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2024 4月 「ねこ型花壇」ボランティア
4月19日午後に4月入国したベトナム研修生13人が、「ねこ瓦まち巡り」に続いて、今日はインドネシアの青年3名も加わり、ボランティアに来てくださいました。インドネシアの青年は、AMUで交流している方で、ベトナムの若者は、塩尻地区に入職する方々です。 東側のねこ型花壇に会員が育てたラベンダーの苗と購入した黄色や紫の宿根草を植えました。 お国は違っても若者同士すぐに打ち解け、3国語を駆使しながら、とても賑やかに楽しんでコミュニケーションを取っていました。 作業後は、2段目から眺める景色に寛ぎ、麦茶と、和菓子で「乾杯〜❣」しました。 暫く、上田市で暮らす若者たちにエールを贈りたいと思います。街で見かけたら、市民も暖かくお見守りくださることと思います。 ※ この活動は、令和6年度「
2024-04-24
2
2024 4月15日 入国直後のベトナム研修生さんの「ねこ瓦まち巡り」
4月15日午前。 入国直後のベトナムの研修生さんを「ねこ瓦まち巡り」で上塩尻の北国街道にご案内しました。 昨年は、自治会より依頼がありましたが、今年は、自治会承認のグローバル研究会依頼でした。 この日は、10日に入国したばかりのベトナムの若者13名です。 「ねこ瓦まち巡り」の散策マップとベトナムの語翻訳の説明文を配布しました。やはり、ベトナム語翻訳は、すぐに内容を理解できたようでした。 この翻訳は、昨年度まで上田市で多文化共生に勤務していた通訳の中村さんの翻訳です。 佐藤家住宅ねこ瓦、東福寺と座摩神社、小岩井紬工房の見学でした。座摩神社の階段の下で神社参拝の方法を説明し、実際に行ってもらいました。登録文化財である佐藤家住宅の歴史や北国街道の江戸時代からの歴史や紬工房での見学、体験
2024-04-20
3
上田市立西小学校150周年記念ロゴ
上田市立西小学校は今年で150周年。 150周年記念ロゴを作成しました。
2024-02-28
4
信州上田 景観・花と緑まちづくりフォーラム NO1
11月23日午後に「信州上田2023 花と緑まちづくりフォーラム」が行われました。 花と緑まちづくりコンクールでの表彰が行われ、真田、丸子上田地区の団体、個人や学校等、14の花壇が、表彰されました。今年は、夏の暑さが厳しかったけれど、皆さん、手を掛け、花と緑が生き生き色彩豊かに育っているのが印象的でした。花壇もそうですがそれぞれのデザインや工夫、苦労、協力等のエピソードも素敵なものでした。 上田市都市景観賞では、美しく再生リノベーションされた古民家住宅、2代で育てた桜や杏の咲き乱れる住宅、温泉街の古い門を利用して、入口の庭を整備したお店、上田市の施設と緑を調和させた空間が表彰されました。 どれもセンスが生かされたものでした。 2部では、世界的にご活躍の庭園デザイナーである石原和幸さん
2023-11-25
5
飛行機から撮った昭和4年の上田市
上塩尻の藤本蚕業歴史館には数多くの大正・昭和期の雑誌や新聞なども保管されています。 『アサヒグラフ臨時増刊号 東日本航空号』(1929年=昭和4年)にあっと驚く写真が! 当時の上田市の航空写真です。市街の南西部を捉えています。まさか戦前の上田市の航空写真があるとは思ってもいませんでした。藤本蚕業歴史館に保存されている資料の一つです。この雑誌、藤本蚕業歴史館に行って、手に取って見るしかないですね!
2023-10-24
6
キモノマルシェ、街なかで開催❣❣ No1
2023 10月1日、キモノマルシェ in信州上田が、信州着物の似合うまちネット主催で行われました。上田市海野町商店街一帯にその日は、着物姿の人々が大勢参加されました。 今日では、日常着として中々手を通すことがない着物ですが、着付けや着物レンタル、フリマ、和小物制作体験、茶の湯、着物ファッションショー、学生さんの特別ブース、「蚕の卵から着物まで」のスライドショー等の企画がされました。 ベトナムの研修生さんやグローバル研究会さんも着物で参加されていました。 老若男女の着物姿は、とても素敵でした。 私は、着物屋さんで行われた和小物作成に参加しました。 繭友さんの繭からの糸取りの実演と繭のStrapづくり、 須坂クラシック美術館学芸員さん達の香袋づくり、 上塩尻元宿原さん達の紬の組紐編みとStrap
2023-10-03
7
逆さ霧、千曲川越しも絶景
逆さ霧の絶景ポイント。塩尻地区の背後に迫る逆さ霧を遠く離れて望むのもおすすめ。上田道と川の駅の千曲川越しの真正面は塩尻地区です。この地点は上田市小泉の半過(はんが)になります。どうですか、この雄大な展望。山に迫りくる逆さ霧をパノラマで堪能できます。
2023-09-28
8
歴史景観ウォッチング 新町・諏訪部編 ⑤浜村邸
浜村家の分家、5代目。出身は諏訪の高島藩だと伝えられている。養蚕(2百貫目ぐらい)と蚕種と稲作をやってきた。明治年代、先祖は蚕種製造家として名を残している。建物は、明治元年に建てられた。歴史の散歩道は、私道。市が敷石を引き整備してくれた。上田市の景観賞を受賞した。 南側にも蚕室づくりの家がある。
2023-09-24
9
上田グローバル共生社会づくり研究会
上塩尻地区に上田グローバル共生研究会があります。 外国人さんから選ばれる上田市を創る、外国人と日本人が良き隣人としてくらしやすい地域社会の実現を目指している組織です、 令和5年度 長野県地域発元気づくり支援金を利用して、外国人さんたちに入国からその後の講習を最近では、行っていらっしゃいます。 独自にSNS等で様々な発信をされていますが、今回、このデジタルmapで、ご紹介させて頂きます。
2023-07-29
10
2023 7/7 上田 西高校、Dプロジェクト部さん来たる
ねこ瓦の会では、上塩尻石垣の段々畑で、ねこ瓦を知ってもらうために、ねこ花壇の作成の整備をしてきました。 ベモナムの若人さんや、地元ボランティアさんに続き、上田西高校のDプロジェクト部の皆さんと顧問の宮島先生が、花の移植作業に来てくださいました。先日、顧問の先生にお願いに訪問した際には、生徒さんたちが、猫の形は、楽しそうと興味を示されたそうです。 また、地域住民の清水敏郎さんが、ボランディア参加され、移植後の水を運んで下さいました。 花苗はこちらで上田市の活力あるまちづくり支援金を利用して購入したものです。 この日は、夕方の部活動の時間を利用して、来て頂き、 両耳、鼻、輪郭の部分を植えて頂きました。両耳が出来た時は、「可愛い」と話されていました。顧問の宮島先生は
2023-07-12
11
2023/7/1 常磐町大雨注意報と用水路
梅雨雨前線と線状降水帯による大雨で九州地方では洪水、土砂災害が起こっていた7月1日夕方、長野県中部でも大雨が降った。上田市では大雨、洪水、雷注意報が発令されたが、1時間降水量23㎜のかなり強い雨だった。 水門を確認しながら常磐町町内を回ったところ、南33班のkさん宅北の水路(写真1)は、先にある水門はすでに開けてあるにもかかわらず、満水状態となり、一部は、道路にあふれ始めていた。水路をさかのぼると、東10班のMさん宅南の水路(写真2)は、道と水路の境が見えなくなっていた。さらにさかのぼり常磐町南東の角では、一部が低くなった水路(写真3)の壁を越えて休耕田に用水がとうとうと流れ込み、プール状(写真4)に水がたまり始めていた。 用水を流れに沿って下っていくと、中20班Kさん宅東
2023-07-02
12
上田市消防団ポンプ操法・ラッパ吹奏大会
地域防災の要、消防団の皆さんが、日頃の訓練の成果を競う消防団ポンプ操法・ラッパ吹奏大会が、6月18日、丸子総合グランドで4年ぶりに行われました。 グランドに勢ぞろいした消防団の皆さんの雄姿、きびきびとした動き、点呼をとる大きな声に頼もしさを覚えました。 西部地域では、第5分団(西部・北大手・木町)と第8分団(秋和・上塩尻・下塩尻)が活動しています。 第5分団は、創設100周年を迎えたました。1923年、関東大震災の年に生まれ、上田駅で被災者救護にあたって以来、100年間、地域の安全、安心を守る様々な活動にあたってきたました。 第5分団は、「未来につなごう このまちの笑顔!」を今年のテーマにあげて活動していますが、悩みは、団員不足です。定員42人のところ、29人しか
2023-06-18
13
ベトナムの若人さんの上塩尻北国街道巡り
2023 6/15 上塩尻自治会(会長 山﨑恭義さん、副会長 清水敏郎さん)では、上田市に新しく来られたベトナムの若人を招き、上塩尻の北国街道と上、座間両神社をご案内しました。自治会と地元の上田グローバル共生社会研究会、ねこ瓦を愛する会との協働で、前中2時間ほどでした。 公民館前に集合し、北国街道にある小岩井紡工房の見学、佐藤家住宅外観の見学、ねこ瓦、多様な石垣の説明、気抜きの古民家の古路地巡り、両神社では、参拝もされました。 工房では、女性が織りの体験をしたり、紬を簡単に肩に掛けて、着せてもらい、写真も取りました。終始「可愛い、綺麗」と声が上がり、故郷に写メを送りました。また、佐藤家住宅やねこ瓦を見ながら、蚕種のが盛んであった時代のこと、蚕を育てるための人々の暮らし、桑の石垣畑、
2023-06-17
14
須坂中央地域デジタルマップ
6月10日、前川先生に声をかけてもらい須坂市中央地域づくり推進委員会の企画した「わくわくデジタル講演会」に参加し、前川先生の講演の中で「西部地域デジタルマップ」について紹介させてもらいました。なぜ、須坂でデジタルマップをと思いましたが、以前勤務した時、豊かな地域性(個性)を持つ町に惹かれたこともあり楽しみにしていました。 以下は、地域づくりの会がデジタルマップに注目している理由です。 『製糸業で栄えた歴史や文化の影響を色濃く残す中央地域ですが、中核企業の撤退およびその後の少子高齢化によって、地域活動の維持・継承が難しくなっています。3年続いたコロナ禍で住民の活動や交流機会も減りました。往時に戻るのはたとえ無理だとしても、誰もが安心して暮らせる地域であり続けたいと願
2023-06-12
15
蚕種家滝澤秋曉「司令塔」より①
文学者滝沢秋曉は、明治29年重い脚気を患い、東京での文学活動を切り上げふるさと秋和に帰省した。その後、秋曉は作品を書きながら、家業の蚕種業にも精を出す。明治41年には、その暮らしぶりを「司令塔」という作品で発表した。 「司令塔」(滝澤秋曉著作集)から、当時の蚕種家の生活を抜き出してみた。「司令塔」とは、写真(上田市誌「上田の風土と近代文学」より)の蚕室の中央2階に見える部屋を指していて、次のように書いている。(原文通りでなく、わかり易いように手を入れた) 『2号蚕室の前面に飛び出して、下は蚕室の大玄関、はしごを上ると5畳敷の小座敷がある。東西3面は、ガラスをはめた明かり障子で、広庭を見下ろす。 養蚕中、やれ郡長だ、やれ県の役人だ、視察だなんだかんだとくる来客に、母屋に引
2023-05-22
16
「秋和の里」の滝澤秋暁邸が更地に
しばらくぶりで秋和の北国街道を歩いた。驚いたことに「秋和の里」を代表する滝澤秋暁邸がなくなっていた。長屋門に茅葺にトタンをかけた重厚な母屋、門の東に続く気抜きを設けた蚕室、母屋の裏には庭を挟んで気抜きのついた2階建ての大きな蚕室がなくなり更地が広がっていた。 滝澤秋曉邸は、ずいぶん前から空家となっていてあちこちに痛みが出ていた。個人の力で修理は困難なことがうかがわれ、残すには行政の力が必要と思っていたところ、上田市の歴史風致維持保存計画に蚕種製造民家の調査事業が盛られ、記録だけでも残される可能性が出てきたところだった。また、西部地域デジタルマップでも歴史遺産の記録を残す呼びかけを始めたところであり、残念でたまらない。 地域の歴史を学び、じかに触れることができる歴史遺
2023-05-19
17
上塩尻村の総合研究シンポジウム開催2023/03/21
3月21日(火)、上田東急REIホテルで「『近世上田藩上塩尻村の総合研究Ⅱ』出版記念国際公開シンポジウム」が開催されました。 旧上塩尻村(現在の上田市上塩尻)では、江戸時代から蚕種製造が盛んとなり、それを背景に市場経済が発達し、併せて地域の共同性が育まれてきました。この日のシンポジウムは東北大学の長谷部弘先生、愛媛大学の高橋基泰先生らの研究グループによる上塩尻村研究の成果報告会です。 学術的でかなり硬派のシンポジウムにもかかわらず当日は発表者も含め40名近い参加がありました。旧佐藤宗家(代々当主が藤本善右衛門を名乗った佐藤一族の宗家)の史料をはじめとして、上塩尻の各家々や上塩尻文庫蔵の資史料などから歴史的な背景が解き明かされた研究が披露されました。 <当日のプログラム>敬称略 ①開会
2023-03-26
18
「今、記録しておきたいこの町なみ、歴史的景観」 プロジェクトについて
趣旨 上田市西部地域は、古代、都と東国を結ぶ東山道の東信濃の入口でした。近世は江戸と日本海岸地方を結ぶ北国街道が通る交通の要衝でした。 近世、この地に上田城を築いた真田氏によって、西部地域は「城下囲い」の集落として山すそのあった集落が城下の西入口に移住させられ、城下の外堀として改修された矢出沢川とともに城下の防備の役割を果たしました。 洪水によってたびたび被害を受けた千曲川に近い土地は、近世、水害に強い桑が植えられ、養蚕が盛んになりました。岩鼻から吹き込む強い西風は、桑に産み付けられ蚕を殺す蛆蝿の卵を振り落とし良質な桑「歩桑(ぶぐわ)」が育つため、蚕を掛け合わせて「蚕種」をとる蚕種業が盛んになりました。東北地方の養蚕先進地に学んだ上塩尻の蚕種家からは、養蚕技術の改良や
2022-12-20
19
2022年9月26日 長昌寺 霊園からの眺望
上田市秋和にある長昌寺さんの霊園からの眺望です。 上田の市街地を一望することができます。
2022-10-01
20
上田市西部公民館
上田市西部公民館は西部地域(西部地区、塩尻地区)を対象エリアとする公民館です。旧公民館施設が旧上田市警察署跡地に移転し、2017年3月、現在の公民館施設が竣工しました。地元住民の皆さんに幅広く活用されています。 上田市西部公民館 竣工式の様子が上田市行政チャンネルから動画配信されています。
(出典:上田市行政チャンネル https://www.youtube.com/user/cityuedakoho)
2022-09-04
21
西部マップ活動記(2)まちあるき西部地区2019/04
2019年春、部会員でまずは西部地域のまちあるきを実施しました。ただしあまりにもエリアが広いので3回に分けて。4月は北国街道沿いの西部地区、5月は秋和・上塩尻、6月は上塩尻・下塩尻。この日のルートは下紺屋町公会堂前からスタートし旧北国街道沿いに地域見聞。生塚を経由し西部公民館が終点。 まちあるきをしながらタブレットやデジカメで写真に撮りデジタルマップに投稿しました。情報機器にまだ慣れていない部会員のサポートに長野大学前川ゼミの学生が参加しました。午前まちあるき、午後は西部公民館でデジタルマップへ投稿。身近なエリアなのに発見することばかりです。地域理解がぐっと進みました。さらに「タブレット初めて使ったけれども、意外に簡単だった」という感想が多数。年齢を超え「マップづくり」を和気あ
2022-09-03
22
2009年開館当時の藤本蚕業歴史館
★写真:2009年10月蚕都上田プロジェクトが実施した見学ツアーの様子 上田市上塩尻に「藤本蚕業歴史館」が開館したのが2009年10月です。今年2022年、早いものでそれから13年近くが経ちます。日本一の蚕種(蚕の卵)の製造地だった上塩尻の中でも一番の中心的な蚕種製造企業だったのが「藤本蚕業」(現在の藤本工業の前身)です。藤本蚕業歴史館は藤本蚕業の蚕室を再利用して開設しました。同社所蔵の膨大な社内文書も保全されています。一般に馴染みがない「蚕種」や上塩尻の背景を知る上で欠かせない情報源となる施設です。 13年経過すると当時はご健在だった方もお亡くなりになった方やリタイアして活動から遠ざかられた方もいます。その時の記録が希少な記録となってきました。
2022-08-31
23
デジタルマップを使った自由研究の取り組み方の動画
ついに動画が完成しました! ぜひこの夏休み中に動画を見て、地元について調べてみたりデジタルマップを使ってみてね! みんなの投稿楽しみにしているよ!
2022-07-19
24
ユーザー登録、投稿、投稿した記事の印刷のしかた
この画像を見ながら登録と投稿と、必要であれば投稿した記事の印刷もしてみてね!
2022-07-17
25
これなんだろう?
皆さんはこんな瓦を見たことがありますか? これは猫瓦といいます。 猫瓦とは、養蚕をする上で蚕がネズミに食べられてしまうことがあり、そのネズミ除けの願いを込められた瓦のこと。そのためネズミの天敵である猫がモチーフになっている。 上田市上塩尻では蚕種製造が盛んであったり、養蚕をする家が多くあった地域であるため、今でも越屋根といった養蚕特有のものが残っている。もちろん猫瓦が残る家も多くある。猫瓦はただ猫の形をしているだけではなく、文字や絵が掘られている。これらには様々な思いが込められているそうだ。
2022-07-11
26
塩尻小学校のナンジャモンジャの木が満開です
塩尻小学校の庭にあるナンジャモンジャの木が白い花をいっぱいにつけています。上田市誌27巻の「上田市の文化財」には、こう書いてあります。 『昔、名前のわからない珍しい大木が虚空蔵山の頂上付近にありました。この地方では、「ナンジャモンジャの木」(市指定 天然記念物)と呼んで親しまれていました。7月の初め頃にマメやフジに似た白いきれいな花が咲き乱れます。』 塩尻小学校にある「ナンジャモンジャの木」は、虚空蔵山の親木の種から育ったもので2代目そうです。
2022-06-11
27
西部地域デジタル写真展を実施してみて感じたこと
5月1日(日)~5月14日(土)の2週間にわたって行った西部地域デジタル写真展について、先行して実施した29日(金)の分も含め、34件投稿していただきました。参加してくださった皆さん、ありがとうございました。 今回初めての企画でしたが、思っていた以上に投稿記事が多く、呼びかけなどを積極的に行うことで投稿してみようと挑戦してくださる方もいて、今後もっとこの西部地域デジタルマップを多くの方に認知していただき、西部地域の情報を充実させていきたいと感じました。 この「西部地域デジタルマップ」というサイトは、今回の写真展だけでなく、いつでも利用することが可能です。写真展で投稿してもらった投稿記事(写真)もこの記事の画像のように、いつでもご覧いただけます。 興味を持っていただけましたら、ぜひユーザー登録をし
2022-05-30
28
上塩尻蚕種製造民家群7 佐藤宗家「藤本」邸宅の銅版画 ②
写真は、佐藤宗家「藤本」の明治中頃の様子を描いた「藤本善右衛門邸宅」(「日本博覧図」M30年発行 上田市立博物館蔵より)の銅版画である。居宅は昭和2年に焼失し、現在残るのは門と右側の2階建土蔵とその手前の2階建第一蚕室・第2蚕室、土蔵2棟のみである。敷地は600坪ほどでこのあたりでは最も広いが、蚕種製造民家が立ち並ぶ狭い扇状地では、これ以上の敷地を確保することは難しかったのではないだろうか。周りはぼかされているが、実際には狭い小路があるだけで蚕種製造民家が軒を並べている。
2022-05-30
29
上塩尻蚕種製造民家群4 蚕種製造民家「清水卓爾氏宅」⑤
写真は、「清水卓爾氏宅」の明治中頃の様子を描いた「清水喜左衛門邸宅」(「日本博覧図」M30年発行 上田市立博物館蔵より)の銅版画である。母屋(蚕室)の裏側が北国街道。街道から下り玄関に至る坂道は、実際には、人力車一台が通行できる幅で、坂も急なため、荷車の通行も大変だったと思われる。手前、松の木の下には、湧水が見える。
2022-05-30
30
西部地域デジタル写真展のお知らせと投稿の仕方について
チラシ(PDF版)
この度、西部地域デジタル写真展というネット上で展示を行う写真展を開催します。 このイベントは、主に西部地域に住む子供たちをはじめとした方々を対象に、西部地域の魅力や良さを写真を通じて発信してもらうことで、西部地域に興味を持つ人を増やしたいというねらいで企画しました。 写真の募集期間は、5月1日(日)~5月14日(日)です。 投稿の詳しいやり方については、以下の青文字になっている「イベント詳細(投稿の仕方について)」を選ぶと見ることができます。そちらからご覧ください。
2022-04-18
31
上塩尻蚕種製造民家群1 蚕種製造の中心地:上塩尻「大村」
明治30年発行の「長野県小県郡熱心蚕種製造家一覧」には、上田町を中心に郡下163戸の蚕種製造家の氏名が記載されている。その2/3の107戸は、旧塩尻村(上塩尻58,下塩尻20、秋和29)がしめている。塩尻とともに西部地域に属する(鎌原7,諏訪部2)も加えると上田盆地の西部、千曲川北岸が蚕種製造の中心だったことがわかる。 上塩尻の中でも53戸の蚕種製造家が集中している「大村」(字:北側・南側)は、千曲川と虚空蔵山に挟まれた大沢の扇状地の斜面で、千曲川の洪水を受けにくく、江戸時代には信越、北陸を結ぶ北国街道が通っていた。上塩尻村の中心である「大村」は、扇状地の上部を北国街道が西の扇端部に向かって下り、平坦部を通る国道18号線とがけ下で交わる西端地点を頂点し、東500mの塩尻小学校の西縁とそこから北に向
2022-04-03
32
「西部地域魅力発見~みんなでつくろうデジタルマップ~」冊子(デジタル版)
「西部地域魅力発見~みんなでつくろうデジタルマップ~」冊子というのは、西部地域に住む住民の方々に、西部地域デジタルマップというネット上で魅力を発信していくサイトがあることを知ってもらい、興味を持ってもらう人を増やしたいという思いで作成しました。 先日、西部地域に住む方々に配布させていただきましたが、この記事を通じて、デジタル上でも見ることが可能です。外出していてふと見たい時にも見れますし、手元に冊子がなくても、いつでもどこでもスマホやタブレットなどで見ることが出来ます! この機会にぜひ、冊子を通じてこのサイトについて知っていただき、多くの方に利用してもらえたら嬉しいです。 冊子の中には、西部地域デジタルマップがどんなサイトなのかということや、そのサイトに実際投稿されている
2022-03-28
33
西部地域デジタル写真展について(投稿の手順などの説明)
2022-03-18
34
蚕種の行商
2022-02-17
35
北向観音道標
2022-02-17
36
矢出沢川遊歩道
2022-02-17
37
養蚕農家の生活13 繭価(まゆか)の大暴落(だいぼうらく)
昭和5年は、米国の不景気によって繭価が大暴落し、1貫1円90銭となり、東北の繭糸であまりの安値に業(ごう)を煮やした人が競りを流し、上田まで持ち下して競りにかけたところ前より安値でそこも流して持ち帰り、川久保橋から神川に押しあけて家に帰ったなんて話も聞きました。 繭価の安値は幾年も続いて私たちが6年生で行く直江津旅行も中止となり、高2の時の東京旅行ももちろん中止でした。村費による先生たちの給料も不払いとか減額給付といった話も聞きました。また、上小の青年団が電気料の不払い運動もやりました。 繭価はいくら安くてもこの道しか現金収入のない農家は、来年の蚕飼いのために高い肥料や蚕種、蚕具の購入資金に窮し、人から借りてまでも用意せざる得ませんでした。 引用文献 「大正から昭和へー町や
2021-11-15
38
養蚕農家の生活10 繭かき・出荷
やといの入った各部屋は練炭を入れて暖をとり、繭づくりをさせる。1日たつとヒキは糸をはいて繭の形を作り、3日目には白くなってヒキは見えないようになる。 8日目には「繭かき」(繭の収穫)が始まる。非農家の女衆を3人ぐらい頼んで3日間ぐらいで終わらすのです。繭は20貫(75㎏)もたまればこれを「たて」(繭を入れる袋)に入れ、父は二つの「たて」を天秤で担ぎ、兄は「たて」を背負子でしょって東北(本原)の繭糸(けんし)会社の競(せ)り市(いち)に持って行くのです。私は後について見に行きます。 繭糸(会社)には大勢の人が白い「たて」を持ちよって競りに出す順番を待っています。「ぼて」(大きな竹籠)に繭をあけ、競り台まで運ぶと、係りの男が大きな声で「○○の上等まい」と呼びながら競り台に繭をあけます。する
2021-11-15
39
養蚕農家の生活6 蚕の成長
蚕の幼虫期間の変態(蚕は4回脱皮を繰り返して大きくなる)は、一齢(れい)一眠(みん)(一れい一みん:脱皮をする前には、動かなくなり、桑を食べなくなる。その時を眠という。)二齢二眠、三齢三眠、四齢四眠、五齢上ぞく(じょうぞく:まゆをつくる)まで春蚕は約1か月かかりました。 親たちは何齢という呼び方はしないで、一齢を「毛児(けご)(けご)」、二齢を「二つ」、三齢を「ふな」、四齢を「ふなおき」、五齢を「庭起き」と言っていました。 毛児というのは卵から出たばかりの黒い毛だらけの蟻のように見えるのでそう言い、また蟻(ぎ)蚕(さん)(ぎさん)などとも言いました。二つというのは二齢だからわかるが、三齢をふなおきと呼ぶのは意味が分かりません。庭起きというのは四齢まで箔飼(はくか)い(かいこあみの上で飼う
2021-11-15
40
養蚕農家の生活4 桑の手入れ
4月は春祭りの時期です。桑は昨年の夏蚕用に切られ、15センチほど切り残された桑棒に、切られた後に発芽した細枝をつけてボサボサになっている。この棒を株すれすれに鎌で切除する作業を株直しといいますが、お祭りの前にこの作業を済ませることが我が家の例年の習いでした。越年した桑株はかたくて鎌でそぐのは子供の力では大変でした。鎌はよく切れることが大事で、それにはちょいちょい砥(と)ぐことでした。その砥ぎ方も父から習ったのです。600坪からある桑畑の株直しは我が家にとっては大変な作業で、父母が専門にやるばかりでなく、私たち子供もお祭り前に終わらそうとがんばりました。手の中は血豆がいくつもでき、指の付け根にタコができました。 桑の芽が出る前に全桑園に春肥をやります。それには大豆かすやアンモ
2021-11-15
41
養蚕農家の生活1 西沢吉次郎さんの話
上小地域から桑畑とともに養蚕農家が姿を消して久しい。蚕の飼育についての記録は残っているが、蚕とともに暮す生活の記録はあまり見当たらない。知る人もわずかになり、聞くことも難しくなっている。 上小郷土史研究会が平成2年に発行した「大正から昭和へー町や村の暮らしー」所載の西沢吉次郎さんの作品は、当地の養蚕農家の生活を描いた貴重な記録である。西部地域の記録ではないが、養蚕・蚕種製造をする農家の生活を想像する手立てとして使用することを許可してもらった。 西沢さんは1919(大正8)年、現上田市真田町本原に生まれ、子供のころの農業や養蚕の手伝いをした思い出を記録している。明治の中頃から大正、昭和初期は、繭景気が良い時代で、「米の成る田に桑の木植えて、お前食う木かくわ(桑)ぬ木か」というざ
2021-10-12
42
蚕種の郷13 衰退した養蚕製糸業
なぜ、今、桑畑は無いのでしょうか。養蚕農家はどうなってしまったのでしょうか。 江戸後期から養蚕業は広がり、幕末に生糸が欧米に輸出されるようになると生産は一気に増加しました。大正の中頃、第一次世界大戦が始まると女性の社会進出が進み、欧米ではその足元を飾るストッキングに絹が使われ、生糸の輸出は更に増えました。この頃、生糸の価格は最高値をつけています。塩尻地区の桑園面積が最も大きくなったのも大正から昭和の初期でした。明治初期の畑の面積の4倍にもなっています。段々畑を山の急斜面に段々畑つくるばかりでなく、水田を桑畑に転換する所もありました。 ピークは昭和5年です。前年、アメリカに始まった株の大暴落は、瞬く間に世界中に広がり世界恐慌となり、生糸の輸出はストップし、養蚕農家や製糸工場
2021-06-29
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蚕種の郷9 なぜ、蚕種の郷に?
蚕種製造は、蚕が作った繭の殻を破って出たオスとメスの蛾を交配させて、メスの蛾に、厚手の紙(産卵台紙)に卵(蚕種)を産みつけさせます。卵を産み付けられた産卵台紙(種紙)販売するのが蚕種業です。大事なことは、卵から生まれた蚕が病気に強いか、その蚕が吐いた糸の品質が良いかです。塩尻の先人たちが生み出した蚕種は、強健であり、発育が早く桑の食い方も活発で飼いやすく、繭の形もよくそろい、糸量も多いと人気を呼び、蚕種の郷・塩尻の名が全国に知られるようになりました。 こうした品質の良い蚕種が作られるようになったのは、上田地方、とりわけ塩尻が養蚕・蚕種製造に向いた場所だったからです。 写真(「養蚕・製糸」(上田市立博物館)より)は、産卵台紙にメスの蛾が卵を産み付けている様子。白い粒が卵。卵
2021-06-25
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蚕種の郷7空前の大洪水 「戌の満水(いぬのまんすい)」
図(「上田の水害」上田市立博物館)は、寛保2年(1742)「戌の満水」による上塩尻村の被害状況を描いた絵図です。「戌の満水」では、千曲川の上流から下流まであちこちで大きな被害を受けましたが、千曲川の氾濫で上塩尻ではもともと田だった場所に石や砂が入ってしました。図の手前の灰色部分、今の「しなの鉄道」の線路より南側一帯は、1~2メートルの砂や石に埋もれてしまいました。この図の西に下塩尻が続きますが、村境まで家は流され、石や砂は3メートルにもなり、今の下塩尻の中島は、名の通り微高地になっていましたが、庄屋の家2軒を残して水に漬かったと記録されています。
2021-06-25
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蚕種の郷5 段々畑で作られていた作物は?
上田市誌の近現代編(2)「蚕都上田の栄光」の73Pの「桑園地地図」を見ると明治34年、太郎山山麓の塩尻村、上田町と記された場所は黒く塗りつぶされ、桑園になっていることがわかります。 さらに桑園は千曲川の両岸にも桑園が広がっています。今では見ることがない桑畑が、扇状地や河原、山の斜面に広がっていたのです。
2021-06-25
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蚕種の郷3 航空写真に写った段々畑(1)
昭和22年撮影の航空写真(国土地理院)には、今は雑木に覆われている段々畑がはっきりと見えます。北に連なる太郎山山系、南には東西に流れる千曲川、左上から右下に国道18号線、右下が上田市街、中央に秋和の集落、左上に山と国道に挟まれた塩尻の集落が見えます。中央の黒い部分は水田、黒くひだになった山と水田の間の白い部分が畑です。右の大きく張り出した部分は緑が丘で、黄金沢と和合沢の複合扇状地です。山麓を西に向かうと沢の出口に小さな扇状地が並び、秋和の北西にやや大きな扇状地が見えますが、ここが前記の大藏京です。
2021-04-24
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2019西部地域まちあるき:和田龍酒造
2019年4月の西部地域まちあるきで見聞した場所の一つが和田龍酒造(北国街道沿い、鎌原)です。 明治20年創業以来地元の方々に愛され続け、現在では上田市、さらに長野県を超えて全国でその名を轟かせています。 和田社長の温和な人柄の中にお酒への熱い情熱を感じました。
2021-01-29
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2019西部地域まちあるき:藤本蚕業歴史館
2019年6月14日に行われた西部地域まちあるき(上塩尻)では、藤本蚕業歴史館を見学しました。 かつて「蚕都」と呼ばれた上田市の中で、蚕種製造の中心地だった上塩尻。そしてその総元締めであったのがこの藤本工業(藤本蚕種)です。 館内には資料だけではなく当時の備品等も保管されており、タイムスリップが可能であれば蚕種製造をしたいと思いました。
2021-01-29
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思わぬ洪水5 「矢出沢川の流下能力を超える神川からの流入、用水路にも」
平成22年の水害時の降水量は、上田で時間雨量56mm,累計雨量82mmでした。時間雨量は上田市観測史上1位となっていますが、累計雨量は昭和39年より少なく、用水路も改修整備されているのになぜ水害がおこったのでしょうか。同時刻、菅平94mm、真田110mmと流域面積が矢出沢川により格段に広い神川流域に多量の降水がありました。矢出沢川は、懐の浅い太郎山の金剛寺地籍から流れ出た沢水を集めた川で、梨ノ久保沢、黄金沢などを合わせても水量はわずかなので下流の水田を潤おすには足りず、江戸時代に神川から水を取り入れる堀越堰が作られました。堀越堰ばかりでなく古代から拓かれていた神科台地の用水も神川の上流から取り入れられており、余った排水は蛭沢川などを通って矢出沢川に落ちています。平成22年の水害は、真田地区でも多くの床下
2021-01-25
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思わぬ洪水4 「想定外だった用水の氾濫」
平成22年の豪雨では、上田市全体では152件の床上・床下浸水被害があり、特に矢出沢川の関係では蛇沢、上川原、諏訪部、秋和、上塩尻、下塩尻の被害が大きく、伊勢山、神科新屋、長島、大久保、下川原、北大手、下紺、常磐町で被害がありました。 図は、長野県の管理している矢出沢川・黄金沢川について、平成19年の整備状況を勘案して100年に一度の大雨(1時間に58mm以上)が降り、川が氾濫した場合の浸水想定区域図(県土木部のホームページより)です。被害にあった地区は、図の想定区域とほぼ重なりますが、常磐町をはじめとして想定外の地区にも広がっていたことがわかります。地図の説明文には、内水(小河川や水路の氾濫)は、考慮していませんと書いてあります。どういうことでしょうか。なお黄金沢川は、氾濫しなかった
2021-01-25
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西部地域まちあるきマップ【西部地区/北国街道編】
上田市西部地区(下紺屋町~生塚)は北国街道沿いに広がる地域です。西部地域まちづくりの会/自然・生活環境部会が2019年4月に実施したまちあるきルートをネットからもたどれるように再現しました。歴史スポットを中心にめぐるコースです。
2021-01-14
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西部地区探検隊[不思議な水路11]
写真(国土地理院所蔵)は昭和22年、当時の占領軍が空中撮影したものです。西部地区の東側の扇状地(緑ヶ丘)や太郎山のすそは白っぽい色をしていて、畑作地帯です。南側を国道と北国街道が東西に走っていて、北国街道に沿って家が並んでいます。間の濃い灰色の部分、現在の常磐町と城北は、あたり一面の水田地帯です。碁盤の目のように道路が走っている(条里遺構)様子がよくわかります。道路にそって、用水路も走っています。右下に西小学校が見えます。郵便局や裁判所のあるあたりも水田になっていたことがわかります。国道の南側を矢出沢が流れ、左下で千曲川に注いでいます。右下は上田市街地です。
2021-01-12
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令和3年日の出
2日に日の出を見に行ってきました。7時10分頃です。 上田市街地を一望。 元旦じゃ無くてもいいじゃないですか! とても美しいです。近くなので足を運んでみて下さい。 生塚神社⛩付近です。 あすすめです 地元の絶景!
2021-01-02
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まちあるきで西部地域をアーカイブ
西部地域まちづくりの会の自然・生活環境部会が主体となり、地域デジタルアーカイブ&マップづくりの活動が進んでいます。2018年度は事業の計画や機材購入などに取り組み、翌年度の活動開始に備えました。 そして2019年、春爛漫の4月となり、4/22、待望のまちあるきを実施しました。地域を探訪しながら、地域の文化財、歴史スポットなどを画像に撮り、それらをネット上のアーカイブサイトにアップロードしてデータ共有する地域アーカイブ&マップづくりの活動です。会の皆さんにとっては全く初めての取り組みになります。長野大学・前川ゼミの学生有志が一緒に参加し、《まちあるき=画像記録》を実行しました。 この日は矢出沢川に架かる西八幡橋に参加メンバーが集合し、まちあるきに出かけました。約20名が3グループに分かれてそれ
2020-12-19
55
上田市緑が丘児童館
ここはよく西小学校の子どもたちが、学校帰りに寄って遊んでいる児童館です。
2020-12-06
56
コスモスの写真展
上田西部公民館に於いてコスモスの写真展を開催しました。 地域の皆さんより募集し沢山の方から応募頂きました。 塩田地区の山並みや上田市街地と共に写されているものや お子さんの散歩の様子など それぞれの思いの写真が飾られ とてもほっこりとするものでした。 コロナ禍に於いて 集まらないイベントとして写真展は良かったとおもいます。
2020-11-20
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生塚 花いっぱいの会 コスモス散歩道
18号上田バイパス沿いの側道、生塚神社周辺約300mほどに秋の季節はコスモスが咲いています。 上田市西部公民館に車を停めていただき、徒歩で10分ほど。地元の花いっぱいの会さんが少しずつ整備をされています。 この道には、2019年には、ハナモモも植えられ、ハナモモをみる散策道も整備されつつあると伺っています。 結構道のアップダウンがありますが、そのためか、近所の方が健康維持のために散歩される姿や、お子さん連れで散歩を楽しまれている方々の姿もときどき目にします。 遠くに見える塩田方面の山々、岩鼻の眺望も楽しめ、秋には、黄金色の稲穂とのコントラストも楽しめるところです。 生塚地域の拠り所の一つになりそうです!
2020-09-14
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竹内充(たけうちみつる)
長野大学を卒業後、上田市にそのまま住みつき、様々な地域活動にかかわりながら活動をしています。下塩尻在住です。 竹内充(みつる)のブログ - とことん信州上田! http://www.takeuchi-mitsuru.com/
2020-08-28
59
花桃植樹 みんなでハナモモを植えよう!!
2020/04/18制作 令和2年4月、国道18号上田バイパス常磐城側道でハナモモの植樹をしました。 主催:花いっぱいの会(西部地域まちづくりの会) 令和2年度上田市わがまち魅力アップ応援事業
2020-08-26
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西部地域まちあるき2019の記録
2018年に発足した「上田市西部地域まちづくりの会」は翌2019年度に本格始動しました。4部会の一つ「自然・生活環境部会」では地元地域の文化・歴史遺産・自然などをデジタルアーカイブ化・マップ化する活動を持続的な地域活動にしていこう、という方向で取り組みが始まりました。その活動の手始めにしたのが「西部地域まちあるき」です。 4月は西部地区(下紺屋町~生塚)、5~6月は塩尻地区(秋和・上塩尻・下塩尻)をまちあるきしました。部会のメンバーにとっては地元でありながら、地元自治会のエリアがより広域に広がった「西部地域」をお互いに詳しく見聞しあったことはなく、地元であ
2020-08-25
61
第39回塩尻どんどこ祭
塩尻商工振興会が主催で毎年上田市立塩尻小学校のグラウンドや体育館などを会場に塩尻どんどこ祭りが開催されています。地域の方の出し物や、小学生による模擬店、消防団によるラッパ吹奏や、最後にはグラウンドの真上で見え、「日本一新幹線の車窓から近くで見える打ち上げ花火」があがります。 写真は2015年8月1日に行われた第39回どんどこ祭のオープニングの様子です。
2020-08-25
62
上田市 西部公民館運動会
毎年10月に上田市西部公民館主催で西部地域の15自治会の精鋭があつまり上田市立西小学校グラウンドにおいて、西部公民館の運動会が行われます。子どもからお年寄りまで参加し、にぎやかなスポーツイベントです。最終的には、各自治会の得点によって順位が決まるため、参加者一丸となってそれぞれの競技に取り組む姿が印象的です。自治会内の交流や、自治会を超えての住民同士の交流の機会になっています。
2020-08-02
63
飯綱神社
祀神は、「宇迦之御魂神(うがのごこんしん)」で、境内には天神社と金毘羅社が合祀され、本殿、拝殿、清殿、石の鳥居が備えられています。1798年(寛政10年)の再建と伝えられ、明治6年村社となりました。板に描かれた古い絵馬、俳句の掲額があり、毎年4月に例祭が行われています。なお、参道には尾崎行雄の記念碑が昭和12年に建立され、「公正自由なる選挙は立憲自治の基礎なり」と刻まれています。出典:『上田 しおじり』/塩尻地区近代化遺産活用ガイドブック編集委員会/ 発行 上田市教育委員会 2003年3月
2019-12-20
64
六寸街道
北国街道岩鼻の坂城町寄りの崖の中腹にある山道です。道幅がとても狭いため6寸街道と呼ばれ、崖下の道が洪水で通れないときに利用されました。街道の中の「親不知らず子知らず」に並ぶ難所でした。 出典:『上田 しおじり』/塩尻地区近代化遺産活用ガイドブック編集委員会/ 発行 上田市教育委員会 2003年3月
2020-01-10
65
去来(きょらい)の句碑
『岩ばなや爰にもひとり月の客』の句碑が1799年(寛政11年)に地元の俳人らによって建てられました。碑石高110cm 幅60cm 雑草が生い茂る中で訪れる人もなく岩鼻の崖下にひっそりとたたずんでいます。「向井去来」(1651年~1706年)は、長崎で生まれた江戸前期の俳人で松尾芭蕉の十高弟のひとりでした。去来の句碑は全国で9基しかないといわれ、長野県では岩鼻の句碑一つだけです。 出典:『上田 しおじり』/塩尻地区近代化遺産活用ガイドブック編集委員会/ 発行 上田市教育委員会 2003年3月
2019-12-20
66
天狗岩(にっこり岩)
参勤交代が行われていた頃のお話。下塩尻山根地籍を通る北国街道は、断崖絶壁の岩と千曲川の急な流れに挟まれて、街道の中でもかなりの難所といわれていました。六寸街道を無事に越すことができた殿様は、お籠から出て一休みしながら山の中腹を見上げると、何やらふっくらとした割れ目がある可愛い岩を見付けました。お殿様は国元に置いてきた奥方様を思い出して思わずニッコリしましたとサ・・・。 出典:『上田 しおじり』/塩尻地区近代化遺産活用ガイドブック編集委員会/ 発行 上田市教育委員会 2003年3月
2019-12-20
67
石造五輪塔(いしづくりごりんのとう)
下塩尻字薬師堂に石造五輪塔(上田市指定文化財)が二つあります。鎌倉時代後期(1300年代始め)の作と推定され、高さは等身大で、ほぼ同じ造りをしています。空論、風論、火論、水論、地論の五つから成り立ち、ともに形が良く整い塔全体に安定感があります。造られた理由等は不詳ですが力のある豪族がこの地にいたことが推測されます。薬師堂瑠璃光如来の祭りは5月5日に行われ、毎年東福寺の住職が来場して、護摩を焚く行事を行っています。五色の吹流しや幟を立て、眼の神様として信仰されたことから「お目玉」と呼ばれるだんごを作って奉納
2019-12-20
68
社宮神(しゃぐじ)
中島集落の西のはずれの一角。梅の古木の脇に祠が祀られています。この祠は縄文時代から農村では物を産み出す大地の精霊(産土の神・うぶすなのかみ)として信仰されてきました。 出典:『上田 しおじり』/塩尻地区近代化遺産活用ガイドブック編集委員会/ 発行 上田市教育委員会 2003年3月
2019-12-20
69
天満宮
1771年(明和8年)の創建と伝えられ、舟形の地形が特徴です。古い絵馬や俳句の額が掲げられています。明治6年に村社になり、かつては春秋の例祭には村人の踊り、大々神楽、相撲等が奉納されました。敷地内には、福島安正書の「菅公一千年記念碑」もあります。 出典:『上田 しおじり』/塩尻地区近代化遺産活用ガイドブック編集委員会/ 発行 上田市教育委員会 2003年3月
2019-12-20
70
水天宮
下塩尻字日月地籍に舟人の守護神、水の神、安産の神として水天宮が祀られています。千曲川水系では比較的大きな社殿と言われ、毎年9月には神主が来場して区民が例祭を行っています。 出典:『上田 しおじり』/塩尻地区近代化遺産活用ガイドブック編集委員会/ 発行 上田市教育委員会 2003年3月
2019-12-20
71
郡道標識と半過の渡し舟
「半過渡船ヲ経塩田方面」の郡道標識が昭和2年下塩尻の青年団によって建てられました。渡しがあった千曲川の川幅は約50mで、昭和16年頃まで主に対岸の人々が中島地籍に田畑を耕作するために利用していました。舟番と呼ばれる人が小さな小屋にいて、両側の人々が大声で舟番に呼びかけると舟を渡してくれました。 出典:『上田 しおじり』/塩尻地区近代化遺産活用ガイドブック編集委員会/ 発行 上田市教育委員会 2003年3月
2019-12-20
72
沓掛酒造
沓掛酒造は1688年創業という古い歴史の中で地酒の醸造元として今も北国街道沿いで酒造りを営んでいます。 沓掛酒造にある蹴鞠は、昭和44年上田市指定有形文化財有形文化財に指定されました。
2020-01-10
73
松翁山芳泉寺(しょうおうざんほうせんじ)
浄土宗。本尊は阿弥陀如来。開創当時は常福寺と称した。1600(慶長5)年真田信之は常福寺を菩提寺としたが、信之の後に上田城主となった仙石氏により常福寺は下之条に移された。代わって小諸の菩提寺である宝仙寺をここへ移し、翌年法泉寺とした。境内には上田市指定史跡の「小松姫の墓」や「仙石家霊廟」がある。
2019-11-29
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