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1地震で引き起こされた二次被害地震で引き起こされた二次被害これは、善光寺大地震の際地震の影響で山崩れまでもが連続して起きてしまった記録です。 善光寺大地震岩倉山崩れの図 写(信州デジタルコモンズ) https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/museum_history/03OD06210009002023-01-18
21847年代の地震が起きた場所の記録書1847年代の地震が起きた場所の記録書これは1847年に制作された記録書であり、善光寺大地震の記録などの地震についての長野県の被害や情報を確認することができます。 地震場所書上(信州デジタルコモンズ) https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/library/02BK01041679372023-01-18
3善光寺大地震災害(地方図)善光寺大地震災害(地方図)過去には善光寺に大地震が到来したことがあります。この写真はその時の善光寺大地震のことを地図に表したものです。 善光寺大地震災害地方図 写(信州デジタルコモンズ) https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/museum_history/03OD06210007002023-01-18
4蓼科学終了!蓼科学終了!最後のまとめの授業はまだ残っていますが、一番の目標であった小学生との交流クイズ大会が無事に1月16日に終わりました。 蓼科学全体を振り返ると、最初の頃はゼミ以外の時間を使ってミーティングを行っていました。始まってからは、毎回をこなすことで精一杯でした。私が考えていることと、高校生の実態に大きな差があり、途中で離れようか考えなかったわけではありませんでした。 私自身、「高校生だからできなくてしょうがない」と高校生の時は若さを理由に逃げることを許されても、大学生になった瞬間に「高校でやってこなかった?」と、言われることがあり、環境に自分の成長を任せきってしまっていてはいけなかったと反省しました。 そんな経験から、蓼科学を学ぶ高校生には、押し付けではない学びをしてほしいと考えていま2023-01-17
5スマートな時報サイレン(『西塩田公報』第71号(1953年8月5日)2頁)スマートな時報サイレン(『西塩田公報』第71号(1953年8月5日)2頁)この記事はスマートな時報サイレンを紹介した記事です。役場屋上に取り付けたということでしたが、埋め込み式なのはとてもシュールだと感じました。サイレンといえば浮いているイメージでしたから、当時では画期的なサイレンだったのでしょうか。しかし、サイレンの音が建物に共鳴して役場に影響は無かったのでしょうか。それだけが気になります。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1210 『西塩田公報』第71号(1953年8月5日)2頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1210.jpg2023-01-16
6バス時間表(『西塩田公報』第56号(1951年12月5日)4頁)バス時間表(『西塩田公報』第56号(1951年12月5日)4頁)この記事は、古文書を探るという記事の中になぜかバスの時刻表が載っている記事です。何の脈絡もなく時刻表が出てきているところと、運賃は果たしてかかるのだろうかという疑問も湧き出てきます。バスもイラストではなく写真を利用しているところに編集者のセンスが垣間見えます。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1160 『西塩田公報』第56号(1951年12月5日)4頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1160.jpg2023-01-16
7プロジェクト研究の足跡プロジェクト研究の足跡プロジェクト研究の足跡を綴ってきたものをまとめました。 4月25日 前半はグループメンバーの共通項として、研究への取り組み方や考え方を共有しました。後半は、各自のプロジェクトの説明とそれに対する質問や問題意識の共有を行いました。ゼミ内で横のつながりが出来ることで、各自の持つ問題意識への様々な考え方が示され、非常に有意義なものとなったと感じました。今後は、自身のプロジェクトを進める中で頻繁に意見交換をすることで、より多角的な視点から研究していこうと考えています。 5月11日 大洗町における地域学習に関する記事の閲覧及び調査を行いました。また、大洗にフィールドワークに赴く際の調査事項などをまとめました。今後も活動を報告し合う事で様々な視点から調査を行っていきたいと考えています。 5月17日2023-01-16
8d-commons.net 2022年ブラッシュアップ・課題点リストd-commons.net 2022年ブラッシュアップ・課題点リストd-commons.net内でバージョンアップされ、扱いやすくなった点と課題点のリストアップ。 ・ブラッシュアップした点 1.記事一覧(全部みる)のページが軽くなった(以前は登録されている記事が全て表示したため非常に重かったが、現在は100件のみ表示される) 2.管理画面に作成した記事のリンクが追加された(「詳細ページ」が該当する) 3.トップページの「全部みる」ボタンに登録記事の数が表示されるようになった 4.クリップファイルにより画像の閲覧がしやすくなり、備考も添付できるようになった ・残っている課題点 1.URLのハイパーリンク化に手間がかかる(aタグが必要) 2.書きかけの記事のプレビュー表示や一時保存ができない 3.クリップファイルに登録した写真の順番変更に手間がかかる 4.親サイトと子サイトのデザインが似すぎているため区2023-01-16
9大洗町のキャラクターパネル大洗町のキャラクターパネル大洗町の商店街にはガルパンキャラクターの等身大パネルが店舗ごとに設置されています。 このパネルは2013年3月の海楽フェスタの際に行われた取り組みです。 この前年の11月に行われたあんこう祭りで多くガルパンファンが大洗町に訪れたことに引き続き、この取り組みはガルパンファンを商店街に呼び込む原動力となりました。 その結果が10年間ものコンテンツツーリズムに行き着いたと考えると、きっかけとなったこのキャラクターパネルが商店街とガルパンファンを結びつけたといえるのではないかと考えました。2023-01-16
10Beach culture brewing(大洗のクラフトビール醸造所)の取り組みについてBeach culture brewing(大洗のクラフトビール醸造所)の取り組みについて大洗町のクラフトビール醸造所「Beach culture brewing」さんの取り組みについて紹介する。 Beach culture brewingさんは大洗町のシーサイドステーションという施設内で営業を行っているクラフトビール醸造所なのですが、とても面白い取り組みをしていることがわかりました。 それは、おつまみ持ち込みokということです。 実は、シーサイドステーションの中には大洗まいわい市場という店舗があり、ここでは大洗町で作られた野菜や水産加工品が幅広く売られています。 つまり、Beach culture brewingさんでは、大洗の地元産品をおつまみとして、大洗のクラフトビールを楽しむことが出来ます。 店内もおしゃれな雰囲気なのでぜひ大洗尽くしの飲みを体験してみてください。2023-01-16
11交流ノート設置の経緯交流ノート設置の経緯茨城県大洗町において交流ノートの設置の経緯について聞き込み調査を行った際の記録を残す。 交流ノートの設置の経緯について聞き込みを行ったところ、ある水産店が設置したことに辿り着きました。 経緯としては、ガルパン効果で多くの人々がお店に来店してくれるようになるにつれ、全国各地から人々が訪れることに驚いたそうです。 そこで多くのお客さんに出身地を訪ねる中で、ノートを置いてそこに書いてもらおうと考えたのが最初であるとお話しして頂きました。 また、その他の店舗にもお聞きしたところ、ガルパンファンが是非おいてほしいということで持参したケースや、他の店舗が置いているから起き始めたといったケースがみられました。 ファンが自らノートを置いていくというという広がり方をしているというところに2023-01-16
12第二回create owaraiの開催にあたり第二回create owaraiの開催にあたり2023年1月15日に、去年に引き続き二度目の開催となる、茨城県外から参加者を募り、大洗町の事業者様の抱える課題を解決に導く地方創生プログラム「create owarai」のDay1が行われました。 私は今回事務局として、このプログラムの運営と、プログラム風景の発信、そしてこのプログラムを通しての意義、効果の考察を主な役割として参加しています。 Day1では各参加者やチームの参加風景を撮影すると共に、雨天ということもあり、一つのチームの町巡りを運転兼説明役としてサポートしました。 参加者の皆様は既に多くの活動に参加経験のあるスキルフルな方々が多く、初日から地元の課題解決に向け多くの議論が飛び交っていました。 今後も三か月間、このプログラムを少しでも意義あるものにしていけるよう取り組んでいこうと思います。 ま2023-01-16
13プロジェクト研究実践報告(菅平中の総合学習について)プロジェクト研究実践報告(菅平中の総合学習について) 研究テーマ:菅平中の総合学習の支援について 1.その研究テーマを選んだ理由  私自身人と関わることが好きであり、子ども達と触れ合うことも好きなのでこのテーマが合っていると思っていたため。また今までにやっていない取り組みをしたかったという点も合致しているため。 2.課題提起(そこにある社会の課題)  学校での授業というと近年では新型コロナウイルスによってオンラインの授業も増えてきたが、まだまだ対面との授業と比べてしまうと満足度に欠ける点が多い。そしてマイサイトを使う点では人に自分の思っていることをしっかり伝えにくい点が挙げられる。 3.実践計画と実施内容  計画としては菅平まなびあい広場というサイトを使用し、週間報告をまとめてもらうという方向で計画し、実際にその計画通り実施した。また困2023-01-16
14菅平中の総合学習支援実践報告菅平中の総合学習支援実践報告約半年間にかけて菅平中の総合学習の支援を行いました。初めての試みでサイトの開設を行ったり、学習支援をオンラインで行ったためまだまだ不足の点を多く感じました。今後も継続して行っていく予定です。2023-01-16
15私のチャンネルはなぜ成功していないのか私のチャンネルはなぜ成功していないのかしばらく投稿が出来ていなかったため、その期間に投稿した動画と、研究最終報告へ向けてのメモ代わりとしてテーマごとの記事を残します。 2 私のチャンネルはなぜ成功していないのか  私はYouTubeに関係した研究をする過程の1つで「成功しているチャンネルの特徴を分析しそれを自身の動画に取り入れて変化を見る」ということをしてきました。 しかしこの記事を書いている時点でやっと登録者が300人を超えたくらいであり、世間的に見ればYouTubeで成功したとは到底言えません。    この記事では、成功したチャンネルの要素を取り入れたのになぜ私のチャンネルは成功していないのかをまとめます。    初めに結論から言うと、その理由は「成功したチャンネルの要素を取り入れたから」です。 これだけだと何を2023-01-13
16海外向け旅行youtuberとその模倣投稿者の違い海外向け旅行youtuberとその模倣投稿者の違いしばらく投稿が出来ていなかったため、その期間に投稿した動画と、研究最終報告へ向けてのメモ代わりとしてテーマごとの記事を残します。 1 海外向け旅行youtuberとその模倣投稿者の違い  初めに、収益を得ている投稿者を「youtuber」収益を得ていない投稿者を「投稿者」とします。  私の研究で注目している海外視聴者向け旅行youtuberは数名いますが、その先駆けとも言える「Travel Alone Idea」さん(以下Travelさん)を最終的に取り上げることにしました。  Travelさんをご存じない方に向けて凄さを簡単に言うと、14本の動画のみで登録者数100万人を達成しており、再生回数最多の動画は10か月前の投稿にも関わらず8049万回再生という驚異的な数字を記録しています。これらの数字はYouTube全体で見ても極めて稀であり、同様の数字2023-01-13
17elaboration探求まとめelaboration探求まとめ上田城と地元の松本城を比較し、松本城が地元の人から愛され誇られているのかを探求した。 前提として、天守閣の有無は割愛させてもらいこの探求テーマを考えた。 上田城と松本城の魅力の比較について主に2つ挙げる。 一つはイベントの豊富さである。 まず、松本城は春夏秋冬でイベントが設けられている。2022年に松本城で行われたイベントを調べていくと 春のイベントは「夜桜会」、「桜並木 光の回廊」をはじめとする5つ。 夏のイベントは「太鼓祭り」、「和服来場者入場無料事業」などの計3つ。 秋では「そば祭り」と「お城祭り」の2つ。 冬は、「冬囲い」、「氷彫フェスティバル」をはじめとする6つ。 四季折々のイベントが合計で16件も催されている。 県外の人だけでなく、地元の我々も訪れる機会が多くそのため、自信をも2023-01-12
181/12日 調査まとめ1/12日 調査まとめ上田と「山本鼎」 自由画運動 山本鼎(やまもと かなえ)は愛知県岡崎市出身の画家であると共に、上田を拠点に「自由画運動」「農民美術運動」の先駆けとなった人物である。愛知県出身の山本であるが、父親が小県郡神川村大屋(現在の上田市大屋)に病院を開業したことをきっかけに上田と縁を持つこととなる。1912年にフランスに5年間の留学へ向かった山本は、日本に帰国後、児童画の改革を目指した運動を起こした。山本の言葉に「自分が直接感じたものが尊い」というものがあるが、当時の児童画の指導方法は「お手本の模写」が主流であった。山本はこれに対し、絵の技術や方法が重要なのではなく、自分の目で見た物、感じた物を描くことが児童の発達にとって大切であると説き、1919年に神川小学校で第一回児童自由画展覧会が開催され、2023-01-12
19上田市マルチメディア情報センター上田市マルチメディア情報センター上田市マルチメディア情報センターは、長野大学の少し上に位置している、情報化を総合的に支援する環境が整っている施設である。 ●施設・概要 学生は無料で使用できる学習スペース、3Dプリンターがあり、アニメや映画などを250作品以上見ることができるPCが置かれていた。また子供や大人も活用できる学習空間がある。 他には教育支援や無線LAN有線LANの管理など地域にも貢献している施設である ●上田資料映像鑑賞 上田市の50年前の資料映像を見させていただいた。 そこでの貴重な映像を紹介する。 ●「上田つむぎ」信越放送 1964年1月16日放送/上田紬/私たちの周辺 人手を要する養蚕は機械化をする必要はあるが、あまりにも機械化をしてしまうと伝統が欠如してしまう可能性があるとのこと。 手織りのものは個人に合わせて作2023-01-12
20一次資料としてのminiDV一次資料としてのminiDVこれまで社会活動はビデオ映像に記録をしてきました。蚕都上田プロジェクトを始めたのは2008年のこと。当時の記録媒体はもっぱらminiDV(小型ビデオカセット)です。それから15年が経過し、当時は現役で活動された方もご高齢になったりお亡くなりになったり、社会の状況・様子も変遷し続けてきています。miniDVは個人的には1997年以来使い続け、記録テープは1000本を超えます(数えたことはありませんが)。 テープ媒体の問題は再生しないことには記録映像にアクセスできないこと。さらにはこれらの媒体がいつまで再生可能かの保証はなく、テープ媒体の経年劣化の問題、再生機器の保全の限界の問題と重なり、ある時期に全てをデジタル化しデジタル保存しておかないと取り返しがつかないことになります。 この年末年始、デスクワークの片隅でパ2023-01-10
21現代のタイポグラフィーの例③現代のタイポグラフィーの例③食料品店、フラワーマーケット、書店など、小売店での「ポップ」。 現代の身近なタイポグラフィーと言える。 ワープロの普及によって直筆で文字を書く機会が減ったが、タイポグラフィーは、マスメディアや企業に限らず、身近なレベルでも活用することができそうだ。「ポップ」はその代表例だが、社内企画書やSNS発信などの個人の身近な発信においてもその効果が期待できるのではないだろうか。 「藤本蚕業報告書書体」に端を発した、本キュレーションだが、タイポグラフィーを模したその描き文字には強いインパクトがあった。さらに「報告書」作成者の、仕事に対する誠実さや熱意までが伝わるような気さえし、非常に印象深く、興味をそそられるものであった。2023-01-09
22現代のタイポグラフィーの例②現代のタイポグラフィーの例②企業ロゴにもタイポグラフィーが使用される。 タイポグラフィーは現代でも広告効果が認められ重要視され続けている。2023-01-09
23大正期には「キネマ文字」のフォント集まであった大正期には「キネマ文字」のフォント集まであった矢島周一は大正15年(1926)3月に日本で最初のタイポグラフィー字典といわれる『図案文字大観』を出版。自らの映画広告のレタリング制作の経験から考案した書体を集大成したという。以後の日本映画広告では明らかにこの『図案文字大観』の書体が活用されており、使用事例が幾つも確認できる。 『図案文字大観』 矢島周一・著 1926(大正15)より引用2023-01-09
24大正期の報知新聞紙上の映画宣伝に見られるタイポグラフィー大正期の報知新聞紙上の映画宣伝に見られるタイポグラフィー大正期に、新聞広告、商業ポスター、マッチなどの商品パッケージ等、広告を中心に重要視されるようになったタイポグラフィーだが、特に大正2年(1913)ころから映画広告に登場し、「キネマ文字」と呼ばれるようになった。 映画(当時で言う「活動写真」)は寄席、劇場に並ぶ大正期の三大大衆娯楽であり、「キネマ文字」の普及にも大きな力となったはずである。 報知新聞 第 17232 号、5 面、大正 14 年 1 月 22 日発行 東京、報知社2023-01-09
25明治中期の読売新聞紙上の広告に見られるタイポグラフィー明治中期の読売新聞紙上の広告に見られるタイポグラフィー日本のタイポグラフィーは、平安から始まり江戸期までは、篆書(てんしょ)・隷書・楷書・行書・草書など毛筆を基にしたものであった。 明治に入り、欧文書体との融合が始まった。 写真のような明治中期の新聞広告には英語表記も見られるが、タイポグラフィーの多くはまだまだ毛筆書体を元にしている印象だ。 読売新聞 第 5751 号、4 面、明治 26 年 7 月 26 日発行 東京、日就社2023-01-09
26根岸流相撲字根岸流相撲字相撲文字はもともと、江戸時代の公用書体「御家流」が使われていたが、明治になって根岸流が使われるようになった。 『「〔相撲番附〕」』(東京都立中央図書館 所蔵) 「ARC浮世絵ポータルデータベース 収録」 (https://cultural.jp/item/arc_nishikie-587_K008)2023-01-09
27江戸火消の力文字江戸火消の力文字火消とは江戸時代の消防組織。 町火消しが、組の印として定着させた書体を力文字、伊達文字、撥鬢(ばちびん)文字、纏(まとい)文字などと呼んでいる。火消し着用の革羽織、印半纏(しるしばんてん)、刺子(さしこ)の長半纏(ながはんてん)など、背の代紋や襟に染め付けた文字は、起筆、終筆とも力を入れて極端に肉太とした書体で、いかにも力文字と呼ぶのに相応しく江戸町火消の心意気と威勢と誇りを示した。 『〔江戸町内火消之組印〕』(東京都立中央図書館 所蔵) 「東京都立図書館デジタルアーカイブ(TOKYOアーカイブ) 収録」 (https://cultural.jp/item/tokyo-R100000086_I000041580_00)2023-01-09
28扁額(へんがく)の一例扁額(へんがく)の一例扁額とは自社などの入口や建物正面に掲げられる、看板のようなもの。 写真は長崎県長崎市にある江戸時代初期に創建された唐寺(とうでら)のひとつ、崇福寺(そうふくじ)の本堂・大雄宝殿(だいゆうほうでん)。国宝になっている。 『崇福寺大雄宝殿』(崇福寺 所蔵) 「文化遺産オンライン 収録」 (https://cultural.jp/item/bunka-191353)2023-01-09
29空海空海空海(くうかい、774年〈宝亀5年〉- 835年4月22日〈承和2年3月21日〉)は、平安時代初期の僧。能書家でもあったが、遣唐使として中国に渡った際に寺社から影響を受けたといわれ、帰国後に数多くの扁額(へんがく)を作成している。その力感あふれる筆法が、日本のタイポグラフィーの始まりであるという説がある。 『弘法大師(空海)像』(慶應義塾ミュージアム・コモンズ 所蔵) 「慶應オブジェクトハブ 収録」 (https://cultural.jp/item/keioobjecthub-1630)2023-01-09
30手塚治虫手塚治虫手塚治虫は昭和3年(1928)生まれで、漫画家デビューは昭和21年(1946)であるため、昭和14年ごろに書かれたと思われる「藤本蚕業報告書書体」は手塚の影響を受けたわけではなく、手塚もまた当時のタイポグラフィーに影響を受けた一人と考えられる。 髙木康允『手塚治虫(1928-1989) 漫画家 [撮影 昭和62年(1987)]』(日本写真保存センター所蔵) 「写真原板データベース」収録 (https://jpsearch.go.jp/item/photo-00088_00076_0001)2023-01-09
312023元日の上田2023元日の上田2023年の元日は晴天に恵まれ、塩田平にある生島足島神社へ初詣に出かけました。いつも見慣れている風景ながら、「上田とはどんなところか?」、改めて眺め直してみました。 上田からは烏帽子岳が最もよく見えます。何よりも烏帽子状の山容が美しい。 次に美ヶ原、深田久弥が「日本百名山」に選んだ山の一つ。山の頂は起伏が極めて少なく平坦に長く続き、これが一つの山とは認知しがたいぐらいに「控えめ」な佇まいをしています。地元の人は美ヶ原とは呼ばず「うつくし」と呼びます。山頂はほぼ平坦ながらわずかばかり高く見える山頂にテレビ塔がいくつも立ち並んでいます。美ヶ原はこのテレビ塔の存在がアクセントとなり不思議に美しい。 小牧山は地元の人々もそれが何山かを意識することなく存在している超低山です。この地点は地2023-01-03
32女の多い話(『西塩田時報』第7号(大正13年7月1日)4頁)女の多い話(『西塩田時報』第7号(大正13年7月1日)4頁)【女の多い話】 小学校において、男児よりも女児の方が多いとする統計データについて、「飛鳥生」なる人物が私見を述べるという項目。一般に男性と女性の人口比は105:100と言われている。飛鳥は先述の統計を「面白い研究材料」と述べていたが、私も甚だそう思う。飛鳥はこれについて、女性の労働が少ないことが原因であると冗談交じりに述べていた。 【雑草】 「名のある人によって成し遂げられた事ばかりが尊い事ではない」という書き出しが目を引いた。功績をあげた人がどんなに名のある人かよりも、功績そのものがいかに素晴らしいかを評価すべきであるというのは、私の人生観に一致する。価値観というのは時代と共に変わっていくものと思っていたが、共にする場合もあるものだと感じた。2022-12-28
33川西野球排球大会川西野球排球大会今でもこれほどな大差がつくのは野球でも珍しいため面白かった。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1180 『西塩田公報』第60号(1952年9月5日)2頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1180.jpg2022-12-27
34禁酒禁酒今回私が面白いと思った記事は禁酒です。 どの時代でもお酒は嗜好品とされており、昔であれば手に入れることが難しい物であったためより価値があったと推察できます。 そのお酒を禁止することによる弊害や悲しみをおもしろおかしく表現されている記事になります。 ●この記事は以下から参照できます。 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0004.jpg2022-12-26
35子供はしつけ第一 服従の習慣から――(『西塩田時報』(1930)第81号(昭和5年8月1日)3頁)子供はしつけ第一 服従の習慣から――(『西塩田時報』(1930)第81号(昭和5年8月1日)3頁)子どものしつけについて書かれた記事です。子どもが言うことを聞くのは親が習慣をつけているかどうかだと、子どもの心のあり方を述べながら説明しています。 ▼この記事は以下から参照できます。 #349 『西塩田時報』第81号(1930年8月1日)3頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0349.jpg2022-12-26
36体力検査成績発表!!(『西塩田時報』第187号(1925年6月1日)1頁)体力検査成績発表!!(『西塩田時報』第187号(1925年6月1日)1頁)学校のカリキュラム上の新体力テストのようなものだと思いましたが、地域の青年団員の成績結果でした。一番上に百米(100m)の結果が広報されているのですが、12秒台の方が先頭にいらっしゃいます。現在においてもかなりの記録です。靴や走り方を学べばもっと良い記録を狙えると思います。 ▼この記事は以下から参照できます。 #364 #364 『西塩田時報』第187号(1925年6月1日)1頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns11_181to204.pdf2022-12-26
37健康第一健康第一いつの時代も健康って大事だよなあと考えさせられたこの記事が好き。 『西塩田時報』第16号(1925年3月1日)4頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0074.jpg2022-12-26
38生活雑記(『西塩田時報』(1954)第82号(昭和7月3日)3頁)生活雑記(『西塩田時報』(1954)第82号(昭和7月3日)3頁)日常の様子が描かれた雑記です。朝からご飯をつくり、主人を送り出し、洗濯をして…とせわしなく家事や畑仕事をこなす女性の姿が描かれています。 新聞をゆっくり読む暇もない様子の女性から、ひとときと書いたのはなぜかなと考えてしまいます。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1255 『西塩田公報』第82号(1954年7月5日)3頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1255.jpg2022-12-26
39農事メモ(『西塩田広報』第80号)農事メモ(『西塩田広報』第80号)当時の気候変動に農家はどのように対応すればよいかが描かれていた。 #1246『西塩田広報』第80号 2ページ2022-12-26
40家庭内での女性の地位向上家庭内での女性の地位向上これは家庭内において弱い立場にある女性の立場を上げるためのある女性の訴えです。その時代のリアルな男性の横暴さと女性の立場の弱さが書かれていて、今の時代ではこの記事を読んでも「そりゃそうだよね。」と言われるぐらいにはなってきているが、当時はこの記事を読んではっとさせられた男性や勇気づけられた女性がいたのではないでしょうか。 「人間は男のみではない」この文章にとても惹かれます。2022-12-26
41支部通信「浅間山行」支部通信「浅間山行」浅間山登るのがしんどいというのが伝わってきて面白いと感じた。そして、今よりは道も整備されてなかったのではないかなどと想像が膨らんで、見ていて面白いと感じた。 『西塩田時報』第9号(1924年9月1日)3頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0047.jpg 2022-12-26
42禁酒禁酒飲酒のデメリットが延々と綴られており、ユーモア溢れる記事だった。非常に文章のリズムが良いため、声に出して読んでみることをオススメする。 これを読めば「禁酒してみようかな」と思えるかもしれない。 ▼この記事は以下から参照できます。 #75 『西塩田公報』第1号(1923年7月1日)4頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0004.jpg2022-12-26
43家庭メモ(『西塩田広報』第77号)家庭メモ(『西塩田広報』第77号)料理や衛生管理に必要なものについて今では様々な便利なものが普及し、それを買えばよいが当時はそういったものがなかったので身近にあるもので工夫されてきたことが記されている。 ♯1230 「西塩田広報」(昭和29年)4ページ2022-12-26
44水泳の効果について水泳の効果について水泳が及ぼす効果について書かれた記事である。戦時中ではあるが、このような記事がありほっこりするような気持ちになりました。時報に対して堅苦しい印象があり、子供はなかなか目にしにくいような難しい事がたくさん書かれているのではないかと思っていましたが、このような記事は子供にも読まれやすい面白い内容であり、自分自身もとても興味深いと思いました。2022-12-26
45昭和27年(1952)の殺人事件(『西塩田時報』第73号)昭和27年(1952)の殺人事件(『西塩田時報』第73号)西塩田広報第73号より 加害者の住所が朝鮮でしたので、てっきり異邦人の犯罪かと思いましたら、当時の朝鮮のこの地区は日本領土でした。強盗内容も千円とありますが、当時の相場としては約5倍ほどだそうです。(間違っていたらすみません)時代背景がわかる記事ですので取り上げさせていただきました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #364 #364 『西塩田時報』第73号(1952年7月3日)2頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns17_post061to080.pdf2022-12-26
46女子の意見の出ない訳(『西塩田時報』第6号(1947年6月20日)4頁)女子の意見の出ない訳(『西塩田時報』第6号(1947年6月20日)4頁)男女同権の思想がちょうど広まった時代、女性の意見が少ないことが、当時の男性はどう思っていたのかが分かるお記事です。一理あると思える意見もあれば、それは筋違いだろうと思ってしまう意見もありおもしろいと思いました。 ▼この記事は以下から参照できます。 『西塩田時報』第6号(1947年6月20日)4頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns14_post001to020.pdf2022-12-26
47ビタミンのお話ビタミンのお話ビタミンの役割や種類などが書かれています。栄養を取ることの必要性や、どういった食材にビタミンが含まれているかも記述されているため、食事で意識しやすくなっています。既にこの時代で、食事をただ楽しむものとしてだけではなく、栄養という観点で見始めていることが面白いし、現在と変わらないほどのビタミンに対しての情報を得ていることが驚きです。2022-12-26
48農業議員選挙(『西塩田時報』第82号、1954年)農業議員選挙(『西塩田時報』第82号、1954年)昔は農業議員選挙というものがあったことに驚きました。さらに今では選挙はCMやチラシなどで目にすることが多いですが、かつては時報でそれを伝えていたことにも驚きました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1254 『西塩田公報』第82号(1954年7月5日)2頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1254.jpg2022-12-26
49運動のシーズン!(『西塩田時報』第70号(昭和4年9月1日)3頁)運動のシーズン!(『西塩田時報』第70号(昭和4年9月1日)3頁)運動促進を喚起する内容の記事である。まず「ゴム底足袋」というワードのインパクトがすごかった。また百年程度で足袋からいまの靴に進化していることにも驚いた。現在の新聞にあるような小さな広告だが面白さを感じた。 ▼この記事は以下から参照できます。 #305『西塩田時報』第70号(1929年9月1日)3頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0305.jpg2022-12-26
50お盆用必需品は自分の店で!(『西塩田時報』第69号(昭和4年8月1日)3頁)お盆用必需品は自分の店で!(『西塩田時報』第69号(昭和4年8月1日)3頁)お盆に必要なものは組合でそろえてくださいという内容の広告の記事だが、現在のCMを文面にしたらこうなるのかなと想像もできて面白い。また、「組合」「配給」も当時の様子を想像できて興味深かった。 ▼この記事は以下から参照できます。 #301『西塩田時報』第69号(1929年8月1日)3頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0301.jpg2022-12-26
51いゝ本を読みたいいゝ本を読みたい「いゝ本を読みたい」という極めて世俗的なタイトルに惹かれた。何かに触れて心が動かされるという行為は、今も昔も変わらないということを実感できた。昔の人というのは遠い存在に感じがちだが、この記事を読んで近くに感じることができた。 「そして自分の頭の悪いのが何より悲しみの深い一つだ」という最後の一文が特に共感できる部分である。 ▼この記事は以下から参照できます。 #75 『西塩田公報』第17号(1925年4月1日)1頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0075.jpg2022-12-26
52給桑上の注意給桑上の注意当時の蚕への給桑について書かれていました。 桑の状況や蚕の状況、気温などに考慮して与えていたのかが分かります。 蚕の食欲に普通期、此連食期、間食期、休食期があるのがとても興味深かったです。 この記事は以下から参照できます。 「西塩田時報」第142号(1935年9月1日)4貢2022-12-26
53さばとにしんの調理法さばとにしんの調理法西塩田時報には、「家庭メモ(家庭欄)」というコーナーがあり、ここでは家庭の豆知識を読むことができます。 昭和24年と古い記事なのですが旬の魚のレシピとしてサバとニシンが紹介されていました。 ぜひ皆さんも作ってみてはいかがでしょうか? この記事は以下より読めます。 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns16_post041to060.pdf2022-12-26
54子供の主食子供の主食記事にて、昭和28年頃子供のパン食が増えている状況やそこから懸念される栄養面の解説、また、当時のパンの値段等が記されています。 学校給食でもパンが多く取り扱われる昨今、パンが主流でなかった昔の記事を見返してみると、当時のパンへの認識等も感じ取れて面白いです。 この記事は以下より参照出来ます https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns17_post061to080.pdf2022-12-26
55家庭パンの作り方 『西塩田時報』第138号(1935年5月1日)3頁家庭パンの作り方 『西塩田時報』第138号(1935年5月1日)3頁一般家庭向けの食パン、菓子パン用のフルーツジャムやクリームのレシピが掲載されている記事です。小麦粉、砂糖などの単位がグラムだけでなく匁(もんめ)でも書かれていたり、文体が現在と異なっている点に興味を惹かれました。一番気になったのは材料についてで、「家庭パンの作り方」とありますが、当時の一般家庭でバター等はどれぐらい貴重だったのか等想像が広がる記事でした。 ▼この記事は以下から参照できます。 #615 『西塩田時報』第138号(1935年5月1日)3頁2022-12-26
56偶言(『西塩田時報』第124号(1934年3月1日)4頁)偶言(『西塩田時報』第124号(1934年3月1日)4頁)悪意はないのに人との用事を先送りにしてしまう悪習を改めるべきだという記事。 現代にも通ずるこの習慣は戦前にもあったのかもしれない。 ▼この記事は以下から参照できます。 #552『西塩田時報』第124号(1934年3月1日)4頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0552.jpg2022-12-26
57睡眠について睡眠について現代、理想的な睡眠についてはいろいろな研究や見解をもとに様々な意見が展開されています。そんな中、過去戦前の世の中では一体どういった睡眠サイクルが良いものとされていたのか本記事ではそう言った内容を知ることができます。 戦前の世の中だからこその違った視点などで論じられている部分もあり、なかなかに興味深かったです... ▼この記事は以下から参照できます。 #1168 『西塩田公報』 第29号(1926年4月1日)4頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns03_021to040.pdf2022-12-26
58主食類盗難予防に就て(『西塩田時報』[戦後]第30号 1949年9月20日)主食類盗難予防に就て(『西塩田時報』[戦後]第30号 1949年9月20日)この時代でもまだお米は貴重なものであったことが分かった。盗んでいくものがお金ではなく、お米を盗んでいる所が今の時代には全く見当がつかないところで面白さを感じた。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1063 『西塩田時報[戦後]』第30号(1949年9月20日)3頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1063.jpg2022-12-26
59なぜ金を政府へ(『西塩田時報』第188号 1939年7月1日)なぜ金を政府へ(『西塩田時報』第188号 1939年7月1日)金を納めさせる理由として日本で使われている「お札」では海外との取引が出来ないということが書かれている。 当時はそれを理解していなかった人も多かったのかもしれない。 ▼この記事は以下から参照できます。 #843 『西塩田時報』第189号(1939年8月1日)1頁 (恐らく表記ミスで189号になっているが正しくは188号) https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0843.jpg2022-12-26
60故郷から兵たいさんへ(『西塩田時報』第176号 1938年7月12日)故郷から兵たいさんへ(『西塩田時報』第176号 1938年7月12日)兵隊さんが安心して戦えるように故郷から幼い子供がメッセージを送っている。 漢字とひらがなが織り交じっており、どこか心にグッとくるものがあった。 ▼この記事は以下から参照できます。 #784 『西塩田時報』第176号(1938年7月12日)2頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0784.jpg2022-12-26
61学校だより学校だより学校生徒の身長体重について、全国と比較したデータなどが載っている。 現代では、生徒の発育状況について詳しく記事になることは考えられないが、当時は身長や体重も重視されていたのだと思った。 ▼この記事は以下から参照できます。 西塩田時報 第一号(大正12年7月1日発行 3ページ)2022-12-26
62歳入出予算表歳入出予算表村のお金がどのような用途に使われていたのかが細かく書かれている。 伝染病の予防費や学費ものっていて、金銭の状況から当時の村の様子が想像できて新鮮だと思った。 ▼この記事は以下から参照できます。 西塩田時報 第一号(大正12年7月1日 2ページ)2022-12-26
63法律の施行内容、詳細に関する説明。法律の施行内容、詳細に関する説明。今回、私が紹介させてもらう記事は恩給法についての説明の箇所です。 当時、戦後による急速な時代の変化により法律改正があった際は一般国民にしらせるべく、あらゆるメディアを活用してその法律制度について説明がなされていたようです。昨今、法律改正が行われることがありますが細かい説明、項目までしっかり掲載されることは少なくなったと感じる点があります。私はこの当時の掲載の仕方が非常に効果的であると思ったので、現代にも反映させるべき点であると考えます。 (参考文献:西塩田広報第七六号 46頁)2022-12-26
64パトロールカーパトロールカー西塩田村にパトカーが導入された際の記事を見つけました。今とは違ってパトカーと略さずに「パトロールカー」と呼ばれていることが新鮮に感じました。また、形状も現代のパトカーとかけ離れていて驚きました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1196『西塩田公報』 第67号(1953年4月5日)2頁2022-12-25
65日本国憲法 第二章日本国憲法 第二章今も変わらず残っている大日本国憲法の第九条の制定についての記事を見つけた。 この憲法が今も残っているおかげで他の国との武力的な大きな衝突なく平和に過ごせているのだと思うと感慨深い。 面白記事とは少しずれてしまっているかもしれないが一番興味深いと感じたのでこの記事をピックアップした。 ▼この記事は以下から参照できます https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0967.jpg2022-12-25
66野菜のゆでかた野菜のゆでかた野菜をゆでる際のコツが書かれた記事を見つけました。料理が下手な自分にとっては、結構参考になりました。あと、右上にミッキーマウス(?)が描かれているのが気になりました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1168 『西塩田公報』 第57号(1952年4月1日)4頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns16_post041to060.pdf2022-12-25
67少女の作文少女の作文小学生らしい文章だが情景描写がとても素晴らしいと感じた。 赤ちゃんが生まれたことによる姉弟のそわそわが伝わってきた。2022-12-25
68夢を読む夢を読む時代背景が伺える言葉選びと病弱な青年が活字によって人々の夢について語る部分がとても興味深かった。2022-12-25
69上田を知ってもらうには上田を知ってもらうには前回上田の「魅力」を伝えたいという言葉では魅力という単語が漠然と過ぎていて、別の単語を選ぶことにした。 今回のゼミでは私自身が上田について知ってほしいものが上田の「観光産業」についてのものが多かったため、上田の「魅力」を伝えたいという趣旨から、上田の「観光産業」について知ってほしいという趣旨へと変えた。根っこの考え方である上田の魅力を伝えたいという考え方自体は変わらないが、魅力の内容をとり具体的にした。 それに加え、上田のPRにはなにかインパクトのある単語で上田を紹介すると良いとのことで、○○な町上田、と言えるなにかを現在探し中。2022-12-25
70朝の一時朝の一時朝目を覚まして、外を見たときの感情や情景がとてもわかりやすく表現されている。そして最後に「今日一日を無事に送らしめ給へ」という言葉で締めくくられていて、一日一日健康に過ごすことの大切さを思い出させてくれる気がした。2022-12-25
71戦前の野球戦前の野球戦前の野球の記録までもが残っていることがとても意外で興味を引かれた。自分が野球好きと言うこともあるけど、この時代から野球が行われていたことがうれしく感じた。2022-12-25
72お嬢様試験の問題集ーアナタは如何?ー(『西塩田時報』第31号(1949年10月20日)4頁)お嬢様試験の問題集ーアナタは如何?ー(『西塩田時報』第31号(1949年10月20日)4頁)10個の質問で自分がどのくらいのお嬢様かどうかを知ることが出来る記事。古い記事や堅い内容の記事が西塩田時報の中で非常にカジュアルな内容で目に留まった。お嬢様とはこうあるべきという心持を学ぶことが出来る。現代にも通じる内容などもあり、興味深いものだった。2022-12-25
73君たちは幸福だ君たちは幸福だ人の妻と心中したA氏と彼の後を追った若者達について書かれている。A氏を崇拝した若者達への皮肉がこもっている。 ▼この記事は以下から参照できます。 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0008.jpg2022-12-25
74青年の聲 【『西塩田時報[戦後]』第4号(1947年4月20日)1頁】青年の聲 【『西塩田時報[戦後]』第4号(1947年4月20日)1頁】太平洋戦争が終結した際の日本国内の様子が書かれている。自分にとっては教科書的な内容であった国民主権や思想良心の自由への移行への国内の動向を知ることが出来た。今では当たり前にあるような考え方も当時は反発もあったようだ。現代とギャップが非常に興味深いものだった。2022-12-25
75暦の話『西塩田時報』第92号(1931年7月1日)1頁)暦の話『西塩田時報』第92号(1931年7月1日)1頁)学者たちは、現在の暦はよく出来ているが不都合な点も多いため、もっと合理的で便利な暦を作ろうと長年研究していた。その結果、一年が13ヶ月からなる暦が作られ、それが国際会議に提案され採択されそうになっている。この機会に、暦の編み方、暦の歴史などについて書いてみるという内容の記事です。 まず1年が13ヶ月の暦が開発され採択されそうになっていた事実に驚きました。また、筆者は6ヶ月に渡り太陽や月、その他惑星について詳しく解説しており、この記事を読むだけで科学について学べそうだと感じました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #397『西塩田時報』第92号(1931年7月1日)1頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0397.jpg2022-12-25
76イスカの嘴イスカの嘴私が西塩田時報の中で一番面白いと思ったものは「イスカの嘴」というタイトルの上田劇場で披露する予定の物語 今では使われないような「お役人」という言い回しもさることながら、文末が「エへヽヽヽヽ」で終わっているところにとても惹かれた。 村長にお願いする文言が書かれていたりしており、文末の「エへヽヽヽヽ」があることにより、下の立場のものらしい小物感がとても醸し出されていて読んでて面白い文章であった。 ▼この記事は以下から参照できます。 #5 『西塩田公報』第号(1923年9月1日)1頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0005.jpg 2022-12-25
77不況に對する意見表示(『西塩田時報』第82号(1930年9月1日)1頁)不況に對する意見表示(『西塩田時報』第82号(1930年9月1日)1頁)この時代の景気や社会情勢が顕著に示されていてこの文だけで不況であったことが読み取れる部分が面白いと思った。 農民は節約をせざるを得ない状況にあり、生活が非常に苦しい状況であったことがわかった。また、この状況に対して消費節約、生活改善を促す内容ばかりであり、政治的な対応はされていなかったということも読み取れた。2022-12-24
78青年期の問題に就て(『西塩田時報』第65号(1929年4月1日)2頁)青年期の問題に就て(『西塩田時報』第65号(1929年4月1日)2頁)青年期の問題について記載されており、その内容の中でも結婚年齢が徐々に遅れているという内容が現代と通じていて面白いと思った。この頃から「青年」や「壮年」が何歳からと規定されていたことを知り、驚いた。昔は15~25歳を青年と呼んでいたが、時が経つにつれ年齢が変化しているということを知った。 ▼この記事は以下から参照できます。 #284『西塩田時報』第65号(1929年4月1日)2頁2022-12-24
79女性の心理(『西塩田時報』第3号(1946年10月20日)3頁)女性の心理(『西塩田時報』第3号(1946年10月20日)3頁)女性は感情性が強く、その感情が女性の心情を支配するものだと記されている。 同年4月に、女性に参政権が与えられた。「女性として、最も大切なことは慈愛心であり、柔順にして判断力が強く、徒に感情に走らず、事に嘗つては堪え忍ぶ底力の強いのが日本女性の美点とする處である。」という文章が、男女平等、女性を下に見ないために書かれた記事なのかと推測できる。 ▼この記事は以下から参照できます #961「西塩田時報」第3号(1946年10月20日)3頁2022-12-23
80シベリアの想いで(『西塩田時報[戦後]』第24号3頁)シベリアの想いで(『西塩田時報[戦後]』第24号3頁)ロシアの捕虜として満洲からシベリアに送られた人が書いた記事である。 シベリア送りになった捕虜は辛い目にあったんだろうなと悲惨な状況を想像して読んだが、想像していたものとは違い心温まる話だった。捕虜になった人々の悲惨な話はよくニュース等で聞くが、この記事のような温かい話は聞いたことも読んだこともなかったので新鮮だった。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1043 『西塩田時報[戦後]』第24号(1949年3月25日)3頁2022-12-23
81米の節約!勝利の一歩(『西塩田時報』第198号1項)米の節約!勝利の一歩(『西塩田時報』第198号1項)日中戦争時、東京などの都市だけでなく、地方でも節米運動が行なわれていたことが分かる記事である。白米ではなく、麺類や七分づき米、雑穀米を代用として食べるように書かれている。戦時中、栄養不足にならないために栄養豊富である雑穀米などを食べていたのだと考えていたが、日本の物資不足も要因の一つであったことが分かった。 また、「勝利への第一歩」という言葉から、国民の戦争意欲を高めようとしていることがうかがえる。戦時中という時代背景を強く実感できる記事のタイトルだと感じた。 ▼この記事は以下から参照できます。 #879 『西塩田時報』第198号(1940年5月1日)1頁2022-12-23
82別所温泉  (四) 第142別所温泉  (四) 第142最初は何度読んでも理解できなくて、この中に脅迫文でも描かれているのかと思ったのですが、よく見たら右から読む形態の文で少し驚いた。 この記事だけではなく様々なところで右から読む文を見つけて時代を感じた。 また、部落ニュースや歌など現代にはあまり耳なじみのないテーマを扱っている割に、この記事は別所温泉という身近なものを見つけて、近いようで遠い存在だと感じた。 参照元↓ https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns11_181to204.pdf https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1261.jpg2022-12-22
8312月22日分 調査まとめ12月22日分 調査まとめ上田城の築城・歴史 「日本一の兵」真田幸村を輩出した真田氏は、現在の上田市真田町の周辺を拠点として活動していた。上田城の築城が開始されたのは1583年のことで、真田幸村の父である真田昌幸によって築城が開始された。当時徳川家康に仕えていた昌幸は、その援助を受けながら築城をしていた。しかし、北条と手を組もうとする徳川から土地の受領を要請された際にこれを拒否。徳川と断絶した昌幸は、上杉家に助力を求め次男の幸村を人質に差し出す。これにより、上杉方から戦力と築城の支援を受けた。上田城が一旦の完成を迎えた1585年、家康は鳥居元忠らを真田領に進軍させ「第一次上田合戦」が始まった。およそ1万の軍勢で進軍してきた徳川軍を昌幸は謀略を用いて少数の軍勢で撃退した。時は流れて関ヶ原の戦い最中の1600年、家康の息2022-12-22
84課題ゼミ 第3回課題ゼミ 第3回どのようなイベントを作る? 地域でのイベント例:上塩尻まちあるき 概要:上塩尻に現存する歴史的建築物を見て回る ・人数はおおよそ30人前後で上塩尻在住の方も多かった。 ・建築や上塩尻地域に詳しい方が参加し、建築物や地域の歴史を解説することでなぜ価値があるのかを参加者が理解できていた。 大型のイベントを開くには大きな知名度や多くの人を引く「魅力」が必要 小型のイベント→地域外の人を集客するのは難しい だが地域内の人ならば? 小型のイベントは大型に比べて、内容を細分化できる。 小型ならイベントの頻度を高めることができる。 地域の方に地域の価値を伝えるには具体的な内容が必要 また多くの地域の方に知ってもらうにはイベントを継続することが大切 「小規模で持続的なイベント」 地域の方に地域の2022-12-22
85d-commons.net考察 その5 「記事」と「マイサイト」 言葉の融和d-commons.net考察 その5 「記事」と「マイサイト」 言葉の融和前回に引き続き、UIの考察についてである。 前回 d-commons.net考察 その4 デザインと迷子 このd-commons.netでは、記事の投稿者名をクリックすると「〇〇のサイト(所謂マイサイト。〇〇には投稿者名が入る)」という場所へ飛ぶ。 マイサイトでは、投稿者の成果物が閲覧可能であり、アーカイブとしての役割を持つ。 個人的には「〇〇のサイト」の「サイト」という表記は一瞬で理解しにくく、自分がどこへ飛んでしまったのか分からなくなると感じた。少なくとも、自分が初めて投稿者名をクリックした時、信州上田デジタルマップではなく別のサイトへ飛んでしまったのかと混乱した事がある。 (別ウィンドウで表示されたため余計に混乱したという事情もある) これは「サイト」という言葉と「アーカイ2022-12-22
86歴史的事象が想像されて来る。アイヌ式土器(『西塩田時報』第7号(1924年7月1日)1頁)歴史的事象が想像されて来る。アイヌ式土器(『西塩田時報』第7号(1924年7月1日)1頁)上田とアイヌに古代の繋がりがあるとは思わなかったので、西塩田時報に「アイヌ」という言葉が出てくるだけで驚きだった。しかも、上田地域からアイヌ式土器が発掘されているというのだから、更に驚いた。 ▼この記事は以下から参照できます。 #37 『西塩田時報』第7号(1924年7月1日)1頁2022-12-22
87禁酒禁酒この記事は禁酒を周知するための真面目な内容かと思っていたのですが、詩っぽく韻も踏んでいて現代のラップ調な感じの文章でした。ポップに禁酒についての記事を書いていて読み手を飽きさせないような内容でした。 ●この記事は以下から参照できます。 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0004.jpg2022-12-22
88茄子料理茄子料理この記事には当時の家庭料理の調理例が書いてあります。この時代の調理方法は初めて見る調理例もあってどのような味がするのか気になりました。 また住民の生活によりそった記事がある事にほっこりしました。 ●この記事は以下から参照できます。 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1022.jpg2022-12-22
89課題ゼミ 第2回課題ゼミ 第2回広く伝える」には? ①どのような価値(歴史的観点・地理的観点など)があるかを明確にする。 ただ上田にこのようなものがある。(看板・掲示板など)で伝えるだけでは効果は薄く、印象に残りにくい。 イベントは? 例:上塩尻の街歩き→地域の人が自分の地域の歴史的価値をはっきりと認識できた。 価値の内容を明確にすることで地域に「魅力」を感じた。 価値を理解した人たちがその良さを伝えていく。 看板や掲示板もイベントの告知に使用できる。 長期的に見るほど効果的 イベントの強みは価値を実際に体験できること それにより価値を明確にしやすい →どのようなイベントを作る?  イベントの告知2022-12-21
90引揚者を暖かい気持ちをもって迎えましょう引揚者を暖かい気持ちをもって迎えましょう過酷な環境から帰ってくる引揚者の人々に冷たい態度をとらず暖かく迎えましょうと呼びかける内容です。 第二次世界大戦が終わった後の記事で海外にとどまることを強いられた人々への思いやりや終戦後の日本の一体感が読み取れる記事です。 #965 『西塩田青年団報』第4号(1946年11月25日)3頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0965.jpg2022-12-21
91火の用心火の用心他の災害と比較して火事は我々の意識で防ぐことができあるという内容をユーモアを交えて訴えかけた記事です。 地震雷火事親父という今でも耳にする言葉を用いられていて、当時から親父の部分に疑問を持つような書き方がされていて、そのうえ火事への注意喚起は真面目に訴えかけている点が面白いと感じました。 #957 『西塩田青年団報』第2号(1946年9月20日)3頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0957.jpg2022-12-21
92火の用心 【『西塩田青年団報(戦後)』第2号(1946年9月20日)3頁】火の用心 【『西塩田青年団報(戦後)』第2号(1946年9月20日)3頁】この記事は当時はかなりの災害だった火災に対する恐ろしさとその対策について書かれている記事です。しかし単なる災害防止の記事だけでなく読みやすいようユーモアがある筆者の独白なども書かれていて面白いです。 ▼ この記事は以下から参照できます。 #957 『西塩田青年団報』第2号(1946年9月20日)3頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1261.jpg2022-12-21
93家庭心得帖(『西塩田時報』第60号(1952年9月5日第2頁))家庭心得帖(『西塩田時報』第60号(1952年9月5日第2頁))料理や洗濯、予定の立て方など、生活がプラスになる情報が掲載されています。 主婦の知恵などが新聞に載っているのは読んでいても面白く、実際に使える知識なのでためになると思いました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1180 『西塩田公報』第60号(1952年9月5日)2頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1180.jpg2022-12-21
94幼女児おかっぱすすめ(『西塩田時報』第84号(1930年11月1日)2頁)幼女児おかっぱすすめ(『西塩田時報』第84号(1930年11月1日)2頁)学校便りのようなものに、運動するときや勉強するときに邪魔にならないために髪型をおかっぱにすることを進めている記事がありました。 昔の女の子はおかっぱのイメージがありますが、こんな理由でおかっぱの子が多かったのかなと思いました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #364 #364 『西塩田時報』第84号(1930年11月1日)2頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0364.jpg2022-12-21
95上田elaboration上田elaboration探求テーマ「上田のシンボルの普及+若年層に対するアプローチ」 私が上田探検隊や自らの目で見てきた上田の魅力は、歴史的な建造物に身近に触れられるという点である。しかしながら、それに気づいている人は限りなく少なく思える。そんな上田市と地元の松本市を比較した時に、松本も上田と似た魅力を持ち合わせている。だが、松本に住んでいると頻繁に歴史に触れたくなる。それはなぜなのか考えた時に、松本城という圧倒的なシンボルの魅力に隠されていると考えた。もちろん天守閣があり、存在感が凄まじいことは大前提として、それだけで、地元の人々が訪れているとは思えない。では、観光客だけでなく地元市民も頻繁に訪れる理由は何か。調べれば一瞬で訳が分かった。それは、多種多様な四季折々のイベントである。春は夜桜会、光2022-12-21
96藤本蚕業歴史館で開くオンライン講座第2日藤本蚕業歴史館で開くオンライン講座第2日12/17(土)、藤本蚕業プロジェクト主催/デジタルアーカイブ学会地域アーカイブ部会共催によるデジタルアーキビスト養成講座の第2回講座を実施しました。 今回の講座は、上田小県近現代史研究会のお二人の方:桂木恵さん、小平千文さんから「キュレーション実例」「近現代を捉える視点」の話題提供をいただきました。話題提供のレジュメは以下の【講座資料】に掲載してあります。 午後は、「藤本蚕業歴史館アーカイブ」の史料などを参照し「一次資料を使ったキュレーション」を実習を交えて学習してもらいました。 講座の動画記録は後日、こちらに掲載する予定です。 【講座資料】https://d-commons.net/uedagaku/?c=&p=189442022-12-19
97上田のelaboration上田のelaboration上田の魅力の伝え方 J22030 工藤 天之 Elaboration課題の提起  上田の魅力は、はっきり言ってあまり伝わってこない、 それをどう色んな人に伝えるか。まず、上田の魅力とは、 なにか。 なぜそうなるのか  上田の様々な情報が地元の人で完結している。地元民し か知らないようなことが多い? 何を探求するのか  上田の魅力について、上田には何があるか、人々は何を 魅力的に感じるか。 探求の目標  上田と言えばこれだ!といえるような魅力的なものの発 見、そしてそれをどう様々な人に伝えるか。 どのように探求するのか  上田についての検索、上田の街歩き、知人や家族へのイ ンタビュー。 週間計画  上田検索→上田街歩き→上田の魅力に触れてみる。 今週、このテーマについて考えたのは、「上田の魅力」という言葉2022-12-18
98蚕のさなぎ蚕のさなぎ「みんなでつくる信州上田デジタルマップ」「蚕の蛹:食用」より転載 https://d-commons.net/upload/4/567/original/011720.jpg イナゴの他にカイコも! さなぎから油を取るとも聞いたことがあります。2022-12-17
99出張が多い出張が多い群馬や茨城など、遠方まで出張が多かったようです。社長自らも出かけたみたいです。2022-12-17
100昭和8年4月鑑別手申込書綴昭和8年4月鑑別手申込書綴新潟や篠ノ井など東信地区以外の方々も鑑別手としていらっしゃったのだと分かり、蚕業が栄えていたと改めて感じました。 https://d-commons.net/fujimoto/?c=&p=96152022-12-17
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