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1上田城の紅葉上田城の紅葉上田城に紅葉を見に行きました。 黄色や赤、緑、茶色など色とりどりの植物を見ることができました。 とても美しい風景を見ることができて、心が浄化された気がします。 秋を楽しみことができました。 見に行けてよかったです。2023-11-27
2神社神社生島足島神社 とても広い敷地に綺麗な自然が広がっていました。 多彩な植物の緑と神社の朱色が映えていて美しかったです。 とても天気が良くて気持ちの良い散歩ができました。 行ってよかったです。2023-11-27
3若竹屋紬店本店若竹屋紬店本店今回は、別所温泉にある若竹屋紬店本店を訪れた。 若竹屋紬店は、上田紬の販売を始めてから五十年以上経つ老舗である。現在は、二階に「繭の家」という上田紬ギャラリーを併設するなど、博物館的な特徴を持った店舗になっているようだ。 看板となる商品は、『七久里の華』という「上田紬」と「農民美術」の融合製品。上田紬は、着物だけでなく上田紬押絵など芸術にも用いられることが分かった。 別所温泉と蚕糸業のつながりを思い起こさせるようなお店だと感じた。ちなみに隣接する建物では、鎧兜や多くの飾り雛が展示されているため、あわせて立ち寄ってみてほしい。2023-11-26
4倉澤家蚕室倉澤家蚕室今回は別所温泉にある倉澤家蚕室に訪れた。中心温泉街のつきあたりに位置する。 蚕種製造家、倉澤運平によって大正5年に建てられ、蚕の飼育や桑の保存に利用されてきた建物である。 温泉街の風景の中で、ここが蚕糸業で栄えた「シルクの里」でもあったことを伝える象徴的存在である。 石積み擁壁の上に建つ二階建ての立派な蚕室で、かつての倉澤家の財力がうかがえた。2023-11-26
55代松平忠学と明倫堂5代松平忠学と明倫堂 この場所にはかつて、松平忠学(たださと)の命によって設立された明倫堂があった。ここで、上田藩の多くの若者が文武教育を受けた。  私が散策したところ、この学校(現在は上田市立第三中学校となっている。)は3種類の石垣によって囲まれているのが分かった。左から二つ目の石垣は、横に長く敷き詰められており、一枚一枚はの厚さは薄く、どれも四角形であった。左から三つ目の石垣と一番右の石垣を比べると、左の石垣は、全体的に白く、配列がきれいである。それに対し右の石垣は、全体的に黒いけれども青、赤、黄などの色の石もあり、また、上にいけばいくほど石の大きさが小さくなっている。配列が乱れている箇所もある。  おそらく左から二番目の石垣は今日に近しい時代に、一番右の石垣は古い時代に積まれたものだろう。2023-11-25
6こうやこうや上田駅から徒歩10分程にある『こうや』 1989年創業のラーメン屋さん お店の雰囲気も味も店主もとてもいいお店 こってり醤油ラーメンを食べたのですが、 中毒性のある味でとても美味しかったです 学割もあるので、気になった方は是非!2023-11-25
7My trip memories 2My trip memories 2こっちは北向観音の写真! ちゃんとお参りできてよかった! 平日の中日の祝日であるにも関わらず,宿泊客の人も多く見受けられた。北向観音にも多くの観光客が訪れていてとても賑やかだった。2023-11-23
8My trip memoriesMy trip memories1人で別所線に乗って別所温泉に行ってきた! 北向観音や常楽寺にゆったり行くことができてよかった! 今年3回目の訪問であったけれど、四季の移り変わりが目で確認できるため有意義な時間になったと思う。 今度家族を観光案内できたらいいなと感じた。 写真は常楽寺の松の隣で撮ったものです。 ここまでの移動手段は徒歩でしたが,坂が急な場所が多く学生でも息切れる程でした。また交通の便が非常に良くないため駅から遠い所にこんな歴史的建造物があることを知らない人が多いと考えました。  よってタクシーの配置や看板マップの充実などの対応をしていけばもっと観光客だけでなく地域住民も行きやすいそんな観光地作りができると考えられます。2023-11-23
9北向観音の地蔵北向観音の地蔵北向観音を探訪したさいにみつけた。 本堂のすぐ横にあり多くの人の目につくところに設置されていた。 いろんなところがはがれていたのでもしかしたら触ったらご利益があるのかもしれない。 また、表情がはっきりとしているのがとても特徴的で印象に残った。眉の上にある二つの点が何なのかは結構考えたり調べてみたりしてもわからなかった。2023-11-21
10生島足島神社の御柱生島足島神社の御柱生島足島神社にあった立派な御柱。このほかにもいくつかあり歴史深さを感じた。 一つ一つに説明がついていて凄いしそんなものが生島足島神社に何本もあるのは生島足島神社はよほどパワーがあるのだと裏付けしているように感じた。 とても大きく迫力があり荘厳さを感じた。 いくつか撮ったがなぜかこの御神木が一番印象に残った。2023-11-21
11北向観音北向観音塩田平の歴史的な建物である北向観音を訪れた。 愛染明王が祭ってあることを実際に訪れて初めて知った。   縁結びの神社としても知られている。善光寺とセットでお参りするとよいとされている(両参り) 北向きに本堂がありこれは日本の中でもとても珍しい。 歴史が深く825年に円仁によって開創された霊場。 現世利益を願う。 副男などいろんなイベントも開かれていて地域に根差している。 また境内には愛染カツラと呼ばれる霊木がありとても迫力があった。これは縁結びの霊木と呼ばれておりみんなに親しまれているのが分かる。2023-11-21
12生島足島神社生島足島神社塩田平の歴史に興味を持ったため探訪してみた。 生島足島神社には生島大神と足島大神が祭られていて生命力を与える神と満足を与える神だとされている。 太古より国土の守り神と仰がれていた。 諏訪大神が祀られている いつ建てられたかは分かっていない。醍醐天皇に認められた神社でもあり歴史が深い。様々な武将によって寄進や修築が行われてきた。 レイラインを結ぶ大事な神社 夏至と冬至の日には日の入りの時に太陽の光が鳥居をまっすぐ通り抜けるという幻想的な景色を楽しむことができる。そのイベントも開かれている。 県宝にも指定されている。2023-11-21
13長福寺長福寺長福寺に足を運んでみました お地蔵さんには凛々しい、真面目のようなイメージを持っていましたが、 なかよし地蔵は微笑ましく、とても可愛かったです2023-11-20
14生島足島神社生島足島神社生島足島神社に足を運んでみました 普段なら通り過ぎてしまいそうな、看板をじっくり読むことで、 上田の歴史や神社の魅力をより知ることが出来ました 池にはカモかいて可愛かったです2023-11-20
15京都国立博物館、文化的景観の借景京都国立博物館、文化的景観の借景京都国立博物館/特別展「東福寺」 東洋音楽学会が京都で開催されたことのついでに京都をプチ観光してきました。ちょうど紅葉真っ盛りの観光シーズンの土日と重なり、京都は物凄い数の観光客で溢れていました。外国人観光客の多さが特に目を引きます。 問題はキャリーケースの置き場がないこと。京都駅にも各所にコインロッカーはありますが、全て塞がっていました。キャリケースを持ったまま、観光に出かけるには限界があり、プランBに変更。キャリーケースをガラガラ引っ張ったままで行けるところまでウォーキングするプラン。目的地を京都国立博物館に定め、市内のぶらぶらウォーキングも楽しみました。京都駅から徒歩23分です。ぶらぶら歩くにはほどよい距離。 京都国立2023-11-20
16サントミューゼサントミューゼサントミューゼは、上田駅の近くにあります。 ここサントミューゼでは、イベントが多く行われており、今年、長野大学の入学式も行われました。 また、サントミューゼという名前は、かつて蚕糸業の中心であったという「蚕都(さんと)上田」からきています。 サントミューゼを訪れると、蚕都上田を肌で感じることができます。2023-11-19
17鹿教湯温泉の名前の由来鹿教湯温泉の名前の由来鹿教湯温泉は文字通り、「鹿が教えた湯」というのが由来になっています。文殊菩薩が鹿に姿を変え、信仰心が強かった猟師に温泉の場所を教えた、という伝説があります。それ以外にも、鹿になっていた文殊菩薩がお湯を飲んでいたところを猟師が発見した、というものもありました。 他の由来として、狩ろうとしていた鹿が森の中の池に入り、鹿が池から出た後に池に近づくと、そこがお湯であった、というものもあります。 いずれにしても、鹿が人間に教えた湯であるのが鹿教湯温泉です。実際に行ってみたのですが、写真にもあるように橋の所に鹿のデザインがされていました。また、旅館の入り口には鹿教湯温泉の名前の由来が記されていました。どちらの由来だったのかは実際に行って確かめてみてください。せっかく上田に来たのだから、別2023-11-16
18迎原上池の看板迎原上池の看板 長野大学の近くにあるため池の看板。看板が茂みに覆われて見えない。ため池自体も発見できなかった。  適切に管理保全されないと、ため池は埋もれて存在を忘れられてしまう、ということを教えてくれるかのようだ。2023-11-14
19農林水産省 全国ため池百選 塩田平のため池群農林水産省 全国ため池百選 塩田平のため池群 ここに写真を挙げた瓢箪池、男池、女池などは、「塩田平のため池群」という1項目として農林水産省の全国ため池百選に選定されている。No.という表記があるためややこしいが、この番号は「塩田平のため池群」の内部で上田市が独自につけたものだ。「塩田平のため池群」は、全国ため池百選の中ではNo,30が振られている。    塩田平のため池の多くは、17、18世紀の江戸時代に築造されている。しかし、江戸時代以前からため池は存在したようである。それらは残っていないようだ。  写真のようにため池には看板がつけられているが、倒れたり隠れたりしてしまっているものもある。状態の悪い看板は、保全されないため池が江戸時代以前のため池のように廃れていくことを示唆している。 参考 農林水産省のため池百選についてのパンフレッ2023-11-13
20長池長池 倉升地区にあるため池。塩田平からは外れた場所であり、別所線沿線では最も上田駅に近いため池といえる。規模は塩田平のため池と比べると小さいが、実際に訪れて見ると小さくは感じない。  周囲に創造館、倉升公民館、長池公園、上田南幼稚園といった施設があることから、地元の子どもには馴染み深い。  長池のすぐ近くには、倉升マンホールポンプ場がある。長池の水の管理は、このポンプ場で行われているのだろう。  ため池は取水するための水源であるはずだが、長池に注ぐ水路がある。水路は山の方からつながっていることから、長池に直接降った雨だけでなく、周囲の山間に降った雨水も貯めるものと考えられる。2023-11-13
21男池男池 中塩田駅の近くにあるため池。    同日に訪れた中野前池とは異なり、干上がっておらず十分な水量があった。ただ、水量があるというのは、用水に使われていないという可能性がある。  町中にあるため池としては非常に大きい。2023-11-10
22中野前池中野前池 別所線中野駅の近くにあるため池。距離自体は近いが、直通の道がなく遠回りが必要となる。  雨の少ない時期であったためか、干上がっている部分が多かった。撮影時は雨が降っていたのだが。2023-11-10
23あいぞめ橋あいぞめ橋「西行の戻り橋」とも言われている赤くて綺麗な橋で、湯川にかかっています。周りには木々が並んでいて川のせせらぎを感じることが出来るので夏には涼むことが出来そうです。(記事作成者が訪れたのは秋だったのでまた夏行きたいです。) 「西行の戻り橋」の由来は、以下のように伝えられています。 橋を通りかかった西行法師は、子どもたちがワラビをとっているところに出くわしました。そこで法師は「ワラビ」と「藁火」を掛けて、子どもたちに「ワラビ(藁火)をとって手を焼くな」と言います。すると子どもたちは「ヒノキ」(樹木の一種)と「火の木」を掛けて「ヒノキ(火の木)笠着て頭を焼くな」と返します。 このような機知に富んだ返しをする子どもたちに参った法師は橋を渡らずに戻ったということです。 なお、似た由来の「西2023-11-08
24肉のみつかど肉のみつかど昭和41年創業の歴史ある精肉店『肉のみつかど』 新鮮で安心な国産肉の販売や、手作り惣菜を販売している 何度か通りかかり気になってはいたが、入ったことがなかったお店 信州上田学の地域キュレーションをきっかけに初来店 コロッケ(¥80)、メンチカツ(¥120)を購入 注文をしてから店主が揚げてくれるので、出来たてを食べられる 安いのにかなりの食べ応えがあり、とても美味しかった 店主もとても人柄が良く、優しい方だった これを見て気になった方は是非、食べに行って欲しい2023-11-08
25瓢箪池(塩田運動公園)瓢箪池(塩田運動公園) 長野大学の隣の、塩田運動公園(上田自然運動公園)内にある。公園として整備されているため、田に囲まれたものと比べて行きやすい。  用水路はつながっているようだが、ため池として現役で使用されているかは不明。2023-11-07
26長野大学付近のため池(夫婦池)長野大学付近のため池(夫婦池) 長野大学の近くにある、その付近では比較的大型のため池。降水量の少ない塩田平では、このようなため池が多く存在する。  あふれないようにするためか、高い土手で囲まれている。土手の下からは用水路が出ている。ここから田へ取水するのだろう。  撮影日の数週間前から雨が降っていなかったが、水量は多いように見えた。撮影時点ではすでに稲刈りが終えられていたため、水の消費量が少ない時期と考えられる。2023-11-07
27学生の地域探究テーマ2023学生の地域探究テーマ2023【第3回課題10/19】信州上田学2023/マイサイトと探究テーマ  ▼社会福祉学部学生 1 長野県の自然 2 蚕都上田はどのようにして生まれたか 3 上田の地域の特徴から、福祉に活用できる社会資源を考える。 4 上田にある文化財について 5 上田市の特産物にはなにがあるのか、特産物と気候や地形との関係、特産物を使った料理について 6 上田市の食とそこから見る地域の特性 7 上田城の季節による変化 8 食と福祉(飲食店と社会福祉施設、養護施設との連携) 9 真田幸村と上田の関わり 10 なぜ上田には晴れが多いのか 11 別所温泉の自然風景とその風景に関する歴史学的・地理学的な知識 12 上田と福祉について 13 上田市内の地区の名前の由来について 14 上田市は子育てや生活をする上で、便利な地なのかどうか 15 上田市の子ど2023-10-29
28上田合庁の売店上田合庁の売店材木町の上田合同庁舎の地下に生協の売店がある。 飲み物や軽食などが販売しており小さなコンビニのようなものだ。 おすすめなのは、近くのお店から仕入れたお弁当だ。複数種類の弁当を販売しており、おいしい。 写真は、「なかむら屋」のししゃも弁当だ。どのおかずを取ってもおいしかった。2023-10-27
29上田城跡の桜上田城跡の桜上田城は真田昌幸によって築城された城で、徳川軍の攻撃にもびくともしなかった難攻不落の城です。しかし、その後関ヶ原の戦いで徳川軍が勝利をあげた後、上田城は廃城も同然となってしまいました。その後に、仙石氏により上田城が1620年代に復興され、これがほとんど同じ形のまま今も残っています。上田城跡公園は、そのような歴史を今の視点から見ることができるという点でとても有意義なものです。訪れた時は桜が美しかったですが、城から見える四季折々の自然の移ろいが、戦いに挑む兵士たちを癒やし元気づけたのかなと、昔に想いを馳せました。2023-10-26
30安楽寺八角三重塔安楽寺八角三重塔中国から伝わった「禅宗様」で造られた、現存する日本唯一の木造八角三重塔。かつては「四重塔」とされたが、現在は一番下の屋根は裳階(ひさし)と解釈されている。創建は1290年代とされ、八角形のどっしりとした落ち着きがある塔で、頂上には相輪が青天高くそびえている。屋根の下の華やかな木組みも相まって、安定感と崇高美、華麗さを兼ね備えた名塔である。 ここはこれまでに二回訪れたが、何回行っても感動する場所であると私は思う。何段も階段を上ったあとに、姿をあらわす木造の塔は実際に足を運んで見るからこそ感じられるものが多くあると改めて思った。自然との調和もとても趣がある。しかし、この魅力はまだ多くの人に伝わり切っていないと感じている。よって、まずは魅力を伝えるために、信州上田の日本遺産のストーリーを2023-10-24
31虹上田に来て初めて見た虹。大きかった。2023-10-23
32カナヘビカナヘビ探求テーマとしては上田市の自然について、特に動物を中心として深めていきたいと考えています。自然豊かな上田に生息する生物について調べ、上田ならではの環境を見つけたり、地元と比較して探求していきたいとです。自然について興味を持ってもらい、ふとした景色に目を向けていただけたら嬉しいです。 近所で見つけたニホンカナヘビです。 名前だけ聞くとヘビの一種と勘違いされやすいですが、トカゲの一種です。 ニホントカゲと勘違いされる方もいますが、ニホントカゲの皮膚はツルツルで、特に幼体の尾は青みがかかっているのが特徴ですが、ニホンカナヘビの皮膚はカサカサと乾燥しており、体に対して尾が長いのが特徴です。 飼育したことがありますが、たまたま卵を持ったメスの個体で3匹の幼体も見ることができたのを覚2023-10-23
33上田市の日本遺産安楽寺八角三重塔上田市の日本遺産安楽寺八角三重塔この安楽寺八角三重塔は現存する国内唯一の木造八角三重塔で、長野県の国宝第一号である。建立年代は平成16年の年代調査によって三重塔用材の伐採年代は1289年ということが判明し、少なくとも1290年代(鎌倉末期)に建立されたことが明らかになり、わが国最古の禅宗様建築であることが証明された。また、西大寺(奈良)法勝寺(京都)などの八角塔が失われた今日、わが国に残された唯一の八角塔である。2023-10-23
342代松平忠愛と尼ヶ淵2代松平忠愛と尼ヶ淵 上田城南側に切り立つ崖の下段には、横に長く敷き詰められた石垣がある。この石垣は、松平忠愛(ただざね)が築造したものだ。享保17年(1732)に大雨で増水した千曲川がこの崖面を大きく削ったため、護岸工事を行ったそうだ。(戌の満水)  上田城南側の芝生広場を訪れた際に感じてほしいのは、江戸時代にはその地に広場はなく、尼が淵という千曲川の分流が流れていたということだ。そのため、崖面を見ることができている我々は貴重な体験をしている。そして、下段の石垣は強固に見えるが、敵が登ってくるのをを防ぐために築かれたのではないことも知ってほしい。  二度の上田合戦や大坂の陣で名を轟かせた真田氏の居城であったからこそ、忠愛は、南櫓、西櫓を崩れささせたくなかったのだろうと私は思った。  2023-10-23
35北向観音へと続く道北向観音へと続く道参道の両側にお店があるのがとても観光地という感じがして良かった。2023-10-21
36長野大学避難訓練長野大学避難訓練大学にいる時に大地震が起きたらどう行動するか。この日10/12、大地震を想定した避難訓練がありました。4号館から避難。4号館の脇、大学院棟の前を通り、グラウンドへ。うかつにもこのルートを通ったことがなくフレッシュな体験でした。一度経験しておくことにより、このルートが想定できます。貴重な避難訓練でした。2023-10-20
37塩田平の絶景スポット=長野大学塩田平の絶景スポット=長野大学塩田平を眺望できる絶景スポットは? 長野大学は塩田平の山沿いの傾斜地にあり、6号館はキャンパス内の一番の高台にあります。その最上階の4階が塩田平を一望する一番の眺望スポットです。学生や教職員でもここが絶景スポットだと認知していないのでは?遠く美ヶ原までが見通せます。グラデーションのかかった山並みの美しいこと。残念なことは塩田平を訪れる観光客にこの絶景スポットを開放できないことです。 他にここに代わる眺望スポットを発見できたら塩田平観光の福音となりますネ!2023-10-20
382019年、台風19号/避難先の混乱2019年、台風19号/避難先の混乱2019/10/12、台風19号、上田市では警戒レベル4となり避難指示が発令されました。問題は住まいが安全かどうか、避難先はどこかです。私は千曲川に近い低地に暮らしていることもあり、高台に移動した後、最寄りの避難先の一つ、泉田の防災センターに避難しました。 避難所は多くの場所が大勢の人々で大変だったと聞いています。泉田のこの施設は避難先としての周知が行き届いていなかったせいか、避難者が少なく済みました。市の職員の方が丁寧に就寝用マットを配られるなど対応されていました。 翌日深夜2時頃、よく寝付けず、スマホで見る情報を見ると千曲川の水位が徐々に低くなる状況を確認し、家に戻ることにしました。途中、川辺小学校の前を通過しました。校庭に避難した方々の車が多数停まっているのを目撃しました。 後から2023-10-16
392019年、台風19号/千曲川増水で橋桁に打ち付ける波2019年、台風19号/千曲川増水で橋桁に打ち付ける波2019/10/12、22:00頃の千曲川の状況を記録した画像です。古舟橋の情景です。暗くて見えにくいですが、横に伸びる黒い帯が橋、その下に延びるやや白い帯が波です。危険水位まで水が上昇し川面が激しく波打って橋桁の下にぶつかっていました。周囲にはゴーッという川音が遠くからでも響いていました。 この個所は幸いにして越水や洪水の被害からはまぬがれました。その後まもなくそれぞれの橋は通行禁止になりました。私もこの後安全な高台に車で移動しました。2023-10-16
402005年の千曲川、洪水被害前の河川敷の森2005年の千曲川、洪水被害前の河川敷の森2005/08/10の記録画像です。私が上田に移り住んだ最初の年が2005年。上田花火大会を見るのもこの時が初めてでした。花火大会が始まる前、川沿いの堤防に多くの市民がシートを敷いて花火が始まるのを待っています。暗い中撮影したのでカメラもややブレています。それはともかく、河川敷に豊かな森が広がっている状況にご注目ください。 2019/10/12、上田をはじめとし長野県の各地は台風19号により甚大な水害に見舞われました。最も衝撃的で象徴的だった被害が別所線鉄橋の崩落です。河川敷に森となっていたこれらの樹木は根こそぎ流され、跡形もなくなっていました。つ洪水の凄まじさを物語る災害でした。これらの画像、災害前の河川敷の状況の記録です。2023-10-14
41「信州学サミット2017」プレイバック「信州学サミット2017」プレイバック長野県内の県立高校で実施された地域学「信州学」のお披露目の場として「信州学サミット」が2017年10月21日、長野駅コンコースを会場に開催されました。 初めての信州学サミットに各学校から意欲的な発表と展示がなされました。次の記事は信州学サミットの様子を具体的に伝えていてふり返りの参考になります。 ▼信州学サミット~信州・学びの旅に出ように参加しました 2017年10月21日 https://manabitojichinohiroba.hatenablog.com/entry/2018/12/12/143956 私が学習支援をしていた蓼科高校の「蓼科学」の成果もパネル発表の形で展示に供されました。商業高校など地域の商品開発に取り組んでいる高校は実践がまさに地域学のねらいに合致して成果をPRしている一方、全体としてはいまひとつ活気が2023-10-10
42「蚕都上田マップ」長野大学附属図書館に設置「蚕都上田マップ」長野大学附属図書館に設置長野大学附属図書館の地域資料室に「蚕都上田マップ」を設置しました。地図は2種類あります。横1.8m/縦2.8mの巨大マップです。それぞれのPDFマップは下のリンクからも参照できます。 ★市街図(明治~昭和) 1928年(昭和3年)の「上田市全図」に土地利用を色分け蚕糸業スポットをポインティングしました。蚕糸業で栄えた上田の絶頂期の記録です。 ★上小地域(明治~昭和) 日本一の蚕種製造地であった塩尻地区、製糸業で栄えた丸子地区にフォーカスを当てています。 これらのマップは蚕都上田プロジェクト(代表:前川道博)が2010年に作成したものです。当時日本地理学会会長だった斎藤功先生(故人、当時は環境ツーリズ2023-10-04
43鬼怒川は絹川?鬼怒川は絹川?北関東自動車道を茨城から栃木方面へ。途中、鬼怒川を越えます。河川敷が広い! この橋の地点は栃木県上三川町になります。結城紬でも知られる結城地方はこの地点より南にあり、日本で最も古い養蚕の地とされています。 蚕の化身・黄金姫が海からこの地域にやってきたと言う伝説があります。暴れ川の鬼怒川は鬼が怒る川と書きますが、元々は絹川ではなかったかとの説があります。鬼怒と絹は大違い。できれば鬼怒でなく絹としたい。2023-09-27
44海野宿、宿場から蚕種製造地へ海野宿、宿場から蚕種製造地へ中山道の宿の一つ、海野宿は重伝建(重要伝統的建造物群保存地区)に指定されています。江戸時代は宿場として栄えましたが、明治期に入ると宿場としての役割は終わり、それぞれの家は蚕種製造民家として新たな形成が図られました。 明治20年代に多くの家屋が建て替えられています。宿場と解釈される方が多いですが、現在の街並みは蚕種製造民家群が残されたものです。ウダツが上がっているのも特徴です。信州蚕糸業遺産として広く知られて欲しい歴史遺産です。2023-09-23
45紅太郎-国文祭やまがた2003マスコット紅太郎-国文祭やまがた2003マスコット2003年、山形県で開催された国民文化祭やまがた2003のマスコットキャラクター「紅太郎」。かつて山形県の特産品であった紅花にちなんでデザインされました。黄色い頭の毛が紅花の花をあしらっています。かわいく、出来もよいマスコットキャラクターながらその後、何にも使われることがなかったことが惜しまれます。 3Dでも再現してみました。 紅太郎-国文祭やまがた2003マスコット 催しが終わると人々の記憶から遠ざかっていきます。しかもあれから20年。当時生まれていなかった世代、記憶になかった世代にも知ってもらえるのはうれしいです。2023-09-16
46ソリレスソリレスたまにしか来れない上田ですが、せっかくなので美味しいお店を探します。東御のヴィラデストさんが貸切で予約できないとなり新たにお店を探したところ、ありました! 眺めのよい素敵なレストラン。 とても急な坂道を上がってたどりついた先は上田市を見渡せるテーブル3~4席のオープンキッチンです。 もとヴィラデストさんで活躍されていたシェフのお店だそうで、シェフお一人とマダムとで、さりげなくも心地よい接客で、居心地よかったです。お料理も素材にこだわり、本格的で洗練されていて、大満足。是非また来たいお店でした。 ワインも充実したお店のようですが、あまり飲まない派なので、エルダーフラワーのスパークリングに。 写真は、前菜2品目のモンサンミッシェルのムール貝、白ワインとソースで美味しかったです。こ2023-09-01
47土浦駅近くの新築マンション土浦駅近くの新築マンション変わりゆく都市環境。中心市街地の中心商店街がマンション群に変わりつつあります。 土浦駅近くには、ここ1、2年の間に新築のマンションが2棟建ちました。1棟(A)は遠くからでもよく見える高い建物。背後に見えるソリッドタワーに次ぐ高さです。もう1棟(B)はその向かいに立つマンション。この画像にはごく一部だけ写っています。 Aはかつてのイトーヨーカドーの跡地です。その後建物は取り壊され、久しく駐車場となっていました。私もここに車を停めたことがあります。Bは線路に面しています。土浦市立図書館(アルカス土浦)のすぐ隣に並んで建っています。ここはもしかすると関東鉄道筑波線のホームのあった場所ではないかと推察をします。2023-08-22
48「〔18/10〕世界湖沼会議とつくば」始める「〔18/10〕世界湖沼会議とつくば」始める私のウェブサイト『マッピング霞ヶ浦*』に「〔18/10〕世界湖沼会議とつくば」の掲載を始めました。 マッピング霞ヶ浦*/〔18/10〕世界湖沼会議とつくば 今から5年前、茨城県つくば市をメイン会場に国際会議「世界湖沼会議」が開催されました。世界各国から数多くの参加者が訪れ、会場は国際会議らしい雰囲気を醸していました。当日は皇室の秋篠宮様を迎え、仰々しい警備体制の中で開催されました。 湖沼の環境問題を提起し、情報交換をすることは大切なことながら、私個人はこれに関して何もコミットしてこなかったなあ、という思いが先に立ちます。2023-08-21
49クイズで楽しく学ぶ、上田市歴史クイズ~上田市誌年表の活用~クイズで楽しく学ぶ、上田市歴史クイズ~上田市誌年表の活用~せっかく貴重で重要な資料でも、触れられなかったらもったいない! 上田市の歴史クイズをデジタルで解けるようにする提案です!2023-08-09
50信州上田デジタルマップで記事を投稿したい方へ信州上田デジタルマップで記事を投稿したい方へ 近年、様々な情報がインターネット上に投稿され、不特定多数の人に共有されている。そのため、インターネットの検索機能を使えばどんな内容であれ見つけることが可能なように感じられる。しかし実際のところ、インターネット上に投稿されていない、調べても見つからない情報は2023年現在でも多くある。例えば、私の祖父が住んでいた上田市の常盤町という地域では、創立30年、50年、60年を記念した地域の情報をまとめた冊子が配られていた。この情報はインターネット上で検索を行っても、常盤町の歴史どころか「常盤町○年のあゆみ」が配られていた事すら、見つけることが出来なかった。こういった冊子は、誰かが保存していなければ後生には残らず、誰かが共有しなければ存在すら忘れられる。 そういった資料をお持ちの方2023-08-09
51津軽ねぷたそれぞれの違いを見る津軽ねぷたそれぞれの違いを見る観光資源としても有名な青森ねぶた、弘前ねぷた以外のねぷたを見たのは1997年、黒石ねぷたが初めてです。民俗的な文化でもあるねぷたは、本来的にはそれぞれの地元のまつりであって観光資源ではありません。 1997年当時、黒石ねぷたを『マッピング津軽』(現在は閉鎖)で紹介しました。もしかすると黒石ねぷたをネットに紹介したのは私が初めてかもしれません。 ねぷた(ねぶた)は津軽各地にあります。青森、弘前、黒石、平川、田舎館、大鰐、五所川原、つがる(木造)、…。ねぷた文化がどのように遍在しているのか、当時は知る術もなく、現地に訪れ初めて接しました。観光資源化されたねぷたではなく、土着的な祭りとしてのねぷたを直に見て紹介しようというのがその時の動機。平川(当時は猿賀)や田舎館などにもあることは知っていましたが、2023-08-06
52上田蚕種:蚕種製造の現場・雄雌鑑別上田蚕種:蚕種製造の現場・雄雌鑑別かつての日本の基幹産業・蚕糸業を支えた蚕種製造業。6/15、上田蚕種株式会社で養蚕農家から集荷した繭から蛹を取り出し、雄雌を鑑別する作業が行われました。その貴重な作業風景を学生と映像記録、これからネット等へ出していきます。2023-06-16
53小諸駅小諸駅小諸駅は長野県小諸市相生町一丁目にある、しなの鉄道・JR東日本の駅である。しなの鉄道とJR東日本の共同使用駅で管轄はしなの鉄道が行っている。 3面5線を有する地上駅であり、JRとしなの鉄道相互間の乗換えは改札を通らずに可能。互いのホームは跨線橋で連絡している。 待合室には2013年に閉店した駅そば屋の「ひしや」の味を再現した駅そば屋の「清野商店」が営業しており、かつての駅そばが堪能できるようになっている。駅舎内では地元農産物の販売も行われている。 JR東日本 - 2021年度の1日平均乗車人員は1,398人である。 しなの鉄道 - 2020年の1日平均乗降人員は2,118人である。 駅周辺には小諸市役所、小諸図書館、懐古園がある。2023-06-01
54上田市花火大会2022上田市花火大会20222022年8月に上田で約3年ぶりとなる花火大会が実施された。全国的にも人気の高い地元の花火業者3社が打ち上げを行い、大迫力の花火大会となった。新型コロナウイルスの影響により、祭りなどの町おこしが規制されていたが、3年ぶりと言うことで上田市民だけでなく他の街からの参加者も大勢出向き、盛り上がった。2023-05-22
55つくば市:00歳代人口が30%の区域があるつくば市:00歳代人口が30%の区域がある少子高齢化、人口減少が全国的に深刻な状況の中にあって最も人口増加率の高い都市が茨城県つくば市です。 【全国の市】人口増加率ランキング 全国792市の人口増加率。2020年10月1日の国勢調査人口から2022年10月1日の推計人口までの人口増加率 第1位 つくば市 4.48% 2022年人口:252,4812020年人口:241,656 つくば市は筑波研究学園都市建設から約50年が経過し、都市の再開発が進んでいます。とりわけTX(つくばエクスプレス)の開業による変動は著しく「研究学園」地区が旧市街地に並ぶ新興中心部と化してきました。人口の偏りは区域別に見ないとその実態が見えません。 そこで、『e-stat』(総務省統計局)から「令和2年国勢調査 小地域集計 第3表 男女,年齢(5歳階級)別人口,平均年齢及び総年齢町丁・字等」を参2023-05-22
56にゃんこ②にゃんこ②にゃんこ①と同じく散策中に通りかかった猫2023-05-12
57渡良瀬川渡良瀬川渡良瀬川は、群馬県と栃木県の境にある皇海山(すかいさん)という山から始まります。 渡良瀬川の川の長さは107.6kmで、前橋から東京までの直線距離とほぼ同じ長さになります。渡良瀬川が流れる市町村は、13市町もあります。 北関東最大級の花火大会のメイン会場としても利用されています。 かつて、日本の公害問題の先駆けとなる「足尾鉱毒問題」が発生したことでも有名です。精錬所からでる有害な煙は、周囲の山々から緑を奪い自然環境を破壊し、むき出しとなった山肌は、洪水の度に大量の土砂を流出させ、下流の沿川に多くの被害をもたらし続けました。 地元選出の代議士・田中正造は農民とともに立ち上がり、問題を国会で取り上げました。2023-05-11
58蒸し竈蒸し竈木炭で炊く炊飯器。大正から昭和初期に一部の大きな料理屋等で使用された。現在も販売されている。 使い方は、木炭に着火して中に羽釜を入れる。炊き上がったら、上の穴に蓋(紛失)をして漏らす。美味しいご飯が食べるということで今でもお寿司屋さんやうなぎ屋さんで使っている店もあるという。2023-05-11
59愛宕神社(アタゴジンジャ)愛宕神社(アタゴジンジャ)こちらの神社は上田バイパスの北側に建てられている。神社の周りは木で囲まれており、離れたところからは鳥居のみしか見ることが出来ないようになっている。鳥居をくぐると181段(著者が数えたため正確性は保証できません)の急な階段があった。高齢の方に配慮してなのか階段の東側に階段よりは緩やかな道が作られていた。 登り終えて正面には木造のほこらがあり、左手側に神社が見える。本当であれば神社の正面から撮影を行いたかったが、神社の前はこう配が急な斜面となっており、撮影することは出来なかった。神社西側の裏には石のほこらがあり一円玉のお供えがされていた。2023-05-10
60庚申塔庚申塔庚申塔は、中国より伝来した道教に由来する庚申信仰に基づいて建てられた石碑である。 この石碑にはほかに、明治の政治家である高橋是清と板垣退助の名や、日光東照宮で有名な三猿の絵も刻まれていた。三猿については、庚申の申にかけて刻まれることが多かったという。2023-05-10
61須波三穂神社西の宮(スワミホジンジャニシノミヤ)須波三穂神社西の宮(スワミホジンジャニシノミヤ)こちらの神社は上田市の住宅街と上田バイパスの間に存在している。神社についてまとめられている「神社人」というサイトによると創建は天暦6年(952年)とされていた。その後、何度か改装されているためか、神社の建物には定礎昭和59年(1984年)と埋め込まれており、手水鉢にはおそらく安永2年(1773年)と記されていた。 神社には、賽銭箱と見受けられる物は見当たらなかったが、神社の西側には小さな石で作られたほこらがあり、一円玉がお供えされていた。おそらく、賽銭箱の代わりに石のほこらへお供えするルールがあるのではないかと考えられる。 参考文献 国際教養振興協会ICPA.「須波三穂神社西の宮」. 神社人-日本を楽しむポータル&コミュニティ.http://jinjajin.jp/modules/newdb/detail.php?id=9727(2023/05/10)2023-05-10
62懐かしいキャラクター懐かしいキャラクター路地に入ってコロッケを食べていると、よく薬局で見かける懐かしいキャラクターに出会いました。ボロボロになって汚れた感じと、懐かしさに思わず写真を撮ってしまいました。1人乗りの札がかかっているので、まだ動くと思われます。2023-05-10
63長門牧場長門牧場長和町にある長門牧場に行きました。長門牧場はテレビや人気YouTubeも訪れる人気の観光地です。牛や羊、馬など沢山の動物と触れ合えるだけでなく、広大な土地や、新鮮な食べ物、乗馬体験やチーズ作りなど様々な体験ができるのも魅力です。新鮮な空気を感じながら食べるハンバーガーやピザはどれも美味しかったです。中でも濃厚なソフトクリームは絶品でした。2023-05-10
64保科のお観音さん保科のお観音さん「清水寺 (せいすいじ)」 長野市の若穂保科にある清水寺に行きました。 ここは、紅葉と牡丹で有名で一度行ってみたかった場所です。 観音堂までの石段は、緑のトンネルのようでした。 秋は紅葉がいっぱいになり間違いなく綺麗だと思います。 今度は紅葉が綺麗な時期に行きたいと思いました。2023-05-10
65長野市若穂のカフェ長野市若穂のカフェ「SACHIYA cafe」 私の地元にあるカフェに行きました。家の近くにできていたのですが、行ったことがなかったので今回行ってみました。 店内は落ち着いた空間でゆったりとした時間を過ごせました。 注文したブルーベリーチーズケーキは、果肉がたくさん入っていてジューシーなチーズケーキでした。 地元の人も気軽に訪れられる落ち着いた空間だと感じます。2023-05-10
66あごばんらーめんあごばんらーめん上田市丸子にある「あごばんらーめん」に行ってきました。上田市では珍しい「あご(トビウオ)」の出汁を使ったラーメンです。入口で食券を買い注文します。スープの濃厚さを選ぶことができ、量は女性でも食べやすい量でした。麺は細麺でスープはあとひく味でとても美味しかったです。炙られたチャーシューも美味しく、サイドメニューのチャーシュー丼も人気なようです。2023-05-10
67長野県産のお蕎麦長野県産のお蕎麦「蕎麦処 すい山」 私の地元の長野市の若穂にあるお蕎麦屋さんに行きました。 全て長野県産にこだわって作られている手打ちの二八蕎麦です。歯ごたえがあり、とても美味しかったです。 売り切れ次第終了になってしまうので、早めの時間に行くことをお勧めします。2023-05-10
68ぶしもりやめんめんぶしもりやめんめん上田市中之条にあるつけ麺専門店「ぶしもりやめんめん」に行ってきました。麺はもっちりとした太麺で食べ応え抜群。豚骨魚介スープは濃厚でとても美味しかったです。ボリューム満点ですが、麺の量を選ぶことができ、麺を少なめにしてトッピングを乗せたり、自分の好みに合わせられるところも魅力の一つです。私は角煮をトッピングしましたが、お肉たっぷりの「ミーツデラックス」や、野菜たっぷりの「ベジもり」など、メニューが豊富にあり、どれも美味しそうでした。2023-05-09
69本屋未満 NABO本屋未満 NABO上田市の街中から少し離れたところに「本屋未満 NABO」という古本屋カフェがありました。入口が少し奥にあって隠れていたのでわかりづらかったが、見つけたときはお洒落な入口だと思いました。中には、多種多様な古本やオリジナルグッズなどが売っていたり、読書をしながら飲み物を飲んだりもできます。店内に飾られているインテリアや照明も少し暗めで、心地良い空間でした。おしゃれで落ち着く雰囲気がとても好みでした。2023-05-09
70馬肉うどん馬肉うどん上田駅の近くにある「なかむらや」は、上田駅が開業した明治21年に創業された伝統あるお店です。店内は、昔ながらの雰囲気だったり、多くのお客さんが食べに来たりしていて、愛されている場所だと感じました。 私は、信州の名物と言われている馬肉うどんを初めて食べました。馬肉は少し歯ごたえがあり、汁にも馬肉のだしが効いていてとても美味しかったです。2023-05-09
71桐生織物会館桐生織物会館 以前作成したものになりますが、桐生織物会館についての内装等を撮影した動画のURLになります。(携帯で撮影したため画角等は見にくい…) 織物の機械や実際の織物が見られます。 よかったら視聴してみてください 観光 地元探索 群馬県 桐生市 織物2023-05-09
72まとめ(上田との比較)まとめ(上田との比較)今回、千曲市の橋を調査をしてみて、案外その数が少ないことに驚きました。 もちろん、調査にかけることができた時間も足りないというのは事実ですが、同じくらいの時間で行った上田市での調査では十五以上見つけたのに対し、千曲市では七つに留まりました。 ここで推論として考えられるのは、「大きい川があるから橋の数も多いとは限らない」ということです。千曲川のような巨大な河川に橋を架けるとなると、膨大な時間と費用がかかります。そういくつも架けることは市の財政的にも厳しいですし、最低限で抑えるのは当たり前です。よって、細かい河川が少ない千曲市には、そこまで多くの橋が見つからず、逆に多かった上田市では多く見られたということでしょう。 当たり前のように考えられる今回の推論ですが、実際にこの目で見て判2023-05-07
73冠着橋冠着橋さらに上流に向かい、遭遇するのがこの冠着橋。 この冠着橋、少し特殊な経緯を辿った橋だそうです。かつて架かっていた旧橋は1969~91年にわたり、四段階に分けて完成までこぎ着けた。そのため、橋の幅が広くなったり狭くなったりして一定ではない歪な形をしていたそう。 そんな紆余曲折を経て、2014年には新しい橋ができ、こうして重厚感のある安心な橋へと変貌したようです。 歴史を知ることで、その橋を見る気持ちも変わってくるように感じます。当たり前のように普段使っている橋も、多くの金と犠牲のもとに成り立っている。私たちも感謝しなくてはならないという感情がわきました。2023-05-07
74小川の庄 縄文おやき村小川の庄 縄文おやき村2023/05/03 縄文おやき村へ。 長野市の市街から山に登り20分ほどで到着する。 舗装されているから走りやすいが道幅が非常に狭いため一通みたいな感じになっている。 村の中では竪穴式住居(現代版)の中でおやきを食べることができる。海外の人に人気がありそう。 季節限定でのびるのおやきありますよ。と言われ食べてみる。 ネギみたいな、ニラみたいな、感じ。 おやきを焼いている様子は迫力があったし近くに行くと凄く熱かった。2023-05-06
75かつて栄えていた商店街の現状かつて栄えていた商店街の現状私の親世代の年代では、買い物と言えばこの商店街に行くことが多く、当時は島内で1番賑やかな若者の街だったらしい。今ではお店のほとんどがシャッターを下ろしてしまい、人通りも少なくなってしまっていた。2023-05-05
76海にそびえ立つ人面岩海にそびえ立つ人面岩私の地元では、遠くを見つめる人間の横顔に見えるということから「人面岩」と呼ばれる大きな岩が有である。岩には割れ目が入っていて、その割れ目はこの岩がかつて火山活動で生まれたことと関係している。2023-05-05
77海野町パークの古電話海野町パークの古電話海野町商店街の立体駐車場に置いてあった電話です。 ほこりをかぶっていてる様子から、しばらく使われていなかったもののと思われます。 スマホの普及しているこの時代で、この電話の使い方を知っている人がいてもわざわざ使う人は居ないのではないかと感じました。2023-05-05
78観光客でにぎわう海野宿観光客でにぎわう海野宿ゴールデンウィークの4/30(日)、車で大屋駅から海野宿を通り御代田方面へ向かいました。この日はさすがに観光客の姿が多く目につきました。申し訳ない思いで海野宿をドライブスルーしました。 江戸時代は北国街道の宿として栄え、その後は蚕種製造が営まれるようになり、それ以前にも増して繁栄した地域です。これらの建物はいわゆる宿場町の宿ではなく、蚕種製造民家群と捉える方が実態に合っています。明治20年代に多くの家々が建て替わっていることも特色の一つです。うだつが上がっていることも蚕種製造で栄えたことを物語っています。2023-05-01
79臥竜公園で見た桜臥竜公園で見た桜4月の初めに臥竜公園に桜を見に行きました。 まだ蕾が少しありましたが、今年最初の春を感じられました。 1枚目、2枚目は「シダレザクラ」 枝が垂れた桜で、風に揺れる様子は美しかったです。 3枚目は、「プリンセスミヤビ」 桜の色が濃く鮮やかでとても綺麗でした。2023-04-27
80信州、新緑の装い信州、新緑の装い4/21、所要で上田から岡谷へ。長和町を経由し和田峠を越えて諏訪地方へ。周囲の山々が新緑になり、めっきり春らしい装いにすがすがしさを感じました。 和田峠を挟んで長和町から岡谷市へ。信州の大自然、周辺に広がる山々の新緑が実に美しい。この季節に山越えできる幸運を感じました。 ちなみにここはかつての信州シルクロード。諏訪地方の生糸を和田峠を越え、上田小県を経由して横浜へ運ばれた、その幹線ルートです。 峠越えした先の岡谷市役所の梅も満開で彩りを添えています。諏訪湖畔の公園の新緑も徐々に色濃くなりつつあります。ちなみにこの公園の辺り、かつては製糸工場がひしめく、日本一の生糸生産地でした。そのようなことも思いつつ…。2023-04-22
81八ヶ岳高原で鹿に出会う八ヶ岳高原で鹿に出会う4/15、八ヶ岳高原音楽堂からの帰り、高原の森をファミリーで移動している鹿と出会いました。この森は南牧村にあり「八ヶ岳高原海の口自然郷」と呼ぶようです。リゾート地の広大な森が広がっています。ネットに出ている情報を見ると、鹿はよく見かけるらしい。この日、2組の鹿のファミリーを目撃しました。2023-04-16
82霊峰月山が真正面に見える西川町の魅力霊峰月山が真正面に見える西川町の魅力本日3/15山形自動車道で山形市から西川町へ。何と進行方向の真正面に純白の霊峰月山が見え続けています。月山へ向かっているというこのアクセス感が月山をいっそう神々しくその存在感を高めてきます。中山町から寒河江市にかけての区間が特によく見えます。景観的には至福すら感じる景観体験でした。2023-03-15
83電柱と電線のある風景:つくば市→土浦市電柱と電線のある風景:つくば市→土浦市電柱と電線のない日本の風景を全国どこでも見たいものです。筑波研究学園都市の中心部を出ると同じつくば市内でもいきなり電柱と電線の風景を見続けることになります。ここでは土浦市までの風景をピックアップしましたが、同じような風景は全国に当たり前のように広がっています。 日本国民に景観意識が高まることを望むばかりです。2023-03-08
84丸の内:都市環境の変遷丸の内:都市環境の変遷東京ステーションギャラリーに東京駅周辺の都市環境の変遷がジオラマで展示されています。東京駅前に新丸ビルが竣工した1950以後の昭和時代の姿、そして高層ビルが立ち並ぶようになった現在の姿。旧丸ビルの高さを基準としビルの高さが100フィートに制限されていた時代のオフィスビルの画一的な高さのビルの連なりをその時代、子ども心なりに美しい都市景観と感じてきました。それが都市景観の規範にすらなっていたと思い返されます。が、今となっては「だからどうなの?」という思いが先に立ちます。 私が旧丸ビルの外観・内観を記録に収めておかなければと思ったのが1997年2月のこと。その頃丸の内はまだ味もそっけもないオフィスビル群でした。その後丸ビルは解体工事が始まり、現在の新しい高層ビルに建て替わりました。その後さらに2023-02-20
85夏目坂珈琲夏目坂珈琲2022年の4月に伺いました。 通っている大学の近くにある喫茶店です。店内は白基調の内装でスッキリとしています。またキャッシュレス決済限定で、今の時代ならではなのかなと感じました。 チョコケーキをいただきました。甘さ控えめな中にナッツで食感のアクセントがありとても美味しかったです。2023-02-18
86苺菓子 りつか苺菓子 りつか2022年の3月、金沢旅行へ行った際に立ち寄りました。 徒歩で最寄駅から倶利伽羅不動寺(往復6km!)まで山登りした後だったのでくたくたで、まるでオアシスのような甘味でした。 いちごのショートケーキをいただいたのですが、スポンジ生地が薄めでムースやラズベリーのジュレが挟まっていたりなど食べ応え抜群でした。また、粉砂糖を散らしたり、バラの花びらをかけたりなど仕上げを席で店員さんがやってくれました。 内装も和風なのですが、赤色の背景など特徴的で面白かったです。2023-02-18
87別所温泉の活性化 最終まとめ別所温泉の活性化 最終まとめ別所温泉の活性化 J22054 竹下倖生 まずこのテーマに決めた理由を述べたいと思う。私は昨年の夏から別所温泉の旅館でアルバイトをしている。そして働いてみていまいち活気がないなと感じた。温泉そのものはいいものだと素人目にもわかるが、何か物足りないと思った。その原因が何かを知りたく思ったためこのテーマにした。 次に、現在別所温泉は、4つの公衆浴場と旅館、多くの歴史的建造物を観光の目玉として推している。特に北向観音は有名だ。信州最古の温泉ということと、歴史的建造物をセットで押しているように見える。しかし私はそうは感じなかった。個々では推してはいるが、地域一帯でのまとまりのようなものが薄いなと感じた。しかしそれぞれがよいものであることは確かだ。それを町として推していくための方法を考えた。 2023-02-18
88初代国立劇場さよなら公演初代国立劇場さよなら公演2/15、国立劇場小劇場で文楽『女殺油地獄』を観てきました。さよなら公演と銘打っていますが、9月までさよなら公演が続くようです。建設当時は立派な劇場を作ったつもりでも、建物の陳腐化は避けられず。緞帳の美しさに慰められます。劇場はハレの空間であってほしいところですが、正直、毎回国立劇場の建物には失望を感じ続けています。ハレがましくなくチープなことに大きな原因があります。日本がまだ豊かとはいえなかった高度経済成長期の一時期にその頃の価値基準で作られた建物です。欧米の劇場のように100年経って風格も高まる質の高い文化とは異なり、日本の建築文化はどうしてこれほどまでに持続性がなく、チープ化するのか、この劇場で我慢し続けなければならないのかと国立劇場を訪れるたびに思っています。2023-02-17
89東京ステーションギャラリーの魅力東京ステーションギャラリーの魅力東京ステーションギャラリー 昨日2/15、佐伯祐三展を見に行ってきました。佐伯祐三の絵画に魅了されつつ、従来であれば単なる駅舎であった東京駅が110年の時を超えてハレのアーティスティックな空間へと昇華していることにも感銘を受けました。 ドーム状の駅舎の外観から伝わる美しさばかりではなく、内観の質の高さによってその美しさ、歴史の重みがより一層実感できるものとなっています。110年の時間経過が当時でなければなしえなかったデザインと施工の質の高さを引き立てたとも言えます。ここを美術館にリノベートしようという建築活用のデザインが貴い。窓枠に象嵌された丸の内の都市景観の美しいこと。人々が点描されているかのよう。まるでブリューゲル! 当時のレンガのむき出し感も2023-02-17
90上田電鉄とは?上田電鉄とは?上田地域にはたくさんの企業や施設、団体があり、それぞれ星の数ほどに課題があります。一般企業も数多くありますが、せっかく上田市のことを学ぶので、上田地域にしかない企業はどうだろう、上田市の象徴のような企業はどうだろうと考え付きました。そこで、中心地の上田駅から塩田平を経て別所温泉へ至る上田電鉄について考えることにしました。 上田電鉄別所線は1921年に川西線として開通し、以降上で気を中心に放射状の路線が広がっていきました。 70年代にはモータリゼーションによって経営危機、実際にその十年後には同様の理由で真田・傍陽線などが廃止されました。 しかし別所線だけは観光需要もあってか存続され、税金が源泉の補助金によって経営状態は回復しました。結果的に積極的な設備投資や新幹線の開通もあり、2023-02-15
91持続的な地域活性化になる条件とは卒業論文発表会後の結論の再考の取り掛かり持続的な地域活性化になる条件とは卒業論文発表会後の結論の再考の取り掛かり再考の取り掛かり:整理 もう一つの考え方として、現時点での「地域活性化が持続的になる条件」について整理したことをまとめました。 持続的な地域活性化になる条件のキーワードは「内発的な動機」にあると捉え、この「内発的な動機」が持続的な地域活性化の原動力になっていると考えました。 そしてこの「内発的な動機」とは主に「インタレスト・やりがい・生きがい」であり、これが「インタラクティブなコミュニティ」により醸成されます。 これは、コミュニティ内でインタラクティブな交流が行われることにより、「意見や活動のブースト・帰属意識・自分事として認識・横の繋がりの形成・責任感」といったものが育まれ、これが「内発的な動機」の醸成に繋がっているためです。 実例として、ガルパンファンは対面とSNS上の2023-02-11
92まとめまとめ https://jpsearch.go.jp/item/dignl-848938 明治時代と現代の美容について比較してわかったことは、いまも昔も変わらず日本人女性の美意識は高いことである。 年相応で、素材を活かす化粧が愛されるのは昔から変わっておらず、日本人女性の繊細な美意識からくるものであることがわかった。 意外だった点は、化粧水、パーソナルカラー、色の組み合わせの概念が明治時代からあった点である。 この分析を通して、一人の日本人女性として「日本人の美しさ」を大切にしていきたいと思った。2023-02-08
93情報通信文化論 まとめ情報通信文化論 まとめ今回の調査を通して、真田氏はもちろん、仙石氏と松平氏という上田の発展に尽力した三家について知ることが出来た。特に真田氏以外の2家は今回の調査を通して初めて知る事も多かった。真田氏のみがフォーカスされているのが現状なので、もっと人々に知られる機会を作るのが良いかもしれないと感じた。2023-02-08
94明治時代のスキンケア、パーソナルカラー明治時代のスキンケア、パーソナルカラー日傘は廃れ、西洋風の小型な蝙蝠傘が流行っていた。雨の時は不便であるが、「流行のため仕方がない」と言われているのが面白い。 流行に振り回される当時の人の苦労が垣間見えた。 青みがかった顔色の人は紅色、茶色の傘を選ぶと顔色とうまく調和する。青、紫、緑は顔が尚更青ざめてみえ、黄色の顔色が悪く見える。 赤みがかった顔色の人は、青、紫、緑色の傘を選ぶと顔色とうまく調和する。紅、茶色は顔が尚更赤く見える。 現代の「ブルーベース」「イエローベース」は最近生まれた概念だと思っていたが、明治時代から存在していた。 明治時代の人はグリセリンを水に溶いたものを顔に塗り保湿していた。現代の化粧水の主な成分にグリセリンは含まれている。また、肌が白いのが美しいとされている価値観は明治時代から変わっていな2023-02-08
95明治時代のお洒落と色明治時代のお洒落と色 https://jpsearch.go.jp/item/dignl-848938 婦人の装飾には二方面があり、そのいずれもおざなりにはできない。二方面とは第一が肉体の美、第二が服飾の美とある。 肉体の美とは、紅を塗り白粉を施しあるいは肉色を麗しくはせ、あるいは穢れを着けず、あるいは手の指を美しくさせ、あるいは爪紅を入れあるいは顔立ちによって白粉の塗り方を違える。 顔色を良くする化粧や、顔立ちによって化粧を変える等は現代と共通していることがわかる。 服飾の美とは髪の飾りから始めて、衣服、指輪、下駄など体の格好に応じて帯の締め方もあり、顔の色に応じて半衿や羽織などの色の去り嫌いもあり、良くも悪くもこれひとつでどうでもなる。とある。 顔の色に応じて服装や化粧を変えるのは、今で言う「パーソナルカラ2023-02-08
96明治時代から女性の化粧はマナーだった明治時代から女性の化粧はマナーだった https://jpsearch.go.jp/item/dignl-848938 明治時代の書籍「化粧と服装」によると、「婦人は世のため装飾する義務を持つ」とある。 女性がメイクをするのはマナーであることは、明治以前から言われていた。 「婦人が身を装う事必ずしも惹こうとの目的のみではない」 「装飾に身分と年齢との相応の程度のあるべき事」 年相応のメイクが求められているのは現代と変わらないことがわかった。 「身だしなみの心得は、第一が色の配合、第二が形の配合」とされている。 「自然の理に適っているのが装飾の最上となるのである」と書かれていることから、現代でも日本でナチュラルメイクが好まれている所以がわかった。2023-02-08
97花岡みよし花岡みよし花岡は、明治25年鍛冶町に生まれた。太平洋戦争の終戦を期に、女性の積年の願いであった婦人参政権が認められ、昭和21年の総選挙は女性の初参加で行われ、国会の女性議員は39名という驚異的な結果となった。女性の政治への進出は地方にも波及し、「女性議員を出そう」の機運は上田でも高まっていった。市議会議員候補者に何人か上がったが、最後はともに婦人団体活動でリーダーを長く経験した花岡と金子ふじが候補者として選ばれた。 女性の権利が認められていないことが多い時代に女性が活躍していけるように努力を続けた人だった。 参考…上田人物伝 https://museum.umic.jp/jinbutu/data/023.html2023-02-08
98まとめまとめここまでいくつか記事を上げてきたが、やはり、歴史に残っているのは、そばである。もし、うどんがもう少し何かあれば歴史に残っているだろう。つまりそういうことなのだということが分かった。 信州そば、戸隠そば、くるみだれ、くるみみそだれ…etc 有名なそばが、信州そばのほかにもあり、たれもつゆだけではない。そう考えると、そばってすごいなあとしみじみ思う。2023-02-08
99うどんの句集はないようだうどんの句集はないようだ信州デジタルコモンズにて、「蕎麦」または「そば」と調べてみると、句集が出てくる。「そばきり集」や「うすずみ集」と。そばきり集の写真を載せる。 そばきり集に、編集者の篶人「蕎麦切の味もなくなる五月かな」と辞世を残して亡くなったとある。 このことから、昔から長野県にとって、そばは親しまれていることが分かった。 ☆そばきり集→https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/library/02BK0104169768 うすずみ集→https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/library/02BK01041699252023-02-08
100長野県の食文化と食生活について長野県の食文化と食生活について長野県は冬に雪が積もったり、8つの県と隣接したり、県の面積が大きいなど多くの特徴を持つ県である。その中で長野県は北信地方、南信地方、東信地方、中信地方の4つの地域に分かれてその地域ごとに食文化が生まれてきた。長野県が代表する食べ物で多く挙げられるのが、「おやき」「野沢菜漬け」「手打ちそば」である。これらは長野県選択無形民俗文化財に登録されたものである。この中でもとくに有名なものが「おやき」である。長野県ではかつて一日三食のうち一食は粉食(小麦粉や蕎麦粉を使った料理)を食べる習慣があった。「おやき」は日常的に食べられるだけではなく、生地を練って「まるめる」「まとめる」ため、おめでたい意味を込めてハレの日や人が集まる日のもてなし料理としても作られてきた。 参考文献・・・https://www.ma2023-02-08
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