藤本」の分家にあたる。江戸時代には庄屋を務め、昭和の中期まで蚕種業を営んでいた。 江戸時代後期から明治時代にかけて建築された主屋、蚕室、物置、消毒室、文庫蔵、穀蔵、味噌蔵、屋敷神、門の9棟がR3年6月に国の登録有形文化財に登録された。 写真は、東南の方向から。気抜きのある2階建ての蚕室、門、物置が並んでいる。デジタル・マップの「塩尻小学校郷土資料館5」にあげた銅版画、佐藤尾之七邸宅(日本博覧図 明治30年発行)の現在の姿であるが、物置が2階建てになり、消毒室が増築されている。門の前の通りの奥には、佐藤宗家
2022-05-30
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上塩尻蚕種製造民家群4 蚕種製造民家「清水卓爾氏宅」⑤
写真は、「清水卓爾氏宅」の明治中頃の様子を描いた「清水喜左衛門邸宅」(「日本博覧図」M30年発行 上田市立博物館蔵より)の銅版画である。母屋(蚕室)の裏側が北国街道。街道から下り玄関に至る坂道は、実際には、人力車一台が通行できる幅で、坂も急なため、荷車の通行も大変だったと思われる。手前、松の木の下には、湧水が見える。
2022-05-30
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「蚕種の郷」座摩(ざますり)神社の祭礼 8
祭礼を執り行った宮司さんや役員の方は、「養蚕・蚕種業を生業とする人々の精神的な支えとなってきたこの神社や祭典のことを地域の人に忘れて欲しくない、地域の宝として守っていきたい。コロナ感染が収束したら、地域の皆さんが共に参加できる祭典をしたい」と思いを語ってくれました。土俵は、写真中央の二本の木の間あたりに作られていた。
2022-05-03
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「蚕種の郷」座摩(ざますり)神社の祭礼 7
高遠直一さんの覚書から 「養蚕の衰退とともに」 『時代の変遷とはいえ、これらの祭礼もいつか行われなくなり、その後は宵祭りなどに学校の体育館での映画会、塩尻自治会経営の託児所の庭の仮設舞台での、素人演芸会や奉納踊、また本祭当日神社境内での坂城町長生楼芸妓の手踊りや、青年相撲などが行われたこともあったが、これらもだんだん時代の流れに流されて今日に至ってしまった。』 写真の土俵には、四本柱がない。服装から見ると戦後か。相撲を取っているのは子供たちのようである。養蚕が次第に下火になり、養蚕に関わる人も少なくなり、「蚕影様」の祭典が、村祭りのようになってきたか。
2022-05-03
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「蚕種の郷」座摩(ざますり)神社の祭礼 6
写真は、化粧まわしをつけ村中を練りまわしてきた力士の行列。場所は小学校の裏あたりか。拍子木を持つ呼び出しも見える。「塩尻地区写真集」より
2022-05-03
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「蚕種の郷」座摩(ざますり)神社の祭礼 5
写真は、境内での大相撲の様子。江戸大相撲より免許を受けた四本柱に屋根をつけた立派な土俵上で行われている取り組みを群がる人々が応援している。拝殿の壁も取り払われて桟敷席になっている。子供相撲から始まって、三人抜き、五人抜きの相撲、化粧まわしをつけた力士が土俵に並んでのそろい踏み、道化相撲が終わると大関の土俵入り。そして、三役の取り組みが終わるころには一日が終わる。「塩尻地区写真集」より
2022-05-03
79
「蚕種の郷」座摩(ざますり)神社の祭礼 4
写真は、村中を引き回される山車。芸者衆が乗って音曲を奏でているように見える。 後ろの山車は、繭玉を投げている。繭玉と引き換えにお札がもらえる。繭玉の中には福引の札が混じっていて、拾った人は、賞品をもらえる。「塩尻地区写真集」より
2022-05-03
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「蚕種の郷」座摩(ざますり)神社の祭礼 3
座摩神社の祭礼について、明治生まれの高遠直一さんは覚書(昭和53年)でこう書いています。 『八十八夜のお祭りの当日は午前中「お舟の練り」が村内を練りまわり、辻々にて信者に繭玉、養蚕道具などの縁起物を授与し、午後は各地よりはせ参ぜる力士多数、村内抜群の力士を中心に、境内相撲場、土俵上にて奉納大相撲が挙行された。この祭りのために村内各家には親類、縁者、蚕種屋のお得意様など多数の来客あり、あげて参拝する習慣であった。』 祭礼の準備は、上塩尻の18歳から30歳までの男子全員「若い衆仲間」が、祭典余興、繭玉練り、相撲などの係りを分担して準備にあたった。写真は、新屋を出発するお練りのお舟。(大正11年)「塩尻地区写真集」より
2022-05-03
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「蚕種の郷」座摩(ざますり)神社の祭礼 1
5月3日、上塩尻の #座摩神社 の祭礼が行われました。今年は、コロナ感染のため3年ぶり、神職と役員のみでひっそりと拝礼するだけでした。しかし、昭和の半ばまでは、座摩神社の祭礼といえば、「 #蚕影様 (こかげさん:蚕の神様)のお祭」として、上田・小県はもちろんのこと、遠くは水内、高井郡をはじめとして、佐久、北上州まで鳴り響いていたそうです。 江戸時代の半ばから昭和の初期まで養蚕は、国や地域の経済、農家の生活を支える重要な仕事でした。しかし、飼育技術が確立するまでは当たり外れが大きく、運に任せることが大きい仕事でした。上塩尻は、優良な蚕種を作るともに、飼育技術の改良・普及に努め、生産量ばかりでなく、品質の面からも日本一の「 #蚕種の郷 」と言われていました。その上塩尻の「蚕影様」の祭典は、八
2022-05-03
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花桃イベントのお知らせと駐車場の案内
4月29日(金)に花桃イベント2022が開催されます。 場所や時間などの詳細は、写真のチラシをご覧ください。 駐車場についてですが、イベント会場近くの上田バイパス沿いにある広い駐車スペースのような待避所になります。地図上でも示してありますので、そこからご確認ください。 ぜひ時間のある方は参加してみてください。
2022-04-26
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西部地域デジタル写真展のお知らせと投稿の仕方について
チラシ(PDF版)
この度、西部地域デジタル写真展というネット上で展示を行う写真展を開催します。 このイベントは、主に西部地域に住む子供たちをはじめとした方々を対象に、西部地域の魅力や良さを写真を通じて発信してもらうことで、西部地域に興味を持つ人を増やしたいというねらいで企画しました。 写真の募集期間は、5月1日(日)~5月14日(日)です。 投稿の詳しいやり方については、以下の青文字になっている「イベント詳細(投稿の仕方について)」を選ぶと見ることができます。そちらからご覧ください。
2022-04-18
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上塩尻蚕種製造民家群4 蚕種製造民家「清水卓爾氏宅」③
土蔵の下に鉄筋入りのコンクリートで作られた地下室がある。夏でも室温が低いため、風穴の代わりに種紙に産み付けられた蚕種を保存し、ふ化の時期を遅らせた。 写真は、屋根に設けた気抜きを天窓のように採光に利用している。天井が高く、太い梁が力強さを感じさせる開放的な空間となっている。
2022-04-03
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上塩尻蚕種製造民家群4 蚕種製造民家「清水卓爾氏宅」②
門を入って右側(東側)の2階建ての蚕室は、江戸時代に造られ、1階は居宅、2階蚕室として使われていた。西側の母屋は、明治29年に増築され、1階は居宅、2階は蚕室で、昭和20年代まで蚕を飼育していた。国の登録文化財に指定された佐藤尾之七邸と同じ、木曽上田村の棟梁、武居初太郎が建てた。 写真は、西側の母屋。気抜きの他に屋根の下に通風孔が設けられている。現在は、内部を改修して3世代の家族が暮らしている。
2022-04-03
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蚕種製造民家群3 現存する蚕種製造民家
上塩尻の養蚕家屋については、1989~92(平成元~4)年に工学院大学の研究チームが大規模な調査を行い23軒が調査対象となっている。また、平成14年に近代化遺産活用計画策定のための地域調査チームによる現地調査では、気抜きのない養蚕家屋も入れて37軒を対象にしている。 現在、気抜きの備わる蚕室を持つ民家は19軒、他に気抜きはないが、喚起のため窓を大きくして蚕室として使われていた家屋が数軒、近年、取り壊されたり、建て替えられたりした家屋が10軒弱あるが、狭い北国街道や小路に面しているため、工事が難しいこともあり、内部を改修するなど手を入れ、現在も住居として使われている家屋が少なくない。 写真は、緑点は蚕種製造民家、改築されたが景観に配慮して気抜き施した家屋もある。赤点は、平成14年の調
2022-04-03
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上塩尻蚕種製造民家群2 蚕種製造の中心地:上塩尻「大村」の景観
蚕種製造の中心地上塩尻「大村」は、扇状地の斜面の50000㎡ほどの狭い土地に100戸ほどの民家が集中し、その半数以上が養蚕をし、蚕種製造を営む集落だった。 門構え、土塀、気抜き屋根を持つ白壁の総二階の蚕室を持つ江戸から明治にかけて建築された大きな蚕種製造民家が、狭い小路を挟んで立ち並ぶ景観は、他に例を見ない。写真は、 気抜きの屋根の並ぶ蚕種製造民家群を裏山から撮ったもの。手前の山の下を左右に北国街道が通る。
2022-04-03
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上塩尻蚕種製造民家群1 蚕種製造の中心地:上塩尻「大村」
明治30年発行の「長野県小県郡熱心蚕種製造家一覧」には、上田町を中心に郡下163戸の蚕種製造家の氏名が記載されている。その2/3の107戸は、旧塩尻村(上塩尻58,下塩尻20、秋和29)がしめている。塩尻とともに西部地域に属する(鎌原7,諏訪部2)も加えると上田盆地の西部、千曲川北岸が蚕種製造の中心だったことがわかる。 上塩尻の中でも53戸の蚕種製造家が集中している「大村」(字:北側・南側)は、千曲川と虚空蔵山に挟まれた大沢の扇状地の斜面で、千曲川の洪水を受けにくく、江戸時代には信越、北陸を結ぶ北国街道が通っていた。上塩尻村の中心である「大村」は、扇状地の上部を北国街道が西の扇端部に向かって下り、平坦部を通る国道18号線とがけ下で交わる西端地点を頂点し、東500mの塩尻小学校の西縁とそこから北に向
2022-04-03
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〈秋和〉不思議な街並み 5
秋和の北国街道は直線的だが、道幅が狭いため大軍の進軍は難しい。家々の間口の幅が同程度なのも人工的に作られたからだろう。街道に面して出入口を作らず、小路から出入りし、時には小路に隠れて敵を迎え撃つ。小路を50mほど奥に入ると家並の裏に東西に走る小路があり、街道から見られずに移動ができる。間口いっぱいに建てられた家は、江戸末期から養蚕・蚕種業が盛んになり、広い蚕室を確保する確保するために改築されたものではないか。 西脇や新町のように城下町に近い村は、時代が下がると町屋化し、商いのために道に面して入口を設けるようになった。秋和は農が主で店も宿もほとんどなく、旅人に出入口を開く必要もなかったのではないか。むしろ、背後にある田や山麓や河川敷にある桑畑に通うには、家にわきにある小路が重宝
2022-03-23
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〈秋和〉不思議な街並み 4
秋和は、生塚、新町、西脇などと同様、真田氏が上田の城下町を作るときに太郎山の山麓にあった村々を城下町の防衛帯(城下囲:じょうかかこい)とするために移住させてできた。滝沢和喜夫著「秋和の今昔」(S57刊)には、『北国街道に添った秋和村の家の構造は、敵をあざむくために、障子の後ろに雨戸を設けて無防備に見せかけ、小路を多く作って、小路を入った正面に入口を置かず、小路の左右を入口として、攻めるに難く、逃げるに易くするというのが共通の家構えであった。』とある。そのため、真田氏・仙石氏の治世では、屋敷にかける年貢は免除されていた。写真は、街道から北へ抜ける小路。左側に家は小路に向いて門がある。
2022-03-23
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〈秋和〉不思議な街並み 3
④家と家の間に街道に直交する小路があり、家の門や入口はその小路に向いている。 地図で秋和集落を見ると東西に走る街道から、一~二軒おきに南北に「くしの歯」のように小路が何本も延びている。もちろん、街道の奥にある家も小路に面して門や入口が設けてある。 写真は、2万5千分の1の地形図。国道18号の北側の旧北国街道の両側に家が並んでいる。特に、西側に南北方向に小路がみられる。
2022-03-23
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〈秋和〉不思議な街並み 2
①街道に面して入口のある家が少ない。 旧家の多くは、入口や玄関が街道に面していない。東西にある小路に門を設け入口としている。街道に背を向けている南側の家ばかりでなく、北側にある家も同様で、南に庭があっても塀で囲み、街道から母屋が見えにくい。近年、改築された家の多くは、街道に面して入口や駐車場を設けている。 ②街道に面して、旧家の間口の幅がほぼ10~12mほどで、広狭の差が少ない。 文人で蚕種家だった滝澤秋暁生家は例外的に20mほど。 ③どの家も間口の幅いっぱいに家が建てられている。 家々は、間口の幅いっぱいに家が建てられている。また、街道に寄せぎりぎりの位置に建てられているため、街道の南側は家が高い壁のように立ち並んでいる。 写真の家は、左手の小路に向かって門のある家。右手が
2022-03-23
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〈秋和〉不思議な街並み 1
秋和集落は、旧北国街道に沿って東西1kmほどの街村を形成している。昭和16年に国道が集落の南にできたため、道幅狭く、通過車両少なく、道路に沿って水路のある街道の面影が残っている。道の両側には戦前まで蚕種製造を生業としてきた気抜きのある民家も多かったが、近年は、改築する家が増え、独特の景観も失われつつある。昔の景観を思い出しながら街並みを歩くと、不思議な点に気づいた。 写真は、西から東を望む。右手の建物は、街道の面影を残す旧中島銀行。左手は、改築された家々
2022-03-23
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西部地域デジタル写真展について(投稿の手順などの説明)
2022-03-18
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養蚕農家の生活12 手伝いを通して一人前に
この桑しょいというのが、自分の力がどれだけあるようになったかを知るバロメーターでした。去年は一わだったのに、今年は二わしょえるようになった。早く兄や父と同じくらいしょえるようになりたいものだと思ったものです。 桑束三ばをしょえるようになったのは、6年生の夏蚕の時でした。今日こそはと桑束をしばる「すがい」を三つ持って山の畑に行きました。父と同じくらいの束三ばを作り、背負子につけました。つけ終わったときは、皆帰りかけており、私が一人残りました。腰を下ろして背負子に肩を入れ、さて力を入れて立とうとしましたが立てません。前の桑株にすがったり、あっちこっちとずって歩きようやく足をぶるぶるさせて立ち上がりました。嫌な坂道も注意して下り、石垣の上の細道も気を張って過ぎ、途中の休み場も下
2021-11-15
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養蚕農家の生活11 夏蚕、秋蚕、晩秋蚕
繭かきの済んだ後の蚕巣ワラは燃やしてしまいました。 このころは田の「しつけ」も繭と並行で、田植えはほとんど他人まかせで、家中でやったことはなかったのです。 7月中旬にはまた夏蚕が始まるのです。夏蚕は子供たちの夏休みと重なり、暑くて飼育が容易なので、我が家では重点をここに置くのです。 庭起きともなると桑は1キロも道のりのある小玉の丘陵まで切りに行くのです。父母姉2人兄2人に私の7人の1ケ分隊が、みな背負子をしょって水上の田の細いあぜ道、しかも高い石垣の細いあぜ道を一列になって行くのです。この行列は私たちだけではありません。 ほとんどの家がこの丘上に桑畑を持っているのです。細道を進んでいくと早い家ではもう桑をしょってこの道を帰ってくるのです。そこで道をよけて通してやるのが大変でした
2021-11-15
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養蚕農家の生活10 繭かき・出荷
やといの入った各部屋は練炭を入れて暖をとり、繭づくりをさせる。1日たつとヒキは糸をはいて繭の形を作り、3日目には白くなってヒキは見えないようになる。 8日目には「繭かき」(繭の収穫)が始まる。非農家の女衆を3人ぐらい頼んで3日間ぐらいで終わらすのです。繭は20貫(75㎏)もたまればこれを「たて」(繭を入れる袋)に入れ、父は二つの「たて」を天秤で担ぎ、兄は「たて」を背負子でしょって東北(本原)の繭糸(けんし)会社の競(せ)り市(いち)に持って行くのです。私は後について見に行きます。 繭糸(会社)には大勢の人が白い「たて」を持ちよって競りに出す順番を待っています。「ぼて」(大きな竹籠)に繭をあけ、競り台まで運ぶと、係りの男が大きな声で「○○の上等まい」と呼びながら競り台に繭をあけます。する
2021-11-15
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養蚕農家の生活9 ヒキ拾い
庭起き1週間をこえるころになると、蚕は太ぶとと大きくなり、急に桑を食わなくなります。そして首のあたりからあめ色に透きはじめ、首を上に伸ばして何かを探すようにうごめきはじめます。この状態を「ヒキた」と言い、一刻の猶予もできません。まごまごしていると蚕座に糸をかけ始めるからです。このような状況は、親たちは長年の経験で、隣近所で蚕の進んでいる家、遅れている家があり、そう忙しくない家等「えいっこ」(手伝いのしあい)できる家にお願いしておいて、互いに手伝いっこするのです。 朝早くから箔や蚕巣を庭に運び出して「ヒキ拾い」(蚕を蚕巣にいれてやる)の用意をしていると、お手伝いの人が4.5人来てくれて、一番進んでいる前の蚕室からヒキ拾いを始めます。拾うのは手の早い女衆、蚕を箔に撒いて蚕巣を立
2021-11-15
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養蚕農家の生活8 桑取り
春蚕用の桑畑は私の家の近くにありましたので、桑切はそうたいへんではありません。切り取ったところから畝間(うねま)をかきあげしては株直しをしました。 蚕飼いが始まると、村の中は急に桑取に出かけるおばあさんたちの往来が繁くなり、そこらで立ち話をする風景が目につき、その言葉の中に「お家のお蚕様は」とか「おら家のしょうは」と蚕に敬語をつける話がよく聞かれます。また、それほどにありがたい虫であり、また、この虫の成長いかんで家の経済が左右されるとなると飼い主の責任は大変に重く、その技術の難しさもあるわけで、毎日のように養蚕教師が一軒ごと巡回指導して歩きましたが、飼主は心配で、よその家の様子と我が家の様子を比べたくなるのです。そして、少しでも我が家の良さを知りたいのです。
2021-11-15
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養蚕農家の生活7 蚕の世話
桑をくれるのは1日に大ぐれは3回ですが、群れ直しで少しはくれるので5回ぐらいになったでしょうか。稚蚕の時は、割に湿気に強いのでトタン箱内で飼い、桑葉のしなびるのを防ぎましたが、大きくなると冷湿をきらうなどといい、蚕座(さんざ)(さんざ:食い残りのかす)が厚くなると蒸れる危険があるので、蚕(こ)尻(じり)(こじり:蚕の糞)取りも三齢、四齢にはちょいちょいやりました。その際、よく見ないと蚕をうっかり捨てることになりました。 庭起きになり蚕を下に放すときは、畳の間は全部畳を片付け、座敷、茶の間、勝手土間…軒下、蚕室、裏の物置と人間が寝る部屋とお勝手を残し、全部が蚕の放し飼いに使われたのです。床上にもみ殻をまき、その上に石灰をまいて蚕箔上の縄網(なわあみ)(蚕の上に網をかけ、その上に桑を乗せる
2021-11-15
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