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1星の町にあるコスモタワー星の町にあるコスモタワー佐久市臼田にあるコスモタワーに行きました。コスモタワーは、ロケット型をした展望台で佐久市を一望することが出来ます。周辺は稲荷山公園という全国でも珍しい宇宙をテーマにした公園があり、多くの家族連れで賑わっていました。10時、正午、15時、になると仕掛け時計が作動し、音楽が流れ、タワーの側面から天使や女神の像が出てきます。星座をモチーフにした像も同時に周り、眺めていると心癒されるものでした。2023-05-09
2青空と1羽の飛ぶ鳥青空と1羽の飛ぶ鳥2023年4月27日14時頃の上田市の空です。 青色~水色のきれいなグラデーションが出来ています。 風に乗って飛ぶ鳥にのどかさを感じます。2023-05-09
3晴天とまちの美容室晴天とまちの美容室4月27日13時30分ごろの上田市です。 絵に描いたような晴天が続く日でした。 ポップな色をした外観が特徴的な美容室が青い空に映えていました。電線がたくさん張り巡らされています。せっかくの青空が電線によってさえぎられており、少し残念な気もします。防災の観点からも電線の地中化が進むことを願います。2023-05-09
4鬼瓦鬼瓦鬼瓦を知っていますか。鬼瓦とは、瓦屋根の端に設置される装飾瓦のことを言います。鬼瓦と聞くと鬼の顔の瓦を想像しますが、鬼瓦には沢山の種類があります。写真にあるのは鬼の顔の代わりに家族円満のため、七福人がデザインされています。今では鬼の顔をした鬼瓦の方が目にするのは少ないです。2023-05-09
5ピザとカフェのお店「kadokko」ピザとカフェのお店「kadokko」上田市常田にあるピザとカフェのお店「kadokko」に行ってきました。店内は古民家ならではの畳や机があり、温かい雰囲気でした。薪窯で焼いたピザは生地がもちもちしており絶品で、季節の果物を使ったタルトやパフェ、焼き菓子も置いてありました。外観は「kadokko」の名の通り、隠れ家のような雰囲気もありますが、店内は若者から年配の方まで幅広い層に親しまれ、店内が満席になるほど賑わっていました。2023-05-09
6大川美術館(群馬県桐生市)大川美術館(群馬県桐生市) 桐生市の美術館と言えばここ!大川美術館は松本竣介氏・野田英夫氏の作品を軸にして様々な作品が展示されています。2023年5月現在では曽宮一念(Somiya Itinen)展が開催されています。桐生市を訪れた際は是非。 入館料:一般1000円 高大生600円 小中生300円 美術館 群馬県 桐生市 2023-05-09
7まとめ(上田との比較)まとめ(上田との比較)今回、千曲市の橋を調査をしてみて、案外その数が少ないことに驚きました。 もちろん、調査にかけることができた時間も足りないというのは事実ですが、同じくらいの時間で行った上田市での調査では十五以上見つけたのに対し、千曲市では七つに留まりました。 ここで推論として考えられるのは、「大きい川があるから橋の数も多いとは限らない」ということです。千曲川のような巨大な河川に橋を架けるとなると、膨大な時間と費用がかかります。そういくつも架けることは市の財政的にも厳しいですし、最低限で抑えるのは当たり前です。よって、細かい河川が少ない千曲市には、そこまで多くの橋が見つからず、逆に多かった上田市では多く見られたということでしょう。 当たり前のように考えられる今回の推論ですが、実際にこの目で見て判2023-05-07
8万葉橋万葉橋温泉街を通り、再び千曲川沿いに出るとあるのがこの「万葉橋」。どちら側にも温泉がある、湯巡りに来た観光客にとっては欠かせない橋です。 橋から見渡せる雄大な千曲川沿いの景色を、特に美しく見ることができます。2023-05-07
9番外編:湯の橋番外編:湯の橋大正橋からさらに堤防を通って上流へ...と進むことはせず、少し回り道して戸倉の温泉街に。 以前の上田での調査の際、入り組んだ街並みには案外面白い発見があると学んだため、いざ温泉街へ。 そこで見つけたのが、この「湯の橋」。温泉に相応しい名前ですね。橋と言って良いのかと首を傾げるくらいにはこぢんまりとした橋でしたが、下を覗くと蔦まみれの建物に草の茂った用水路...とレトロさが味わえてなんとも気に入ってしまいました。 風景をより魅力的にする、というのも橋の利点なのかもしれません。2023-05-07
10大正橋大正橋千曲橋から人通りが減少してきたここまでですが、この大正橋まで来ると賑やかさが戻ってきました。 この大正橋、観光スポットとしても有名です。というのも、「恋しの湯伝説」という言い伝えがある、ロマン溢れるスポットだからです(石碑の写真参照)。橋に埋め込まれた赤い小石を探すのも楽しいかもしれません。 また、とてもデザイン性が良い橋で、橋の名前にもある「大正」のロマンをイメージし、ガス灯を模した橋灯が飾られています。2023-05-07
11冠着橋冠着橋さらに上流に向かい、遭遇するのがこの冠着橋。 この冠着橋、少し特殊な経緯を辿った橋だそうです。かつて架かっていた旧橋は1969~91年にわたり、四段階に分けて完成までこぎ着けた。そのため、橋の幅が広くなったり狭くなったりして一定ではない歪な形をしていたそう。 そんな紆余曲折を経て、2014年には新しい橋ができ、こうして重厚感のある安心な橋へと変貌したようです。 歴史を知ることで、その橋を見る気持ちも変わってくるように感じます。当たり前のように普段使っている橋も、多くの金と犠牲のもとに成り立っている。私たちも感謝しなくてはならないという感情がわきました。2023-05-07
12平和橋平和橋千曲市でも有数の長さを誇るのが、この平和橋。 その長さは約580mで、川幅の広いこの一帯を繋ぐ必要不可欠な橋です。 平和橋の「平和」というネーミングは、初めてここに本格的な橋が架けられた1951年が、サンフランシスコ平和条約と同年であったことから、それにちなんで付けられたようです。 水色のボディが青空に映えて、景観と馴染んでいるのも良いと思いました。2023-05-07
13御言橋御言橋千曲橋を離れ、堤防を通って上流を目指します。 すると見つけたのがこの「御言橋」。千曲川の分流に架かる橋のようで、下を覗くと砂利と礫を転がす小気味良い水流を眺めることができます。 ここには二つ似たような橋があったのですが、両方が同じ御言橋という名前を冠していました。双子の橋、という印象がみられます。2023-05-07
14千曲川水管橋千曲川水管橋千曲橋と並んで目を引くのが、この「千曲川水管橋」です。人を運ぶ橋とは違い、水を運ぶのがこの橋の役割です。 真っ白で細いそのフォルムはまるで脊椎のようで、どこか先進的。こちらも千曲橋と同じくインパクトある景観を創り出しています。2023-05-07
15千曲橋千曲橋まずは下流側の橋であるこの、「千曲橋」。 旧橋は老朽化によるひび割れなどの影響で撤去され、この新しい橋は1996年に完成・開通を果たしました。 「斜張橋」と呼ばれるケーブルに支えられたこの橋は、千曲市役所にも隣接しており、まさに千曲市のランドマークとしての役割も果たしています。 交通量も比較的多く、すぐ下には野球場もあって活気のある印象。橋の上にもデザイン性のある仕掛けが施されており、渡っているだけで楽しい橋です。2023-05-07
16はじめにはじめにこの記事は、千曲市内における千曲川沿いの橋を巡った記録としてまとめています。 以前、上田市街地周辺の橋探索を行ったのですが、思ったより数多くの橋を発見できました。故に、千曲川という日本最大の河川をもつ千曲市であれば、より多くの橋を見つけることができるのではないか、という考えのもと、今回の調査を行うに至りました。 上田との比較も交えることで、少しでも深みのある記事になることを期待しつつまとめていきます。 ※本サイトが紹介しているのはほんの一部です。千曲川沿い全ての橋を掲載しているわけではありませんので、御了承ください。2023-05-07
17二十四の瞳二十四の瞳何度もマイサイトで紹介している二十四の瞳。 前回の投稿で紹介した古本屋でカバー付きの本を見つけ購入。 昭和45年の本。 後ろには180円(今で言うと約414円)と書いてある。 現在のほんと異なり文字も小さくインクも薄い。紙は少し黄ばんでいるがそれもまたよし。2023-05-06
18コトバヤコトバヤ2023/05/06 上田市、柳町へ。 本を買いに古本屋「コトバヤ」さんに入店。 店内は今風のオシャレな本屋さん。 漫画も、昔の本(森鴎外とか宮澤賢治とか)も置いてある。 景観も店内も柳町らしく非常に趣がありつつ綺麗だった。2023-05-06
19小川の庄 縄文おやき村小川の庄 縄文おやき村2023/05/03 縄文おやき村へ。 長野市の市街から山に登り20分ほどで到着する。 舗装されているから走りやすいが道幅が非常に狭いため一通みたいな感じになっている。 村の中では竪穴式住居(現代版)の中でおやきを食べることができる。海外の人に人気がありそう。 季節限定でのびるのおやきありますよ。と言われ食べてみる。 ネギみたいな、ニラみたいな、感じ。 おやきを焼いている様子は迫力があったし近くに行くと凄く熱かった。2023-05-06
20山田神社山田神社2023/04/23 家の近くの神社へ。 境内には「神の水」と呼ばれている湧き水が流れている。 神社に行くまでの道は途中から車が一台ギリギリ通ることができるくらい。 細い道を抜けるとひっそりと建っている。 水は冷たくて心地よい。上田は山に囲まれているから他にも名水がありそう。2023-05-06
21武石余里一里花桃の里武石余里一里花桃の里2023/04/21 午前中、空いていたため武石村、花桃の里へ。 駐車場には、県外ナンバーがずらりと並んでいた。自分と同じくらいの歳の人はほとんどおらず、年齢層が高い。 花桃を見て回るコースがあり、ゆっくりと回った。 気温の影響で例年よりも2週間ほど早く見頃になったらしい。2023-05-06
22道遊の割戸道遊の割戸道遊の割戸は、金銀山が有名とされる佐渡でも、開発初期の採掘地とされる日本最大の露頭堀りの跡である。 これは、機械などのない江戸時代に人間が人力で掘ったとされるものであり、改めて当時の人間のすごさを感じた。2023-05-05
23かつて栄えていた商店街の現状かつて栄えていた商店街の現状私の親世代の年代では、買い物と言えばこの商店街に行くことが多く、当時は島内で1番賑やかな若者の街だったらしい。今ではお店のほとんどがシャッターを下ろしてしまい、人通りも少なくなってしまっていた。2023-05-05
24海にそびえ立つ人面岩海にそびえ立つ人面岩私の地元では、遠くを見つめる人間の横顔に見えるということから「人面岩」と呼ばれる大きな岩が有である。岩には割れ目が入っていて、その割れ目はこの岩がかつて火山活動で生まれたことと関係している。2023-05-05
25開花時期が早まった花たち開花時期が早まった花たち牡丹の花・藤の花・ツツジは佐渡だと大体あと1ヶ月後くらいの開花だが、今年は開花が早まり、今の時期に綺麗な花を咲かせていた。2023-05-05
26ゲーセンニャンライズ(ゲームセンター)ゲーセンニャンライズ(ゲームセンター)レトロな広告が並ぶ外装に興味をそそられ写真を撮りました。 趣のある建物にポップなチラシが並びとても雰囲気がありました。2023-05-05
27海野町パークの古電話海野町パークの古電話海野町商店街の立体駐車場に置いてあった電話です。 ほこりをかぶっていてる様子から、しばらく使われていなかったもののと思われます。 スマホの普及しているこの時代で、この電話の使い方を知っている人がいてもわざわざ使う人は居ないのではないかと感じました。2023-05-05
28石刻獅子像(友好のシンボル)石刻獅子像(友好のシンボル)鎌倉時代に中国の寧波から上田市へ禅宗文化を伝えた別所温泉安楽寺開祖の樵谷惟遷らが行き来したという縁などから平成7年2月に上田市は寧波と友好交流都市提携を結びました。 この像は友好交流提携10周年を記念して寧波市から上田市に贈呈されたそうです。上田市からは「上田獅子」の石彫レリーフを寧波市に贈りました。 二頭の獅子がともに向き合っている姿が目に入り撮影させていただきました。2023-05-05
29上田映劇(旧花やしき通り)上田映劇(旧花やしき通り)いまではあまり見かけないストリップ劇場やレトロな建物が立ち並んだ通りの中に一際新しい「上田映劇」という看板に違和感を感じ写真を撮りました。以前は花やしき通りという当時撮影された映画の小道具として使用した看板だったそうです。 新しい物に違和感を感じてしまうような、昔ながらの雰囲気あふれる場所でした。2023-05-05
30上田映劇上田映劇大正6年に建てられた上田劇場。「上田映画劇場」、「上田映劇」と名称が変わりながらも地元の人々に親しまれてきました。平成23年4月をもち定期上映が終了してしまいましたが、平成29年4月に創立100周年を記念した「上田映劇再起動準備会」を開催。約6年ぶりとなる定期上映を再開しました。平成30年上田映劇の保存および、地域の芸術文化活動の活性化に寄与することを目的に特定非営利活動法人 「上田映劇」が誕生し現在に至るそうです。 とても雰囲気のある外観で、一際異彩を放っていました。2023-05-05
31八ヶ岳アルパカ牧場八ヶ岳アルパカ牧場2022年3月24日に八ヶ岳アルパカ牧場に行ってきました。ここでは、もふもふのアルパカ達と触れ合えるだけでなく、アルパカ達のレースやグッズ、ソフトクリームも楽しむことができます。従業員の方も親切な方ばかりでした。もふもふのアルパカ達と触れ合い、楽しみながら癒されてください。2023-05-02
32中山道69次資料館中山道69次資料館4/30(日)、軽井沢町追分にある中山道69次資料館を訪れました。上田から軽井沢をつなぐ浅間サンラインはその終点で国道18号線に合流します。中山道69次資料館はその合流点の突き当りにあります。軽井沢に行くたび、その前を通過しながら、これまで資料館を訪れる機会がありませんでした。 ★中山道69次資料館 私設の資料館です。冬期は休館し、ゴールデンウィーク初日の4/29に開館したとのこと。館長さんのこだわりから展示が構成されており、非常に面白いものながら、時間の限りもあってじっくりと見学するというわけにもいきません。 江戸・京都間を結ぶ東海道53次に対して中山道は69次。数が多い。いずれも浮世絵によっても知られています。東海道は広重の作。では中山道は? 英泉の作です。英泉は知り2023-05-01
33観光客でにぎわう海野宿観光客でにぎわう海野宿ゴールデンウィークの4/30(日)、車で大屋駅から海野宿を通り御代田方面へ向かいました。この日はさすがに観光客の姿が多く目につきました。申し訳ない思いで海野宿をドライブスルーしました。 江戸時代は北国街道の宿として栄え、その後は蚕種製造が営まれるようになり、それ以前にも増して繁栄した地域です。これらの建物はいわゆる宿場町の宿ではなく、蚕種製造民家群と捉える方が実態に合っています。明治20年代に多くの家々が建て替わっていることも特色の一つです。うだつが上がっていることも蚕種製造で栄えたことを物語っています。2023-05-01
34大屋駅を未来に伝えるには大屋駅を未来に伝えるにはしなの鉄道大屋駅の歴史的な駅舎が建て替えられるとのこと。建て替わる前の駅舎の様子を記録にとどめておこうと思い、車窓越しに写真を撮りました。丁寧に記録することは後日に。 諏訪と小県をつなぐ中山道は1859年の横浜開港後、横浜とつなぐ生糸の輸送路として重要な役割を果たしました。信越本線開業後は、中央本線が開通するまでの間、大屋駅は生糸の一大生産地であった諏訪地方、とりわけ岡谷とつなぐ要衝の駅としての役割を果たしてきました。建物は建て替わってもその歴史は留めて未来に伝えたいものです。2023-05-01
35佐久のぴんころ地蔵佐久のぴんころ地蔵健康長寿のシンボルとして有名になった佐久のぴんころ地蔵。成田山薬師寺の参道に建立されたのは2003年とのこと。建立から20年ほどしか経過しないことに驚きます。誰もが願う長寿と苦しまないで大往生できることにあやかりたいという人々の心が、ぴんころ地蔵にいざなう誘因になっているものと思います。 <参考サイト> ぴんころ地蔵 (佐久市ホームページ)2023-04-29
36蚕養国神社例大祭2023蚕養国神社例大祭2023蚕養国(こがいのくに)神社は、上田小県の蚕糸業の尊祟神を祭る神社です。大星神社の摂社です。毎年恒例の例大祭はコロナ禍のために2020年以来中止となり、4年ぶりに通常の形態で催されました。 蚕養国神社奉賛会会長の笠原一洋さんの挨拶に続き、神事が催されました。その後、藤本工業社長の佐藤修一さんによる「塩尻の蚕種業~登録有形文化財となる~」と題する講演が行われました。2023-04-28
37臥竜公園で見た桜臥竜公園で見た桜4月の初めに臥竜公園に桜を見に行きました。 まだ蕾が少しありましたが、今年最初の春を感じられました。 1枚目、2枚目は「シダレザクラ」 枝が垂れた桜で、風に揺れる様子は美しかったです。 3枚目は、「プリンセスミヤビ」 桜の色が濃く鮮やかでとても綺麗でした。2023-04-27
385月初旬ごろの畑の様子5月初旬ごろの畑の様子今回は長野大学周辺にある畑の一つを記録させていただきました。記録した理由は私の実家の地元にはあまりこういうものが見かけないからです。そして調査したところ5月段階でかなり成長しており収穫まで近いことが分かりました。2023-04-27
39下之郷のマンション家賃の看板下之郷のマンション家賃の看板これは下之郷のだいたいの家賃が書かれた看板です。これを見ることで県外から来る新しい人はこのあたりの相場を理解することが出来ます。そのような特性から今回ここを記録させていただきました。2023-04-27
40通学路の鳥も使う歩道橋通学路の鳥も使う歩道橋この大きく存在感のある歩道橋は、交通量の多い下の通路と近道になる上の通路を支えるため作られました。長い年月からか植物も巻き付き歩道橋内部の鉄線には鳥も生息しています。このような自然との調和からここに興味を持ち記録させていただきました。2023-04-27
41古い通学路近くのカーブミラー古い通学路近くのカーブミラーこれは長野大学近くの通学路にあるカーブミラーです。一見ただのカーブミラーですがよく見ることで所々が錆びており、鏡部分に凹凸があることから古くからそこにあり何度も車に衝突したものだと考察できます。今回このカーブミラーが歴史ある物だと気づき記録させていただきました。2023-04-27
42踏切の近くにある電話ボックス踏切の近くにある電話ボックスこれは令和に入ってからは徐々に撤去されてしまい見かけなくなった緑色の電話ボックスです。非常に珍しく懐かしいことや何故こんなに踏切近くに作られているのかが気になり今回記録させていただきました。2023-04-27
43長野大学入口の掲示板長野大学入口の掲示板ここでは偶に何かしらのポスターが貼られており長野大学の入り口に作られているため非常に目立ちます。今回調査途中で上側に小さい太陽光パネルが設置されているのに気付き興味を持ったため記録させていただきました。2023-04-27
44ニコニコ亭ニコニコ亭ニコニコ亭は大学生向けのレストランです。味も美味しく大学生からも好評で知名度もあります。そのためよく待ち合わせの目印にも使うことが出来ます。有名なスポットなので今回記録させていただきました。2023-04-27
45道端にある道祖神の石碑道端にある道祖神の石碑道祖神は長野県の各地にある古来の宗教上の村の守り神であるとされています。今回長野大学周辺の道路沿いに設置されていたので興味を持ち記録させていただきました。2023-04-27
46長野大学前駅の時刻表長野大学前駅の時刻表この駅では非常に珍しいことに大学生という一層に対して時間を合わせた運行を行っています。そのため、学生は授業に合わせて時間を最小限無駄にせずに移動ができるのです。このような珍しい取り組みをしているため今回ここを記録させていただきました。2023-04-27
47長野大学前駅長野大学前駅長野大学に最も近くにある最寄り駅です。2023年時も遠くから通う大学生に多く使われ最も需要のある施設の一つとも考えられます。そのような背景から今回ここを記録させていただきました。2023-04-27
48信州、新緑の装い信州、新緑の装い4/21、所要で上田から岡谷へ。長和町を経由し和田峠を越えて諏訪地方へ。周囲の山々が新緑になり、めっきり春らしい装いにすがすがしさを感じました。 和田峠を挟んで長和町から岡谷市へ。信州の大自然、周辺に広がる山々の新緑が実に美しい。この季節に山越えできる幸運を感じました。 ちなみにここはかつての信州シルクロード。諏訪地方の生糸を和田峠を越え、上田小県を経由して横浜へ運ばれた、その幹線ルートです。 峠越えした先の岡谷市役所の梅も満開で彩りを添えています。諏訪湖畔の公園の新緑も徐々に色濃くなりつつあります。ちなみにこの公園の辺り、かつては製糸工場がひしめく、日本一の生糸生産地でした。そのようなことも思いつつ…。2023-04-22
49八ヶ岳高原、カラマツ林の遊歩道八ヶ岳高原、カラマツ林の遊歩道八ヶ岳高原音楽堂の駐車場から音楽堂までカラマツ林の中の遊歩道が数百メートル続いています。遊歩道を進み、カラマツ林の自然を満喫しながら音楽堂へ。まだ新芽も出ていないので森の中は遠くまで見通せます。樹木もカラマツばかりでなくそれぞれに異なります。自然環境の恵みをいやおうなしに感じました。雨降りにもかかわらず得難い体験をしました。また来てカラマツ林の自然を満喫したい!2023-04-17
50八ヶ岳高原、大自然の中の音楽堂八ヶ岳高原、大自然の中の音楽堂4/15、八ヶ岳高原音楽堂へ荘村清志さんのギター演奏を聴きに行ってきました。カラマツ林の中を散策して目的地の音楽堂にたどり着きました。 あいにくの雨天ながら、それを補って有り余るほどの自然の素晴らしさを満喫。加えてそれが満足度の高い文化的な環境となっていることに感動しました。 カラマツ林の自然環境がステージの空間と一体化し、音楽を堪能できることの幸せを実感しました。訪れている人々の文化的なクラスが違うことも感じました。ヨーロッパでは当たり前なのか、日本では体験できない音楽堂のコンセプト、設計にも感心をします。自然を生かしたこのような広大な自然環境も得難いものです。天候のよい時に、また季節を変えて訪れてみたい。2023-04-16
51八ヶ岳高原で鹿に出会う八ヶ岳高原で鹿に出会う4/15、八ヶ岳高原音楽堂からの帰り、高原の森をファミリーで移動している鹿と出会いました。この森は南牧村にあり「八ヶ岳高原海の口自然郷」と呼ぶようです。リゾート地の広大な森が広がっています。ネットに出ている情報を見ると、鹿はよく見かけるらしい。この日、2組の鹿のファミリーを目撃しました。2023-04-16
52霊峰月山が真正面に見える西川町の魅力霊峰月山が真正面に見える西川町の魅力本日3/15山形自動車道で山形市から西川町へ。何と進行方向の真正面に純白の霊峰月山が見え続けています。月山へ向かっているというこのアクセス感が月山をいっそう神々しくその存在感を高めてきます。中山町から寒河江市にかけての区間が特によく見えます。景観的には至福すら感じる景観体験でした。2023-03-15
532022年度・長野大学卒業式2022年度・長野大学卒業式2023/03/13、サントミューゼで長野大学の卒業式が執り行われました。2023-03-13
54電車が通る赤い鉄橋電車が通る赤い鉄橋別所線の千曲川橋梁を電車が通過していきました。信号待ちでこのような情景に出会えるとはラッキーです。 2019年、台風でこの鉄橋が崩落した時、長野大生らによる「別所線かけはしプロジェクト」に、歌手のユーミンこと松任谷由実さんが「あの赤い鉄橋に再び電車の走る姿が見たい」とのメッセージを残されたことが後日話題になりました。その時の情景を思い起こします。2023-03-11
553.11東日本大震災から2か月後の石巻3.11東日本大震災から2か月後の石巻東日本大震災が起きた2011/03/11から早くも12年が経過しました。当時の記憶はまだ生々しく残っています。12年経っても記憶が失せるものではありませんが、世間では次第に遠い過去のことのように語られがちになることが気になります。 私が被災地を訪れたのはその年の5/21のこと。仙台から石巻方面に向かいました。3.11から2ヶ月経過したとは言え現地の状況は復旧にはほど遠い状態でした。いくら言葉を積んでも当時の状況、様子は伝えられるものではありません。未来に向けて被災地の様子は現地を訪れて脳裏に刻んでおくべき、また記録に残しておきべき、とその時に強く思いました。映像などの記録によって視認ができます。当日はビデオカメラで撮影をしました。数枚の画像を添付しておきます。2023-03-11
56電柱と電線のある風景:つくば市→土浦市電柱と電線のある風景:つくば市→土浦市電柱と電線のない日本の風景を全国どこでも見たいものです。筑波研究学園都市の中心部を出ると同じつくば市内でもいきなり電柱と電線の風景を見続けることになります。ここでは土浦市までの風景をピックアップしましたが、同じような風景は全国に当たり前のように広がっています。 日本国民に景観意識が高まることを望むばかりです。2023-03-08
57電柱のない都市景観:筑波研究学園都市電柱のない都市景観:筑波研究学園都市電柱と電線は日本のどの都市にも例外ないぐらいに存在しています。日本の景観的な美しさを損ねているのみならず、日々、「なんて見劣りのする社会」なのだろうかと感じます。電柱・電線のない都市に暮らしたいという思いは常に抱いています。 筑波研究学園都市の中心部は概ね電線は地中化され電柱はありません。これがノーマルな日本の都市景観であってほしいと願います。 ところで、つくば市は全国に先駆けて「無電柱化条例」を制定した都市であることを知りました。いくつも関連した記事をリストアップしておきます。 《関連記事》 ★つくば市/つくば市無電柱化条例 2023年03月01日 ★週プレNEWS/茨城県つくば市で、地中に埋めて「2023-03-07
58木村熊二と小諸木村熊二と小諸小諸義塾の会研究紀要 文責 丸山厚至2023-03-04
59三日月と金星と木星三日月と金星と木星茨城県かすみがうら市の実家で。 2/23、夜空に三日月と輝く星が2つ。ナイトフォール(夜のとばり)の時間帯と重なり、実に印象的な情景でした。2023-02-27
60RAKUTENロボットデリバリーRAKUTENロボットデリバリー筑波研究学園都市のデッキでRAKUTENデリバリーロボットに出会いました。かわいいロボット。ホントにこれでデリバリーしているんですね。子どもが喜んでその前を走っていきました。係員のお姉さんが一緒にロボットに同行していますが、デリバリー実験をモニターしているだけなのでしょうか? ★2022年11月18日/楽天、自動配送ロボット(UGV)を活用した定常的な配送サービスを提供開始 https://corp.rakuten.co.jp/news/update/2022/1118_01.html2023-02-27
61実践講座2:地域資料のデジタルアーカイブ化講座実践講座2:地域資料のデジタルアーカイブ化講座実践講座2:地域資料のデジタルアーカイブ化講座 【日程】2023年   2月4日(土) 10:00~16:00 藤本蚕業歴史館に学ぶ地域アーカイブの課題[LINK]   2月5日(日) 10:00~16:00 地域資料デジタルアーカイブの構築に向けて[LINK]   2月18日(土) 13:00~16:00 皆さんのデジタルアーカイブ/地域学習企画披露会[LINK] アンケート結果を掲載しました。 披露会の動画記録は追って公開予定です。 ▼実施体制等 主催:藤本蚕業プロジェクト(代表:前川道博 長野大学企業情報学部教授) 共催:デジタルアーカイブ学会地域アーカイブ部会、岐阜女子大学 協力:藤2023-02-26
62実践講座1:地域資料活用によるキュレーション講座実践講座1:地域資料活用によるキュレーション講座実践講座1:地域資料活用によるキュレーション講座 【日程】2022~23年  12/10(土)10:00~16:00 藤本蚕業歴史館に学ぶ地域アーカイブの活用[LINK]  12/17(土)10:00~16:00 藤本蚕業所蔵資料で近現代のキュレーション[LINK]  01/14(土)13:00~16:00 皆さんのキュレーション披露会[LINK] ▼実施体制等 主催:藤本蚕業プロジェクト(代表:前川道博 長野大学企業情報学部教授) 共催:デジタルアーカイブ学会地域アーカイブ部会、岐阜女子大学 協力:藤本蚕業歴史館、上田小県近現代史研究会、長野大学 後援:日本教育情報学会デジタルアーカイブ研究会、日本デジ2023-02-26
63筑波研究学園都市の景観筑波研究学園都市の景観筑波研究学園都市の建設が始まったのが1970年代。初期に建設されたペデストリアンデッキの橋の銘板を見ると1978年が竣功年です。概ねその頃から学園都市の建設が本格化したとみてよいでしょう。その頃からは既に45年が経過しました。日本で本格的に都市計画された都市の先駆けと捉えてみると筑波研究学園都市の都市特性がよく見えてきます。 ここ10年ほどの筑波研究学園都市で著しい変化は「研究学園」地区の開発により中心部から研究学園への大規模な人口移動が起きてきたことでしょう。都市計画された新しい都市であったこの中心部が「旧市街地」化し、通常であれば中心市街地の衰退化を招きかねないところ、中心部には高層マンションが増え、公舎型の住まいから分譲型の住まいに移行しつつあります。人口は減らず、逆に増加しつつあり2023-02-26
64増え続ける物流倉庫増え続ける物流倉庫関越道~圏央道の沿道に物量倉庫が増え続けています。ネット販売が多くなり、それと共に迅速な物資輸送が一大産業となりつつあります。特に物の蓄積と配送に便利がよい首都圏の高速道路の沿線に倉庫が目立ちます。現在もなお建設中の倉庫をいくつか目にしました。2023-02-25
65髙橋彦芳栄村長、地域経営を語る2007/12/03髙橋彦芳栄村長、地域経営を語る2007/12/032007/12/03、長野県栄村の髙橋彦芳村長(当時)に長野大学で講演をしていただきました。栄村は豪雪地帯の小さな村で高齢者も多く、地域社会の維持管理は容易ではありません。高橋村長がさまざまな地域政策を行い、自律した地域経営を実践していることを知り、ぜひお話をお聞きしたい、学生たちにも生きた地域社会の知恵を学んでほしいという思いで講演をお願いしました。下駄ばきヘルパー、住民による道普請など、現実に直面する課題を解決する政策の数々に感心しながらお話に聴き入ってしまいました。2023-02-25
6622世紀に残したい上田の風景:わらボッチと稲わら焼き22世紀に残したい上田の風景:わらボッチと稲わら焼き上田に暮らして以来、かけがえのないこの地域の風景として心に刻まれたのが塩田平のわらボッチと稲わら焼きの風景です。2007/11/03、塩田平で撮った風景を載せておきます。 茨城や山形でもこのような原初的なわらぼっちと稲わら焼きの風景は見たことがありません。機械化による大規模な営農でなく、手作業による昔からの営農の姿がこの風景に顕れています。ちなみにわらボッチはこの地域では「にょっ」と呼ぶらしい。円錐形をなしたわらボッチが整然と立ち並ぶこの地域の無形的な文化形態は美しく、絵になります。 稲わら焼きは条例によって禁止されている県もあります。秋になるとそこかしこで稲わら焼きの煙が立ち上ります。いつまでこのような風景を見続けることができるのか。わらぼっちと言い、稲わら焼きの煙と言い、心の中に眠2023-02-25
67イトーヨーカドー上田店2007/11/02イトーヨーカドー上田店2007/11/02イトーヨーカドー上田店は、現在のアリオ上田店に移転する以前は上田駅前にありました。この日2007/11/02、横浜から帰った時にたまたま撮った写真があるので、こちらに掲載しておきます。2023-02-25
68LIVIN上田店2007/12/30LIVIN上田店2007/12/30上田市のホテルルートインGrand上田駅前が建っている場所にはLIVIN上田店がありました。LIVINは西友系列の店舗です。2007/12/30に記録した写真があるので掲載しておきます。この建物が取り壊される時の風景を記録した写真もあるのですが、いつだったか、今は探し出せません。2023-02-25
69筑波研究学園都市のペデストリアンデッキ筑波研究学園都市のペデストリアンデッキTXつくば駅構内にあった周辺案内図にペデストリアンデッキ(略称ペデ)が黄色くはっきりと描かれています。この情報はわかりやすいので、こちらにピックアップしました。 筑波研究学園都市の中心部の都市構造を最もよく形にしているのがペデです。車は下に、人の移動空間は上に分離され、人は車と出会うことなく快適に歩いて移動できます。 つくば市内で再開発された研究学園地区はこのような立体的な都市構造ではありません。フラットにだだっ広く、歩くには距離があり過ぎ、車で移動するにも広大な駐車場に停めて目的地まで歩くことを強いられます。 ペデがどれほど都市環境での暮らしにやさしいか、筑波研究学園都市にくるたびに痛感します。2023-02-25
70丸の内:都市環境の変遷丸の内:都市環境の変遷東京ステーションギャラリーに東京駅周辺の都市環境の変遷がジオラマで展示されています。東京駅前に新丸ビルが竣工した1950以後の昭和時代の姿、そして高層ビルが立ち並ぶようになった現在の姿。旧丸ビルの高さを基準としビルの高さが100フィートに制限されていた時代のオフィスビルの画一的な高さのビルの連なりをその時代、子ども心なりに美しい都市景観と感じてきました。それが都市景観の規範にすらなっていたと思い返されます。が、今となっては「だからどうなの?」という思いが先に立ちます。 私が旧丸ビルの外観・内観を記録に収めておかなければと思ったのが1997年2月のこと。その頃丸の内はまだ味もそっけもないオフィスビル群でした。その後丸ビルは解体工事が始まり、現在の新しい高層ビルに建て替わりました。その後さらに2023-02-20
71実践講座2:地域資料のデジタルアーカイブ化講座[第3回]実践講座2:地域資料のデジタルアーカイブ化講座[第3回]【オンデマンド講座】 ★DA講座2-3皆さんのデジタルアーカイブ/地域学習企画披露会 182分 【講座タイムテーブル】 講師:前川道博(長野大学企業情報学部教授) ゲスト講師:桂木惠さん(上田小県近現代史研究会事務局長)、朝倉久美さん(デジタルアーキビスト) 第3回 2月18日(土) 13:00~16:30 皆さんのデジタルアーカイブ(DA)/地域学習企画披露会 13:00 はじめに、ゲスト講師紹介 13:10 DA/地域学習企画披露会 Part1 (14:20 休憩) 14:30 DA/地域学習企画披露会 Part2 16:20 講評・まとめ 16:30 終了 《披露会の発表者と発表テーマ》敬称略。発表資料は以下に掲載してあります。 ①島津千登世/下河辺淳+戦後国土計画関連資料アーカイヴス  →下河辺淳アーカイヴス  →2023-02-19
72夏目坂珈琲夏目坂珈琲2022年の4月に伺いました。 通っている大学の近くにある喫茶店です。店内は白基調の内装でスッキリとしています。またキャッシュレス決済限定で、今の時代ならではなのかなと感じました。 チョコケーキをいただきました。甘さ控えめな中にナッツで食感のアクセントがありとても美味しかったです。2023-02-18
73苺菓子 りつか苺菓子 りつか2022年の3月、金沢旅行へ行った際に立ち寄りました。 徒歩で最寄駅から倶利伽羅不動寺(往復6km!)まで山登りした後だったのでくたくたで、まるでオアシスのような甘味でした。 いちごのショートケーキをいただいたのですが、スポンジ生地が薄めでムースやラズベリーのジュレが挟まっていたりなど食べ応え抜群でした。また、粉砂糖を散らしたり、バラの花びらをかけたりなど仕上げを席で店員さんがやってくれました。 内装も和風なのですが、赤色の背景など特徴的で面白かったです。2023-02-18
74喫茶 みじんこ喫茶 みじんこ2022年の2月、湯島天神に行った際に立ち寄った喫茶店です。 内装は暗めでどこか懐かしさと重厚感を感じました。 珈琲は多くの種類があり、迷ったのでおすすめのブレンドを注文しました。また、プリンがおすすめということでプリンも一緒にいただきました。むっちりした食感で甘く、コーヒーや付属のほろ苦いカラメルと相性抜群でした。散歩で少し疲れた時の休憩にちょうど良く、心地良い時間を過ごせました。2023-02-18
75根津美術館根津美術館表参道にある美術館で、東洋美術(特に青銅器や仏像)や日本美術の作品を多く所蔵しております。また、建物がとてもスタイリッシュで解放感のあるエントランスには驚きました。 初めて行った時は5月の中頃で尾形光琳の《燕子花図屏風》を鑑賞したのち、隣接している庭を散歩しました。庭の植物もとても青々としていて素敵だったのですが所々に石碑などがありこれも展示物みたいだなと思いました。 11月末に行った時には紅葉がとても綺麗でした。 作品だけでなく、庭も楽しみながら非日常感に満たされる美術館だと思います。2023-02-18
76別所温泉の活性化 最終まとめ別所温泉の活性化 最終まとめ別所温泉の活性化 J22054 竹下倖生 まずこのテーマに決めた理由を述べたいと思う。私は昨年の夏から別所温泉の旅館でアルバイトをしている。そして働いてみていまいち活気がないなと感じた。温泉そのものはいいものだと素人目にもわかるが、何か物足りないと思った。その原因が何かを知りたく思ったためこのテーマにした。 次に、現在別所温泉は、4つの公衆浴場と旅館、多くの歴史的建造物を観光の目玉として推している。特に北向観音は有名だ。信州最古の温泉ということと、歴史的建造物をセットで押しているように見える。しかし私はそうは感じなかった。個々では推してはいるが、地域一帯でのまとまりのようなものが薄いなと感じた。しかしそれぞれがよいものであることは確かだ。それを町として推していくための方法を考えた。 2023-02-18
77西南戦争をたどる②西南戦争をたどる②田原坂の戦いで敗れた薩摩軍が敗走した道になります。2023-02-17
78西南戦争をたどる①西南戦争をたどる①田原坂の戦いで敗れた薩摩軍が敗走した道になります。2023-02-17
79四谷は요츠야? 四ツ谷は요쯔야?四谷は요츠야? 四ツ谷は요쯔야?街中などのサインが多国語表示になったのは大変望ましい社会環境の変化です。それと共にいつも私には気になってしまうのがハングル表記です。 日本語にあって韓国語にない音「ツ」は、JRでは「츠」(チュ、激音)で統一されているように見えます。たまたま四谷駅校内で「쯔」(チュ、濃音)と書かれているめずらしいサインを発見。おやおや、です。 なぜ違うのか。ここでその違いが意識して表記分けされている信じられないほどのトリックを発見しました。 駅名は「四谷」ですが、地名表記は「四ツ谷」です。後者は「四ツ谷口」と記されています。統一されていない、というよりも、駅名と地名が使い分けられているとみるのが至当です。余談ながらその下にある「四谷出口」は中国語表記です。日本語ではありません。 その使い分けに2023-02-17
80千駄ヶ谷の駐車場事情千駄ヶ谷の駐車場事情2/15、東京の千駄ヶ谷にある国立能楽堂へ行きました。千駄ヶ谷駅と国立能楽堂の間は閑静な住宅地で、駐車場も比較的少ない。この周辺は何より国立競技場、東京体育館があり、駐車場の絶対数が不足している界隈です。 ついつい目に留まるのは駐車場の料金。1時間500円か600円が相場のようです。中には1時間1200円という駐車場も。2023-02-17
81初代国立劇場さよなら公演初代国立劇場さよなら公演2/15、国立劇場小劇場で文楽『女殺油地獄』を観てきました。さよなら公演と銘打っていますが、9月までさよなら公演が続くようです。建設当時は立派な劇場を作ったつもりでも、建物の陳腐化は避けられず。緞帳の美しさに慰められます。劇場はハレの空間であってほしいところですが、正直、毎回国立劇場の建物には失望を感じ続けています。ハレがましくなくチープなことに大きな原因があります。日本がまだ豊かとはいえなかった高度経済成長期の一時期にその頃の価値基準で作られた建物です。欧米の劇場のように100年経って風格も高まる質の高い文化とは異なり、日本の建築文化はどうしてこれほどまでに持続性がなく、チープ化するのか、この劇場で我慢し続けなければならないのかと国立劇場を訪れるたびに思っています。2023-02-17
82東京ステーションギャラリーの魅力東京ステーションギャラリーの魅力東京ステーションギャラリー 昨日2/15、佐伯祐三展を見に行ってきました。佐伯祐三の絵画に魅了されつつ、従来であれば単なる駅舎であった東京駅が110年の時を超えてハレのアーティスティックな空間へと昇華していることにも感銘を受けました。 ドーム状の駅舎の外観から伝わる美しさばかりではなく、内観の質の高さによってその美しさ、歴史の重みがより一層実感できるものとなっています。110年の時間経過が当時でなければなしえなかったデザインと施工の質の高さを引き立てたとも言えます。ここを美術館にリノベートしようという建築活用のデザインが貴い。窓枠に象嵌された丸の内の都市景観の美しいこと。人々が点描されているかのよう。まるでブリューゲル! 当時のレンガのむき出し感も2023-02-17
83上田電鉄の重要性とは?上田電鉄の重要性とは?ここまで、上田電鉄の歴史と存廃問題、新たな転換方法について発表してきました。では、上田電鉄の重要性とは何なのでしょうか。私なりの意見として、上田電鉄は存在自体が重要であるということを述べたいと思います。上田市生まれの作曲家・コカリナ奏者である黒坂黒太郎氏は、自身の曲「別所線牧歌」においてスライドのような歌詞を綴っています。この歌は「上田市はこんなに素晴らしい里だ」「そこに走る別所線が好きだ」という板であり、ここに上田電鉄の重要性が詰まっていると感じています。 つまり、上田市という素晴らしい街、そこに別所線とい電車が走る。上田電鉄別所線はただあるだけでいい、そんな路線なのです。2023-02-15
84新たな転換方法新たな転換方法参考までに、鉄道路線を活用したバス転換方法を紹介します。「BRT(バス高速輸送システム)」と呼ばれるこの方法は、線路の部分をアスファルトにし、バス専用道路として再利用するという方式です。東日本大震災で広範囲に被災した路線が同じことを行っており、こうすることで早期の復旧開業が実現したと言われています。バスで考えられた定時運行や交通障害といったデメリットは解消されます。2023-02-15
85上田電鉄がなくなったら・・・?②上田電鉄がなくなったら・・・?②では、上田電鉄がなくなることのデメリットを見てみましょう。鉄道路線の廃止転換方法の代表的なものとして、バス転換があります。もし上田電鉄をバスに転換した場合、塩田方面に向かうバスを新設せねばなりません。別所温泉に行ったことのある方ならわかるかもしれませんが、別所温泉をはじめとした塩田地域は道が狭く、バスは交通の妨げとなる可能性があります。そのほかのバスによる弊害は数多くあり、運賃の高騰、車両当たりの乗客定員が減少するほか、バス特有の予測できない遅延壁があります。別所線の廃止を望む声は多くないですが、デメリットは数多くありそうです。2023-02-15
86上田電鉄がなくなったら・・・?上田電鉄がなくなったら・・・?では、もし上田電鉄がなくなってしまったらどうなるでしょうか。まず、メリットから考えてみましょう。上田電鉄がなくなった結果得られるメリットは「踏切の撤廃による道路交通の円滑化」が挙げられます。車社会の上田市には、踏切が煩わしいと感じる場面が多々あるでしょう。踏切の撤廃は道路交通という面で最高のメリットになり得ます。 もう一つのメリットは、上田電鉄に向けた上田市の補助金が余剰になり、上田市の財政が潤沢になるという点です。これを用いて公共事業などにあてれば、上田市は確実に良い方向に向かうことができるでしょう。2023-02-15
87上田電鉄とは?②上田電鉄とは?②ここから見るに、昔の上田電鉄は長大路線の地元の足、 現在の上田電鉄は幾多の経営危機を住民とともに乗り越えてきた、上田市民の結束を表すシンボルに近いものであると言えます。2023-02-15
88上田電鉄とは?上田電鉄とは?上田地域にはたくさんの企業や施設、団体があり、それぞれ星の数ほどに課題があります。一般企業も数多くありますが、せっかく上田市のことを学ぶので、上田地域にしかない企業はどうだろう、上田市の象徴のような企業はどうだろうと考え付きました。そこで、中心地の上田駅から塩田平を経て別所温泉へ至る上田電鉄について考えることにしました。 上田電鉄別所線は1921年に川西線として開通し、以降上で気を中心に放射状の路線が広がっていきました。 70年代にはモータリゼーションによって経営危機、実際にその十年後には同様の理由で真田・傍陽線などが廃止されました。 しかし別所線だけは観光需要もあってか存続され、税金が源泉の補助金によって経営状態は回復しました。結果的に積極的な設備投資や新幹線の開通もあり、2023-02-15
89コピーヌクラブ演奏会 「小諸唱歌」「信濃の国」「糸(中島みゆき)」「ピチカート」コピーヌクラブ演奏会 「小諸唱歌」「信濃の国」「糸(中島みゆき)」「ピチカート」 【目次】 0:00 コピーヌクラブ紹介 2:16 「信濃の国」 5:29 「小諸唱歌」 8:01 「糸(中島みゆき)」 13:45 「ピチカート」 【動画説明】 2022/11/3に開かれた特定非営利法人 糸のまち・こもろプロジェクト主催「民間で始まる蚕糸業ものがたり」内で演奏されています。 「民間で始まる蚕糸業ものがたり」 「コピーヌクラブ」  コピーヌクラブは2009年に結成された女性3人演奏家グループで、東信地域を中心にホテル、イベント会場などで演奏活動を続けています。ピアニストの竹鼻恵子さん、フルート奏者の椎名真美子さん、バイオリニストの吉田枝理佳さんで構成されていて、動画では竹鼻さんと吉田さんが出演しています。 「信濃の2023-02-15
90篠ノ井日曜新聞篠ノ井日曜新聞昭和25年9月3日(創刊)~12月24日 <新聞目録作成中>  (大見出し,記事,キーワード)2023-02-13
91持続的な地域活性化になる条件とは卒業論文発表会後の結論の再考の取り掛かり持続的な地域活性化になる条件とは卒業論文発表会後の結論の再考の取り掛かり再考の取り掛かり:整理 もう一つの考え方として、現時点での「地域活性化が持続的になる条件」について整理したことをまとめました。 持続的な地域活性化になる条件のキーワードは「内発的な動機」にあると捉え、この「内発的な動機」が持続的な地域活性化の原動力になっていると考えました。 そしてこの「内発的な動機」とは主に「インタレスト・やりがい・生きがい」であり、これが「インタラクティブなコミュニティ」により醸成されます。 これは、コミュニティ内でインタラクティブな交流が行われることにより、「意見や活動のブースト・帰属意識・自分事として認識・横の繋がりの形成・責任感」といったものが育まれ、これが「内発的な動機」の醸成に繋がっているためです。 実例として、ガルパンファンは対面とSNS上の2023-02-11
92学生による地域キュレーション2022(信州上田学A受講生)学生による地域キュレーション2022(信州上田学A受講生)長野大学の地域科目「信州上田学A」を受講した学生が「信州上田」を接点とした地域キュレーションの学習成果です。タイトルを選ぶとその学生のマイサイトを表示します。 ▼カテゴリ1:蚕都上田 【1】 長野県の中でなぜ上田市が蚕都で有名なのか 【2】 上田の養蚕の歴史を掘り下げ、伝え続けるには。 【3】 蚕都上田の歴史と未来 【4】 製糸業の歴史 【5】 蚕都上田の歴史 【6】 蚕都上田2023-02-10
93別所線復興・復旧セレモニー別所線復興・復旧セレモニー令和元年台風19号による甚大な被害から1年5ヶ月、別所線は全線の復旧を果たすことができた。 復旧の費用は国費から補助され、復旧セレモニーには当時の大臣も参列した。 画像は国土交通省HPより引用 (https://www.mlit.go.jp/page/kanbo01_hy_007902.html)2023-02-08
94別所線の顔・赤い橋に訪れた悲劇別所線の顔・赤い橋に訪れた悲劇令和元年、史上最強と謳われた台風19号の被害により、別所線の顔とも言える赤い橋が倒壊、陥落してしまった。 その後の修繕、全線復興に至るまでには実に532日もの時間を要した。 画像は文春オンライン様より引用(https://bunshun.jp/articles/-/37179)2023-02-08
95善光寺の絵馬善光寺の絵馬善光寺の昔と今の絵馬の違いを調べる。 写真を見ると、昔の絵馬では絵を描くことが主流ということが分かる。どの絵馬でも、神様をモチーフとした絵になっていることから、お寺で自分の願いを叶えたい、そのために神様にお願いしようというスタンスは変わっていないと言えるだろう。 現在の絵馬と言えば、願い事を文字に起こして書くスタンスである。絵を描くことに自信がない人にとっては文字で書く方が気が楽である。また、願い事を文字に起こした方が自分で目的が視覚的に見えて明確になり、願い事が叶いやすくなるのではないかと思った。 信州地域史料アーカイブ https://adeac.jp/shinshu-chiiki/viewer/mh088100/081/2023-02-08
96まとめまとめ https://jpsearch.go.jp/item/dignl-848938 明治時代と現代の美容について比較してわかったことは、いまも昔も変わらず日本人女性の美意識は高いことである。 年相応で、素材を活かす化粧が愛されるのは昔から変わっておらず、日本人女性の繊細な美意識からくるものであることがわかった。 意外だった点は、化粧水、パーソナルカラー、色の組み合わせの概念が明治時代からあった点である。 この分析を通して、一人の日本人女性として「日本人の美しさ」を大切にしていきたいと思った。2023-02-08
97情報通信文化論 まとめ情報通信文化論 まとめ今回の調査を通して、真田氏はもちろん、仙石氏と松平氏という上田の発展に尽力した三家について知ることが出来た。特に真田氏以外の2家は今回の調査を通して初めて知る事も多かった。真田氏のみがフォーカスされているのが現状なので、もっと人々に知られる機会を作るのが良いかもしれないと感じた。2023-02-08
98小諸の絵小諸の絵1940年から1945年の間に描かれた小諸の家である、文書資料ではないがこの絵からも当時の暮らしを感じることが出来る。例えば屋根は瓦の物から藁の部分まであり、一階は瓦になっているため人が一階で暮らし、二階の藁の屋根では蚕を飼っていたことが推察される。また農業の道具もたくさん見受けれることから小諸市は昔から養蚕業と農業が盛んだったことが予測できる。 https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/art_museum/04J10000000392023-02-08
99明治時代のスキンケア、パーソナルカラー明治時代のスキンケア、パーソナルカラー日傘は廃れ、西洋風の小型な蝙蝠傘が流行っていた。雨の時は不便であるが、「流行のため仕方がない」と言われているのが面白い。 流行に振り回される当時の人の苦労が垣間見えた。 青みがかった顔色の人は紅色、茶色の傘を選ぶと顔色とうまく調和する。青、紫、緑は顔が尚更青ざめてみえ、黄色の顔色が悪く見える。 赤みがかった顔色の人は、青、紫、緑色の傘を選ぶと顔色とうまく調和する。紅、茶色は顔が尚更赤く見える。 現代の「ブルーベース」「イエローベース」は最近生まれた概念だと思っていたが、明治時代から存在していた。 明治時代の人はグリセリンを水に溶いたものを顔に塗り保湿していた。現代の化粧水の主な成分にグリセリンは含まれている。また、肌が白いのが美しいとされている価値観は明治時代から変わっていな2023-02-08
100山極勝三郎山極勝三郎山極勝三郎は世界で初めて人口癌を作り、癌研究の世界的先駆者となった人物です。 世界初の人口癌発生の偉業はノーベル賞候補にもなったほどでした。 参考…上田人物伝 https://museum.umic.jp/jinbutu/data/031.html2023-02-08
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