登録リスト(該当:2212件)

写真タイトル説明登録日
1川西野球排球大会川西野球排球大会今でもこれほどな大差がつくのは野球でも珍しいため面白かった。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1180 『西塩田公報』第60号(1952年9月5日)2頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1180.jpg2022-12-27
2体力検査成績発表!!(『西塩田時報』第187号(1925年6月1日)1頁)体力検査成績発表!!(『西塩田時報』第187号(1925年6月1日)1頁)学校のカリキュラム上の新体力テストのようなものだと思いましたが、地域の青年団員の成績結果でした。一番上に百米(100m)の結果が広報されているのですが、12秒台の方が先頭にいらっしゃいます。現在においてもかなりの記録です。靴や走り方を学べばもっと良い記録を狙えると思います。 ▼この記事は以下から参照できます。 #364 #364 『西塩田時報』第187号(1925年6月1日)1頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns11_181to204.pdf2022-12-26
3健康第一健康第一いつの時代も健康って大事だよなあと考えさせられたこの記事が好き。 『西塩田時報』第16号(1925年3月1日)4頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0074.jpg2022-12-26
4農事メモ(『西塩田広報』第80号)農事メモ(『西塩田広報』第80号)当時の気候変動に農家はどのように対応すればよいかが描かれていた。 #1246『西塩田広報』第80号 2ページ2022-12-26
5家庭内での女性の地位向上家庭内での女性の地位向上これは家庭内において弱い立場にある女性の立場を上げるためのある女性の訴えです。その時代のリアルな男性の横暴さと女性の立場の弱さが書かれていて、今の時代ではこの記事を読んでも「そりゃそうだよね。」と言われるぐらいにはなってきているが、当時はこの記事を読んではっとさせられた男性や勇気づけられた女性がいたのではないでしょうか。 「人間は男のみではない」この文章にとても惹かれます。2022-12-26
6支部通信「浅間山行」支部通信「浅間山行」浅間山登るのがしんどいというのが伝わってきて面白いと感じた。そして、今よりは道も整備されてなかったのではないかなどと想像が膨らんで、見ていて面白いと感じた。 『西塩田時報』第9号(1924年9月1日)3頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0047.jpg 2022-12-26
7昭和27年(1952)の殺人事件(『西塩田時報』第73号)昭和27年(1952)の殺人事件(『西塩田時報』第73号)西塩田広報第73号より 加害者の住所が朝鮮でしたので、てっきり異邦人の犯罪かと思いましたら、当時の朝鮮のこの地区は日本領土でした。強盗内容も千円とありますが、当時の相場としては約5倍ほどだそうです。(間違っていたらすみません)時代背景がわかる記事ですので取り上げさせていただきました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #364 #364 『西塩田時報』第73号(1952年7月3日)2頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns17_post061to080.pdf2022-12-26
8女子の意見の出ない訳(『西塩田時報』第6号(1947年6月20日)4頁)女子の意見の出ない訳(『西塩田時報』第6号(1947年6月20日)4頁)男女同権の思想がちょうど広まった時代、女性の意見が少ないことが、当時の男性はどう思っていたのかが分かるお記事です。一理あると思える意見もあれば、それは筋違いだろうと思ってしまう意見もありおもしろいと思いました。 ▼この記事は以下から参照できます。 『西塩田時報』第6号(1947年6月20日)4頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns14_post001to020.pdf2022-12-26
9農村のテトメよ農村のテトメよ男尊女卑が激しく当時は束縛が多かった女性だが農業をすることには何の束縛はないという当時の風習が分かるという部分が興味深く面白いです。 ▼この記事は以下から参照できます。 #364 #364 『西塩田時報』第84号(1930年11月1日)2頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0364.jpg2022-12-26
10標語(『西塩田時報』第28号(1926年3月1日)3頁)標語(『西塩田時報』第28号(1926年3月1日)3頁)今から約100年前の時代の標語です。 緩い現代を生きている身からすると、少し厳しく感じました。 ▼この記事は以下から参照できます。時報』第28号(1926年3月1日)3頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns03_021to040.pdf2022-12-26
11成人式行事(『西塩田時報』第100号、1956年)成人式行事(『西塩田時報』第100号、1956年)私は今年度成人式を行いますが、こんなに昔から成人式があったことに驚きました。しかし、式の内容はいまと全く違う内容であったので非常に興味深かったです。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1327 『西塩田公報』第100号(1956年1月1日)1頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1327.jpg2022-12-26
12お盆用必需品は自分の店で!(『西塩田時報』第69号(昭和4年8月1日)3頁)お盆用必需品は自分の店で!(『西塩田時報』第69号(昭和4年8月1日)3頁)お盆に必要なものは組合でそろえてくださいという内容の広告の記事だが、現在のCMを文面にしたらこうなるのかなと想像もできて面白い。また、「組合」「配給」も当時の様子を想像できて興味深かった。 ▼この記事は以下から参照できます。 #301『西塩田時報』第69号(1929年8月1日)3頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0301.jpg2022-12-26
13さばとにしんの調理法さばとにしんの調理法西塩田時報には、「家庭メモ(家庭欄)」というコーナーがあり、ここでは家庭の豆知識を読むことができます。 昭和24年と古い記事なのですが旬の魚のレシピとしてサバとニシンが紹介されていました。 ぜひ皆さんも作ってみてはいかがでしょうか? この記事は以下より読めます。 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns16_post041to060.pdf2022-12-26
14子供の主食子供の主食記事にて、昭和28年頃子供のパン食が増えている状況やそこから懸念される栄養面の解説、また、当時のパンの値段等が記されています。 学校給食でもパンが多く取り扱われる昨今、パンが主流でなかった昔の記事を見返してみると、当時のパンへの認識等も感じ取れて面白いです。 この記事は以下より参照出来ます https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns17_post061to080.pdf2022-12-26
15小学校だより  『西塩田時報』第19号(1925年6月1日)3頁小学校だより  『西塩田時報』第19号(1925年6月1日)3頁当時の西塩田小学校生徒の身体測定の結果が載せられた記事。「身体測定の結果が公にされる」こと事態が現代では考えられないことですが、結果についての講評から軍隊としての戦力をほのめかす様な印象を受け、時代の違いを感じられる記事でした。 ▼この記事は以下から参照できます #85 『西塩田時報』第19号(1925年6月1日)3頁2022-12-26
16家庭パンの作り方 『西塩田時報』第138号(1935年5月1日)3頁家庭パンの作り方 『西塩田時報』第138号(1935年5月1日)3頁一般家庭向けの食パン、菓子パン用のフルーツジャムやクリームのレシピが掲載されている記事です。小麦粉、砂糖などの単位がグラムだけでなく匁(もんめ)でも書かれていたり、文体が現在と異なっている点に興味を惹かれました。一番気になったのは材料についてで、「家庭パンの作り方」とありますが、当時の一般家庭でバター等はどれぐらい貴重だったのか等想像が広がる記事でした。 ▼この記事は以下から参照できます。 #615 『西塩田時報』第138号(1935年5月1日)3頁2022-12-26
17文芸・雑煮(『西塩田時報』第12号(1948年1月30日)4頁)文芸・雑煮(『西塩田時報』第12号(1948年1月30日)4頁)文芸のコーナーに掲載された小説。戦後の雰囲気を感じさせる。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1006『西塩田時報』第12号(1948年1月30日)4頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1006.jpg2022-12-26
18乳児の育て方乳児の育て方現代ではネットや書籍など様々な情報ツールが存在し、分からなければそれらを頼れば大抵は解決できます。しかし、過去戦前の世ではそのような対応をとれない中、本記事のように時報の中で情報の提供が行われていたようです!今回はその中で目に付いた「乳児の育て方」といった内容の記事を取り上げてみました。 想像以上に詳しく説明がなされていて驚きました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1168 『西塩田公報』 第31号(1926年6月日)1頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns03_021to040.pdf2022-12-26
19睡眠について睡眠について現代、理想的な睡眠についてはいろいろな研究や見解をもとに様々な意見が展開されています。そんな中、過去戦前の世の中では一体どういった睡眠サイクルが良いものとされていたのか本記事ではそう言った内容を知ることができます。 戦前の世の中だからこその違った視点などで論じられている部分もあり、なかなかに興味深かったです... ▼この記事は以下から参照できます。 #1168 『西塩田公報』 第29号(1926年4月1日)4頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns03_021to040.pdf2022-12-26
20主食類盗難予防に就て(『西塩田時報』[戦後]第30号 1949年9月20日)主食類盗難予防に就て(『西塩田時報』[戦後]第30号 1949年9月20日)この時代でもまだお米は貴重なものであったことが分かった。盗んでいくものがお金ではなく、お米を盗んでいる所が今の時代には全く見当がつかないところで面白さを感じた。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1063 『西塩田時報[戦後]』第30号(1949年9月20日)3頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1063.jpg2022-12-26
21故郷から兵たいさんへ(『西塩田時報』第176号 1938年7月12日)故郷から兵たいさんへ(『西塩田時報』第176号 1938年7月12日)兵隊さんが安心して戦えるように故郷から幼い子供がメッセージを送っている。 漢字とひらがなが織り交じっており、どこか心にグッとくるものがあった。 ▼この記事は以下から参照できます。 #784 『西塩田時報』第176号(1938年7月12日)2頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0784.jpg2022-12-26
22法律の施行内容、詳細に関する説明。法律の施行内容、詳細に関する説明。今回、私が紹介させてもらう記事は恩給法についての説明の箇所です。 当時、戦後による急速な時代の変化により法律改正があった際は一般国民にしらせるべく、あらゆるメディアを活用してその法律制度について説明がなされていたようです。昨今、法律改正が行われることがありますが細かい説明、項目までしっかり掲載されることは少なくなったと感じる点があります。私はこの当時の掲載の仕方が非常に効果的であると思ったので、現代にも反映させるべき点であると考えます。 (参考文献:西塩田広報第七六号 46頁)2022-12-26
23パトロールカーパトロールカー西塩田村にパトカーが導入された際の記事を見つけました。今とは違ってパトカーと略さずに「パトロールカー」と呼ばれていることが新鮮に感じました。また、形状も現代のパトカーとかけ離れていて驚きました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1196『西塩田公報』 第67号(1953年4月5日)2頁2022-12-25
24日本国憲法 第二章日本国憲法 第二章今も変わらず残っている大日本国憲法の第九条の制定についての記事を見つけた。 この憲法が今も残っているおかげで他の国との武力的な大きな衝突なく平和に過ごせているのだと思うと感慨深い。 面白記事とは少しずれてしまっているかもしれないが一番興味深いと感じたのでこの記事をピックアップした。 ▼この記事は以下から参照できます https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0967.jpg2022-12-25
25野菜のゆでかた野菜のゆでかた野菜をゆでる際のコツが書かれた記事を見つけました。料理が下手な自分にとっては、結構参考になりました。あと、右上にミッキーマウス(?)が描かれているのが気になりました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1168 『西塩田公報』 第57号(1952年4月1日)4頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns16_post041to060.pdf2022-12-25
26朝の一時朝の一時朝目を覚まして、外を見たときの感情や情景がとてもわかりやすく表現されている。そして最後に「今日一日を無事に送らしめ給へ」という言葉で締めくくられていて、一日一日健康に過ごすことの大切さを思い出させてくれる気がした。2022-12-25
27戦前の野球戦前の野球戦前の野球の記録までもが残っていることがとても意外で興味を引かれた。自分が野球好きと言うこともあるけど、この時代から野球が行われていたことがうれしく感じた。2022-12-25
28K君の日記K君の日記弟妹のけんかしている描写から始まるK君の日記。何気ない日常の中に現在の弟妹の姿から昔の自信を連想し懐かしんだりしているところに面白みを感じた。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1183『西塩田公報』第62号(1952年11月5日)3頁 2022-12-25
29みんな輪になれみんな輪になれこの曲が発売されたのは昭和16年8月とされている。当時の踊りと言えば盆踊りが主流とされていたが軍歌に振り付けを付けて子供たちに教えていた人たちがいたそうだ。まさに軍国世界の音頭である。 ▼この記事は以下から参照できます。 『西塩田村公報』第7号(1943年3月30日)6頁 2022-12-25
30暦の話『西塩田時報』第92号(1931年7月1日)1頁)暦の話『西塩田時報』第92号(1931年7月1日)1頁)学者たちは、現在の暦はよく出来ているが不都合な点も多いため、もっと合理的で便利な暦を作ろうと長年研究していた。その結果、一年が13ヶ月からなる暦が作られ、それが国際会議に提案され採択されそうになっている。この機会に、暦の編み方、暦の歴史などについて書いてみるという内容の記事です。 まず1年が13ヶ月の暦が開発され採択されそうになっていた事実に驚きました。また、筆者は6ヶ月に渡り太陽や月、その他惑星について詳しく解説しており、この記事を読むだけで科学について学べそうだと感じました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #397『西塩田時報』第92号(1931年7月1日)1頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0397.jpg2022-12-25
31部落ニュース部落ニュースこの記事は西塩田時報の中で2番目に興味深いと思った記事である。これをなぜ選んだか、それは今ではあまり良い印象で使われない用語とされている「部落」という言葉が日常で使われていたということをしっかりと確認出来る生地だからである。 時代の移り変わりをしっかりと認識させる、そんな1枚であるなと思い昔のことに思いをはせながら読める記事である。 ▼この記事は以下から参照できます。 #567 『西塩田時報』第128号(1934年7月1日)3頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0567.jpg2022-12-25
32青年期の問題に就て(『西塩田時報』第65号(1929年4月1日)2頁)青年期の問題に就て(『西塩田時報』第65号(1929年4月1日)2頁)青年期の問題について記載されており、その内容の中でも結婚年齢が徐々に遅れているという内容が現代と通じていて面白いと思った。この頃から「青年」や「壮年」が何歳からと規定されていたことを知り、驚いた。昔は15~25歳を青年と呼んでいたが、時が経つにつれ年齢が変化しているということを知った。 ▼この記事は以下から参照できます。 #284『西塩田時報』第65号(1929年4月1日)2頁2022-12-24
33お嬢様試験の問題集ーアナタは如何?ー(『西塩田時報』第31号(1949年10月20日)4頁)お嬢様試験の問題集ーアナタは如何?ー(『西塩田時報』第31号(1949年10月20日)4頁)「お嬢様なら○○であるでしょうね」と書かれた10個の問題があり、自分はどのくらいお嬢様であるか知ることができる記事だ。 男の友達を持っている、化粧が上手、花嫁修業のお稽古に忙しい等がお嬢様の条件とあり、偏見のことばかりが書かれているように思えるが、自分に当てはめて考えてみると面白いと思うので、是非ご覧いただきたい。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1068『西塩田時報』第31号(1949年10月20日)4頁2022-12-23
34女性の心理(『西塩田時報』第3号(1946年10月20日)3頁)女性の心理(『西塩田時報』第3号(1946年10月20日)3頁)女性は感情性が強く、その感情が女性の心情を支配するものだと記されている。 同年4月に、女性に参政権が与えられた。「女性として、最も大切なことは慈愛心であり、柔順にして判断力が強く、徒に感情に走らず、事に嘗つては堪え忍ぶ底力の強いのが日本女性の美点とする處である。」という文章が、男女平等、女性を下に見ないために書かれた記事なのかと推測できる。 ▼この記事は以下から参照できます #961「西塩田時報」第3号(1946年10月20日)3頁2022-12-23
35別所温泉  (四) 第142別所温泉  (四) 第142最初は何度読んでも理解できなくて、この中に脅迫文でも描かれているのかと思ったのですが、よく見たら右から読む形態の文で少し驚いた。 この記事だけではなく様々なところで右から読む文を見つけて時代を感じた。 また、部落ニュースや歌など現代にはあまり耳なじみのないテーマを扱っている割に、この記事は別所温泉という身近なものを見つけて、近いようで遠い存在だと感じた。 参照元↓ https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns11_181to204.pdf https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1261.jpg2022-12-22
36おまるのめのひ (六)第181おまるのめのひ (六)第181不思議な日記を読んでいるようでした。昔の言葉なのに全部ひらがなで書いてあるのが面白いなと思いました。今の新聞でいうとあんずちゃん的な位置にある子供用の文章なのかと思いました。 私が子供だったらきっとこの文を読まずに外に遊びに行っているだろうなと思います。 参照元↓ https://mmdb.net/mlab/uedagaku/pdf/nishishioda/ns11_181to204.pdf https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1261.jpg2022-12-22
3712月22日分 調査まとめ12月22日分 調査まとめ上田城の築城・歴史 「日本一の兵」真田幸村を輩出した真田氏は、現在の上田市真田町の周辺を拠点として活動していた。上田城の築城が開始されたのは1583年のことで、真田幸村の父である真田昌幸によって築城が開始された。当時徳川家康に仕えていた昌幸は、その援助を受けながら築城をしていた。しかし、北条と手を組もうとする徳川から土地の受領を要請された際にこれを拒否。徳川と断絶した昌幸は、上杉家に助力を求め次男の幸村を人質に差し出す。これにより、上杉方から戦力と築城の支援を受けた。上田城が一旦の完成を迎えた1585年、家康は鳥居元忠らを真田領に進軍させ「第一次上田合戦」が始まった。およそ1万の軍勢で進軍してきた徳川軍を昌幸は謀略を用いて少数の軍勢で撃退した。時は流れて関ヶ原の戦い最中の1600年、家康の息2022-12-22
38d-commons.net考察 その5 「記事」と「マイサイト」 言葉の融和d-commons.net考察 その5 「記事」と「マイサイト」 言葉の融和前回に引き続き、UIの考察についてである。 前回 d-commons.net考察 その4 デザインと迷子 このd-commons.netでは、記事の投稿者名をクリックすると「〇〇のサイト(所謂マイサイト。〇〇には投稿者名が入る)」という場所へ飛ぶ。 マイサイトでは、投稿者の成果物が閲覧可能であり、アーカイブとしての役割を持つ。 個人的には「〇〇のサイト」の「サイト」という表記は一瞬で理解しにくく、自分がどこへ飛んでしまったのか分からなくなると感じた。少なくとも、自分が初めて投稿者名をクリックした時、信州上田デジタルマップではなく別のサイトへ飛んでしまったのかと混乱した事がある。 (別ウィンドウで表示されたため余計に混乱したという事情もある) これは「サイト」という言葉と「アーカイ2022-12-22
39引揚者を暖かい気持ちをもって迎えましょう引揚者を暖かい気持ちをもって迎えましょう過酷な環境から帰ってくる引揚者の人々に冷たい態度をとらず暖かく迎えましょうと呼びかける内容です。 第二次世界大戦が終わった後の記事で海外にとどまることを強いられた人々への思いやりや終戦後の日本の一体感が読み取れる記事です。 #965 『西塩田青年団報』第4号(1946年11月25日)3頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0965.jpg2022-12-21
40火の用心火の用心他の災害と比較して火事は我々の意識で防ぐことができあるという内容をユーモアを交えて訴えかけた記事です。 地震雷火事親父という今でも耳にする言葉を用いられていて、当時から親父の部分に疑問を持つような書き方がされていて、そのうえ火事への注意喚起は真面目に訴えかけている点が面白いと感じました。 #957 『西塩田青年団報』第2号(1946年9月20日)3頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0957.jpg2022-12-21
41青年の聲 【『西塩田時報[戦後]』第4号(1947年4月20日)1頁】青年の聲 【『西塩田時報[戦後]』第4号(1947年4月20日)1頁】これは当時の太平洋戦争が終わりポツダム宣言を受諾した日本の意見が良く分かる記事です。おそらくこの記事のようにポツダム宣言に賛成した派と否定派で激しく争ったように感じ取れます。そのような昔の雰囲気を感じ取れる記事として面白く思えました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #985 『西塩田時報[戦後]』第4号(1947年4月20日)1頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1261.jpg2022-12-21
42火の用心 【『西塩田青年団報(戦後)』第2号(1946年9月20日)3頁】火の用心 【『西塩田青年団報(戦後)』第2号(1946年9月20日)3頁】この記事は当時はかなりの災害だった火災に対する恐ろしさとその対策について書かれている記事です。しかし単なる災害防止の記事だけでなく読みやすいようユーモアがある筆者の独白なども書かれていて面白いです。 ▼ この記事は以下から参照できます。 #957 『西塩田青年団報』第2号(1946年9月20日)3頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1261.jpg2022-12-21
43家庭心得帖(『西塩田時報』第60号(1952年9月5日第2頁))家庭心得帖(『西塩田時報』第60号(1952年9月5日第2頁))料理や洗濯、予定の立て方など、生活がプラスになる情報が掲載されています。 主婦の知恵などが新聞に載っているのは読んでいても面白く、実際に使える知識なのでためになると思いました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1180 『西塩田公報』第60号(1952年9月5日)2頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1180.jpg2022-12-21
44幼女児おかっぱすすめ(『西塩田時報』第84号(1930年11月1日)2頁)幼女児おかっぱすすめ(『西塩田時報』第84号(1930年11月1日)2頁)学校便りのようなものに、運動するときや勉強するときに邪魔にならないために髪型をおかっぱにすることを進めている記事がありました。 昔の女の子はおかっぱのイメージがありますが、こんな理由でおかっぱの子が多かったのかなと思いました。 ▼この記事は以下から参照できます。 #364 #364 『西塩田時報』第84号(1930年11月1日)2頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0364.jpg2022-12-21
45十九夜塔(加増公民館)十九夜塔(加増公民館)加増公民館駐車場の諏訪神社への階段の左に建立されている如意輪観音。きれいな案内板が設置されています。 寛政7年(1795年)建立。 石造物マップ2022-12-20
46藤本蚕業歴史館で開くオンライン講座第2日藤本蚕業歴史館で開くオンライン講座第2日12/17(土)、藤本蚕業プロジェクト主催/デジタルアーカイブ学会地域アーカイブ部会共催によるデジタルアーキビスト養成講座の第2回講座を実施しました。 今回の講座は、上田小県近現代史研究会のお二人の方:桂木恵さん、小平千文さんから「キュレーション実例」「近現代を捉える視点」の話題提供をいただきました。話題提供のレジュメは以下の【講座資料】に掲載してあります。 午後は、「藤本蚕業歴史館アーカイブ」の史料などを参照し「一次資料を使ったキュレーション」を実習を交えて学習してもらいました。 講座の動画記録は後日、こちらに掲載する予定です。 【講座資料】https://d-commons.net/uedagaku/?c=&p=189442022-12-19
47蚕のさなぎ蚕のさなぎ「みんなでつくる信州上田デジタルマップ」「蚕の蛹:食用」より転載 https://d-commons.net/upload/4/567/original/011720.jpg イナゴの他にカイコも! さなぎから油を取るとも聞いたことがあります。2022-12-17
48みかんと煙草みかんと煙草藤本蚕業アーカイブより転載 https://d-commons.net/fujimoto-arch/?c=&p=18948#photo_gallery-10 みかん35銭?は旅費で煙草25銭?は何と書いてあるのだろう2022-12-17
49枝垂(しだれ)桑枝垂(しだれ)桑枝垂(しだれ)桑 蚕糸試験場 蚕糸の森公園 東京都杉並区 桑の品種改良がおこなわれ沢山の品種が生まれた 観賞用の品種 史料ID タイトル 西暦 備考 発行年月 配置 目録頁 分類番号 巻・号 著者 発行元 発行場所 文献 cb-福-14 桑品種の図解 1925 大正14年11月 B-福-14 福島県桑苗同業組合 福島県 文献 c亅-1-96 桑品種図説 1926 大正15年8月 亅-1-96 長野県蚕業試験場 文献 ca-2-12 桑品種図説 1926 大正15年3月 A-2-12 長野県蚕業試験場 藤本蚕業デジタル資料館 https://d-commons.net/fujimoto/ naganuma2022-12-17
50霞月楼って何?霞月楼って何?藤本蚕業土浦支店の「蚕種代価帳(1936)」に出ていた支出の記録です。その中に霞月楼という項目が出ています。年会費3円支払っています。 当時の料亭のようです。 「藤本蚕業アーカイブ」から転載 https://d-commons.net/fujimoto-arch?c=&p=189482022-12-17
51昭和8年4月鑑別手申込書綴昭和8年4月鑑別手申込書綴新潟や篠ノ井など東信地区以外の方々も鑑別手としていらっしゃったのだと分かり、蚕業が栄えていたと改めて感じました。 https://d-commons.net/fujimoto/?c=&p=96152022-12-17
52test蚕糸試験場 蚕糸の森公園test蚕糸試験場 蚕糸の森公園蚕糸試験場 蚕糸の森公園 子供時代に蚕糸試験場(東京杉並区)が近所にあり、 すでに廃墟となっていて不思議なところだと思っていました。 春蚕繭繰糸試験成績一覧表 藤本蚕業デジタル資料館 https://d-commons.net/fujimoto-index/?c=&p=11876 近代化と国際規格と日本の関係性、 国際規格の導入と変遷は絹糸が最初ではないか? 以前自動車業界にいて国際規格からSDGsに変遷していった過程から、 規格の重要性が正義や善につながっていて基本なるのは美学ではないか?と考えています。 naganuma2022-12-17
53testtestあん姫 2022-12-17
54実践講座1:地域資料活用によるキュレーション講座[第2回]実践講座1:地域資料活用によるキュレーション講座[第2回]実践講座1:地域資料活用によるキュレーション講座[第2回]  藤本蚕業所蔵資料で近現代のキュレーション 【講座タイムテーブル】 10:00 一次資料を使ったキュレーションのいざない 10:15 キュレーション実例紹介  講師:桂木恵(上田小県近現代史研究会事務局長) 11:00 近現代を捉える視点  講師:小平千文(上田小県近現代史研究会会長) (12:00 休憩) 13:00 『藤本蚕業歴史館アーカイブ』で藤本蚕業の資料を探る 13:30 近現代のキュレーション・ミニ実習「一次資料をして語らせる」 (14:20 休憩) 15:30 キュレーションをアウトプットする(d-commons.net マイサイト実習) 16:00 終了 【オンデマンド講座(当日の講座記録)】 ▼①午前の部:藤本蚕業の一次資料&近現代を捉える視点  講師:前川道博+桂木恵+小平千文 110分 2022-12-16
55D.W.Griffithと小津安二郎の インターテクスト的連関(2020)D.W.Griffithと小津安二郎の インターテクスト的連関(2020)研究発表「D.W.Griffithと小津安二郎のインターテクスト的連関」 (2020/09/27 日本映像学会第46回大会 研究発表/研究A2) 【研究概要】 D. W. Griffith(1875-1948)の初期作品には、小津安二郎(1903-1963)のそれと極めてよく似たシステムが同定できる。小津がアメリカ映画、とりわけ Ernst Lubitsch の強い影響を受けていたことはよく指摘されている。しかしながら小津に最も類似した特徴を備えているのは Griffith の初期作品である。この点、先行研究では指摘されることがなかった。本研究ではGriffith作品、小津作品における人物の動きに沿った移動空間の分節、動きの分節が極めて共通性が高いことを実証した。 こうした特徴を備えた作品は映画初期において見られるものの、トーキー期においては類例を見出せない。特に小津のトーキー期における《動きの連続=時間2022-12-12
56BFI:世界映画史上、最も偉大な映画2022BFI:世界映画史上、最も偉大な映画2022▲BFIホームページからの部分転載 英国のBFI(British Film Institute)が発行する映画専門誌『Sight and Sound』が10年に一度選定する「世界映画史上、最も偉大な映画」(The Greatest Films of All Time)の2022年の選定結果が発表されました。 ▼The Greatest Films of All Time https://www.bfi.org.uk/sight-and-sound/greatest-films-all-time シャンタル・アッケルマン監督の『ジャンヌ・ディエルマン』(1975)が第1位に。これは驚異的なチョイスです。世界映画史上、そこまでの高い知名度も評価も得ていなかったアッケルマンが、しかもその一作品が選ばれたことが驚異です。映画監督は圧倒的に男性優位で女性監督はごく少数です(旧来「女流」監督と呼んできたのは男性中心の捉え方から発生した偏見的な呼び方か?)。多様性とLGBTが全世2022-12-12
57文楽『本朝廿四考』を観る文楽『本朝廿四考』を観る国立劇場 2022/12/06、国立劇場小劇場に文楽を観に行きました。前回の文楽鑑賞は05/20、『競伊勢物語』を国立劇場小劇場で。2022年は2回ながら文楽を観る機会に恵まれました。 国立劇場が建て替わるということで現在の国立劇場のさよなら公演が続いています。これもさよなら公演の一つ。初日に行ってきました。 『本朝廿四考』は中国の『二十四孝』にならい、本朝(わが国)の孝行に優れた人物を採り上げた物語という意味合いかと思います。その詮索はともかくとして、奇想天外で度肝を抜く物語でした。 歴史上、信州でたびたび戦いを繰り広げた上杉謙信と武田信玄、武田信玄の子武田勝頼、上杉謙信の知将・山本勘助、信州の武将・村上義清らが歴史上の人物というよりは、自由に創作された物語2022-12-12
58地域資料デジタル化の課題と解決に向けた方策(2022)地域資料デジタル化の課題と解決に向けた方策(2022)研究発表 地域資料デジタル化の課題と解決に向けた方策 「デジタルアーキビスト養成講座」の紹介を兼ねて (2022/11/23 日本教育情報学会第19回デジタルアーカイブ研究会)  前川道博(長野大学企業情報学部) 【研究の概要】 デジタルアーカイブの大きな課題の一つは地域資料のデジタル化が極度に立ち遅れていることである。DXが進む現代においては資料のデジタル化により誰もが地域の情報源に直に触れ、主体的に地域を学び・理解に踏み出すことのできる社会の実現が望まれる。本研究では、地域資料のデジタル化を提起すると共に、地域資料のデジタル化が担えるデジタルアーキビストの養成を地域人材のリスキル/リカレント教育の観点から具体的にどのように養成講座としてモデル化できるか、諸課題の解決が図れるかを課題提起する。2022-12-12
59地域学習に活かす校内資料のデジタル化(2022)地域学習に活かす校内資料のデジタル化(2022)研究発表「地域学習に活かす校内資料のデジタル化:デジタルコモンズによる DX 時代の地域学習環境づくり」 (2022/11/12 デジタルアーカイブ学会第7回研究大会) 【発表概要】 全国の学校でGIGAスクールが実施されながら、学校で地域学習を計画しようとすると、地域を知る情報源がネット上には極めて少ないことが直ちに顕在化する。特に学校区の情報源は殆どの地域においても存在しないと言って過言ではない。さらには地域資料があっても、教員の経験不足等の理由によりその活用が図りにくい課題がある。 以上の課題を解決するため、これからの学校教育に求められる児童生徒の主体的で探求的な学びを包摂的に支援できる分散型デジタルコモンズサービスd-commons.netを用いた「d-commonsメソッド」により、校内資料のデジタルアーカイブ構築に取り2022-12-12
60藤本蚕業歴史館でオンライン講座実施2022/12/10藤本蚕業歴史館でオンライン講座実施2022/12/102/10、藤本蚕業プロジェクト主催/デジタルアーカイブ学会地域アーカイブ部会共催によるデジタルアーキビスト養成講座を実施しました。地元/館内の見学もオンラインで。藤本蚕業歴史館での講座がいきなり全国から受講できるのは我ながら素晴らしいと実感しました。リアルタイムだけでなく録画によるオンデマンドでの事後視聴も可能な形で実施。これからの講座形態は受講者の都合にも合わせたこの柔軟な形態がよい。ローカル環境、ローカル資源の全国活用を実践するよい機会ともなりました。 【講座資料】https://d-commons.net/uedagaku/?c=&p=117612022-12-11
61実践講座1:地域資料活用によるキュレーション講座[第1回]実践講座1:地域資料活用によるキュレーション講座[第1回]【講座タイムテーブル】 10:00 講座のねらいと概要/地域アーカイブの課題 10:20 受講者の自己紹介 10:30 藤本蚕業歴史館・概要 10:45 藤本蚕業・上塩尻ミニ見学 11:15 藤本蚕業歴史館・館内ミニ見学 11:40 近現代へのいざない:蚕種製造業と藤本蚕業 (12:00 休憩) 13:00 藤本蚕業歴史館史料目録と史料データ 13:30 デジタルコモンズサービスd-commons.netによるアーカイブ/学習支援 14:00 キュレーション型学習の進め方 (14:20 休憩) 14:30 受講者の皆さんが探求したいテーマ、Q&A 15:30 次回に向けて:アドバイスや補足事項 16:00 終了 【オンデマンド講座】 ▼午前の部 (1)講座のねらいと概要(前川道博)22分 (2)藤本蚕業歴史館解説(佐藤修一氏)6分 (3)上塩尻ミニ見学(佐藤家住宅・旧佐藤宗家2022-12-10
62鹿、鹿、鹿鹿、鹿、鹿時間があったので松本、諏訪に遊びに行った。 諏訪で温泉♨️に入り、ご飯を食べて上田に戻る。山を2つ?ほど越えれば着くのだがその道中。 5回ほど鹿を見た。写真はその中の一回。5、6頭の鹿が. 鹿というと思い出すのはバンビだがそんなかわいいものではない。大きさも目力も半端じゃない。2022-12-09
63海軍一等機関兵勲八等土屋八八郎碑海軍一等機関兵勲八等土屋八八郎碑小諸市大字菱平字稲荷地籍に建てられた土屋八八郎 の碑 土屋八八郎は1883(明治16)年6月10日 北佐久郡大里村生まれ。日露戦争に従軍し、戦艦三笠乗務。1905(明治38)年9月11日佐世保港において火薬庫爆発のため死亡。死亡後勲八等白色桐葉章受章。 三笠の沈没については下記のサイトを参照。 https://www.jacar.go.jp/modernjapan/p10.html2022-12-09
64千ヶ瀧用水改修記念碑千ヶ瀧用水改修記念碑千ヶ瀧用水改修記念碑 について知っていることをぜひ教えてください 佐久市岩村田にあるため池「仙禄湖」畔に建つ記念碑。 1972(昭和47)年4月建立。 碑文 千ヶ瀧用水改修記念碑 北に浅間の活火山南に蓼科八ヶ岳連峯 を望む佐久平の中央に位置する岩村田 町は往古より水利に恵まれす灌漑水に 難渋し近代に至っては上水道水源の確 保に悩みこれが根本的解決は町民長年 の願望であった 昭和二十六年町理事者町議会議員は町 民の要望にこたえ岩村田町の事業とし て土地改良法による千ヶ滝用水の改修 を目的として土地改良区の設立を計画 し関係の南大井村御代田村小沼村中佐 都村に協賛を求めたしかしこの用水に 特権をもつと信ずる人人によってその 設立が遅延し遂には変則なる土地改良 区の設立の止むなきに至ったが用水改 2022-12-09
65おいだれおいだれ上田市発祥の焼き鳥のたれ。 味噌とニンニクがよく効いていて、ご飯が非常に進みます。 手に入れるならイオンかやおふくに買いに行きましょう。2022-12-06
66上田招魂社上田招魂社上田招魂社は眞田神社と同じく上田城内に建立されている神社です。戊辰戦役従軍の戦死者をはじめ日清日露の戦争を経て今次の大東亜戦争に至る間国家の為尊き命を捧げられた5,936人の英霊をまつる御社です。2022-12-05
67木長野に来てから山と木の多さにかなり驚いた。地元は平地で田んぼや畑なアドが多く見られた。それに比べ、長野は360°どこを見渡しても山の風景が広がっている。木もどこにでも生えている。木々の中に入ってみるのもよいと思った。2022-12-05
68上田紬アイテム上田紬アイテム 上田紬で作られたアイテムは着物だけでない。シュシュやがま口ポーチなど、普段使いできるようなものまで展開している。  サントミューゼ1階にある上田市立美術館では、上田紬の商品がショップに並ぶことがあるため、要チェック! (画像は https://twitter.com/ueda_museumshop/status/1412988986931351553?s=20&t=i41UMczkImbKe-u96SuaSQ より)2022-12-05
69蚕の蛹:活用考察④蚕の蛹:活用考察④この写真は生島足島神社です。 ここには池があり鯉や鴨が生息していて、餌やり体験が出来ますが、基本的に人工飼料です。 ここに蚕の蛹を練り込むことで、高タンパクである虫の栄養素を吸収させて肥大化を防いだり、自然素材である昆虫を使うことで過度な餌やりによる水質汚染が防止できる可能性があります。 綺麗な池の様子を保つことに一役買えるかもしれません。2022-12-05
70上田映劇上田映劇上田映劇に行ってきました。歴史ある建物でどこか落ち着く雰囲気がありました。2022-12-05
71山家神社山家神社上田市真田町長にある山家神社です。「白山大権現(はくさんだいごんげん)」と称えられ、ご利益としては上田城鬼門除けの神として広く信仰されています。2022-12-05
72上田城上田城真田幸村で有名な上田城。二度にわたる徳川軍を退けた難攻不落の城と呼ばれている。大河ドラマの「真田幸村」や「サマーウォーズ」のモデルとしても知られ、多くのファンから人気の観光スポットにもなっている。春に行ったときは桜が満開で川に移る姿や楽し気な屋台の列が印象的でした。奥に進むと結構大きな神社もあって素敵な場所でした。2022-12-05
73市内にある「桑の葉」市内にある「桑の葉」上田市内は気候などの条件が良く、果実が多く最愛されています。もちろん桑も非常に多く栽培され、特に塩尻地方には桑園が多くありました。現在の上田市に桑園はほとんどありませんが、もともと桑園だった土地にある上田西高校は、制服に桑の葉のマークを取り入れています。 (画像は上田西高校のHP「上田西高の教育」より抜粋)2022-12-05
74愛染かつら愛染かつら北向観音境内に生育するカツラの巨木です。推定の樹齢は300年以上、600年から650年、1000年以上などの諸説があります。神仏が一時的に姿を現したカツラと言われる霊木で、円仁(えんにん)と千手観音にまつわる伝説が残されている。この木が知られるようになったのは川口松太郎の小説「愛染かつら」であり、後にヒットした恋愛ドラマの映画によってこの木も「愛染カツラ」と呼ばれるようになりました。2022-12-04
75鎌原まんぢゅう鎌原まんぢゅう別所温泉駅から歩いて数分の老舗饅頭屋。創業160年と長い歴史があります。厄除けの北向観音にちなんだ「厄除けまんじゅう」が人気であり、ほかにもおやきや上田市のブランドリンゴを使って作った自家製のリンゴ餡のリンゴ饅頭などがあり、どれも美味しそうでした。 建物の佇まいが素晴らしく、温泉地にぴったりで門などがありおしゃれで静かな場所でした。2022-12-04
76高市神社高市神社海野町の通りにある神社。祭神は「大国主(オオクニヌシ)神」、「事代主(コトシロヌシ)神」。大国主神は大黒天、事代主神は恵比寿神として七福神にも数えられる。 この神社は海野町の商いの神様である。 境内には「運の石」という石があり、開運と悪運除けがご利益。真田昌幸が上田城築城の折に白鳥神社から霊力宿る石を授かった。それがこの神社のご神体。そして、その石に縁ある石を高野山から持ってきて運の石とした。2022-12-04
77太神宮社太神宮社祭神は「天照(アマテラス)皇大神」、「豊受(トヨウケ)皇大神」。1622年に秋和から今の場所へ遷された。上田地域の伊勢信仰の中心。境内にはお稲荷様らしき連鳥居がある。2022-12-04
78太郎山太郎山上田市の北に位置する里山。 近くには太郎山神社があり、信仰も根強い。 歩道も整備されており比較的登りやすい山である。2022-12-02
79小文『プリンス・マツダイラ物語』小文『プリンス・マツダイラ物語』明治5年からアメリカへ留学した最後の上田藩主・松平忠礼と弟の忠厚。その後忠厚は日本へ帰ることなく土木と建築を学びアメリカ人女性と結婚し、エンジニアとして測量器具を発明、大陸各地の橋や鉄道建設に携わる活躍をしながらも肺結核に倒れ、37才の若さでデンバーで亡くなりました。 今では上田の方々にはよく知られた話ですが、2000年上田市立博物館での松平忠厚展を機にした『プリンス・マツダイラ物語』は、2人の留学に随行した山口慎(山口平太郎毅の息子)の孫の金子香代が2004年「文芸せたがや」に書いたものです。ファミリーヒストリーの延長で当時随筆部門の3席でしかなく、批評の通り、練り直しを考えつつもできないまま没しました。そんな母の小文ですが、最近Wikipediaなどから関心を持って下さる方がいるので、この場をお借2022-12-02
80上田紬上田紬 現代でも蚕の繭から紡ぐ紬は上田紬というブランドで親しまれている。着物だけでなく、ストールやがま口などの小物、アクセサリーにもなり人々の暮らしを彩っている。上田紬を身につけているとなんだか心が安らぐ気がする。2022-12-01
81善光寺 お朝事善光寺 お朝事2022.10.07 この写真は朝7時の善光寺。 朝に来た理由はお朝事に参加するため。お朝事とは毎日行われる法要。法要とは仏教の教えを知ること。善光寺のお朝事は天台宗と浄土宗の二座。 なぜ、お朝事に参加したかというと御本尊である一光三尊阿弥陀如来像が納められた瑠璃壇と厨子を垣間見ることができるため。普段は隠されている戸帳開かれ、光に照らされた黄金の御本尊を見ることができる。 お朝事自体は淡々としている。決まった動きをしている僧侶の方々をみるとどのような気持ちで法要をされているのか気になる。2022-12-01
82サントミューゼサントミューゼサントミューゼは、近年みられる奇抜な構想の美術館とは違い、自然豊かな上田市ならではの敷地面積を活かした低層デザインが採用されている。細部に豊かな風土を感じることができる設計がなされているため、四季折々の豊かな情景とともに歴史・文化・自然といった上田の三本柱を感じることができる。内装は「上田の森」をテーマとして木材をふんだんに生かした建築がなされている。2022-11-30
83養蚕業が衰退した理由養蚕業が衰退した理由日本の繭生産量は、今から約90年前1930年(昭和5年)の40万トンをピークに減少し、昭和40年代に持ち直しの傾向が見られたものの、2016年(平成28年)には約130トンまで落ち込んでしまいました。繭生産量の減少に伴う製糸業の衰退も著しく、昭和34年には1871工場あった国内製糸工場数は、平成26年にはわずか7工場を残すのみとなってしまいました。 日本の絹産業は、生糸の原料となる蚕の繭を作る養蚕農家から、生糸を作る製糸業者へ。そして絹織物業者へという流れから、おもに着物や帯などに加工・縫製されて小売される形になっている。 衰退した理由としては和装から洋装へ変化する「和装離れ」により需要そのものが減少したと考えられている。価格競争で中国などから低価格繭の流入や、後継者不足など社会構造の変化も考えられます。2022-11-30
84蚕種上田③ 旧馬場藤四郎邸蚕種上田③ 旧馬場藤四郎邸今回は旧馬場藤四郎邸についてだ。 この住宅も養蚕業に関わっており、特徴的なのはこの住宅の瓦に家紋がついている点だ。また敷地内に蔵があることからも分かる通り、家がかなり発展していたことが分かる。このことから養蚕業を起点とし、栄えていたことが分かる。2022-11-30
85上田城上田城上田の歴史、ここにあり!上田といったら上田城のイメージが強く、観光客も多く訪れる。2022-11-30
86常田毘沙門堂常田毘沙門堂文政12年(1829)のころお堂の脇に寺小屋を開き、多聞庵と名付けられました。活文の名声は以前から広くいき渡っていたので、武士をはじめ農民や商人それに子供にいたるまで教えを受けたい人たちが殺到し、一時は1000人を越すほどでした。 毘沙門堂は、大正15年(1926)に建てられたものです。2022-11-30
87上田丸子修学館高校上田丸子修学館高校教育目標を知性を磨き、創造的思考を逞しくし、情操をやしない進取態度を養う人間形成に主眼をおき、有為な人材の育成を期するとしている。2年次以降は自分で時間割を決めることできるところが特色である2022-11-30
88振り返って振り返ってこれまで上塩尻と桑折町における養蚕業について説明してきました。上塩尻では養蚕に関する情報がいくつも残されていましたが、桑折町には残されている遺産はほとんどなく、情報や文献が少ないように感じました。現地に赴くことでしか分からないこともあるので、帰省した際にはじっくり散策を行い、再確認したいと思います。 小学校中学年の頃に理科の授業の一環として蚕を飼育していたことや祖父母の家でも養蚕が営まれていたという話から「養蚕」というテーマには馴染みがありました。しかし、私自身地元のことであるのにも関わらず新たな発見がたくさんあり、視野を広げて興味を持ってみることの重要性を実感しました。地域産業の誇りとなった養蚕業の歴史を上塩尻での取り組みのように何らかの形で未来に繋いでいけるのが理想の形2022-11-30
89養蚕に適した気候上田養蚕に適した気候上田上田は古くから養蚕業が栄えていました。かなり古い歴史を持つ上田の養蚕業は、世界に向けても、輸出され蚕の産地として名を轟かせました。上田は降水量が少なく、乾燥しているため、蚕が育てやすく、長野は傾斜地が多いため蚕の餌になる桑などを生育しやすいという有利になる利点がありました。具体的には、上田の年間の平均降水量は約900mmであり、日本の平均降水量は1718mmであり、上田は全国平均の約半分ほどであるということが分かります。また、傾斜か多いため果樹や桑を育てることに有利な条件である水はけが良いということもあり、上田は気候の面でも後押しされて養蚕業が栄えてた要因の一つは気候であると言えるでしょう。2022-11-30
90本陽寺本陽寺本陽寺は小諸城主であった仙石秀久が文禄5年(1596)に亡くなった夫人のため建てたお寺です。 夫人の墓を中心に上田城主二代 政俊の子供、忠俊の墓のほか五輪塔・舟型・角柱型などの石塔婆が大小11基あります。また、幼児の墓が6基もあります。 近くに幼稚園があって幼稚園児が遊んでいました!2022-11-30
91地元から信州上田学へ地元から信州上田学へ群馬県には上田市と同じように養蚕の歴史があり製糸業が盛んであった点で共通している。群馬には世界遺産に登録されている富岡製糸場があるため認知されているが上田市にはそれがない。そのため養蚕の歴史を知ってもらうことこそが蚕都上田の未来を考えるうえで重要になってくると思う。2022-11-30
92木々と水の音が響く神聖な場所木々と水の音が響く神聖な場所今回は「別所温泉森林公園」や「別所氷沢の風穴」の近くにある、「三嶋神社」にきました! 木々に囲まれ、静かに流れる水の音を聞きながらの参拝。 とても身が締まる気持ちになりました。 日が陰っている時間帯でしたので、全体的に薄暗く、少し怖くもありました。 その厳かな雰囲気に圧倒されながらも、これぞ日本という感覚を直に受けることができた、良い経験となりました。2022-11-30
93前橋市蚕糸記念館①前橋市蚕糸記念館①前橋市蚕糸記念館は1912年に国立原蚕種製造所前橋支所として建設された。当時、日本全国で6か所に建設されたうち現存する唯一のものになっている。蚕の飼育方法や品種改良、病気対策において大きな業績を挙げた。2022-11-30
94上田の松茸上田の松茸上田市内にはアカマツ林が多く、松茸の産地として知られています。 特に上田市の南西に位置する塩田平一帯は松茸の有名な産地で、9月中旬から11月初旬までは山の中腹に十数件の「松茸小屋」が営業します。2022-11-30
95蛍も集う紅の橋蛍も集う紅の橋別所温泉駅付近、きれいな赤色が目立つ「相染橋」にきました。 ちょうど紅葉の時期でしたので、ほんのり葉が黄色くなっていますね そして猫も発見!警戒してすぐ逃げていってしまいましたが…。 ここでは紅葉も楽しめますが、なんと夏になると蛍が見られます! (蛍の写真は6月中旬に撮影したものです) 皆さんも一度、きれいな蛍を見に行ってみてはいかがでしょうか?2022-11-30
96上塩尻における養蚕業①上塩尻における養蚕業①上田駅からしなの鉄道で一駅の場所にある「西上田駅」。 「西上田駅」は1920年(大正9年)に塩尻区の養種家などの請願によって国鉄信越本線の「北塩尻駅」という名で開業されました。1956年(昭和31年)に現在の西上田駅に改称されています。 駅前には【まゆ浪漫】という上塩尻における養蚕業の名残りに触れられるような散策ルートと説明が書かれた大きな看板が設置されていました。2022-11-30
97蚕糸王国信州ものがたり蚕糸王国信州ものがたり今回上田の蚕糸業について調査していく中で、信州上田学の講義内でも取り上げられていた「蚕糸王国信州ものがたり 阿部勇編著」を大学図書館にて発見した。蚕糸業の変革から詳しい解説、ポスト蚕糸業についてなど、事細かにわかりやすく書いてある。ぜひ一度手に取って読んでいただきたい。2022-11-30
98養蚕国神社養蚕国神社養蚕国神社は大星神社と一緒になっていて、敷地は広かったですが、養蚕国神社の建造は小さめでした。説明文がわかりやすく書かれており、どのうなことがあったのかがすぐわかりました。 1937年(昭和12年)、上小蚕糸業界の尊崇神ときて蚕影神社の建立を決議しました。 竣工は昭和16年4月28日で、同時に遷宮奉祝祭が執り行われました。以後、関係者によって例年蚕糸祭が開かれています。2022-11-30
99感染対策ばっちり感染対策ばっちり 眞田神社を訪れたときにお参りしようとしたら、鐘を自分で揺らして鳴らすのではなく、手をかざすことによって鳴らすという画期的なものを見つけました。お賽銭箱の上に3つ並んでいたので、順番を待つ時間も短縮され、一石二鳥です。  本当は動画を掲載したかったのですが、うまくいきませんでした。。。2022-11-30
100製糸業、紡績業跡地の活用製糸業、紡績業跡地の活用現在のアリオ上田店、サントミューぜ、上田警察署周辺の区画は鐘紡の紡績工場の跡地である。蚕糸業、紡績業の工場であった広大な土地は工場の廃止、撤退後の再開発事業で活用されている。アリオ上田の西隣にある積水ハウスの宅地開発分譲地「コモンステージ天神の杜」の西端は工場跡の区画のままの形のまま残っている点も興味深い。 2枚目資料: 上田市ホームページ『 コモンステージ天神の杜 』 建築協定 https://www.city.ueda.nagano.jp/uploaded/attachment/40476.pdf2022-11-30
地図で見る

キーワード

ログイン トップページへ