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1信州が蚕糸王国ってホント? ポスト蚕糸業(産業)の視点から信州が蚕糸王国ってホント? ポスト蚕糸業(産業)の視点から信州が蚕糸王国ってホント? ポスト蚕糸業(産業)の視点から(講演採録全文) 講師:前川道博(長野大学企業情報学部教授) ▼元の講演はコチラ https://youtu.be/yS-xdWDMTwE?t=2779 信州学「信州の蚕糸業とシルクロード」講座 第2回  2016年10月6日/まちなかキャンパスうえだ

【1】蚕糸業って何? 蚕種製造、養蚕、製糸

■そもそも蚕糸業とは?

 今回、この講座は、多くの方に、後からも学習していただけるように、ということで、オンデマンド配信することを想定していますので、全く初めての方がこれを見ると「えっ? 蚕糸業って何?」、そういう基本的な疑問ですね。これを最初の方は誰もわからないわけです。その辺のところも含めてお話をさせていただきたいと思います。
2021-07-15
2滋野村道路元標滋野村道路元標大正8年の道路法(大正道路法)で、全国の市町村に道路元標が設置されることとなり、長野県は大正11年の長野県告示で各市町村の道路元標の位置を指定しました。 小県郡滋野村の道路元標は、滋野村役場跡(現滋野コミュニティセンター)の敷地の西端に建てられています。2021-07-14
3人物16 林希言人物16 林希言希言は上田藩士。道信(原泉)の孫。初名道理、字は有中又士寛、金渓と号す。兄弟五人希言は其長なり。(以下略) 『上田市史・下巻(1940)』1208・1209頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2021-07-14
4人物12 林道信人物12 林道信道信は上田藩士。通称は四郎兵衛。 原泉、また有隣と號す。(略) 『上田市史・下巻(1940)』1205頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2021-07-14
5信州が蚕糸王国ってホント? ポスト蚕糸業(産業)の視点から信州が蚕糸王国ってホント? ポスト蚕糸業(産業)の視点から信州学「信州の蚕糸業とシルクロード」講座 第2回 信州が蚕糸王国ってホント? ポスト蚕糸業(産業)の視点から 講師:前川道博(長野大学企業情報学部教授) 日付:2016年10月6日 会場:まちなかキャンパスうえだ <目次> 【1】蚕糸業って何? 蚕種製造、養蚕、製糸 【2】蚕糸王国長野県と蚕糸業 【3】ポスト蚕糸業 【4】未来への贈り物2021-07-13
6信州と風穴:知識の新たなフロンティアとしてのデジタルアーカイブ信州と風穴:知識の新たなフロンティアとしてのデジタルアーカイブ著者:前川道博(長野大学企業情報学部教授) 「第4回全国風穴サミットin信州小諸」(2017年)の記念誌に寄稿した原稿の再掲です(pp.88-95掲載)。 《目次》 1.信州デジタルコモンズ創成と風穴アーカイブ (1) 「風穴」データをアーカイブサイトに載せて遍在させる (2) 風穴を知る資料の発掘とシェア (3) 信州デジタルコモンズ構想 (4) 地域に偏在していた蚕糸業と風穴をシェアする方向へ 2.風穴の蚕種冷蔵と信州・上州のつながり (1) 蚕糸王国信州の実態 (2) 信州風穴の蚕種冷蔵の数量 (3) 小諸の風穴が果たした役割の大きさ (4) 上州の蚕糸業に貢献した小諸の冷蔵蚕種 (5) 田島本家と氷風穴蚕種との関連 3.最後に2021-07-12
7信州が蚕糸王国ってホント? ポスト蚕糸業の視点から信州が蚕糸王国ってホント? ポスト蚕糸業の視点からPDF資料は右上の「ダウンロード」を選んで御参照ください。 信州学「信州の蚕糸業とシルクロード」講座第2回 2016/10/06(木) 19:00~21:00 まちなかキャンパスうえだ レクチャー:ポスト蚕糸業(産業)の視点から  講師:前川道博(長野大学企業情報学部教授) 2021-07-11
8日本シルクロード講座・横浜編(6)まちあるき・汽車道ルート日本シルクロード講座・横浜編(6)まちあるき・汽車道ルート2011年10月30日 横浜まちあるき ガイド:嶋田昌子=横浜シティガイド協会 信州上田は横浜開港当初から横浜の生糸売込商を通じ、欧米諸国との貿易で栄え、後に蚕都と呼ばれました。学びあい講座では上田との交易の足跡をまちあるきして探訪しました­。

横浜まちあるき(2)汽車道ルート・ダイジェスト版

5分でまちあるきの概略を掴むことができます。

横浜まちあるき(2)汽車道ルート・ノーカット版

35分 「日本シルクロード学びあい講座・港都横浜編」蚕都上田プロジェクト主催 <講座2日目> (1)横浜まちあるき・汽車
2021-07-11
9日本シルクロード講座・横浜編(5)まちあるき・馬車道ルート日本シルクロード講座・横浜編(5)まちあるき・馬車道ルート2011年10月30日 横浜まちあるき ガイド:嶋田昌子=横浜シティガイド協会 信州上田は横浜開港当初から横浜の生糸売込商を通じ、欧米諸国との貿易で栄え、後に蚕都と呼ばれました。学びあい講座では上田との交易の足跡をまちあるきして探訪しました­。

横浜まちあるき(1)馬車道ルート・ダイジェスト版

5分でまちあるきの概略を掴むことができます。

横浜まちあるき(1)馬車道ルート・ノーカット版

52分 「日本シルクロード学びあい講座・港都横浜編」蚕都上田プロジェクト主催 <講座2日目> (1)横浜まちあるき・馬車
2021-07-11
10日本シルクロード講座・横浜編(4)上田と横浜の歴史アラカルト日本シルクロード講座・横浜編(4)上田と横浜の歴史アラカルト2011年10月29日 会場:北仲BRICK(横浜、旧帝蚕倉庫事務棟)

講座「上田と横浜の歴史アラカルト」ダイジェスト版

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講座「上田と横浜の歴史アラカルト」ノーカット版

45分 「日本シルクロード学びあい講座・港都横浜編」蚕都上田プロジェクト主催 <講座1日目> (4)上田と横浜の歴史アラカルト、横浜まちあるきのみどころ 講師:  前川道博(長野大学企業情報学部准教授、蚕都上田プロジェクト事務局長)  水島久光(東海大学文学部教授、北仲スクール) 特別ゲスト:  浦辺信子
2021-07-11
11日本シルクロード講座・横浜編(3)日本初の生糸輸出は信州上田から日本シルクロード講座・横浜編(3)日本初の生糸輸出は信州上田から2011年10月29日 会場:北仲BRICK(横浜)

講座「日本初の生糸輸出は信州上田から」ダイジェスト版

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講座「日本初の生糸輸出は信州上田から」ダイジェスト版

38分 「日本シルクロード学びあい講座・港都横浜編」蚕都上田プロジェクト主催 <講座1日目> (3)日本初の生糸輸出は信州上田から 講師:阿部勇(上田歴史研究会会長) (撮影・編集 森田文和@おらほ放送局)  
2021-07-11
12日本シルクロード講座・横浜編(2)横浜開港と生糸貿易日本シルクロード講座・横浜編(2)横浜開港と生糸貿易2011年10月29日 会場:北仲BRICK(横浜)

講座「横浜開港と生糸貿易」ダイジェスト版

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講座「横浜開港と生糸貿易」ノーカット版

58分 「日本シルクロード学びあい講座・港都横浜編」蚕都上田プロジェクト主催 <講座1日目> (2)横浜開港と生糸貿易  講師:小泉勝夫(シルク博物館元部長) (撮影・編集 森田文和@おらほ放送局) ※肩書等は2011年当時のものです。
2021-07-11
13日本シルクロード講座・横浜編(1)新しい地域学習のすすめ日本シルクロード講座・横浜編(1)新しい地域学習のすすめ2011年10月29日 会場:北仲BRICK

講座「新しい地域学習のすすめ」ダイジェスト版

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講座「新しい地域学習のすすめ」ノーカット版

67分  「日本シルクロード学びあい講座・港都横浜編」蚕都上田プロジェクト主催 <講座1日目> (1)新しい地域学習のすすめ  講師:水島久光(東海大学教授)、前川道博(長野大学准教授) (撮影・編集 森田文和@おらほ放送局) ※肩書等は2011年当時のものです。
2021-07-11
14日本シルクロード講座・横浜編・ダイジェスト版日本シルクロード講座・横浜編・ダイジェスト版 ダイジェスト版25分 2011年10月29日 会場:北仲BRICK(旧帝蚕倉庫事務棟、横浜) 提供:蚕都上田プロジェクト 横浜を訪ねて上田を知る。蚕都上田全盛時の生糸貿易とゆかりのある歴史的建造物「旧帝蚕倉庫」(信州の生糸が貯蔵された倉庫)の事務棟を会場に横浜と上田の人々がお互いの地域の歴史を学びあいました。 講座内容 (1)新しい地域学習のすすめ 講師:前川道博(長野大学准教授)、水島久光(東海大学教授) (2)横浜開港と生糸貿易 講師:小泉勝夫(シルク博物館元部長) (3)日本初の生糸輸出は信州上田から 講師:阿部勇さん(上田歴史研究会会長) (4)上田と横浜の歴史アラカルト  講師:前川道博+水島久光 ゲスト:浦辺信子(上田藩松平家直系御子孫) (撮影・編集 森田文和@おらほ放送局) ※肩書2021-07-11
15二十三夜塔(東御市出場)二十三夜塔(東御市出場)東御市出場の祢津街道沿いにある二十三夜塔。二十三夜塚と彫られています。2021-07-08
16「つながれ いのち」「つながれ いのち」長沼地区を散策していると、国道の歩道の足元に地蔵があることに気が付いた。そこには「つながれ いのち」と書かれていた。2021-07-05
17鉄道をテーマにした動画投稿研究に関する中間報告(2021/7/5)鉄道をテーマにした動画投稿研究に関する中間報告(2021/7/5)7月5日ゼミ内の中間報告の資料です。 詳細は添付してある資料をご覧ください。2021-07-04
18端山貢明語録/現代の時代様式とは?端山貢明語録/現代の時代様式とは? 街中によかれと思って展示されているロダンの彫刻への疑問に端を発し、「現代の時代様式」はダイナミックな混淆状態にあるという端山さんらしい社会現象の構造把握。そろそろ現代の時代様式が形になってよいという提言。 (メディアテーク研究会@大阪芸術大学 2003/01/31の記録)2021-07-04
19野澤敬氏による小諸の歴史「糸のまちと戌の満水」野澤敬氏による小諸の歴史「糸のまちと戌の満水」▲解説資料『「糸のまち」と「戌の満水」を巡る」 長野県小諸市の巡検イベント「糸のまち・こもろの歴史歩き」(糸のまち・こもろプロジェクト主催)に先立ち、野澤敬氏が小諸の製糸の歴史と戌の満水にいて解説した説明の記録。公開を想定して録音したものでないため、雑音が入り聴きにくくなっている点、どうぞご了解ください。 (2015/09/19、会場:北国街道ほんまち町屋館)2021-07-04
20二十三夜尊(上田市下和子)二十三夜尊(上田市下和子)鹿教湯へ向かう県道沿い東内に「二十三夜」と刻まれた月待塔をがあります。下和子自治会で設置した「二十三夜尊」という説明板が建てられています。2021-07-02
21戸隠神社戸隠神社急峻な山容と、裾野を潤す豊かな水が、 古くから農耕民に仰がれ、 水をつかさどる神・九頭龍が棲む所とあがめられていた戸隠山。 鎌倉時代の仏書「阿娑縛抄(あさばしょう)」には、 849年、戸隠山を開山した行者・学問が窟の中で祈念して 九頭一尾の龍が現れたことが記されています。 その後は、多くの修験者が入り、 信仰と修験者のメッカとして栄えた神域・戸隠。 その名残は今も、戸隠古道や戸隠神社、宿坊にみられ、 毎年春から秋にかけて全国から講仲間が大勢この地を訪れ、 代々継がれてきた御神楽、祭りの数々が献奏されます。 戸隠奥社2021-05-16
22美ヶ原高原美ヶ原高原上田市、松本市、小県群長和町にまたがる高原。 行き方は車でいくのが妥当。原付では割と疲れると思います。標高約2000mもあり、辺り一面を見回すことが出来ます。晴れていれば富士山も見えるらしいです。 ここで買うことが出来るソフトクリームはとてもおいしいです。テラスで景色を見ながら食べることが出来るのでカップルにもおすすめです。 ドライブもおすすめでくねくねした道は走り甲斐があると思います。2021-05-14
23地域学講座②地域の資料探しと成果物のネット展示地域学講座②地域の資料探しと成果物のネット展示(1)探求テーマに沿った資料探し 12分 講師:前川道博(長野大学企業情報学部教授) 講座資料(PDF) (2)それぞれの探求テーマとQ&A 48分 受講者の皆さん+講師 (3)キュレーション成果のネット公開 講師:前川道博(長野大学企業情報学部教授) ※動画記録は後日公開します。 講座資料(PDF)2021-05-10
24下半過 大慈(いつくしみ)の湯下半過 大慈(いつくしみ)の湯下半過 大慈(いつくしみ)の湯は上田-坂城バイパスから旧道へ抜け、下半過の農道を進むと見えてくる鉱泉湧出です。 この湯は、観世音菩薩藩の大慈大の誓いが世に現れたものとされ、近隣住民などからは大慈の湯、ないし下湯と呼ばれています。 泉温が1999年時点では24.8℃、pH7.2、蒸発残留物量は0.2g程度の冷鉱泉です。 総硫黄としては硫黄泉の定義には足りていませんが、源泉周囲では硫化水素があり、非常に薄い硫黄泉であるとも考えられます。 2020年春ごろまでは源泉付近に案内板が建てられ、温泉スタンドとして観光客や遠方の人々に開放されていましたが、2020年の夏~冬ごろに発生した土砂崩れの影響で源泉の湧出が停止し、看板も撤去され実質的に廃湯となっているようです。 近辺にあるびんぐし湯さん館とは泉質が近いようです2021-05-07
25上田城跡公園 遊歩道上田城跡公園 遊歩道2021年5月5日 上田公園の遊歩道です。2021-05-06
26千曲公園千曲公園鼻岩の上にある千曲公園の景色です。2021-05-06
27岩鼻岩鼻道と河の駅の横にある。岩肌が削れ、鼻の穴のようになっている。2021-05-06
28馬車鉄道石碑馬車鉄道石碑何故かミニストップ(コンビニエンスストア)の裏にある石碑。明治時代に鉄道が栄える前に存在していた馬車による鉄道の停車場跡地。 歴史の存在を思わせる。2021-05-06
29上田城跡公園 さくら上田城跡公園 さくら2021年の桜です。 ライトアップされており、とても綺麗です。2021-05-06
30半過古墳群半過古墳群縄文、弥生、平安時代のものが見つかっているそうです。2021-05-06
31樋之詰(とよのつめ)樋之詰(とよのつめ)別所温泉石湯から森林公園へ至る道の最中に突如として現れる野湯(?)。 これは正式名称を樋之詰(とよのつめ)と言い、湯川をボーリングした源泉をポンプによって揚湯し、近隣住民の生活用水として供しているもののようです。 水温はおよそ20.4℃、pHは8.95。泉質はほかの別所温泉群と同じく、単純硫黄泉と思われます。 民家の真横という立地も相まって浴びたり入ったりはまず不可能。 開湯時期は不明。 別所温泉の歴史は古く、その多くの期間を源泉の自然湧出のみで乗り越えてきました。 しかし、別所温泉源泉の湧出量は年々減少し、それに対する策として昭和30年頃からボーリングによる掘削が行われました。樋之詰もその開発の一環で開発されたものだと思われます。2021-05-06
32善光寺花回廊善光寺花回廊様々なお花のアートが見られ、町を華やかで鮮やかに彩ってくれます。コンテストも開催されました。2021-05-06
33岩国駅前岩国駅前岩国駅前です。 岩国の中ではここが一番栄えています。 ガネーシュというカレー屋さんがおいしいです。2021-05-06
34つみつみいちごファーム(岐阜県)つみつみいちごファーム(岐阜県)岐阜県本巣市にあるいちご狩り園です。岐阜県の特産である濃姫という品種のいちごを食べ放題でいちご狩りができます。濃姫を食べてみると甘みと酸味の両方を感じます。近くにはカフェもあり新鮮ないちごを楽しむことができます。2021-05-05
35山居倉庫山居倉庫米どころ庄内に1893年に建てられた米保管倉庫。 NHK朝の連続テレビ小説「おしん」のロケ地にもなった。 現在も現役で利用されている農業倉庫で、2021年3月26日に国指定史跡に認定された。 美しいケヤキが構える、ケヤキ並木も観光スポットとして有名だ。2021-05-05
36cafe and bal LIFEcafe and bal LIFE赤坂上駅から徒歩約5分。脇道を入ったところにある隠れ家的存在。おしゃれな内装で、落ち着いた雰囲気。2021-05-05
37楽器専門店ブリリアント(福島市)楽器専門店ブリリアント(福島市) ふくしん夢の音楽堂、古関裕而記念館の道路を挟んで向かい側にある楽器店です。ここは、音楽に関係する施設やお店が集まっている場所です。  以前は、近くの別の場所にあり、店舗も狭く知名度も低かったようですが、新しい店舗になり音楽教室なども開くようになりました。コンサートホールの目の前にある楽器店なので、本番直前に寄ることもできて便利だと思います。  福島市の吹奏楽部、管弦楽部の学生たちはお世話になったことがある人も多いのではないでしょうか。学校に来て、修理をしてくれたり新しい商品を見せてくれたりする地域に密接した楽器店です。2021-05-05
38柳町柳町北国街道沿いの家並みが残る通り。現在では信州上田の魅力的な名物・銘品を扱う店舗が並ぶ、江戸時代の面影を残した上田城下の商い処。昔ながらの街並みがとてもいい雰囲気を醸し出している。写真ではなかなか伝わらないので実際に行ってみることがおすすめ。2021-05-05
39松川(福島県)松川(福島県) 松川は、山形県米沢市および福島県福島市を流れる一級河川です。写真は福島市で、国道4号線の上を通る松川橋とともに撮影したものです。近くの中学校の校歌の歌詞に入るほど、昔から身近な川として、花火大会が開かれるなど地元の人々に利用されてきました。  また、1600年に起きた関ヶ原の戦いとともに松川の戦いが展開された地でもあることを初めて知りました。上杉景勝率いる西軍上杉軍と、福島に攻め込んできた伊達政宗率いる東軍伊達郡による戦いが「松川の戦い」です。  登下校で毎日通っていた橋の下で、過去には戦いがあったことを知ると、これまでとは違った思いで通ることができます。2021-05-05
40上田城跡公園体育館上田城跡公園体育館バレーボール2面、バスケットボール2面、バトミントン8面、柔道、剣道場があり、十分整えられている。午前9時から午後9時まで開場している。使用料は競技場の場合は1時間につき2030円、柔道場、剣道場は1時間につき500円の模様。2021-05-05
41思い出のベンチ思い出のベンチ時間 18時 天気 曇り なかなか気づかないものではありますが、上田にはベンチがいたるところにあります。ここは私が中学生のときによく友達と帰り道にだべっていた場所です。一見なんでもない、この空間はだれかにとっては思い出の場所だったりします。どうかこういう場所がこの先も残ってほしいですね。2021-05-05
42道の駅米沢道の駅米沢名物の米沢牛や米沢ラーメン、さくらんぼなどの旬の農作物、観光情報がたくさんあります。米沢土産も豊富に品揃えされています。2018年にオープンしたばかりの綺麗な内装と広い休憩スペースや駐車場があり、ICからも近いため地元から県外の人まで多くの方に利用されています。トイレが広くてきれいなので、よく利用します。2021-05-05
43太郎山裏参道太郎山裏参道太郎山には複数の登山コースがあり、裏参道は山頂まで2.3㎞で約1時間~1時間半で登ることが出来るコースです。 道中には湧き水の流れる水場や、太郎山民族遊歩の案内板があります。GW中の登山では多くの種類のスミレを見ることが出来ました。2021-05-05
44大山祓神社大山祓神社大山祓神社太郎山裏参道登山口までの林道脇にある神社です。2021-05-05
45北国街道北国街道北国街道とは野尻から追分まで続く江戸幕府によって整備された脇街道で日本の街道の1つです。小諸市のある場所から撮ったが、ここを見ていると現代とはまた違うレトロな印象を与え、残存し続けているのが面白い。2021-05-05
46しなの鉄道線路しなの鉄道線路 しなの鉄道の線路を上田自動車学校の近くの道路から撮影した写真。私の地元では、真上から線路を見るためには駅構内に入らなければならないが、上田では駅に入らなくても線路がはっきりと見える。このような場所でも上田の特徴が表れているのではないだろうか。2021-05-05
47安楽寺安楽寺安楽寺では、ご本尊に釈迦牟尼仏。 両脇に文殊と普賢の菩薩をまつっている。 本堂に突き当たって左の階段から国宝八角三重塔へ向かうことができる。 参道沿いには重要文化財や記念碑が並ぶ。 安楽寺は禅宗としては、鎌倉の建長寺と並んで日本では最も古い臨済禅宗寺院の一つです。 1588年頃、高山順京が曹洞宗に改めました。 高い山の上でひっそりとたたずむ安楽寺には神秘感が漂います。 かやぶき屋根で厳かな雰囲気の安楽寺に心が浄化されます。2021-05-05
48七苦難地蔵尊堂七苦難地蔵尊堂別所温泉駅から北向観音境内に向かう道の途中にある立派な地蔵尊堂。 北向観音の別当である安楽寺の地蔵尊をこの場所に設置し七苦難地蔵尊として祀ってある。 地蔵尊堂でこれほど立派なものは見た事がなく驚いた。 地蔵尊堂にはたくさんの名札が貼られていた。 お供え物もしてあり、別所温泉の地域の人々に大切に、愛されていることがわかる。2021-05-05
49太郎山神社太郎山神社太郎山神社は登山道の山頂付近にある神社です。 本殿は明治6年に再建され、平成元年には上田市指定有形文化財に指定されています。 神社の側には休憩所があり、そこから上田市を眺めることが出来ます。2021-05-05
50夜の眞田神社と夜桜夜の眞田神社と夜桜夜の眞田神社で撮影した夜桜の写真。参道に覆いかぶさるように開花している桜がきれいで印象的。2021-05-05
51島屋菓子舗島屋菓子舗別所温泉、北向観音裏参道にある和菓子の専門店「島屋菓子舗」。 季節のお菓子を中心に、自家製オリジナル製の商品の製造販売を行っています。 一個から厄除饅頭を買うことができるお饅頭屋さん。 どら焼きやバターどら焼き、黒胡麻クルミ餅なども購入可能。 別所温泉には島屋菓子舗以外にも、鹿教湯温泉中程に位置する「塩川菓子舗」さんや「手塚屋製菓舗」などの和菓子屋さんで、厄除饅頭を販売しています。 別所温泉で厄除饅頭のお気に入りのお店を見つけることもできそう。 お土産や小腹の空いたときにおすすめだと思いました。2021-05-05
52日暮れの真田神社日暮れの真田神社時間帯 17時 天候 晴れ 真田神社の絵馬を吊るしている通りは上田城跡公園の写真スポットのひとつでもあり、今どきの若い人たちには撮ってみたい写真の一枚ではないだろうか。 日が出ている時間帯は特に写真を撮るのが好きな人は訪れてほしい場所の一つである。2021-05-05
53深志神社深志神社 松本駅から徒歩15分ほどの場所に鎮座される深志神社は、1339(暦応2)年に創建された歴史と由緒のある神社です。    建御名方富命(お諏訪さま)と菅原道真公(天神さま)をお祀りしている深志神社には初詣や学問の合格祈願などに多くの人々が訪れます。私も高校受験の前に合格祈願に参拝し、合格後はお礼参りにも足を運ばせていただきました。  鮮やかな朱に塗られた神楽殿,拝殿が印象的で、見る人々を惹きつけます。 参考及び画像引用:深志神社公式 https://www.fukashi-tenjin.or.jp/ 画像アドレス:https://www.fukashi-tenjin.or.jp/wp-content/uploads/2020/09/DSC07874-scaled-e1599961091406.jpg    2021-05-05
54西部地域-2西部地域-2花桃イベントの駐車場にあった坂の道路標識。私の出身である石川県七尾市では、このような道路標識は登山道にしか見たことがないが、撮影した場所はバイパスの近くである。このように、坂が身近にあるのも上田の特徴ではないかと考える。2021-05-05
55四柱神社四柱神社 松本市中心部に鎮座される四柱神社は、明治十二年に明治天皇の思し召しのもと創建された、比較的歴史の浅い神社です。  主神の天之御中主神はたいへん神位の高い神様でおられるため、「願い事むすびの社」として全国各地から参拝者が訪れます。    松本駅から松本城へ向かう道の途中にあるので、たいへん立ち寄りやすいかと思われます。鳩が集まる場所でもあり、エサもあげられるので少しのんびりした空気を楽しみたい方も足をお運びになってもいいかもしれません。   参考:四柱神社公式:https://www.go.tvm.ne.jp/~yohasira/ 画像引用:「日本の結婚式」https://nihon-kekkon.com/wakon/yohasira/ 画像アドレス:https://nihon-kekkon.com/common/img/uploads/2018/11/cea6b5f8a4e14a19bc2efdbaa932cd4014948c05-2.jpg2021-05-05
56養老焼肉街道養老焼肉街道岐阜県養老町にある養老焼肉街道です。 焼肉屋や、精肉店、バーベキュー場など肉に関わるお店が密集してあるため焼肉街道と呼ばれています。養老町には食肉卸の会社が多くあり、小売店を挟んでいないため焼肉街道のお店では安く肉を提供しています。 美味しい肉を安く食べることができ幸せになれます。2021-05-05
57養老駅養老駅岐阜県養老町にある養老駅です。 養老駅では、入り口に掲げられている駅名の看板や、駅前のオブジェ、駅の天井などに養老町の名産品のひょうたんがあります。 風のある日には、天井からぶら下がっているひょうたんがぶつかり合いきれいな音を奏でています。2021-05-05
58雨宮刑部の墓雨宮刑部の墓武田氏と村上氏の合戦である上田原合戦でなくなった村上側の武将、雨宮刑部(あめみやぎょうぶ)のお墓。道外れにひっそりと立っている。現在は公園や野球場がある場所で、合戦があり多くの人が亡くなったという事を知ることができた。また今自分がいる所は、昔何が行われた場所なのかに興味を持たせてくれた。2021-05-05
59岩国の象徴・錦帯橋岩国の象徴・錦帯橋こちらは山口県岩国市の象徴である「錦帯橋」です。 日本三大名橋のひとつです。 今はただの橋になってしまいましたが、昔は岩国城に敵が攻め込もうとした際に道をふさげるように、板を一本抜くとすべて崩れるようになっていたそうです。2021-05-05
60養老の滝養老の滝岐阜県養老町にある養老の滝です。 この滝には、親孝行の息子が滝の水を汲むとその水がお酒に変化し、そのお酒を飲んだ父親の病が治ったという親孝行伝説のある滝です。 駐車場から30分程度山道を歩かなければならなく、大変ですが、とても素晴らしい景色です。2021-05-05
61上田市消防団第12分団第11班の倉庫上田市消防団第12分団第11班の倉庫上田市消防団第12分団第11班の倉庫だと思われしもの。 横には、道具らしきものがあった。だいぶ古い。錆びている。2021-05-05
62太郎山から持ってきた石らしい太郎山から持ってきた石らしい石が重なってある灯篭みたいなもの。 昔から、これは何なんだろうと思っていた。 祖母に聞いてみると、ひい爺ちゃんの時代(戦争前or戦争中)に太郎山という山から、石を持ってきたらしい。 詳細は、不明。2021-05-05
63道祖神道祖神道祖神のお祭りの日、時間帯は夜です。 夜に太鼓を持って、地域を回ります。「道祖神のお祭りだ~~!」と言いながら、太鼓を鳴らし、数人の子供たちでまわりに行きます。数人は、道祖神のところで待っています。2021-05-05
64道祖神道祖神道祖神の祠は、山口地区のいくつかの場所にあります。 ここの場所は、道祖神の日、奥の神社らしきところの扉が開きます。子供たちは、その中に座って道祖神の日を楽しみます。 お菓子や甘茶、豚汁などがあったりします。2021-05-05
65道祖神の時に渡すお札道祖神の時に渡すお札写真は、家の壁に貼ってあるものです。 このような習字の時に使うような紙に、ハンコのようなもので押して作っていきます。 私自身、小学生の時に地区の友達と一緒に作りました。 猿田彦大神は、その昔、天孫降臨の時の道案内をしたと言い伝えられている神様だそうです。 ★天孫降臨とは… 天皇家の由来と古代国家の起源に関する神話。天照大神が孫の瓊瓊杵(ににぎ)尊に神宝(三種の神器)を与え,天壌無窮の神勅を発し,天児屋(あめのこやね)命などの神々を供に高天原から日向(ひむか)の高千穂峰に降臨させたという。2021-05-05
66道祖神道祖神長野県上田市上田 山口地区には、道祖神という地区の行事があります。 「道祖神」と書かれている石の前に小屋などを一時的に建て、そこでお賽銭箱とお札を用意します。訪れて、お賽銭箱にお金を入れてくれた人に、お札をあげます。子供には、お札とお菓子をあげます。 お札は、小学生の手作りです。2021-05-05
67高仙寺参道並木高仙寺参道並木 市の指定記念物になっている杉並木。ハイキングコースに利用している人も多い。下から見る並木道はものすごくきれいである。  保育園の時には、遠足でここに座りお弁当を食べていた。とても懐かしい。2021-05-05
68諏訪湖諏訪湖諏訪湖の方にも行ってみた。 綺麗だった。2021-05-05
69松本の道松本の道上田市だけでなく松本市に行ってみて探検してみた。 柳町のような昔の雰囲気を醸し出している。2021-05-05
70残照館残照館ここは「信濃デッサン館」という私設美術館を閉館してから出来た場所である。 この残照館という名前は日暮れのせまった道を歩く男の感傷から生まれた館名である。 ここも素晴らしい作品が多いと感じたのでぜひ見に行ってほしい。2021-05-05
71長良を跨ぐ大橋、忠節橋長良を跨ぐ大橋、忠節橋長良川を渡る際に使われる大きな橋。長良川を紹介したのであればこの橋の存在を忘れてはならない。岐阜市民にとってこの橋の恩恵は大きく、もしも建てられていなければかなり不便だろう2021-05-05
72岐阜市民の足、岐阜駅岐阜市民の足、岐阜駅岐阜駅は岐阜市民なら必ず利用したことのある主要駅である。しかしその歴史が意外と長く、電車に詳しい人なら一度は聞いたことがあるであろう「東海道本線」が、現在も使われている。 その長い歴史を多くの人に知ってほしいため、発信した2021-05-05
73原田市神社原田市神社長野銀行の駐車場に堂々とした様子で建てられている神社です。今回の調査の中で一番小さい建物で、車で走っていたらなかなか気づきにくいこともあります。 なぜこんな所に建てられているのか気になり、調査しました。この神社の説明には、「城下町を造るにあたって市の守護神である高市事代主命を勧請して祀った神社」と書かれています。そして、ここまで小さくなってしまった原因は「第二次世界大戦後に道路が拡幅されたからだ」とも書かれています。供えられている供物や植えられている植物がしっかりと手入れされていたので、今でもなお忘れられず、崇拝されているのだと考えます。2021-05-05
74伊香保温泉伊香保温泉群馬県渋川市伊香保町にある温泉。草津温泉と並んで県を代表する名湯です。黄金の湯・白銀の湯といわれています。急傾斜地に作られた石段の両側に、温泉旅館、みやげ物屋、遊技場(射的・弓道)、飲食店などが軒を連ねています。365段の石段は温泉街のシンボルであり、この界隈は石段街と呼ばれています。石段の上には伊香保神社が存在します。  365段の石段を登った後の温泉や、神社はても気持ちいいです。到達したときの達成感や癒やしが他の温泉や神社と比べものにならないと思います。  伊香保で有名な湯ノ花まんじゅうは甘すぎず、とても美味しいです。 写真引用アドレス https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/8/82/Ikaho_Onsen_03.jpg/299px-Ikaho_Onsen_03.jpg https://www.dan-b.com/shop_imgs/outd_ikaho/tops/fba5907701458924baf727fd5fec3cc3.jpg2021-05-04
75日輪寺日輪寺バイト先へ向かう途中に毎回目に付いていたので気になり調査しました。日輪寺は天文14年(1545年)真田家の先祖である海野小太郎幸義公によって建てられた曹洞宗の寺です。町中にあり、さらに両隣には真新しい家や建物がありますが、門ををくぐるとガラッと景色が変わります。2021-05-04
76地域情報メディア論 商店街の様子地域情報メディア論 商店街の様子前橋市の商店街は写真を見てください。今はあまり人が多くありませんが、コロナウイルスが流行る前は年に何度もイベントを行って、道路の両端には屋台がたくさん出ます。人も普段より何十倍も来ます。写真の右側の奥には「イベント広場」があって、イベントがあるときには演奏をしたりダンスをしたりしてとても盛り上がります。1枚目の写真が現在で、2枚目の写真がコロナ禍前のイベントの時の写真です。これは7月に毎年行われていた七夕まつりの様子です。2021-05-04
77榛名湖榛名湖 上毛三山の一つ、榛名山の火山活動によって生まれた、標高1,100メートルにあります。年間を通じて美しい景観と自然を満喫できる高崎市で一番人気のアウトドアスポットです。爽やかな空気の中、ボートや遊覧船、オートキャンプなどが楽しめます。アニメ:頭文字Dの聖地です。  学校の行事で訪れたことがあり、キャンプファイヤーや登山、カッターなど楽しかった思い出があり今回訪れてみました。湖は大きいので広々とボートで遊ぶことができます。また、湖だけでなく近くに榛名山もあり登山をすることも、ロープウェイで上ることもでき、美しい眺めを見ることができました。  この場所にたどり着くまでに展望台があったり、CMに使われるような参道もあり、来るまでに退屈しないと思います。 写真引用アドレス https://www.gunlabo.net/images_2021-05-04
78玄蕃山公園玄蕃山公園玄蕃山公園は上信越道上田菅平インターチェンジのすぐ近くの高台に位置しており、上田市を一望できます。 自然豊かな環境でリフレッシュに最適なのではないでしょうか。 また高台にあるため夜にはきれいな星空が見えます。 リフレッシュしたい時などに訪れてみてはいかかがでしょうか。2021-05-04
79喜八 豆大福喜八 豆大福県道177号線沿いの和菓子屋喜八さんの豆大福である。上田に来て以来気になっており、有名店の和菓子を食べてみたいと思ったため選んだ。豆大福は一個130円であり、その日の朝についたお餅を使っているため滑らかな味わいである。その餅と相性ピッタリな餡子と豆で、とても食べやすく美味しかった。豆大福のほかにもどら焼きや最中も販売している。2021-05-04
80竜ヶ池竜ヶ池臥竜公園にある池が竜ヶ池である。 須坂市は竜の里と呼ばれ、池には竜が眠っていると言われている。 池には多くの鯉が泳いでいる。鯉は竜になることからいるのだろう。 アヒルボートで遊べるので家族連れやカップルで行くと良い。また、前澤社長のふるさと納税でボートを新しくしたようだ。2021-05-04
81臥竜山臥竜山写真は臥竜山頂上から撮ったもの。 ハイキングにはピッタリで、ノンストップで頂上を目指せば10分程でたどり着く。 頂上からの眺めは絶景であり、須坂市や長野市、奥にある北アルプスまでも一望できる。 山道には百番観音が建立されていて、全てまわるとご利益をえる。2021-05-04
82上田警察署保野分署跡上田警察署保野分署跡塩田郵便局近くの細い道にある跡である。以前から存じていたが、じっくり見ることはなかったため選んだ。明治時代にこの場所に分署があり、非常に短い期間ではあったものの現在でも跡が残っていることに関心を持った。かなり広い範囲の分署であったことから、地域の住民の方々に密接にかかわっていたのではないかと推測した。2021-05-03
83超誓寺超誓寺浄土宗の寺で、本尊は阿弥陀如来。 足利将軍の臣 浦和式部道俊が神畑大銅山 山中の庵に篭り名を超誓道俊とした。そして村人に深く慕われていた道俊の亡き後にこれを悲しんだ村人たちがこの地に寺を建立し、超誓道俊をしのび寺名を超誓寺とした。2021-05-03
84生島足島神社の大鳥居生島足島神社の大鳥居普通の道にそびえたつ大鳥居は普通の鳥居に比べて大きく、柱が太くしっかりとしており、すごくインパクトがありました。2021-05-03
85潤井川潤井川静岡県にある富士宮市及び富士市を流れる川。桜並木と富士山をセットとした景勝地としても知られ、「潤井川桜並木」の地点名(富士宮市)で環境省公開の「富士山がある風景100選」に選定されています。小さい頃よくこの川にいるカモに餌をあげていました。懐かしいです。2021-05-03
86[14/09/11]米山城・砥石城を望む[14/09/11]米山城・砥石城を望む真田氏記念公園の前に「自性院」という道案内があり、日が暮れる前に立ち寄ってみようと見晴らしのよい崖地のここに車を停めてみました。ここの道案内では崖地の階段を登り150mと示されています。周囲に花壇があり「花のまちづくり推進地区」という看板が立っています。赤、オレンジ、紫の花々が植えられて美しい。この高台から真田氏の居城でもあった米山城、砥石城の山並みが見えます。 電信柱やSEIYUの看板によって俗世間の風景と化してはいますが、眺望のよい場所に佇むことができて幸いでした。2021-05-01
87[14/09/11]真田氏記念公園[14/09/11]真田氏記念公園真田氏記念公園については改めて触れることもありません。公園前に「真田三代ゆかりの地マップ」が建てられていました。また「信州上田 幸村街道」の幟が新しいものになっていました。 この公園、駐車場が狭すぎてここに降りて何を見るのか、いまひとつ中途半端な印象は否めません。真田三代(幸隆、昌幸、幸村)のレリーフ肖像画があるのですが、いまひとつつまらないというのが正直な感想です。 私が最も普遍性があると感じるのは「真田氏発祥の郷」という呼び方。この書は池波正太郎によるものです。真田氏といえば幸村にのみフォーカスが当たりますが、幸隆、昌幸にも遡って三代にフォーカスを当てているのはよい。しかし、信綱、昌輝は軽く扱われています。信之は無視されています。信之を主人公にした物語『真田太平記』の2021-05-01
88[14/09/11]上州街道・石の道しるべと分され[14/09/11]上州街道・石の道しるべと分され上州街道石碑群の場所から旧上州街道の道筋を車で移動して下りました。その途中、またしても真田自治会による説明板と出会いました。 見るからにY字路です。街道の分岐点であることがわかります。群馬につながる道、上田につながる道、まさに真田氏の所領でもあった沼田方面と小県がここでつながっていたことがわかります。2021-05-01
89[14/09/11]上州街道石碑群[14/09/11]上州街道石碑群上州街道石碑群の場所をやっと見つけました。道が意外に狭く曲がっています。これが上州街道であることがわかり、昔の集落の位置関係などもこの街道筋から捉え直すと、この地域の構造がさらによく理解できるものになることがわかりました。これまで、車道としてバイパスされた道路だけを通っていることに改めて気づかされます。2021-05-01
90[14/09/11]長小学校周辺を通る[14/09/11]長小学校周辺を通る傾斜地に広がる真田の集落は私には迷路のようです。「上州街道石碑群」を次の目的地に移動してみましたが、入る道がわからず山家神社・長小学校周辺をぐるぐる回ってしまいました。道が意外に狭く、曲がっていて、わかりにくい。2021-05-01
91[14/09/11]山家の「真田氏館跡」[14/09/11]山家の「真田氏館跡」枡形道路とたつ道を進むと民家の石垣にぶつかりT字路となります。余談ですが、このような傾斜地に広がる集落がどことなく和歌山県の九度山に似ていることを想起しました。 この民家のある土地が平らに整地されていることから、ここに館があったという推定が興味を引きます。さらに、ここが真田氏の館跡であるという仮説もワクワクするようなものです。 真田氏の館跡はすでに真田町の各所で見てきました。角間の館跡、ここ山家の館跡、お屋敷公園の館跡、伊勢山にも館跡があったらしい。真田氏は角間から次第に低い方へと移り、やがて上田城へ。やがて真田信幸の代になり、上田藩主居館跡に、更にその後は松代へ移ることになります。この変遷をたどるだけでも実に興味深い。2021-05-01
92[14/09/11]枡形道路・たつ道[14/09/11]枡形道路・たつ道この道を見て、これが枡形とは感じにくい。なぜならこのような曲がった道筋はそこら中にあるからです。「たつ道」は説明板を読んで知りました。 史跡をめぐる時に重宝するのは地元の観光パンフ類です。この日は上田市真田地域自治センターによる『真田三代に出会うMAP 本城・長谷寺・山家神社コース』がどれほど役に立ったか計り知れません。簡潔に勘所が押さえてあって、参照しながら感心していました。 この場所はややわかりにくく、また道路幅が狭く車で進入できなくはありませんが、本来、どこかに車を置いて歩いて訪れる方がよいところであることは現地に行ってみて初めて気づきます。「現地の道は狭いので、山家神社の駐車場に車を置いて歩いて行こう。徒歩?分」のような説明がパンフに載っていたら、そうしたと思いま2021-05-01
93[14/09/11]角間渓谷・山神宮と角間配水池[14/09/11]角間渓谷・山神宮と角間配水池角間渓谷の角間集落と角間温泉のほぼ中間地点に「山神宮」があります。これについては何の基礎情報も持ち合わせていません。そのほぼ向かいに「真田町水道 新角間配水池」という施設があります。上水道の水源となっているようです。 山神宮の前には「熊出没注意」の注意書きが出されています。2021-05-01
94[14/09/11]角間渓谷遊歩道入口・岩屋観音[14/09/11]角間渓谷遊歩道入口・岩屋観音「角間渓谷遊歩道入口」と記された案内板が立っています。「猿飛佐助修行の地」ですか。案内板にはシシの牢、岩屋観音、猿飛岩、鞍はずしの岩、天狗の遠見台、見晴台、角間温泉、鬼ヶ城がイラストで描かれています。奇岩怪石に特色があるエリアであることがわかります。猿飛佐助の物語の源泉とも言うべき場所であることがわかります。 岩屋観音などは以前も訪れたことがあり、この日は参道の階段を下から見上げるだけにとどめておきました。 帰り際、参道階段下の石碑に着目しました。「親鸞聖人室恵信尼公 療養之地」と記されています。2021-05-01
95[14/09/11]角間渓谷と角間林道[14/09/11]角間渓谷と角間林道角間温泉を過ぎると角間林道の入口に突き当たります。岩屋観音の下に位置しています。この辺りから上信越高原国立公園のエリアになっていることを知りました。角間林道は「信濃路自然歩道浅間高原ルート 湯の丸山-角間路線」としても案内板で示されています。 角間川の渓流の景観が印象的です。2021-05-01
96[14/09/11]角間渓谷・鬼ヶ城と岩屋館[14/09/11]角間渓谷・鬼ヶ城と岩屋館角間温泉は岩屋館のみが存在する温泉です。秘境の湯という感じがします。 この辺りから急に岩の絶壁が角間川に迫り、この道路もその間をぬって延びているかような場所です。「鬼ヶ城」の説明板には「角間鬼ヶ城遊歩道周囲略図」が描かれています。遊歩道に沿って行くと、鬼ノ門、鬼ヶ城があり、一杯清水の近くを通ってこの場所に戻れるようになっています。 それにしても、真田幸村ばかりでなく、坂上田村麻呂の伝説まであるとは恐れ入りました。2021-05-01
97[14/09/11]一っぱい清水と幸村の伝説[14/09/11]一っぱい清水と幸村の伝説角間川沿いの道をしばらく進むと、角間温泉「岩屋館」の少し手前に説明板を見つけ、車を停めました。 縦看板には「一っぱい清水」と書かれていますが、手前の「伝説」が倒れていたのか、重ねておいてありました。草が茂り、文字が読めないため草をどかして「一っぱい清水」の文字を確認しました。2021-05-01
98[14/09/11]松尾古城の解説、角間渓谷を進む[14/09/11]松尾古城の解説、角間渓谷を進む角間渓谷の入口に道案内と「松尾古城」の説明板があります。そのすぐ隣にもう一つの案内板があります。 道案内のある場所から角間渓谷までは3kmと記されています。角間川の谷筋になるこの道筋は緩い傾斜で延々と続きます。途中に転々とする角間の集落は傾斜地のため、家の前に築かれた石垣などが印象的です。道路も狭い。途中拡幅工事が行われていました。周辺は杉林に変わり、山道らしくなります。2021-05-01
99[14/09/11]真田町の真田→横沢を進む[14/09/11]真田町の真田→横沢を進むまさに里山の秋、収穫の秋です。稲が黄金色の実をつけて稲穂の先が垂れ下がってきました。収穫も間近いことでしょう。 真田氏発祥の地とされるのがこの周辺、旧真田町真田です。標高730mですから、上田城よりさらに300mほど高い位置になります。 上田から菅平へと続く国道144号線から一歩集落の中に入ると傾斜地に展開する独特の景観に変わります。何度訪れてもどこがどこなのかがよく記憶できません。道が曲がり、似たような傾斜地の特性を持っていることに一因があります。2021-05-01
100[14/09/11]真田町を進む、途中駅前食堂[14/09/11]真田町を進む、途中駅前食堂旧真田町に入って間もなく「駅前食堂」が右手に見えてきます。この店名が面白い。かつて鉄道・真田傍陽線が通っていたときにここに駅があったことに由来しています。隠れスポットとして知っておくと訪れたときに楽しいです。ただしこの時は通過しました。 最初に向かった先は真田氏歴史館です。2021-05-01
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