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1生島足島神社生島足島神社生きとし生けるもの万物に生命力を与える「生島大神」と、生きとし生けるもの万物に満足を与える「足島大神」の二神が祀られている。大きな神社なため、出店があったりする。買い食いしても楽しめるだろう。2021-05-03
2生島足島神社生島足島神社立派な鳥居がある大きな神社です。鳥居の左隣にあった神池を見ると鯉のような魚が泳いでいました。2021-05-03
3生島足島神社の大鳥居生島足島神社の大鳥居普通の道にそびえたつ大鳥居は普通の鳥居に比べて大きく、柱が太くしっかりとしており、すごくインパクトがありました。2021-05-03
4武石の森武石の森長野県上田市にあるアウトドアができる武石の森に行きました。ため池にいるニジマスとイワナが釣れ、その場で調理し、食べることが出来ます。美味しかったです。また行きたいなあ2021-05-03
5富士山本宮浅間大社富士山本宮浅間大社全国に約1,300社ある浅間神社の総本社で、本宮の本殿は徳川家康による造営で、「浅間造」という独特の神社建築様式であり、国の重要文化財に指定されています。GWということもあり、流鏑馬祭りを行っていました。とても賑わっていました。2021-05-03
6富士宮ーミルクランド富士宮ーミルクランド富士ミルクランド(ふじミルクランド)は、静岡県富士宮市に所在するレジャー施設である。朝霧高原にあり、入園料は無料です。GWということもあり、県外(特に関東圏)から沢山の観光客が訪れていました。ここのアイスクリームが有名で大行列になっていました。混んでないときにもう一度来て食べたいです...2021-05-03
7潤井川潤井川静岡県にある富士宮市及び富士市を流れる川。桜並木と富士山をセットとした景勝地としても知られ、「潤井川桜並木」の地点名(富士宮市)で環境省公開の「富士山がある風景100選」に選定されています。小さい頃よくこの川にいるカモに餌をあげていました。懐かしいです。2021-05-03
8姨捨山姨捨山姨捨山には寺社や棚田などがあった。特に棚田は、現在は水を張っていないが、水を張る季節になれば田毎の月を見ることができる。また、自然の美しい場所だった。2021-05-03
9姨捨駅姨捨駅姨捨山の中にある駅。ここを通る電車は坂を登る助走を取るために一時停止するのが有名である。また、落ち着いた雰囲気が流れており、電車を撮りにきている人なども多くいた。2021-05-03
10アグリパークアグリパークいちご狩りや花などの植物の販売、お土産と販売を行っていた。現在はコロナウイルスの影響で客があまりいなかったが、花やイチゴの栽培が多くのビニールハウスで行われていた。2021-05-03
11コンビニと足湯コンビニと足湯戸倉上山田温泉街にあるファミリーマートの駐車場に足湯が併設されていた。実際に足湯を楽しんでいる人もおり、人々の憩いの場にもなっていた。2021-05-03
12キティパークキティパーク山の中にあるような公園。 大きな天狗のモニュメントが置いてあったり、遊具がある他に昆虫や動物や植物などの自然が豊富。2021-05-03
13潮海寺潮海寺奈良時代、聖武天皇のころ(およそ750年)名僧行基により開かれたと伝えられる当地方きっての古刹高野山釈迦文院の直末といわれ、平安時代に坂上田村麻呂の帰依によって寺領が寄進されたといわれている。往古は寺領3千石、寺域に75坊を数える名刹として知られていたが、兵火により全焼し、伽藍の規模は残された22の礎石と布目瓦によってしのばれるのみ。 現在、この地には朱塗りの薬師堂金剛院が建てられ、薬師如来縁日の毎月8日午前10時から護摩が焚かれている。不動明王像が安置されている書院風の学頭坊は、薬師堂の南200メートルほどのところにあり、さらに100メートルほど南に市指定文化財の仁王門がある。江戸中期に建てられ、平成3年に解体修理が行われた寄棟造りの八脚門の左右には、高さ3メートルほどの寄木造りの仁王像が立ってい2021-05-03
14黒田代官屋敷黒田代官屋敷黒田代官屋敷とは、現在の静岡県菊川市下平川にある江戸幕府旗本・本多助久の代官となった黒田家の屋敷。現存している18世紀中頃の建築物として大変価値が高く、主屋、長屋門、米蔵、宅地など 屋敷全体が重要文化財に指定されている。この貴重な文化財の黒田代官屋敷は、現在、22代黒田家のご家族が居住されている。2021-05-03
15富士山本宮浅間大社ー枠玉池富士山本宮浅間大社ー枠玉池静岡県の本宮浅間大社の中にある富士山の湧き水が出ている池です。この神社は、コノハナサクヤ姫を祭っている神社で富士山の噴火を沈めるために祭られています。ここには湧き水をその場でくみ取り、煮沸すれば飲める場所もあります。2021-05-03
16大頭龍神社大頭龍神社大頭龍神社は静岡県菊川市加茂の高台に鎮座し、古くから疫病鎮護、水難除けの神様として崇敬されている。境内には江戸時代中期に建てられた青銅の大鳥居や、推定樹齢300年以上の巨樹、スダジイなどがある。祈願をする際にはお世話になった。2021-05-03
17三ツ池公園三ツ池公園毎年4月の第一度土曜日に開催される水源祭の会場となる公園である。この水源祭では水の恵みや水害防止、五穀豊穣などを祈願。餅つきや宝探しなど、子供からお年寄りまで楽しめる。野猿という渓谷を楽に渡るための乗り物がありスリリングな気分を味わえる。2021-05-03
18赤レンガ倉庫赤レンガ倉庫明治33年に建てられた製茶構造の一部である。構造はレンガが主。イギリス積みであり、内部は木造2階建てである。茶産業に関わる建築物として貴重な遺構である。この赤レンガ倉庫は登録有形文化財として登録された。(第22-0194号)静岡県菊川市の街のルーツかつ当時の製茶工場の様式を現在に伝える日本で唯一の産業資産。2021-05-03
19カーリングホールみよた 類を見ない手づくりカーリング場カーリングホールみよた 類を見ない手づくりカーリング場カーリングという競技は何をおいても競技場がないとできません。競技場があるところにカーリング文化が育まれていきます。カーリングホールみよたは全国的に数少ないカーリング競技施設の一つです。明らかに工場を競技施設に転用したもの。入口にはtotoのスポーツ助成金で出来た施設であることが記されています。(写真は2018/04/30撮影のもの) ネットで調べてみて、さらにその状況に感心をしました。 ★「カーリングホールみよた」のお話(みよた広報) http://www.town.miyota.nagano.jp/file/7252.pdf この記事に設立経緯が書かれています。なるほど! 目から鱗のようなお話です。何より地元有志の熱意がプロジェクトを動かしたこと。中越興業の建物を改造した施設。事業体がNPO法人あさまハイランド2021-05-02
20[14/09/11]自性院[14/09/11]自性院自性院には車で回ってみることにしました。「曹洞宗宝珠山自性院」です。観光の標識に「自性院」が示されていたので、訪れてみたのですが、あえて普通の寺社を観光の標識で誘導するのはどのような意味があるのだろうかと思いました。 ミニ旅れぽ「真田の郷めぐり2014」はこれでおしまいです。2021-05-01
21[14/09/11]米山城・砥石城を望む[14/09/11]米山城・砥石城を望む真田氏記念公園の前に「自性院」という道案内があり、日が暮れる前に立ち寄ってみようと見晴らしのよい崖地のここに車を停めてみました。ここの道案内では崖地の階段を登り150mと示されています。周囲に花壇があり「花のまちづくり推進地区」という看板が立っています。赤、オレンジ、紫の花々が植えられて美しい。この高台から真田氏の居城でもあった米山城、砥石城の山並みが見えます。 電信柱やSEIYUの看板によって俗世間の風景と化してはいますが、眺望のよい場所に佇むことができて幸いでした。2021-05-01
22[14/09/11]真田氏記念公園[14/09/11]真田氏記念公園真田氏記念公園については改めて触れることもありません。公園前に「真田三代ゆかりの地マップ」が建てられていました。また「信州上田 幸村街道」の幟が新しいものになっていました。 この公園、駐車場が狭すぎてここに降りて何を見るのか、いまひとつ中途半端な印象は否めません。真田三代(幸隆、昌幸、幸村)のレリーフ肖像画があるのですが、いまひとつつまらないというのが正直な感想です。 私が最も普遍性があると感じるのは「真田氏発祥の郷」という呼び方。この書は池波正太郎によるものです。真田氏といえば幸村にのみフォーカスが当たりますが、幸隆、昌幸にも遡って三代にフォーカスを当てているのはよい。しかし、信綱、昌輝は軽く扱われています。信之は無視されています。信之を主人公にした物語『真田太平記』の2021-05-01
23[14/09/11]上州街道・石の道しるべと分され[14/09/11]上州街道・石の道しるべと分され上州街道石碑群の場所から旧上州街道の道筋を車で移動して下りました。その途中、またしても真田自治会による説明板と出会いました。 見るからにY字路です。街道の分岐点であることがわかります。群馬につながる道、上田につながる道、まさに真田氏の所領でもあった沼田方面と小県がここでつながっていたことがわかります。2021-05-01
24[14/09/11]上州街道石碑群[14/09/11]上州街道石碑群上州街道石碑群の場所をやっと見つけました。道が意外に狭く曲がっています。これが上州街道であることがわかり、昔の集落の位置関係などもこの街道筋から捉え直すと、この地域の構造がさらによく理解できるものになることがわかりました。これまで、車道としてバイパスされた道路だけを通っていることに改めて気づかされます。2021-05-01
25[14/09/11]長小学校周辺を通る[14/09/11]長小学校周辺を通る傾斜地に広がる真田の集落は私には迷路のようです。「上州街道石碑群」を次の目的地に移動してみましたが、入る道がわからず山家神社・長小学校周辺をぐるぐる回ってしまいました。道が意外に狭く、曲がっていて、わかりにくい。2021-05-01
26[14/09/11]山家の「真田氏館跡」[14/09/11]山家の「真田氏館跡」枡形道路とたつ道を進むと民家の石垣にぶつかりT字路となります。余談ですが、このような傾斜地に広がる集落がどことなく和歌山県の九度山に似ていることを想起しました。 この民家のある土地が平らに整地されていることから、ここに館があったという推定が興味を引きます。さらに、ここが真田氏の館跡であるという仮説もワクワクするようなものです。 真田氏の館跡はすでに真田町の各所で見てきました。角間の館跡、ここ山家の館跡、お屋敷公園の館跡、伊勢山にも館跡があったらしい。真田氏は角間から次第に低い方へと移り、やがて上田城へ。やがて真田信幸の代になり、上田藩主居館跡に、更にその後は松代へ移ることになります。この変遷をたどるだけでも実に興味深い。2021-05-01
27[14/09/11]枡形道路・たつ道[14/09/11]枡形道路・たつ道この道を見て、これが枡形とは感じにくい。なぜならこのような曲がった道筋はそこら中にあるからです。「たつ道」は説明板を読んで知りました。 史跡をめぐる時に重宝するのは地元の観光パンフ類です。この日は上田市真田地域自治センターによる『真田三代に出会うMAP 本城・長谷寺・山家神社コース』がどれほど役に立ったか計り知れません。簡潔に勘所が押さえてあって、参照しながら感心していました。 この場所はややわかりにくく、また道路幅が狭く車で進入できなくはありませんが、本来、どこかに車を置いて歩いて訪れる方がよいところであることは現地に行ってみて初めて気づきます。「現地の道は狭いので、山家神社の駐車場に車を置いて歩いて行こう。徒歩?分」のような説明がパンフに載っていたら、そうしたと思いま2021-05-01
28[14/09/11]長村役場等の跡、山家神社[14/09/11]長村役場等の跡、山家神社向畑遺跡から山家神社へ移動しました。山家神社へは過去にも訪れたことがあり、この時は一時休止しただけです。山家神社の駐車場が長村役場跡です。真田自治会による説明板のおかげで歴史がよくわかります。 2009年(平成21年)までここに旧役場庁舎があったことも驚きです。
長村役場・農協・駐在等の跡  「長村」は明治9年5月大日向・横沢・真田・横尾4か村が合併して誕生した。 当初の役場庁舎は、明治元年の神仏分離令により廃寺となった白山寺の一部があてられていたが、ここに庁舎が新築されたのは明治36年。昭和33年に真田町に合併されるまで、改築を経て村政が執行された。 当時から長村の中心地として役場の他、農協や警察官駐在所などがあった。 旧役場庁舎は平成21年に取り壊された。      平成
2021-05-01
29[14/09/11]角間川と角間橋[14/09/11]角間川と角間橋角間川に架かる角間橋です。そのすぐ背後に古い真田氏の居館跡(日向畑遺跡、安智羅明神)、さらにその背後に松尾城跡があります。この橋からは川はさらに下ったところにあります。つまり当時は川を地面とし、居館が高いところに位置していたと想像できます。2021-05-01
30[14/09/11]日向畑遺跡と松尾城跡登り口[14/09/11]日向畑遺跡と松尾城跡登り口『真田氏資料集』(上田市立博物館)によると日向畑遺跡が発掘されたのは1971年。それほど昔でないのが意外です。「古くは真田氏の菩提所であったと伝えられる常福寺の跡M」にあたり、「幸隆以前の真田一族の墓地ではないかと考えられている」。 真田氏の古い居館跡とされていることから、日向畑遺跡がその墓所であるとするのは最も順当な推定です。歴史の未知の領域に一歩踏み出したかのようなワクワク感を感じる遺跡でした。 なお、日向畑遺跡は松尾古城の登り口にもなっています。背後の山が古城であるということもさらにそのもっともらしさを後押ししているようです。2021-05-01
31[14/09/11]角間区民広場[14/09/11]角間区民広場安智羅明神と日向畑遺跡の間に矩形の公園「角間区民広場」があります。真田氏館跡とされる日向畑遺跡の屋敷跡であるようです。ゲートボール場になっているようです。
角間区民広場  真田昌輝第十二代 真田幸雄 書 (以下裏面の文面) 昭和五十四年末中電送電線架設実施計画がはじまりこれに対する地域補償金を基金とし公共施設の区民広場建設に当り、町当局をはじめ土地所有者・工事施工者・関係区民の深いご理解とご協力によりここに完成をみるに至りました。 ここに所在する日向畑遺跡をはじめ松尾城跡は真田氏発祥の関係域跡群の一つとして重要な文化財であります。この遺跡を誇りとし この広場が区民のさわやか健康づくりの場として大いに活用されることを期待します。 昭和五十七年九月吉日 (略)
2021-05-01
32[14/09/11]安智羅明神[14/09/11]安智羅明神日向畑遺跡に行くつもりで安智羅明神に先に立ち寄りました。史跡「安智羅様」の看板に誘導されました。祠と鳥居が建っています。その手前には門石のような石柱が2つ建っています。「辛亥九月建立」と読めます。辛亥(しんがい)と聞くと先に「辛亥革命」を連想してしまうせいか、「辛亥九月」には違和感がありました。これは干支のイノシシという意味のようです。イノシシ年9月…何年をさすのでしょうか。 角間自治会による説明板の存在が実にありがたい。この説明を見て安智羅明神を理解しました。
安智羅明神(あんちらみょうじん)  鎮座地 上田市真田町長角間 この地は真田家の古いお屋敷跡で松尾古城のふもとに位置する。 神社のご神体は真田幸隆の幼少の姿を写した像と伝えられている。 ※創立は一五三〇年(
2021-05-01
33[14/09/11]角間渓谷・山神宮と角間配水池[14/09/11]角間渓谷・山神宮と角間配水池角間渓谷の角間集落と角間温泉のほぼ中間地点に「山神宮」があります。これについては何の基礎情報も持ち合わせていません。そのほぼ向かいに「真田町水道 新角間配水池」という施設があります。上水道の水源となっているようです。 山神宮の前には「熊出没注意」の注意書きが出されています。2021-05-01
34[14/09/11]角間渓谷・猿飛佐助修練の場[14/09/11]角間渓谷・猿飛佐助修練の場角間温泉・岩間館の前を角間川が流れています。谷底が深く、山の壁面が岩盤です。いかにも忍者がここで修行したという伝説を生みそうな環境です。 猿飛佐助修練の場ですか。いかにもそのように思えてくるのが不思議です。2021-05-01
35[14/09/11]角間渓谷遊歩道入口・岩屋観音[14/09/11]角間渓谷遊歩道入口・岩屋観音「角間渓谷遊歩道入口」と記された案内板が立っています。「猿飛佐助修行の地」ですか。案内板にはシシの牢、岩屋観音、猿飛岩、鞍はずしの岩、天狗の遠見台、見晴台、角間温泉、鬼ヶ城がイラストで描かれています。奇岩怪石に特色があるエリアであることがわかります。猿飛佐助の物語の源泉とも言うべき場所であることがわかります。 岩屋観音などは以前も訪れたことがあり、この日は参道の階段を下から見上げるだけにとどめておきました。 帰り際、参道階段下の石碑に着目しました。「親鸞聖人室恵信尼公 療養之地」と記されています。2021-05-01
36[14/09/11]角間渓谷と角間林道[14/09/11]角間渓谷と角間林道角間温泉を過ぎると角間林道の入口に突き当たります。岩屋観音の下に位置しています。この辺りから上信越高原国立公園のエリアになっていることを知りました。角間林道は「信濃路自然歩道浅間高原ルート 湯の丸山-角間路線」としても案内板で示されています。 角間川の渓流の景観が印象的です。2021-05-01
37[14/09/11]角間渓谷・鬼ヶ城と岩屋館[14/09/11]角間渓谷・鬼ヶ城と岩屋館角間温泉は岩屋館のみが存在する温泉です。秘境の湯という感じがします。 この辺りから急に岩の絶壁が角間川に迫り、この道路もその間をぬって延びているかような場所です。「鬼ヶ城」の説明板には「角間鬼ヶ城遊歩道周囲略図」が描かれています。遊歩道に沿って行くと、鬼ノ門、鬼ヶ城があり、一杯清水の近くを通ってこの場所に戻れるようになっています。 それにしても、真田幸村ばかりでなく、坂上田村麻呂の伝説まであるとは恐れ入りました。2021-05-01
38[14/09/11]一っぱい清水と幸村の伝説[14/09/11]一っぱい清水と幸村の伝説角間川沿いの道をしばらく進むと、角間温泉「岩屋館」の少し手前に説明板を見つけ、車を停めました。 縦看板には「一っぱい清水」と書かれていますが、手前の「伝説」が倒れていたのか、重ねておいてありました。草が茂り、文字が読めないため草をどかして「一っぱい清水」の文字を確認しました。2021-05-01
39[14/09/11]松尾古城の解説、角間渓谷を進む[14/09/11]松尾古城の解説、角間渓谷を進む角間渓谷の入口に道案内と「松尾古城」の説明板があります。そのすぐ隣にもう一つの案内板があります。 道案内のある場所から角間渓谷までは3kmと記されています。角間川の谷筋になるこの道筋は緩い傾斜で延々と続きます。途中に転々とする角間の集落は傾斜地のため、家の前に築かれた石垣などが印象的です。道路も狭い。途中拡幅工事が行われていました。周辺は杉林に変わり、山道らしくなります。2021-05-01
40[14/09/11]真田町の真田→横沢を進む[14/09/11]真田町の真田→横沢を進むまさに里山の秋、収穫の秋です。稲が黄金色の実をつけて稲穂の先が垂れ下がってきました。収穫も間近いことでしょう。 真田氏発祥の地とされるのがこの周辺、旧真田町真田です。標高730mですから、上田城よりさらに300mほど高い位置になります。 上田から菅平へと続く国道144号線から一歩集落の中に入ると傾斜地に展開する独特の景観に変わります。何度訪れてもどこがどこなのかがよく記憶できません。道が曲がり、似たような傾斜地の特性を持っていることに一因があります。2021-05-01
41[14/09/11]真田氏歴史館[14/09/11]真田氏歴史館真田氏歴史館が開館したのは1991年ということです。NHKのドラマ『真田太平記』(大河ドラマではありません)が放送されたのが1985年。ドラマで使用された昌幸・信之・幸村の甲冑などが展示されています。 開催中の企画展「大坂冬の陣」を見学しました。戦国武将の中でも人気が高い真田幸村の人気にもかかわらず、幸村所用の甲冑「南蛮銅具足」がそれほど有名でないのはどうしたわけでしょうか。「伝幸村」「幸村所用」とされる遺産はいくつかありますが、この甲冑もその一つです。  2021-05-01
42[14/09/11]真田町を進む、途中駅前食堂[14/09/11]真田町を進む、途中駅前食堂旧真田町に入って間もなく「駅前食堂」が右手に見えてきます。この店名が面白い。かつて鉄道・真田傍陽線が通っていたときにここに駅があったことに由来しています。隠れスポットとして知っておくと訪れたときに楽しいです。ただしこの時は通過しました。 最初に向かった先は真田氏歴史館です。2021-05-01
43[14/09/11]ようこそ真田の郷へ、途中伊勢山バス停[14/09/11]ようこそ真田の郷へ、途中伊勢山バス停真田氏発祥の地「真田」は上田の市街地からはやや遠く、菅平高原に行く途中にあります。上田市街から行くとずっと登り坂になります。そうした坂の途中に伊勢山バス停があります。 このバス停は映画『サマーウォーズ』で描かれたことから同映画の聖地巡礼の地として知る人ぞ知る隠れスポットとなって久しくなります。 伊勢山バス停を過ぎると「ようこそ真田の郷へ」の看板が見えてきます。ここからがいよいよ「信州真田」です。上田市に真田町が合併する前の町域となります。2021-05-01
44[14/09/11]上田市常盤城の街路樹「しだれ桑」[14/09/11]上田市常盤城の街路樹「しだれ桑」上田市常盤城(ときわぎ)の国道18号線沿い、向源寺前に緑地帯があります。ここにしだれ桑が植えられています。信号待ちのせいで、街路樹のしだれ桑に目をやる余裕ができました。蚕都上田にふさわしい環境美化にブラボー!です。2021-05-01
45善光寺善光寺善光寺は東日本最大級の規模を誇る仏教建築の傑作です。 お寺だけではなく食べ歩きもできるため多くの人が訪れる観光スポットになっています。2021-04-30
46伊香保温泉伊香保温泉伊香保温泉は群馬県でとても有名な温泉の一つ。伊香保温泉のシンボルでもある「石段街」は飲食店や土産屋などが多いため、誰もが楽しめる場所だと思う。さらに伊香保神社は子宝や縁結びの御利益があるとされている。2021-04-30
47上田招魂社上田招魂社この上田招魂社は戊辰戦役従軍の戦死者をはじめ日清日露の戦争を経て今次の大東亜戦争に至る間国家の為尊き命を捧げられた人々の英霊をまつる御社。 真田神社の近くにあるため、向かった際にも足を延ばしてみてはどうでしょう。2021-04-25
48真田神社真田神社上田城本丸跡に鎮座するこの真田神社は、真田氏、仙石氏、松平氏という歴代の上田城主を御祭神としています。 しかし、もともとは松平家の御先祖をお祀りする御宮であり、松平神社と称していました。 神社の近くには、実際に昔使われていた井戸や巨大な兜、真田幸村の像などがあります。 個人的には、神社前の門や兜が記憶に強く残っています。2021-04-25
49長福寺長福寺1625年に金蓮寺覚裕が土生町にあった長源寺の堂舎を移転し、長福寺と改め開山された場所です。 長福寺には「お参りして下さった皆様がみんな仲良く笑顔で暮らせますように」という意味を持つ「なかよし地蔵」があり、とても可愛らしいものでした。 生島足島神社のすぐ近くにあり、向かった際に立ち寄ってみてはどうでしょうか。2021-04-25
50飯綱神社飯綱神社マップを開いた時に山道にあるこの神社を見つけ実際に行ってきました。 家と家の間の狭い道を通った場所にあって、見つけるのに少し苦労しました。 少し下った所に「熊人」という人気のあるラーメン屋があるので、行ったついでに立ち寄るというのもいいかもしれません。2021-04-25
51生島足島神社生島足島神社下之郷駅付近にある生島足島神社に来ました! 行きとし生けるもの万物に生命力を与える「生島大神」と、生きとし生けるもの万物に満足を与える「足島大神」の二神が祀られています。 周りが自然に囲まれ、とても心が安らぐ場所でした。2021-04-25
52キュレーションモデルによる地域資料のアーカイブ化(2021)キュレーションモデルによる地域資料のアーカイブ化(2021)【PDF左】研究発表説明資料 【PDF右】研究発表予稿 前川道博/キュレーションモデルによる地域資料のデジタルアーカイブ化~MALUI連携に向けた学習者中心のアプローチ~ デジタルアーカイブ学会第6回研究大会 2021/04/23  前川道博(長野大学) ▼研究の概要 地域資料のデジタルアーカイブ化は、知識循環型社会の進展において極めて重要な課題である。学習者が必要とする知識・情報源に思うがままにアクセスし、参照データを活用して学習成果を公開する学習をここでは「キュレーションモデル」と呼ぶことにする。MALUI連携はその支援策として期待されるものであるが、制度的な壁、慣習的諸条件により連携にすら至れないのが実情である。本研究で提起するキュレーションモデルは、学習者が主体となり、MALUIが収蔵2021-04-23
53菅平高原の雪景色菅平高原の雪景色菅平高原にあるスキー場からの景色2021-04-08
54端山貢明さんと学生の対話 2009年長野大学前川ゼミ端山貢明さんと学生の対話 2009年長野大学前川ゼミ端山貢明さん(東北芸術工科大学名誉教授)と学生の対話 92分 2009/07/27、長野大学の前川道博ゼミ(企業情報学部プロジェクト研究)に端山貢明さん(1932年~)をゲストとしてお迎えし、プロジェクト研究をすることについてお話いただいた時の記録。端山さんは20世紀の大作曲家オリヴィエ・メシアンのもとで音楽を学び、後にコンピュータの社会的有用性に着目したメディア研究に転じ、1993年度から1999年度にかけて東北芸術工科大学で教鞭をとった。 学生との対話では冒頭、Project(pro/ject)とは何か、information(in/ex・formation)とは何かを口説く。学生との対話にはなかなかならないが学生からも質問やレスポンスは少し出るようになる。学生はしばらくその理解ができず、その説明でかなり手こずる。 ここでのポイントは端山さん2021-04-05
55信州上田学B&A 2021概要信州上田学B&A 2021概要

信州上田学とは?

長野大学の地元上田を通して地域を学び、「地域の課題は何か」を皆さんが問う。 地域を学んで大学4年間の学びのスタートを切ろう! ▼「信州上田学」を受講した学生たちは2020年度、最後にこのような発表会をしました!(YouTube公開) ▼信州上田学概要
https://www.nagano.ac.jp/artis-cms/cms-files/20200327-173754-9886.pdf 信州上田学2021[PDF版]

信州上田学・2021年度の授業概要

前期がB、後期がA。両方とも受講できます。(Bは人数制限あり) 「信州学」(前期・担当:市川正夫)
2021-03-31
56明治28年の海野町を記録した写真明治28年の海野町を記録した写真海野町のすや(酢屋)呉服店が所蔵している古い写真の一枚。写真の裏面には「明治二十八年」との書き込みがある。1895年(明治28年)は、日清戦争が終結、勝利した年に当たる。旭日旗や「送小林」の旗などが見える。出征兵士を送り出す情景の記録ではないだろうか。海野町商店街の沿道に大勢の人々が繰り出し、人々の目線が写真機の方を向いている。向かいの店の看板「酢屋本治郎」が読み取れる。 驚くことにその軒先の屋根上に楽隊が陣取っている。大太鼓、小太鼓、クラリネット、チューバ、ホルン(他にシンバルも?)が確認できる。明治のこの時代にこれだけの楽器を有する音楽隊があったことを物語る貴重な証拠写真である。当時、上田が西洋文明をいち早く吸収した先進的な文化都市であったこと、経済的にも反映していたことを雄弁に物2021-03-26
57塩尻村大字上塩尻字壱丁田全図(地籍図[旧公図])塩尻村大字上塩尻字壱丁田全図(地籍図[旧公図])小県郡上塩尻村大字上塩尻之内 第七番字壱丁田全図 (上田市税務課所蔵) 塩尻村大字上塩尻(かみしおじり)字壱丁田(いっちょうだ)の地籍図である(現在は上田市上塩尻)。 字壱町田は現在の塩尻保育園の辺り、塩尻小学校と北陸新幹線に挟まれた区画、国道18号線の上塩尻交差点の北西側の区画である。 地籍図は1889年(明治22年)の市制町村制施行に伴い、上田町大字常磐城(旧常磐城村)の地籍図として1890年頃作成したものと思われるが、年代の記載がないため確認できない。2021-03-22
58塩尻村大字上塩尻字信福寺/宮田全図(地籍図[旧公図])塩尻村大字上塩尻字信福寺/宮田全図(地籍図[旧公図])小県郡上塩尻村大字上塩尻之内 第六番字真福寺 第七番字宮田 全図 (上田市税務課所蔵) 塩尻村大字上塩尻(かみしおじり)字信福寺(しんぷくじ)/宮田(みやた)の地籍図である(現在は上田市上塩尻)。 字信福寺、字宮田は区画が小さいことから合体した全図となっている。藤本蚕業歴史館から南に150mほど下った辺りの区画である。かつては水田であったが、現在は宅地化している。 なお、「上田市文化財マップ」に字信福寺にあった「上塩尻板碑」の解説がある。 地籍図は1889年(明治22年)の市制町村制施行に伴い、上田町大字常磐城(旧常磐城村)の地籍図として1890年作成したものと思われるが、年代の記載がないため確認できない。2021-03-22
59長大サミット動画記録長大サミット動画記録 主催:長大サミットプロジェクトチーム  開催支援:長野大学地域づくり総合センター <頭出しリンク> >開催趣旨 ?t=87>代表者あいさつ(竹内美里) ?t=163>第1部・プレゼン大会  ?t=180>①MIZUMATCH  ?t=455>②NIC  ?t=741>③AltuM  ?t=1013>④ワカモノLABO@上田  ?t=1405>⑤ΓEN(ゲン)  ?t=1627>⑥長野大学鉄道研究同好会N鉄  ?t=2103>⑦芋川史貴  ?t=2550>⑧竹内美里  ?t=3372>第2部交流会「2021-03-18
60上田築城三百五十年祭記念写真帳(1932/昭和7年)上田築城三百五十年祭記念写真帳(1932/昭和7年)下のリンクを選ぶと文書全体のPDFをダウンロード表示します。ダウンロード表示には時間がかかります。
PDF上田築城三百五十年祭記念写真帳(1932/昭和7年)
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▼上田市公文書館資料情報 写真アルバム・上田築城三百五十年祭記念写真帳ほか しゃしんあるばむ・うえだちくじょうさんびゃくごじゅうねんきねんしゃし
2021-03-07
61上田町会議案綴(1902/明治35年 上田町)上田町会議案綴(1902/明治35年 上田町)下のリンクを選ぶと文書全体のPDFをダウンロード表示します。ダウンロード表示には時間がかかります。
PDF上田町会議案綴(1902/明治35年 上田町)
528頁/114MB
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▼上田市公文書館資料情報 上田町会議案綴 うえだちょうかいぎあんつづり 請求番号 01-M35-01-1356 文書の種類 旧役場文書 地域 上田町 作成年度(和暦) 明治35年
2021-03-07
62在外資産補償関係(1955/昭和30年 殿城村)在外資産補償関係(1955/昭和30年 殿城村)下のリンクを選ぶと文書全体のPDFをダウンロード表示します。ダウンロード表示には時間がかかります。
PDF在外資産補償関係(1955/昭和30年 殿城村)
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▼上田市公文書館資料情報 在外資産補償関係 ざいがいしさんほしょうかんけい 請求番号 01-S30-01-6977 文書の種類 旧役場文書 地域 殿城村 作成年度(和暦) 昭和3
2021-03-07
63上田市参事会綴(1919/大正8年上田市)上田市参事会綴(1919/大正8年上田市)下のリンクを選ぶと文書全体のPDFをダウンロード表示します。ダウンロード表示には時間がかかります。
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▼上田市公文書館資料情報 上田市参事会綴 うえだしさんじかいつづり 請求番号 01-T08-01-1397 文書の種類 旧役場文書 地域 上田市 作成年度(和暦) 大正8年 作成年度
2021-03-07
64六供無縁堂(六供区無縁仏墓地公園)六供無縁堂(六供区無縁仏墓地公園) 小諸市六供区、18号下の中沢川近くに、寛保2年(1742年)8月の戌の満水と呼ばれる大水害で亡くなった無縁仏の墓地。 小諸市のホームページ https://www.city.komoro.lg.jp/official/kanko_sangyo/kanko/rekishi_bunka/2/6696.html  によると、この水害では 「小諸では旧暦8月1日に、六供、本町、田町、袋町、さらには小諸城三之門なども流失する大災害となりました。小諸城下では、507名の死者を出しました。 六供無縁堂は、死者の御霊を供養するとともに、災害復興を記念して1754年8月1日にこの地に建立されました。」  とのことです。  二十三夜塔も2基あります。2021-02-28
65上田市 手塚地区について上田市 手塚地区について手塚(てづか)は上田市の西塩田に位置する地区である。付近には独鈷山があり、ため池も多く、別所温泉も近い。 手塚の地名の由来は、伝承によると、奈良時代に塩焼王が反乱を起こして当地に流罪となったが、再び勢力を挙げて反乱を企てたため、最終的に坂上田村麻呂によって討伐され、その塩焼王の怨霊を恐れた当地の人々によって両手を埋葬された事に由来するとされる。なお、この塩焼王の両手を埋葬した場所が、現在も「王子塚古墳」として残っている。 平安時代にはこの地より手塚氏が出て、手塚光盛が源義仲の家臣として活躍した。後に、この手塚氏からは江戸時代に水戸藩に仕えた手塚良仙光照という蘭方医 がおり、さらに、日本漫画界の巨匠である手塚治虫もこの手塚氏の系統だとされる。 手塚の地名の由来にこれほど偉大な歴2021-02-27
66明治35年 常磐城區有土地建物寄附之件明治35年 常磐城區有土地建物寄附之件『明治35年上田町会議案綴』(上田市公文書館所蔵)より 土地や建物の寄附について、土地の広さや建物の見積もり金額が記されている。 「前記ノ土地建物ハ上田町大字常磐城ノ所有ノ処上田尋常高等小学校ノ用ニ供スル為左ノ条件ヲ付シ上田町ヘ寄附スルモノトス」 年代や地名から推測すると、上田尋常高等小学校常磐城分教場(現上田市立西小学校)に使用された土地や建物と思われる。 【参考資料】 『上田市誌 近現代編(8)学校教育のあゆみ』上田市誌編さん委員会/編(上田市 2003年)2021-02-27
67南牧村議事録(s10~15)南牧村議事録(s10~15)南牧村満蒙開拓資料として役場で閲覧。 この期間中は、該当する記録なし。戦争に関する議事少ない。 18年に先遣隊として、一家族派遣しているが、議事録は s16以降、見つかっていない。2021-02-27
68私の探究計画:南牧村の歴史と満蒙開拓私の探究計画:南牧村の歴史と満蒙開拓なぜ、どのように、南牧村は、国策の「満蒙開拓」に村として、「抵抗」したのか。 村の歴史を学び、伝え、記録する活動の一つとして、探究する。2021-02-27
69あゝ開拓千曲郷の断末―開拓難民引揚げの記録―あゝ開拓千曲郷の断末―開拓難民引揚げの記録―千曲郷開拓団の資料、佐久穂町図書館蔵、1974年(s49) 編集発行:北相木村役場 南牧村から開拓団の先遣隊として、唯一派遣された家族は、千曲郷に属した。2021-02-27
70覚(餅米値段等につき) 川伊藤家文書(追加分)覚(餅米値段等につき) 川伊藤家文書(追加分)覚(餅米値段等につき) 川伊藤家文書(追加分)2021-02-27
71上田電鉄別所線の終点が今とは違う場所になるはずだったという話上田電鉄別所線の終点が今とは違う場所になるはずだったという話上田市誌近代編(4)⑰変わる人や物の流れ 106ページより。 延伸計画とはまた異なるが、別所線の終点が現在の別所温泉駅よりも先、北向観音の下になるはずであったという内容が載っている。 ルート案が常楽寺の方を通るか、旅館花屋のそばを通るか考えられたが、2通りで対立してしまったため現在の位置に落ち着いた、ということである。 私は何度か別所温泉駅から北向観音や大師湯などへ歩いて行ったことがあるが、上り坂を10分ほど歩かねばならず、たしかに鉄道がそこまで伸びていれば大変利便が良かったのではないかと考える。2021-02-27
72別所時報(縮刷版)別所時報(縮刷版)別所時報(縮刷版)に、大正15年の入札記事が掲載されている。 昭和4年に「久我湯」を分湯の記事がある。 「玄斉湯」について、引き続き調査をしていくこととする。 別所温泉組合に伺い、史料を閲覧させていただく予定。2021-02-27
73議事書類綴議事書類綴別所温泉の外湯が5ヶ所されているが残っているものは3ヶ所である。 大正8年別所村_議事書類綴(上田市公文書館所蔵)によると村営温泉:大湯・玄斉湯・大師湯、久我湯・石湯 5ヶ所改修議案が提出されている。(大正8年12月18日提出) 現存の外湯は大湯、大師湯、石湯の3ヶ所であり、2ヶ所が廃止になった時期と理由を調べたい。2021-02-27
74地域学講座④みんなで地域探求ネット展示披露会地域学講座④みんなで地域探求ネット展示披露会左:「みんなで地域探求ネット展示披露会」(前川道博) 右:「著作権と資料の権利処理」(久世均) 第4回 2月27日(土) みんなで地域探求ネット展示披露会 13:30 本日の説明 13:35 ミニ講義:著作権と資料の権利処理 14:05 受講者のキュレーション成果披露・講評Q&A 15:00 (休憩) 15:10 成果披露・講評Q&A(続き) 15:40 認定資格デジタルアーカイブ・クリエイター について 15:50 まとめ講評、これからに向けて 16:30 終了 <講師> 久世均さん(岐阜女子大学教授) ミニ講義「著作権と資料の権利処理」 小平千文さん(上田小県近現代史研究会会長) 成果披露の助言・講評 <みなさんの地域探求ネット展示> ★buchiさん 南牧村の歴史と満蒙開拓 ★オリサさん 2021-02-27
75上田松本間に計画された鉄道(丸子経由案)上田松本間に計画された鉄道(丸子経由案)丸子町誌歴史編下巻の217ページに記載されている図である。 丸子町誌には詳しいことは書かれていなかったが、図から考えると、丸子線の丸子町駅から延伸し、国道254号や県道185号などに沿うような形で建設される計画だったのではないかと考えられる。 この図がいつ頃書かれたものなのかは記載を確認できなかったが、浅間温泉~松本間の松本電気鉄道浅間線が描かれていないことを考えると1964年から1969年の丸子線廃止までの間に書かれたものなのではないかと考えた。これについては今後問い合わせるなどしたいと思う。 また、次のページには、「丸子町から和田もしくは大門の峰を越えて諏訪地方に入り、中央本線と連絡する構想」があったともされている。2021-02-27
76上田温泉電軌真田線の延伸計画について上田温泉電軌真田線の延伸計画について1926年11月25日の官報第4277号と1935年9月16日の官報第2613号に、上田温泉電軌(現在の上田電鉄)真田線の真田から先の区間の延伸について記述があった。 以下が国立国会図書館デジタルコレクションのURLである。 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2956427/3 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2959092/4 この2つの官報では、終点であった真田駅から先、当時の小県郡長村の大字であった大日向地区への路線敷設免許の下付と失効それぞれについて記述されていた。 下付が1926年、失効が1935年であることを考えると、その間の昭和恐慌によって計画を断念せざるを得なくなってしまったのではないかと考えられる。2021-02-27
77上田松本電鉄計画上田松本電鉄計画1951年に運輸省告示第二百四十八号にて告示されたものである。 国立国会図書館デジタルコレクションのURLを以下に張り付けておく。 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2963979/4 この計画は「上田松本電鉄」という会社のもので、一説によるとかなり本格的なものであったとされる。 以下、内容を要約する。 申請の理由 ・もともと国鉄信越本線、篠ノ井線が開通するまでは松本~東京間の街道筋に当たっていた ・現在は急峻な峠を越えて往復する1日4回のバスがあるだけである ・上田~松本間が3時間以上かかる ・冬季は降雪に阻まれて運行不能となる不便さがある ・輸送力が少ない ・沿線の産業、文化、観光資源の開発などに、非常な障害となっている 開通のメリット ・上田~松本間がわずか1時間半で到達される ・沿線住民が多大な利便を2021-02-27
78公文書利用で始める地域学講座(2021/02/06開講)概要公文書利用で始める地域学講座(2021/02/06開講)概要【受講申込】受講申込は終了しました。 まちなかキャンパスうえだ市民向け講座(長野大学/ネット利用講座) 市民キュレーション講座「公文書利用で始める地域学講座」 開催期間:2021/2/6, 2/13, 2/20, 2/27 毎週土曜日4回 13:30~16:30  ビデオ会議Meet利用、全国から受講できます。受講される方にはMeet URLをお伝えします。 【講座のお問合せ先】◆は@に置き換えてください。  ◎講座申込について 地域づくり総合センター事務局 TEL:0268-39-0007 renkei◆nagano.ac.jp  ◎講座内容について 前川道博(長野大学/講座担当) TEL:090-2270-5074 maekawa◆nagano.ac.jp <講座案内PDF版> ※2頁以降に詳しい説明を載せてあります。 【プログラム】 第1回 2月6日(土) 一次資料から地域をひもとく 第2回 2月13日(土) 地域の資料探しと成果物のネット展示 第3回 2月20日(土2021-02-27
79上田松本間に計画された鉄道上田松本間に計画された鉄道大正8年(1919年)に泉田村に提出された、鉄道敷設に関する意見書の内容を まず前置きとしては、 ・上田松本間はもともと2つの県道で旅客や貨物の輸送が盛んだったが、信越本線と篠ノ井線ができたことによって衰退した。 ・世の時勢が交通機関の発展を促している ということが述べられている。 この路線が開通した時のメリットとしては、 ・沿線に浅間温泉、別所温泉、田沢温泉、沓掛温泉などの年間の観光客が10万人を超える観光資源がある ・沿線に石炭などの特産品が少なからずある ・信越本線と篠ノ井線の半分の距離しかない  (関東と濃尾地方の連絡にも大きな利点がある) ・篠ノ井線が塩沢の辺りなどで地盤崩壊が起きるときにバイパスとして機能する  (軍事的にも利点である) ことが挙げられている。 当時沿線で石炭の2021-02-27
80十二方作命丙第五八号 七月二十二日十二方作命丙第五八号 七月二十二日上田附近三菱重工業に関する件 昭和20年7月22日 http://www.nids.mod.go.jp/military_history_search/Viewer 十二方作命丙第五八号 七月二十二日 1 第8野戦輸送隊を、十二方作命丙第30号による上田付近、三菱重工業会社第5製作所分散防護工事協力期間を約1か月延長す。 2 第8野戦輸送隊長は前号工事のため、自動貨車役20両に応ずる人員を増強すると共に、引き続き該工事に協力すべし。 また左記により兵力を差し出し宇都宮地区における、皇国第1814工場の資材疎開輸送を援助すべし。 左記 (イ)差出兵力 将校の指揮する自動貨車役20両 (ロ)差出期間 約一週間 (ハ)所要自動車燃料は工場側の負担とす。 3 細項に関しては関係機関相互協定すべし 第十二方面軍司令官 田中静壹 下達□印刷交付(工場側には宇都宮師管2021-02-23
81芝生田区新家の道祖神芝生田区新家の道祖神新家池下に建立されています。2021-02-22
82丸子は「まりこ」?丸子は「まりこ」?旧丸子町は昭和36年までは「まるこ」「まりこ」どちらにも読まれていたが、町制50周年と丸子実業高校野球部の春の選抜出場を期に読み方が統一された。それが町議会で可決されたとの2次資料が『丸子修学館100周年記念誌』に掲載されていたが、実際に丸子町議会の議事録に残っているかを調べる。2021-02-22
83長大サミット発表団体/登壇者紹介長大サミット発表団体/登壇者紹介

①MIZUMATCH →プレゼン資料

「ミズとマチ(水と街)をマッチさせよう」をコンセプトに、上田市、千曲川を拠点に活動する団体。最近は菅平高原でのスカイランタンイベントをクラウドファンディングで実行するなど幅広く地域貢献活動に取り組んでいる。
Twitter:https://twitter.com/mizumatch?s=11 Instagram:https://instagram.com/mizumatch_wkwk?igshid=15je1ichh0kim

②NIC →プレゼン資料

長野大学の国際活動を行う団体。外国人を招待してイベントを開催するなど日本と外国のつながりを大切に活動する。
Instagra2021-02-21
84探究計画探究計画テーマ:蚕都上田の近現代史 狙い:主に明治、大正期における上田の蚕糸業の発展について調べる。 計画:資料閲覧、現地調査などを考えているが具体的には未定 参考資料:特に考えてはいない2021-02-20
85探求計画探求計画探求テーマ:上田と音楽の繋がり 探求のねらい:普段、音楽の歴史というものは深く意識されておらず、しっかりとした調査などがされていなかったりするので、それを様々な人と共有できれば良いと考えている。 探求の計画:塩尻時報などを見て、音楽の記事を見つけ、それを他の人に伝える。 参照予定の資料:塩尻時報 (写真は特に関係ありません。)2021-02-20
86•探求計画•探求計画•探求計画 –探求タイトル 上田が軍事的にどのように扱われてきたか –探求のねらい 特定の地域を、日本全体からどう扱い、地域からどう扱われたか、上田を一つの例として係わりを調べ、他地域との比較などをとおして、軍事史研究の参照例としたい。 –探求の計画 具体的には未定 他の研究との吻合を測りながら進め、相乗効果を期待したい。 –参照予定の資料 具体的には未定 進捗に合わせて参照して行きたい。当面、ネットを通じて予備的に収集する。いずれ必要なものがあれば上田の公文書館も利用したいが、国会図書館や防衛研究所を調べることが先になると思う。2021-02-20
87探求計画探求計画探求のねらい:別所温泉は、いくつかあった外湯(源泉)から分湯し、内湯旅館になったと聞いている。その外湯の変遷を調べてみたい。 探求計画:地域に当時の様子を記した史料があるか確認しあったら閲覧をお願いしたい。 参照予定の資料:上田市公文書館所蔵「議事書類綴」(1919/大正8年 別所村)、別所時報(縮刷版)など2021-02-19
88信州上田学2020/学びの成果発表会信州上田学2020/学びの成果発表会信州上田学2020/学びの成果発表会 長野大学公開講座「信州上田学2020/学びの成果発表会」 2021/01/24 長野大学リブロホールにて 2時間34分2021-02-19
89地域学講座③調査記事の書き方+資料の分類整理地域学講座③調査記事の書き方+資料の分類整理▼講座資料 ★地域調査記事の書き方・資料の分類整理(前川道博) ★資料の分類とメタデータ(井上透) ▼講座内容 資料の分類とメタデータ 井上透(岐阜女子大学教授) デジタルコモンズサービス解説、記事の書き方・ポイント 前川道博(長野大学教授) 途中経過の投稿記事をみんなで見合う、Q&A 前川道博/井上透 ▼タイムテーブル 13:30 本日の講座概要 13:40 ミニ講義:資料の分類とメタデータ 14:10 デジタルコモンズサービス解説 14:30 記事の書き方・ポイント 15:00 (休憩) 15:10 ミニ実習・お試し投稿 15:40 途中経過をみんなで見合う、Q&A 16:30 終了2021-02-19
90萬葉集(写本)萬葉集(写本)『萬葉集』(写本)全9帖 (市立小諸図書館所蔵) 『萬葉集』とは・・・ 飛鳥・奈良時代の歌集で、約130年間の長歌、短歌、旋頭歌、仏足石歌など4500首余りを収録。天皇、皇后をはじめ一般民衆の歌まで含んだ歌集。 【参考文献】『国史大事典』(国史大辞典編集委員会/編 吉川弘文館 1992) 本書は、江戸初期の写本といわれていて、国文学者佐佐木信綱氏の著書『萬葉集事典』(平凡社 1956)の諸本―写本の項で『小諸本萬葉集』として収録されています。 綴葉装(てっちょうそう)の活字附訓本で、缺本(欠けた巻がある本)で、5,6巻が欠けています。 サイズは、縦23.5cm×横17.5cm。 小諸藩主牧野氏の蔵書で、のちに小諸町で酒造業を営んでいた大塚宗次氏が購入、大正3年(1914)に財団法人小諸図書館へ寄贈されました。 大塚宗次氏に関2021-02-16
91鳴石橋駒ノ爪鳴石橋駒ノ爪小諸市諸地区に伝わる昔話「諸の七不思議」の一つである「鳴石橋に駒の爪」にまつわる石。 現在は諸公民館にて保存されている。  一、鳴石橋 駒ノ爪  昔より伝えられる話  諸七不思議の一つ  その昔殿様の愛馬が  姫を恋慕って領内を  駆け巡り駒の「ひづめ」  の跡が残されている  哀話の石橋という   道路拡張に伴い     鳴海天神地積より移転               (現地解説より)2021-02-16
92とう吉饅頭とう吉饅頭和菓子作りで最も重要なところであるあんこ。お店によって全く味や使う素材、作り方も異なるので、お店の質を決める最も分かりやすいものでもあります。 最高級の小豆を使って、昔から受け継がれてきた製法でどの工程も手を抜かず、手間隙かけて作り上げる最高級あんこ。 http://www.toukichimanju.com/concept.html2021-02-13
93菱野愛宕山の祠菱野愛宕山の祠 (書きかけ) 菱野区で大火事があったときに、京都の愛宕神社から火伏の神様を分けてもらってきて、ここに祀ったとのこと。 そのためか、この付近は愛宕山と呼ばれている。2021-02-13
94夕空夕空上田市内にて2021-02-13
95第二代上田市長・勝俣英吉郎の像第二代上田市長・勝俣英吉郎の像上田城跡公園に第二代上田市長・勝俣英吉郎の像の銅像が立っています。2021-02-13
96名古屋の和菓子名古屋の和菓子名古屋の和菓子について紹介します2021-02-13
97地域学講座②地域の資料探しと成果物のネット展示地域学講座②地域の資料探しと成果物のネット展示▼講座内容 地域の資料探しと成果物のネット展示 探求テーマに沿った資料探しと助言Q&A 探求の成果物をネットに展示する方法  講師:前川道博(長野大学教授)2021-02-13
98未来の図書館を考える未来の図書館を考える2021/02/14、山形県立図書館リニューアル1周年を記念してネット鼎談「未来の図書館を考える」が開催されます。その基調となる話題提供をこの資料にとりまとめました。 ▼未来の図書館を考える(YouTube動画) 2021-02-13
992020年度プロジェクト研究最終報告 小林 竹重2020年度プロジェクト研究最終報告 小林 竹重猫のマッチングサイトの制作を通じて地域猫活動やTNR活動について学びそれを周知するための方法を考えたりボランティアの方々に協力するなどの活動を行いました。2021-02-12
100議事書類綴(1919/大正8年 別所村)議事書類綴(1919/大正8年 別所村)下のリンクを選ぶと文書全体のPDFをダウンロード表示します。ダウンロード表示には時間がかかります。
PDF大正八年度議事書類綴(1919/別所村役場)
283頁/62MB
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283ファイル/235MB
▼上田市公文書館資料情報 議事書類綴 ぎじしょるいつづり 請求番号 01-T08-01-13389 文書の種類 旧役場文書 地域 別所村 作成年度(和暦) 大正8年 作成年度(西暦) 19
2021-02-12
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