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1小林昌人「蚕業の先駆者を輩出した上田市上塩尻の集落と民家」1990小林昌人「蚕業の先駆者を輩出した上田市上塩尻の集落と民家」1990【左】テキストコード化版 【右】『信濃』誌記事コピー 蚕種製造の中心地であった上田市上塩尻の歴史的・文化財的価値について言及した論文は小林昌人氏(1931~2001、長野県松本市生まれ)の「蚕業の先駆者を輩出した上田市上塩尻の集落と民家」(1990)が最初ではないかと思われる。 ここにその論文を転載し、諸活動の参考にしていただきたい。『信濃』誌記事はコピーでは読みにくいため、テキストコード化も行った。 所載:『信濃』第42巻第1号 pp.23~35 信濃史学会 1990 年1 月 テキストコード化・文書整形:長野大学前川道博研究室 2018 年09 月13 日2022-01-18
2備忘メモ 塩尻地区/上塩尻・過去の調査研究備忘メモ 塩尻地区/上塩尻・過去の調査研究蚕種製造の中心地であった上塩尻(上田市上塩尻)については、過去30年以上にわたり学術的な調査研究、地域づくりに向けた調査研究が取り組まれてきた経緯がある。惜しまれることにそれらは主体が異なり、断続的であることが共通した傾向である。 2018年8月時点で、過去における調査研究をリストアップし、それぞれの調査研究の内容を概観した。2022-01-18
3信州上田学・地域連携パートナー事業アグロフォレストリープロジェクト活動記録3信州上田学・地域連携パートナー事業アグロフォレストリープロジェクト活動記録3Map作成活動    いよいよMap作成活動にとりくむ。地域の魅力を伝えるためにどんなMapが良いか企画を練るうち、 温泉センターで昔の観光地図を発見。レトロなカッコよさに感銘を受け、和テイストで斬新な絵地図を作成する方向性に決定!!  500年続く雨乞い祭りで夫神岳山頂に祀られる龗(おかみ)の文字や九頭竜大権現をモチーフにすることで、里山の自然に畏敬の念を 抱く昔の人の精神性や、現代の日本遺産「龍といきるまち」を表現できるという意見があり、龍を中心にMapを作成することにした。すごく斬新でカッコイイ、他にはないMapができるとワクワク。  龍が守る里、これを見て、「過疎だから移住してきて」で゜はなく、なんだかカッコイイ奴らが里山にいるみたいだから行ってみよう、と若い世代に発信できるようなMapにしたい!と意気込2022-01-14
4上塩尻の集落の模型(1992年)発見上塩尻の集落の模型(1992年)発見【上】集落模型(佐藤家住宅の部分)1992年 【下】集落模型(佐藤家住宅[佐藤尾之七邸宅])1897年(『日本博覧図』所載、上田市立博物館所蔵) 蚕種製造民家群が数多く残る上塩尻の民家は1989年度から1991年度にかけて当時の工学院大学山崎弘研究室によって調査されました。それからかれこれ30年近くが経過し、その調査を知る人も少なくなったばかりでなく、所在がわからなくなっていた調査資料を最近になってやっと探り当てることができました。そのことだけでも大きな感動です。 そしてつい先日、その調査で作成された上塩尻の集落のミニチュアが発見され、眼前で確認しました。「長野県上田市上塩尻の養蚕民家集落 Scale:1/500 1992.3.28 工学院大学 山崎研究室」と記されています。 山崎研究室の調査では、上塩尻の蚕種製造民家のうち23軒が調査2022-01-12
5藤本善右衛門(昌信・保右・縄葛)藤本善右衛門(昌信・保右・縄葛)「上田を支えた人々 上田人物伝 藤本善右衛門(昌信・保右・縄葛)」 https://museum.umic.jp/jinbutu/data/028.html (上田市マルチメディア情報センター) ネットで藤本善右衛門を検索すると参照ページは意外に少なく、現時点ではWikipediaにすら記載されていません。ほぼ唯一、内容を知ることができるのがこの記事です。説明文は『上田市誌第28巻』の「藤本善右衛門」を要約した内容になっています。 「上田地方を蚕種製造の全国的な中心地に発展させた功労者」として紹介されています。藤本善右衛門は蚕種製造を営んでいた上塩尻の佐藤本家の当主の襲名です。代々の当主のうち、特に業績のあった昌信(1722-1773)、保右(1793-1865)、縄葛(1815-1890)が紹介されています。 縄葛は1845年、蚕種の新品種「掛合」を育成し「明治初年の蚕種輸出の大変盛んだった時2022-01-12
6信州上田学・地域連携パートナー事業アグロフォレストリープロジェクト活動記録2信州上田学・地域連携パートナー事業アグロフォレストリープロジェクト活動記録2信州上田学〜地域連携パートナー事業アグロフォレストリープロジェクトでは、長野大学地域づくり総合センターと(一社)信州上田里山文化推進協会が連携して、古くから自然と調和していきてきた先人の知恵を伝承し、次世代の若者が地域資源を活用して自らの力で未来を開いていくための人づくり、地域づくりを行っています。  塩田平・別所温泉地区を中心に、上田市は、「レイラインがつなぐ太陽と大地の聖地〜龍と生きるまち」として、日本遺産になっています。学生たちも龗や九頭竜大権現を祀る男神岳、女神岳に抱かれた民話や雨乞い祭り、文化財について学びました。   今年の8月、10月には、ボランティアガイドの会など他の地域団体とも共同して、日本遺産に認定された塩田・別所地区の文化財についてレイラインの観点から方位や日2022-01-05
7信州上田学〜地域連携パートナー事業アグロフォレストリープロジェクト活動記録1信州上田学〜地域連携パートナー事業アグロフォレストリープロジェクト活動記録1信州上田学〜地域連携パートナー事業アグロフォレストリープロジェクトでは、長野大学地域づくり総合センターと(一社)信州上田里山文化推進協会が連携して、SATOYAMAイニシアチブにもとづずいて、古くから自然と調和していきてきた先人の知恵を伝承し、次世代の若者が地域資源を活用して自らの力で未来を開いていくための人づくり、地域づくりを行っています。今年のアグロフォレストリープロジェクトには、地域の若者、移住者とともに、長野大学の学生が29名(福祉学部4名、企業情報学部1名、環境ツーリズム学部24名)が参加し、若者の視点で見た里山の魅力を絵地図にしました。  持続可能な社会づくりに向けて、自然と調和してきた里山の暮らしを発信していく、SATOYAMAイニシアチブにもとづき、住んでいる人にはあたりまえすぎて気づかない魅2022-01-05
8忠魂碑(御影)忠魂碑(御影)御影区内の成田山境内に建立されている。 昭和27年10月10日再建と刻まれている。 大正4年の『北佐久郡志』の第四編町村篇の南大井村の記述(152ページ)によるとここに再建される以前は和田にあったようである。 「九、兵事  〇忠魂碑 大字和田字北原甲州街道の北側にあり、砲弾形の石碑にして表面明治三十七八年戦役忠魂碑の題字は乃木大将の筆にして、明治四十一年四月の建設。」2021-12-28
9可動式看板「舌喰池で観察される鳥類」可動式看板「舌喰池で観察される鳥類」2022年1月に、可動式看板「舌喰池で観察される鳥類」を以下の内容で作成しました。 2022年2月開催の「舌喰池水鳥観察会」やさまざまなイベント・活動で、この看板(看板の画面サイズ:横幅200cm×高さ100cm、看板の脚を含む高さ160cm)を活用する予定です。 ■看板作成:  長野大学地域づくり総合センター「信州上田学」地域連携パートナー事業 舌喰池水鳥観察会       ■監修:  長野大学環境ツーリズム学部 高橋一秋教授 ■デザイン・鳥類データ(2016年~2021年に舌喰池で調査)・写真(塩田平ため池群で撮影)・イラスト ・解説(出典:原色 日本野鳥生態図鑑<水鳥編>(保育社)、山渓カラー名鑑 日本の野鳥(山と渓谷社)) :  高橋一秋・大和田樹里・三枝広樹・横内はるひ(写真加工)・小猿夏海(イラスト作成)・豊田雄基2021-12-27
10旧坂井村と戦争旧坂井村と戦争地域探求テーマ:旧坂井村と戦争 西上田事報などをこれまで調べてきた際に、戦時中に地方の地域ではどのようなことが起こっていたのか、地域ごとにどれほど戦争によって被害を受けてきたのかを知ることができた。 第二次世界大戦の終戦から76年が経ち、戦争の記憶が若い世代にとって遠いものに感じ始めている。戦争と地元地域を絡めて探求していくことで、より身近に、自分ごとに戦争や自分の出身地域について考えることができると感じた。 また今回は旧坂井村(現・筑北村坂井)の地域を対象としていきたい。 アウトプットの時点では、戦時中の状況を現在に置き換えるなどして、読者がより自分ごとに分かりやすく感じることができるものを目指す。 参考文献:坂井村史 但し著作権等について確認がまだ取れていないため、変更す2021-12-23
11地元の食文化地元の食文化 私が今回焦点を当てたテーマは、佐久市で食されている、鯉や鮒といった県外では食用として馴染みが少ない食材に焦点を当てました。  佐久鯉の歴史は古く、江戸時代、天明元年に佐久桜井村の臼田丹右衛門が、「大阪淀川産」から親鯉数尾を佐久に持ち帰り飼育したことが始まりとされています。交通網が発達していない時代、内陸県の佐久市において、鯉は貴重なたんぱく源であり、当時から人々が集まるような大きな席では必ずと言っていいほど並んでいたほどなので、当時の時点でかなり浸透していたと考えられます。  鯉自体、他の魚の中でも群を抜くほど栄養素が高くも中国では古来から「薬用魚」と言われており、重宝されていたそうです。  そして鯉や鮒が佐久市に根付いた他の理由として佐久市は当時主流であった二毛作が難し2022-02-08
12私の地域探求計画私の地域探求計画タイトル 「上田市の伝承、昔話など」 なぜこの探求テーマを選んだのか 太郎山の「太郎山民俗遊歩」や姨捨山伝説など、上田市には色々な伝承や昔話があることを知った。そこで、そういった話についてもっと知りたいと思った。 何を探求しアウトプット化するか 上田市にまつわる伝承や昔話などを調べる。太郎山民俗遊歩が手元にあるので、まずはその内容を詳しく探求したい。 具体的にどのような資料を調べるか まずは学校の図書館で探してみて、あればそこのものを利用する。なければ上田市立の図書館を利用する。インターネットも使うが、できれば極力使わない方針で行きたい。2021-12-23
13上田の蚕種業上田の蚕種業【上田の養蚕業】 江戸の末期から昭和にかけ、全国一の養蚕地帯でった長野県。特に上田地方は千曲川から広がる桑の栽培に適した地形と降水量の少ない養蚕に適した気候、そして蚕種の改良から日本一の蚕種製造地帯であった。中でも上田盆地は春蚕の生産地であり、松本盆地の夏秋蚕と対比されていた歴史がある。 【上田の蚕種の歴史】 -蚕種の始まり- 長野県では上田地方がいち早く、藤本善右衛門家によって1661年~1673年に蚕種製造がはじめらた。 上田地方の蚕種製造は ①奥州産蚕種を仕入れ販売(仕入種) ②奥州へ出向き蚕種製造(手作種) ③自家製造(地種) と順を追って成長し全国に販路を広げていく。 -蚕種製造が盛んになった背景- ① 江戸時代、経済が発達による養蚕業や織物業の奨励 ② 蚕種・養蚕・製糸の分業化 この2021-12-22
14戦後の上田戦後の上田西塩田時報を読んで戦後の上田について興味を持った。戦後に刊行された西塩田時報から資料を収集したいと考えている2021-12-22
15上田市無電柱化推進計画について上田市無電柱化推進計画について これは上田市が出している上田市無電柱化推進計画である。ここには無電柱化の推進に関する基本的な方針が示されており、現在の上田市における無電柱化の現状や今後の方針など上田市における無電柱化について全て掲載されていた。2021-12-22
16上田別所線を掘り下げ、広めたい。上田別所線を掘り下げ、広めたい。上田別所線は改めて掘り下げてみたい。今年になり、事故から復活し全線開通となった上田別所線。上田市街に行ける唯一の公共交通機関として長大生は多く利用していると思う。上田別所線をの歴史なども掘り下げ、もっと広める方法を資料を参考にしながら考えていきたい。2021-12-22
17アリオ上田前の無電柱化の工事写真アリオ上田前の無電柱化の工事写真 これは上田のアリオ前の交差点を撮影したものである。前回は別所線の城下駅から赤坂上駅の間で電柱の地中化について触れたが、今回は少し離れた上田のアリオ前でもやっていたことからこの工事は一部分の電線の地中化ではなく大規模な工事なのではないかと思った。そのため、インターネットを使い上田市の電柱の地中化について調べてみると上田市が公式に出している計画案を見つけることが出来た。  電線の地中化の工事は写真のように一度あった歩道や道路を掘り返して設置していくため、多くの手間と時間がかかる。2021-12-22
18ここらへんで一旦まとめここらへんで一旦まとめなんで上田探検をしているののか、それはゲームを作りたいからです (なんでわざわざ”ゲーム”なのかというのは「どうして地域資源で遊ぶの?」の記事を参照) 参照とは書きましたが一応なんとなく概要だけ。ホビーとして地域資源を発信すれば興味が無い人でも巻き込めるかなって思っているからです。さわりだけでも「こういうのがあるんだ!」みたいな感覚になって上田に触れる人が一人でも増えてくれたら嬉しいです。 さて、ここまで色々なものを見てきました。古墳、池、景色と。 それをどうゲームにまとめるか。 https://docs.google.com/document/d/1moarKFrUze8l2_XUbDJjwM9SZ0_LW3H7RcgTzq4o_4A/edit?usp=sharing 原案としてはこんな感じにまとまっております。 簡単に説明しますとマップは別所線区間内で行う陣取りゲームです。 特産品などを宣伝だった2021-12-22
19真田街道へ真田街道へ真田街道ののれんが立ち並んでおり、暗い中でも 目立っていました。 交差点付近に石碑が建てられており、 車通りの多い道路がすぐそこにあって騒がしい感じがしていたけれど、歴史を感じる静かな雰囲気がありました。 真田氏 祖父幸隆、父昌幸、兄信之が統治した地を結ぶ街道の通称で、江戸期には嬬恋村を通って高崎市方面へ抜ける街道を上州街道、信州街道と呼び、高崎市から沼田市を通って片品村、会津方面へ抜ける街道を会津街道(群馬県側の総称)、沼田街道(福島県側の総称)と呼んでいたとされています。 URL:https://www.city.ueda.nagano.jp/contents/sanadakaidou/2021-12-15
20上田地域の地形的変遷上田地域の地形的変遷–なぜその探求テーマを選んだのか 上田で生まれたが、その時とは既に街の様子が変わっている。昔から上田を遡った時に、地理的にどんな変遷をしてきたのか興味を持ったため。 –何を探求しアウトプット化するか 気候や土地柄を軸にして、どのように変遷してきたのか分かりやすくまとめ、アウトプットしていきたいと思う。 –具体的にどのような資料を調べるか デジタルアーカイブや、地理院の地図、気象庁の統計などを元に、資料を参照していく予定である。2021-12-21
212つの視点2つの視点これまでのフィールドワークは「上田紬」を軸に行った。上田紬を知ることから始め、実際に体験したことで、知る前とは違う視点で上田の街を探検することができた。 今後の見通しとしては上田紬について「興味を持ってもらう」ことと「もっと現代の生活に生かす」ことの2つの視点で、自分なりの具体案の提案をしてみたいと思う。2021-12-22
22太郎山山頂太郎山山頂太郎山の山頂です。もっと良い場所から写真撮りたかったんですが、人がいっぱいいたのでちょっと難しかったです。上田市全体が見れますし、一応ここからも富士山を見ることができるらしいです。2021-12-22
23上田自然運動公園上田自然運動公園上田自然運動公園には体育館プールを中心に、マレットゴルフ場アーチェリー場がある。周囲は四季折々の鮮やかな顔を見せてくれる。敷地内にはひょうたん池という小さな池があり、コガモやカルガモなどの数種類の水鳥が生息していた。コガモは水中に顔をつけながらぐるぐると回り食事をしていて愛らしかった。長野大学からも近いため水鳥を見たい方は行けば愛らしい水鳥の姿が観察できるだろう。2021-12-22
24あんかけ焼きそばとの出会いあんかけ焼きそばとの出会い 以前から耳にしていた「上田に来たならあんかけ焼きそばを食べるべき」というおすすめを聞いて、気になっていました。バス停から少し上り坂を上ったところにあるお店「しんりん」さんで無事いただくことができました。  酢とからしをかけて食べた方がさらにあんかけ焼きそばの真価を味わえたと思いますが、忘れてしまい、かけずに食べきってしまいました。  それらを抜きにしても、濃すぎず、冷たい体に染みるような、ちょうど良い温かさのあんかけと、焦げ目がついて香ばしい味がするちりめんが程よいバランスでとても美味しかったし、ボリュームがあるあんかけ焼きそばをお腹いっぱい食べることができて、あんかけ焼きそばへの好感度が上がりました。 発祥は、真田坂を上った先にある海野町商店街を左折したところにある福2021-12-15
25上田藩主上田藩主上田と言えば真田氏が思い浮かぶが、その後の仙石氏・松平氏の治政はどのようなものだったのか気になったので調べ、それぞれを比較してみたいと思う。 参考資料については、上田市立博物館やデジタルアーカイブなどを活用して調べていきたい。2021-12-21
26標高605m標高605m上田駅発の菅平線バスに乗り、揺られること20数分… スポットライトに照らされた「幸村の里」の大きな看板を目印に、降車を決意しました。 降りたのは「殿城口」というバス停でした。 この写真は、歩道を歩いていて目に入ってきた看板を撮影したものです。上田市は上り坂も下り坂も多く、山の上にいる事を体感しますが、こうして看板を見ると、より山の上にいることを実感します。2021-12-15
27可動式看板「舌喰池で観察される鳥類」可動式看板「舌喰池で観察される鳥類」2022年1月に、可動式看板「舌喰池で観察される鳥類」を以下の内容で作成しました。 2022年2月開催の「舌喰池水鳥観察会」やさまざまなイベント・活動で、この看板(看板の画面サイズ:横幅200cm×高さ100cm、看板の脚を含む高さ160cm)を活用する予定です。 ■看板作成:  長野大学地域づくり総合センター「信州上田学」地域連携パートナー事業 舌喰池水鳥観察会       ■監修:  長野大学環境ツーリズム学部 高橋一秋教授 ■デザイン・鳥類データ(2016年~2021年に舌喰池で調査)・写真(塩田平ため池群で撮影)・イラスト ・解説(出典:原色 日本野鳥生態図鑑<水鳥編>(保育社)、山渓カラー名鑑 日本の野鳥(山と渓谷社)) :  高橋一秋・大和田樹里・三枝広樹・横内はるひ(写真加工)・小猿夏海(イラスト作成)・豊田2021-12-21
28戦中・戦後の食生活戦中・戦後の食生活西塩田時報を読んで、昔の食生活に興味を持った。 食料に限りがあった中でどんな工夫がなされていたのか、戦中から戦後で食生活がどのように変わっていったのかなどについて調べたい。 資料としては西塩田時報を主に活用する予定。2021-12-21
29上田電鉄別所線の軌跡を追う上田電鉄別所線の軌跡を追う上田の市街地に向かうとき、大学に行くとき、夕飯の買い物に行くとき…。皆さん少なくとも一度は、上田電鉄別所線を利用したことがあるのではないでしょうか。 別所線は今年で100周年を迎えたそうです。そこで私は、その100年の間にどういう改革やストーリーがあったのかを調べて発信しようと思います。 参考資料は、主に昔の文書や新聞記事、可能であれば別所線の運営に携わる方にインタビューが出来たら良いなと考えています。2021-12-21
30上田市の養蚕業の発展と今上田市の養蚕業の発展と今なぜその探求テーマを選んだのか 1年生の時、常田館製糸場を訪れ、蚕の製造方法や過去から現在までどのようにして衰退していく養蚕業を守り続けてきたかを学び興味を持った。 何を探求しアウトプット化するか 蚕の衰退原因とそれをどのようにして解決するかを探求し、常田館製糸場のように蚕を使った現代アートを作り、現代に繋げるといった活動などをどのように広めるかの案を考える。 具体的にどのような資料を調べるか 上田市公文書館ネットなどの資料や実際に聞いた話を参考に様々な視点から調べる。2021-12-21
31明治・大正期における上田の金融の歴史について明治・大正期における上田の金融の歴史について・テーマ選定理由:上田はかつて蚕糸業が発達した地域であり、それに伴って金融業が栄えた歴史があることを知り、興味を持ったから。 ・何を調べる:明治・大正期の金融に関する資料、年表を当たり、それによって当時の上田が全国的にどれぐらいの規模で経済的に栄えていたのかを調べる。 ・具体的な資料:国立国会図書館資料、去年授業で扱った上田市誌データ、附属図書館内の書籍2021-12-21
32上田城散策② 本丸東虎口上田城散策② 本丸東虎口上田城後のシンボルとされ、昭和34年に長野県宝に指定されているという本丸東虎口。そう言われているだけあって迫力がすごかった。2021-12-21
33上田城散策① 真田石上田城散策① 真田石大きな石垣が目を引く真田石。真田信之が父の形見として持って行こうとしたが微動だにしなかったという言い伝えがあるそう。どこの石垣を見てもそうだが、どういった技術で石をこんなに高く積んだのかとても気になる。2021-12-21
34温泉(大湯・石湯・大師湯)温泉(大湯・石湯・大師湯)大湯 北条義政や木曽義仲が愛妾である葵御前としばしば入浴したと言われている。北条義政が浴室を建てたことから「北条湯」、葵御前にちなんで「葵の湯」とも呼ばれていたが、後にその溢れ出る湯の量の多さから「大湯」に改められた。 石湯 池波正太郎の代表作「真田太平記」で真田幸村と女忍者・お江が、ここ石湯で出会いその後結ばれるというエピソードから真田幸村の隠し湯であったと言われている。 大師湯 天長2年(825年)比叡山延暦寺の座主円仁慈覚大師が北向観音建立のために来る度に、好んで入浴したことからこの名がつけられた。かつては、北向山に参詣した籠の者が夜通し入れ替わりで利用したため籠の湯とも呼ばれていた。また、昔矢傷を負った雉子(キジ)が傷を癒やしたことから「雉子湯」と呼ばれたこともあった。2021-12-21
35西塩田時報から見る戦争西塩田時報から見る戦争情報通信文化論の講義で西塩田時報の存在を知り、斜め読みをしてみてやはり戦争のことが多く取り上げられていたためそこからこの地域における戦争についてのことが少しわかるのではないかと思ったため。範囲は戦前までとし、莫大な量があるため適宜ピックアップしていく。2021-12-21
36上田市の観光上田市の観光私は、上田市の観光名所や名物について探求したいと思います。 今知っている情報に加え、新しい情報や知識を収集することで自分も上田市のことを楽しみながら学び、発信したいと考えています。 具体的に、観光地や名物についてのサイトで情報を集めたり、訪れたりしたいと考えています。2021-12-21
37上田飯上田飯上田の名物といえばなんだろうか。まず挙げられるのは美味ダレと自慢焼きか。この二つくらいならば上田市民ではない私でも知っている。そんな上田飯のルーツ等に興味を持ったので調べて投稿していきたい。ついでに最近の上田飯として上田圏内の美味しい店等も上げられたらと思っている。2021-12-21
38美味だれ美味だれ探求テーマ選択理由:自分は居酒屋でバイトをしているのだが、焼き鳥に付けるために出されているたれをとても美味しく感じ、またそのタレが上田名物と知ってより興味が湧いたから。 探求内容:たれが上田市民に取ってどのような存在なのか、全国にはどれほど知れ渡っているのか、どのように作られているのかなど。 調査に用いる資料:おいだれ図鑑2021-12-21
39明治の上田での生活明治の上田での生活私は歴史が好きで、特に過去の庶民の暮らし等の大衆文化に興味があるので、明治~大正時代の上田市民の生活について探求していきたいと思います。 昔の地域独特の文化や特徴、上田で生きる上での庶民の知恵などを調べ、当時の生活について知ることでより知見を広げていきたいです。また、上田市での暮らしを知ることにより、地域発展のヒントを得られればなと思います。 調べ方については、資料館や図書館等に足を運んだり、デジタルアーカイブ等で資料を探したいと思っています。2021-12-21
40北国街道柳町北国街道柳町石畳が敷かれた古き良き街並みが魅力の柳町。名前の通り柳の木が生えており、春になれば見事なしだれ柳を楽しむことができます。上田の名物グルメのお店が集まるグルメスポットとしても注目されています。2021-12-21
41温泉の歴史温泉の歴史私はグループで上田の温泉について調べることにしました。上田は温泉が有名であるということを聞いていたので、どのような歴史がありどのように親しまれてきたのかを調べてみたいと考えました。それぞれの温泉について資料や実際に温泉を訪問したり地域の方の声も聞いてみたいと思います。その中で各々の特徴を比較し上田の温泉についての理解を深めていきたいです。2021-12-21
42温泉の歴史温泉の歴史私たちは上田の名物の一つでもある温泉について調べることにしました。 以前から上田は温泉の名所と聞いていたため、どういった歴史がありどのように親しまれてきたのか調べたいと考えました。 それぞれの温泉について資料や実際に訪れ地域の方の認識や意見を聞いてみたいと思います。 その中でそれぞれの特徴を比較していき温泉を通して地域理解を深めていきたいと思います。 今回はグループで探求していきます。2021-12-21
43上田駅お城口上田駅お城口上田駅といえば、真田氏ゆかりの六文銭マークのイメージが強いと思います。駅前の広場には真田幸村の騎馬像もあります。馬にまたがる勇ましい姿が印象的です。 周辺には中国寧波市から寄贈された石刻獅子像や、上田駅再開発のモニュメントとして作られた水車などがあります。どれも上田駅のシンボルとして親しまれています。2021-12-21
44上田のため池上田のため池私たちは上田市塩田のため池について調べようと思う。 このテーマを選んだ理由は、上田に来てため池が地元と比べ多いという印象を抱いたからである。どうしてこんなにため池が多いのか興味を持ったので、塩田の歴史やどんなものがあるのか調べたいと思った。 上田市文書館の資料や長野大学付属図書館、塩田の里交流館などで塩田の歴史とため池の関係をまとめていきたい。2021-12-21
45米久肉店米久肉店 アリオ前にある、お持ち帰り専門の焼き鳥屋「米久肉店」。こちらでは信州上田の名物である「美味だれ」を焼き鳥にかけて食べることが出来る。1本60円という低価格で、私は「もも・ねぎま」を計20本ほど購入した。  家へ帰宅し、容器を開けてみると、焼き鳥と美味だれの香りがぶわっと広がり、食欲がさらにそそられる。お肉は絶妙な焼き加減でぷりぷりしていて、甘いたれがよく合い、いくらでも食べられてしまいそうだった。  注文は早めに電話をしたほうがいいと思う。2021-12-21
46さわむらさわむら 上田市丸子にある和洋菓子店「さわむら」。先日、バナナマンの日村さんがロケで訪れ、長野県を代表する郷土食の一つである「おやき」を紹介していた。1つ140円で、1日なんと500個も売り上げるそうだ。  私はあんこと野沢菜の「おやき」を購入した。生地はびっくりするほどモチモチ、そして自家栽培の野沢菜を使用しているようで、塩味が程よく生地に合い、多くの人に愛されているのが納得できた。  完売するのが早いので、購入する方は開店してからすぐに来店してほしい。2021-12-21
47華龍飯店華龍飯店 上田市上田原にある中国四川料理の「華龍飯店」。安い値段で大盛りが評判と聞いてはいたが、今回が初めての来店でとても楽しみにしていた。  私は「炒飯と唐揚げ1個ランチ」を注文。注文の品が届き驚愕したのが、炒飯の量と唐揚げの大きさである。炒飯は食べても全然減らず、半分食べてやっと多店舗の一人前という印象を受けた。また、唐揚げは自分の拳と同じくらいの大きさで、これだけでも満足感が得られた。  来店される方はお腹を空かせていかないと痛い目を見るので注意してほしい。  最後に、メニューを見ていると「カエルの唐揚げ」があり挑戦するのにかなりの勇気がいるなと思った。2021-12-21
48塩田平 地形塩田平 地形塩田平は典型的な盆地であり、かつて湖であった場所が産川や浦野川によって埋め立てられたものと考えられている。また、特徴的な地形として、鴻ノ巣バッドランドが挙げられる。バッドランドとは、「無数のかれ谷が密に深く刻み込まれ急斜面の斜面と、細かなひだが入り組む複雑に発達した水系網を特徴とする地形」(引用)地質を反映した地形[国土地理院]バッドランド (2021/12/21閲覧) である。 写真の黄色くマークされた場所は、鴻ノ巣バッドランドの場所である。もう一枚は、地理院地図3Dの鴻ノ巣バッドランド3D地形である。 参考・出典 地理院地図Vector[国土地理院]鴻ノ巣バッ2021-12-21
49塩田平 観光塩田平 観光塩田平には生島足島神社や安楽寺、前山寺に代表される多くの寺や、神社があり、それを観光資源として利用している。また、別所温泉という温泉もあり人気の観光地となっている。 写真は前山寺。 参考・出典 [上田市]信州上田観光情報/温泉エリア (参照 2021/12/20)2021-12-21
50塩田平 気候塩田平 気候日本有数の寡雨地域であり、内陸性の気候であるため夏は平均気温は高い。冬は気温は低いものの、雪はあまり降らない。また、内陸性の気候によって年較差が大きく、盆地特有の気候によって日較差も大きい傾向にある。日照時間も全国平均より長い傾向にある。寡雨地域であることで、過去には養蚕が盛んになったり、ため池が多く作られたりした。 写真は日照時間に影響される太陽光発電の写真と、ため池の多さを示した地形図である。 参考・出典 長野県地方気象台/長野県の気候 地理院地図Vector[国土地理院]上田市地形 (参照 2021/12/20)2021-12-21
51塩田平 農業塩田平 農業主に稲作が盛んで多くの田が見られる。しかし、一様にただけでなく畑作も見られる。また、高地には果樹栽培も見られる。塩田平の農業の特徴は、なにより多くのため池による灌漑であるだろう。塩田平という地域は日本でも有数の寡雨地域である。この地図は、塩田平の地形図と土地利用についての地図である。多くのため池が確認でき、ため池の周りでは稲作、山の麓に行くにつれ畑作が多くなっていることが読み取れる。 参考・出典 地理院地図Vector[国土地理院]地形と土地利用 (参照 2021/12/20)2021-12-21
52塩田平 工業塩田平 工業塩田には多くの工場が存在する。この写真はその中の一部の写真である。上田市は、最大5000万円の助成金なども出し、積極的に企業誘致を進めている。 参考・出典 上田市-工場等設置事業助成金 (参照 2021/12/20)2021-12-20
53美ヶ原公園西内線を考える美ヶ原公園西内線を考える美ヶ原公園西内線は、美ヶ原に至る道と松本に至る道がある。 しかし、松本方面への分岐地点である武石観光センターあたりに、通行止めの看板があるため、通り抜けはできなそうだ。 そもそも単に松本方面に行きたいだけなら、北側に国道254号線が通っている。 わざわざ狭いこちら側を通る必要がない。 ちなみに、武石峠あたりから国道254号へつながる道があるが、年中通行止めである。 美ヶ原方面の道には、路面状況の悪い箇所、道幅の狭い箇所などが見受けられる。 加えて、冬季は通行止めになる。 前の投稿で、上田側からは白樺湖の方を通っていくのではないかと投稿した。 こちらは県道、あちらは国道なので無理もない。 以上のことを考えると、今現在この道の利用価値は限られていそうだ。2021-12-20
54美ヶ原と上田美ヶ原と上田上田側から美ヶ原へと向かう際に使うのが美ヶ原公園西内線。 この道には本格的な山道に店という店はなく、登り口に武石観光センターがあるだけである。 それに対し、諏訪方面からビーナスラインを通って行くと、霧ケ峰・白樺湖を中心に数々の店や温泉、ホテル等楽しみがある。 道路を比較してもビーナスラインのほうが走りやすく、知名度も高い。 そのため、上田側から美ヶ原に行こうとした際に、走りにくく楽しみも少ない美ヶ原公園西内線を選ぶより、白樺湖→霧ケ峰→美ヶ原のルートを選ぶ人が出てくるだろう。 せっかく上田から美ヶ原につながる道があっても、以上の理由で使われる頻度が少ないのならもったいないと感じる。2021-12-20
55「上田市の主な工業」まとめ「上田市の主な工業」まとめ今回、上田市内における十の企業を調査気づいたことをまとめていきたいと思う。 まず一つは、やはり機械・精密機器製造が盛んであったということだ。上田市は隣接する坂城町同様に機械・精密機器を工業の強みとしているという情報は調査前に持っていたが、実際に具体的な企業を通じて知ることができた。逆に、針や食料品などの製造にも大きな役割を持っているということも確認でき、多様性も見ることができた。 次に、全国、または世界に展開する企業が複数あったということだ。上田という地から多くの製品が広がりを見せていくというのは、上田で学ぶ人間として驚きであり、誇らしいことでもあった。 今回は数多く存在する中小企業に触れることができなかったために調査結果としては物足りなさがあるが、上田市の工業における一般2021-12-20
56《上田市に主力工業を置く企業④》エスビー食品株式会社《上田市に主力工業を置く企業④》エスビー食品株式会社関連会社など(国内):県内二つ・東京・北海道・岩手・宮城・千葉・埼玉・神奈川・新潟・静岡・愛知・石川・大阪・広島・岡山・香川・福岡・鹿児島・沖縄 主力製品:食料品 スパイス&ハーブ・香辛料 カレー・シチュー・ハヤシ パスタ・その他麺類 中華・エスニック 紅茶 ジャム・タルト インスタント食品 ぬか漬けの素 フレッシュハーブ 健康食品 参考資料 S&B ヱスビー食品株式会社(https://www.sbfoods.co.jp/) エスビー食品株式会社 代表取締役社長 小形 博行  2021/12/13参照2021-12-20
57《上田市に主力工業を置く企業③》東京特殊電線株式会社《上田市に主力工業を置く企業③》東京特殊電線株式会社関連会社など(国内):県内二つ・群馬 関連会社など(国外):中国・インドネシア・フィリピン 主力製品:ケーブル ・高性能同軸ケーブル (半導体テスタ、USB3.1 Type-C、次世代映像インターフェース、5G機器、Virtual Reality機器など) ・三層絶縁電線(車載用や、大容量サーバ用などの高周波、高出力トランス用途) ・耐熱電線(自動車・産業機器などの内部配線) ・極細合金線(各種コイル、電子部品、高周波部品など) ・高周波ケーブルアセンブリ(デジタル信号伝送用途など) ・ヒータ製品(採暖・加熱・保温・防露・霜取・育苗など) ・コンタクトプローブ(ICパッケージ基板・高密度プリント基板・半導体ウェーハ(プローブカード)の検査など) ・フレキシブルフラットケーブル(電気・電子機器内部の信号伝送や電力供給) 参考資料 東京特殊電線株式会2021-12-20
58《上田市に主力工業を置く企業②》長野計器株式会社《上田市に主力工業を置く企業②》長野計器株式会社関連会社など(国内):県内四つ・東京・北海道・宮城・埼玉・千葉・神奈川・静岡・愛知・富山・滋賀・大阪・香川・広島・福岡 主力製品:圧力計や圧力センサを中心とする各種センサなどの精密機器 参考資料 長野計器コーポレートサイト(https://www.naganokeiki.co.jp/)長野計器株式会社 代表取締役社長 佐藤 正継  2021/12/13参照2021-12-20
59《上田市に主力工業を置く企業①》山洋電気株式会社《上田市に主力工業を置く企業①》山洋電気株式会社関連会社など(国内):県内三つ・東京・北海道・宮城・栃木・山梨・石川・静岡・愛知・京都・大阪・広島・福岡 関連会社など(国外):中国・台湾・韓国・タイ・インド・シンガポール・ジャカルタ・アメリカ・フランス・ドイツ 主力製品:精密機器 ・クーリングシステム(冷却ファン,ファンユニットなど) ・パワーシステム(太陽光発電システム用パワーコンディショナ,無停電電源装置 (UPS)など) ・サーボシステム(サーボモータ・アンプ,ステッピングモータなど) 参考資料 山洋電気株式会社 (https://www.sanyodenki.co.jp/) 山洋電気株式会社 代表取締役会長 山本 茂生  代表取締役社長 児玉 展全  2021/12/13参照2021-12-20
60[上田市に本社を持つ企業⑥]松山株式会社[上田市に本社を持つ企業⑥]松山株式会社関連会社など(国内):県内三つ・北海道・宮城・栃木・岡山・熊本・宮崎 主力製品:水田や畑の改良整備や耕起などの用途の作業機 参考資料 ニプロ 松山株式会社(https://www.niplo.co.jp/) 松山株式会社 取締役社長 松山 信久  2021/12/13参照2021-12-20
61上田らしさ上田らしさ上田駅のすぐ近くにあるこの水車。そして銅像。初めて上田駅に訪れた時から感じてはいたが、駅の改札を抜けてからここまで市の特徴が入りやすい駅は興味深い。というのも、私は、駅はその場所のファーストインプレッションであり、その地域の雰囲気を掴む大切な場所だと考えている。駅の中で目にしたモチーフ、上田であれば真田という大きな売り出しポントが駅の中にも、街の中にも全面的に出されているのが非常に面白く、街を歩くのが楽しかった。2021-12-20
62[上田市に本社を持つ企業⑤]株式会社シーティーエス[上田市に本社を持つ企業⑤]株式会社シーティーエス関連会社など(国内):県内二つ・北海道・岩手・宮城・山形・福島・茨城・栃木・群馬・千葉・東京・新潟・富山・石川・山梨・岐阜・静岡・愛知・三重・京都・大阪・兵庫・広島・福岡・熊本・宮崎・鹿児島・沖縄 主力事業:ITインフラ・工事など ・デジタルデータサービス事業 (建設業向けクラウドストレージサービスを軸とした、建設現場向けITインフラシステムの提供) ・測量計測システム事業 ・ハウス備品事業(ユニットハウス・オフィス備品や空調機能などのレンタル、販売) ・環境安全事業(道路標示・標識等の交通安全に係わる事業と、公園施設等の環境安全に係わる事業) 参考資料 会社概要|株式会社シーティーエス(https://www.cts-h.co.jp/company/data/) 株式会社シーティーエス 代表取締役社長 横島 泰蔵  2021/12/13参照2021-12-20
63[上田市に本社を持つ企業④]アート金属工業[上田市に本社を持つ企業④]アート金属工業関連会社など(国内):県内三つ・愛知・大阪 関連会社など(国外):ドイツ 主力製品:ピストン(自動車のエンジンなど内熱機関において、熱エネルギーを運動エネルギーに変換する部品) 参考資料 アート金属工業 公式企業サイト (http://www.art-piston.co.jp/) アート金属工業株式会社 代表取締役社長 三城 伸五  2021/12/13参照2021-12-20
64[上田市に本社を持つ企業③]オルガン針株式会社[上田市に本社を持つ企業③]オルガン針株式会社関連会社など(国内):県内四つ・熊本 関連会社など(国外):ベトナム・中国・台湾・シンガポール・ドイツ 主力製品:針 ・ミシン針(家庭用・工業用いずれも) ・メリヤス針(ニット素材に用いられる) ・フェルト針(繊維を複雑に絡め合わせた不織布をつくる) ・ブローブ(「導通検査=電気的な接続を確認する試験」に用いられる) 参考資料 オルガン針株式会社 「一本の針に心を込めて、世界の顧客に手渡そう」. (https://organ-needles.com/company/outline/) オルガン針株式会社 代表取締役社長 増田 良介  2021/12/13参照2021-12-20
65[上田市に本社を持つ企業②]日置電機株式会社[上田市に本社を持つ企業②]日置電機株式会社関連会社など(国内):県内三つ・宮城・石川・埼玉・東京・神奈川・静岡・愛知・大阪・広島・福岡 関連会社など(国外):アメリカ・中国・シンガポール・タイ・韓国・インド・ドイツ・台湾・アラブ首長国連邦・インドネシア 主力製品:電気計測器 ・自動試験装置(基板検査装置) ・記録装置(データロガー、メモリハイコーダ、デジタルオシロスコープ) ・電子測定器(LCRメータ、電力計、耐圧試験器など) ・現場測定器(クランプメータ、テスタ、絶縁抵抗計など) 参考資料 日置電機株式会社-Hioki(https://www.hioki.co.jp/jp/)  日置電機株式会社 代表取締役社長 岡澤 尊宏  2021/12/13参照2021-12-20
66[上田市に本社を持つ企業①]シナノケンシ株式会社[上田市に本社を持つ企業①]シナノケンシ株式会社関連会社など(国内):県内三つ・東京 関連会社など(国外):アメリカ・ヨーロッパ・中国・台湾・タイ・インド・メキシコ 主力製品:電子機器・精密機器 ・精密モーター、アクチュエータ ・産業システム機器(映像/ハイスピードカメラ・サーモ グラフィー(遠赤外線カメラ)) ・福祉・生活支援機器(録音図書機器、補聴器) 参考資料 ASPINA|シナノケンシのコーポレートブランド(https://jp.aspina-group.com/ja/) シナノケンシ株式会社 代表取締役社長 金子 元昭  2021/12/13参照2021-12-20
67別所温泉駅から上田の現状を見る別所温泉駅から上田の現状を見るフィールドワークの時間を使いほとんど行ったことのなかった別所温泉駅へと出向いた。ほかの別所線駅との違いとして、上田駅以外にはトイレなどはなく最低限の椅子しかないところが多い。しかし別所温泉駅は駅にトイレもあり、観光案内所やしっかりとした待合室が備えられていた。また、歓迎を表す置物や旗が、さらにはレンタル自転車まで置かれており電車を利用したお客さんにとってはかなり素晴らしいのではないかと思った。しかし、別所線でこのレベルなのはここと上田駅だけなのでほかの駅の質素さも目立ってしまうと感じた。2021-12-20
68柳町散策① 柳町屋柳町散策① 柳町屋柳町を進んでいくと赤いのれんが目を引く「柳町屋」というお店を発見した。上田ブランド研究所のラボショップだそうだ。そこでアップルたまごタルトを購入した。軽食にぴったりでとっても美味しかった。2021-12-20
69自慢焼きの歴史自慢焼きの歴史上田市の名物の1つである自慢焼き。上田市民で食べたことがある人や知っているという人は結構な数がいると思います。それがいつからできて、どのように有名になったのかが気になったので調べようと思いました。 実際に自慢焼きを買ってみて写真をアップしたり、自慢焼きのルーツは何かを簡単にまとめたいと思います。 出来たら自慢焼きを実際に作っている映像をリアルタイムで配信しているサイトのURLも貼れたらいいと考えています。2021-12-20
70柳町柳町柳町が面する通りは北国街道といい参勤交代の大名や佐渡金山の金の通路、庶民の善光寺参りの参道として賑わったそう。 柳町のホームページによれば、真田信之が藩主になってからの『元和年間上田城図』には柳町の名前が掲載されているそうだ。(https://yanagimachi-ueda.jp/history)2021-12-20
71上田市の映画館上田市の映画館 私は「上田市の映画館」を地域探求テーマにして探求していきたいと考えている。  なぜならば、情報通信文化論の授業中に触れた「上田市街明細図」に上田劇場や上田電機館などの施設が載っていたが、ネットで調べて見てもどのような歴史があったのか、どのような作品が上映されていたかが不明瞭だったため、調べて見たいと感じたからである。  このテーマを探求し、上記の上田劇場の他にどのような劇場があったのか、どのような作品が見られていたかのアウトプット化を行っていきたいと考えている。  調べ方については、上田市内の図書館へ赴き資料の閲覧を主に行い、現在も残っている施設に関しては、直接足を運ぶことも視野に入れて探求していきたい。2021-12-20
72サントミューゼサントミューゼ上田駅から10分ほど歩き、サントミューゼを訪れた。驚きであったのは、複合型文化施設であるということだ。演劇や演奏が行われるホールもあれば、美術館もある。他にも、普段から市民が利用できるような防音室や個室があった。ここに来れば、文化的経験ができると思わせてくれる場だった。芸術ふれあい事業など地域の文化活動の活性化にも貢献しているようだった。また、外は芝生の広場になっていて、ボール遊びをする人、ごはんを食べる人、何かをノートに書いている人がいて、いろいろな過ごし方をしていて、面白いと思った。2021-12-19
73フィールドワーク(2)についてフィールドワーク(2)について前回のフィールドワークは「上田の歴史に触れる」というテーマで行った。今回は前回の歴史に関連して、歴史ある場所散策してみた。2021-12-19
74「西塩田時報」から見る戦時期の上田「西塩田時報」から見る戦時期の上田探求テーマ選択理由:個人的に歴史関連の授業で戦争について学んでいる事もあり、戦争下で生きていた人々の足跡に興味を引かれている。そして先日「西塩田時報」を読んだとき、戦争に関わる内容が多いと感じた。当文献を用いたこの探求テーマなら、自らの興味を満たす調査が行えるのではないかと思ったため。 探求内容:戦前・戦後の人々の生活を表す記事をいくつかピックアップし、自らの所感を述べていく。 調査に用いる資料:「西塩田時報」2021-12-19
75仙石氏と松平氏の歴史仙石氏と松平氏の歴史 仙石氏は三代から五代目の上田城の城主を務めました。三代目城主の仙石忠政が関ヶ原の戦い後に破却された上田城を再建させ、現存する西櫓もこの時に建てられた貴重なものとなっています。  松平氏は六代から十二代目までの城主を務めました。その間実に160年余りであり、上田城の歴史の半分以上が松平氏が治めていたことになります。主に千曲川の洪水によって破損したがけの石垣の設置や、地震による石垣と櫓の修復工事などが行われていました。2021-12-17
76柳町柳町 上田城築城とともに作られた城下町であり、旧北国街道沿いの江戸時代のころからの面影が残る街並みになっています。現在ではお酒や味噌などのご当地名産品を扱っている店が多くあります。上田城から歩いて10分ほどの距離のため、お城への観光のついでに寄ってみるのもいいでしょう。2021-12-17
77山道の役割山道の役割色々な山道を通ってきてわかってきたことは、町から町へ通り抜けるための山道と、ドライブスポットとしての山道に分けられることだ。 通った道の例を挙げると、前者は鳥居峠や新地藏峠が当たる。しかし、新地藏峠に関しては真田町やそれより北の地域から長野市に行くときは近道になるが、上田市街地からなら街中を通った方が近道になる。 後者は、美ヶ原公園西内線・長野県道178号・ビーナスライン、記事には上げていないが室賀峠等が挙げられる。 平地の道路網が発達するにつれ、走りにくく時間のかかる峠道の使用率は減り、廃道化の進む道が出てくるのだろう。2021-12-17
78冬の美ヶ原へ冬の美ヶ原へ美ヶ原へのアクセス方法はいろいろあるが、上田側からだと美ヶ原公園西内線を通るか、白樺湖からビーナスラインを通るかになるだろう。 冬季はこれらの道路は通行止めになってしまうが、ある道を使えば美ヶ原まで行くことができるのだ。 いざ、冬の美ヶ原へ。 2021ビーナスラインの通行止め情報 https://www.venus-line.net/wp-content/uploads/2020/10/64f68c5e9c36db96d0eb29ed5cf7d3f8-1.pdf2021-12-16
79民主化は先ず家庭から…(『西塩田公報』第35号(1950年3月5日)4頁)民主化は先ず家庭から…(『西塩田公報』第35号(1950年3月5日)4頁)世間は民主化が進んできているが、家庭内では夫が妻に対して亭主関白ぶりを発揮している様子が見て取れる。 自分でできることは自分でやる、そうすることで双方にとって無駄な労力の消費を防ぐことができると述べられている。 現代の社会でも同様に言う事が出来、家庭内だけではなく学校や会社の中でも同様だろう。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1082 『西塩田公報』第35号(1950年3月5日)4頁2021-12-16
80土地部について『西塩田時報』第61号(1928年12月1日)1頁土地部について『西塩田時報』第61号(1928年12月1日)1頁戦後の土地の使い方について、関心が寄せられていることがわかる2021-12-15
81若男見解の文面に接して『西塩田時報[戦後]』第13号(1948年3月25日)3頁若男見解の文面に接して『西塩田時報[戦後]』第13号(1948年3月25日)3頁昔の人の見解を知れるのは面白い。2021-12-15
82草木染の仕方(『西塩田時報』第132号(1934年11月1日)2頁)草木染の仕方(『西塩田時報』第132号(1934年11月1日)2頁)この記事は草木染の復興の経緯と染色手順が記されている。手染の良さや使う草木によって染まり方の違いが細かく書かれている。 手染は確かに手間がかかるが、その分自分好みの味わいのある素敵なものができる。また使う草木によってこんなにも色合いのバリエーションがあることに驚いた。実際に自分も行ってみたいと感じた。 ▼この記事は以下から確認できます。 584 『西塩田時報』第132号(1934年11月1日)2頁2021-12-16
83親の愛(『西塩田時報』第117号(1933年8月1日)4頁)親の愛(『西塩田時報』第117号(1933年8月1日)4頁)この記事は親は我が子の欲望をどれだけ叶えてあげられるのかが話題になっている。それは子供が成長するにつれて難しくなってくると書かれている。 子供が愛されているという前提で書かれていたが、今日では親が子供を虐待といった問題も多く考え方が変わるのではないか。こういった今と昔の考え方の違いが面白いと感じた。 ▼この記事は以下から参照できます。 520 『西塩田時報』第117号(1933年8月1日)4頁2021-12-16
84電力危機回避(『西塩田時報[戦後]』第7・8号(1947年8月20日)4頁)電力危機回避(『西塩田時報[戦後]』第7・8号(1947年8月20日)4頁)電力危機回避の記事です。電力不足から脱却した嬉しさが語られています。 ▼この記事は以下から参照できます。 『西塩田時報[戦後]』第7・8号(1947年8月20日)4頁2021-12-15
85団体の規則(『西塩田時報』第74号(1930年1月1日)1頁)団体の規則(『西塩田時報』第74号(1930年1月1日)1頁)塩田地区の団体の規則を見ることができます。その当時にあったもので、とても興味深い内容になっています。 ▼この記事は以下から参照できます。 『西塩田時報』第74号(1930年1月1日)1頁2021-12-15
86鍛冶職人の世界鍛冶職人の世界鍛冶職人を集めて住まわせた上田の鍛冶町では、1706年の記録によると、32軒の鍛冶屋があった。それが、明治末には半数以下に減少してきた。 一人前の鍛冶職人になるためには、親方のところに弟子入りして、一定の年季をかけて修行した。これを徒弟制度といいい、親方は弟子に厳しく技を仕込んだ。 鍛冶町の鍛冶屋では、桑こき、稲こきや馬耕用の犂先なども生産したが、回して開ける柏錠もよく作られた。2021-12-15
87電力危機突破について『西塩田時報「戦後」』第10・11号(1947年11月30日)1頁電力危機突破について『西塩田時報「戦後」』第10・11号(1947年11月30日)1頁戦後間もない時期の深刻な電力不足に陥ってる状況がとてもよく分かる記事です。2021-12-15
88大相撲『西塩田時報』第3号(1923年11月30日)3頁大相撲『西塩田時報』第3号(1923年11月30日)3頁幼い頃から相撲が好きなため、当時の相撲について興味をもたから。2021-12-15
89上田における交通の2大生命上田における交通の2大生命上田における交通関係において車と電車って便利に動くなら欠かせないですよね。別所線が無くなったらものすごく困るみたいな人も多いんじゃないでしょうか。 これって欠かせないよねっていう要素がある状態の時、つまりそれを利用する人が割合で見ると多いんだと思います。 つまり、少なからずそれが何かしらの危機に陥ったとき「守ろう」という連帯感が生まれる根源になるとも言えます。 実際、鉄橋が被害を受けたとき(その時ここにはいなかったので現地がどうだったかは分かりませんが)、端から見てる分には重要な要素なんだなっていうのが伝わるぐらい連携しているように見えました。 血液というか血管というか、そういった循環器的な役割が確立されているとそこを中心に施策を考えたり出来る、つまりベースが定まっているので2021-12-15
90キャラクターがいると魅力的に感じるキャラクターがいると魅力的に感じる別所線のキャラクターの「北条まどか」さんってちゃんとストーリーがあるみたいですね。僕は最初見たとき、あんまり言い方は良くないと思うんですけど看板として使われてる存在なのかなって思いました。 でもちゃんと調べてみるとしっかり練られたストーリーと立ち位置があるみたいですね。 長いのでここでは割愛しますがウェブで見られる絵本的なものもあるみたいですよ。 さて、このようなキャラクターがいることでどのような効果があるか。一瞬は目をとめますよね。さらに、ちょっと調べてみようってなったらその地域資源についても触れるきっかけになりますよね。そうやって輪を広げていくための役割を担えるのがキャラクターだと思っています。 ただ、ちょっと残念だなと思ったのが物語に触れるきっかけがあんまし見当たら2021-12-15
91「赤い鉄橋」「赤い鉄橋」今回はあの別所線の上田から城下間を結ぶ「赤い鉄橋」について書いていこうかなと思っています。 僕の印象では別所線の区間の一部という認識では無く、もう独立した名所という印象を受けています。 そう印象づけた原因はついこの間まであの橋は使えない状態だったのに別所線は運行していたからな気がします 豪雨によって被害を受けてしまった橋ですが、別所線は交通における車に並ぶ人権といっても差し支えないと思います。その一部が通れなくなりましたがなんとか復活してココだけがピックアップされたような状態の時にこっちに僕は来たもんですから、それがファーストインプレッションとしてすり込まれたんでしょうね。 たまにアリオに行くんですが、時々橋の写真を撮ってる人を見かけるのでそこそこの人気もうかがえます。2021-12-15
92人が集まれる大きな施設人が集まれる大きな施設突然なんですけどサントミューゼってすごいいいですよね なんでかっていうと、入学式だったりで人を大勢入れられるキャパシティがあるから。 僕も入学式と講義で何度かお邪魔させていただいたんですが、大ホールの他にスタジオだったり練習室だったりいくつも部屋があるんですよね しかも美術館も併設されてるから何度行っても飽きることが無い場所ですよね 集まれる場所って、一体感が生まれたり、そこを中心に網が広げるみたいなことが出来る「拠点」的な役割を果たしてくれると私は考えているので、地域資源の中で実は「建造物」っていうカテゴリでくくるなら城とかよりも重要な位置づけにあるんじゃないのかなって最近は思ってますね。2021-12-15
93農家恐慌の実態(『西塩田時報』第1号(1934年10月1日)4頁)農家恐慌の実態(『西塩田時報』第1号(1934年10月1日)4頁)この記事は、面白いというより読んでいて当時の農家の実態のひどさが印象に残ったから選んだ。 私たちは、様々な恐慌についても、過去の出来事として学んでいるがここに書かれたものだと、現実味があって当時の苦労していた様子がリアルに伝わってきた。 馬鈴薯を主食にして1日に一回位の米粒を口にするものは上乗とされているとか、僅かな塩で飢えを充たしているとか。このような時代があったことを知っておく必要があるし、みんなに読んで欲しいと思った。 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0579.jpg2021-12-15
94ビタミンの話(『西塩田時報』第5号(1946年12月25日)4頁)ビタミンの話(『西塩田時報』第5号(1946年12月25日)4頁)「ビタミンの話」というあまり見かけない話題にまず惹かれた。 記事の下には6種類のビタミンが表で示されている。書かれている食材が昔っぽいのもまた面白いなと思うし、すごく細かく詳しく書かれているので、きっとこの記事が役に立ったんだろうなと感じた。 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0973.jpg2021-12-15
95ルヴァン信州上田店ルヴァン信州上田店天然酵母パンの先駆けとして有名なお店。暖かい色の照明で照らされた店内は、お店というより工房のようで、どことなくホッとするような雰囲気。今回はスコーンをいただきました。ナッツとベリーが入ったシンプルなスコーンでしたが、とてもおいしかったです。おまけにつけていただいたパンも天然酵母ならではの味わいでした。2021-12-03
96参院選挙投票率は79% (『西塩田公報』第38号(1950年6月5日)1頁)参院選挙投票率は79% (『西塩田公報』第38号(1950年6月5日)1頁)この記事は、参院選の投票率と結果について書かれている。個人的に面白く感じた点は、「投票余談」の部分だ。その当時、何を考えて投票したのかが具体的に書かれており、面白く感じた。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1091 『西塩田公報』第38号(1950年6月5日)1頁2021-12-15
97柳町屋柳町屋柳町にある、上田市の名産品を使った商品を開発・販売しているお店。人気商品は、上田産のリンゴ「真田REDアップル」を使用したアップルたまごタルト。パイ生地の味のがあまり強くなく、リンゴのおいしさを感じられるタルトです。2021-12-03
98民主政府は総選挙で(『西塩田時報[戦後]』第4号(1947年4月20日)1頁)民主政府は総選挙で(『西塩田時報[戦後]』第4号(1947年4月20日)1頁)この記事には、戦後の当時の選挙に対するとてもあつい雰囲気がうかがえる。「私たちが幸福になるためによく考える」という点は今でも変わらないものだ。 ▼この記事は以下から参照できます #985 『西塩田時報[戦後]』第4号(1947年4月20日)1頁2021-12-15
99「上田市の主な工業」はじめに「上田市の主な工業」はじめに本記事では上田市の工業の特徴を探るべく、上田市内の企業をいくつか取り上げたうえで、その傾向を考えていきます。 ※掲載企業は「上田市に本社を持つ」「上田市に主力工業を置く企業」の中から投稿主の裁量で選択したものです。調べきれず掲載できない企業が多くありますが、これらの企業を主要ではないとして貶める意図はありませんので御了承ください。2021-12-15
100家庭メモ(『西塩田時報』第73号(1953年10月5日)4頁家庭メモ(『西塩田時報』第73号(1953年10月5日)4頁当時の法務省民事局参事官平賀健太氏が講義を行った「戸籍」についての記事である。 戸籍の話から住民票や選挙権、戦没者の身分証明に至るまで、戸籍の重要性を講義している。 戸籍の届け出が正確ではなかった当時の様子がうかがえる内容である。 ▼この記事は以下から参照できます。 #318 『西塩田時報』第73号(1929年12月1日)4頁2021-12-15
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