登録リスト(該当:2212件)

写真タイトル説明登録日
1猫瓦調査の様子猫瓦調査の様子6月20日(月)に上塩尻へ猫瓦の調査をしに行きました。今回は地元に住む山崎さんに解説していただきながら、旧北国街道周辺にある猫瓦を探索しました。写真はその時の様子になります。 調査してみて感じたこととして、猫瓦が存在していることは知っていましたが、たくさんの数と種類があったことにとても驚きました。そして、猫瓦に描かれた絵の種類が分かるものもあれば、遠くて見づらいものもありましたが、同じ猫瓦でもそれぞれ違った特徴があることが分かりました。 これから猫瓦についても研究し、学んでいきたいと思いました。2022-06-26
2d-commons.netによる 地域学習の包摂的支援(2022)d-commons.netによる 地域学習の包摂的支援(2022)▲発表資料(PDF) デジタルコモンズクラウドサービスd-commons.netによる地域学習の包摂的支援 (2022/06/28 デジタルアーカイブ学会 第2回DAフォーラム)  前川道博(長野大学企業情報学部) ▼研究の概要 分散型地域デジタルコモンズ(デジタルな地の共有地)の実現を支援する目的で開発を進めてきたクラウドサービスd-commons.netを2020年『みんなでつくる下諏訪町デジタルアルバム』に適用して以来、その汎用化・普及推進に取り組んできた。それ以後、『みんなでつくる西部地域デジタルマップ』『みんなでつくる信州上田デジタルマップ』等、タブレットを活用した児童生徒の主体的学習支援、地域資料のデジタルアーカイブ化、キュレーション型地域学習支援、教員向け地域学習研修支援といった多目的な方向で包摂的に地域学習・地域活動の支援ができ2022-06-26
3您好!朋友 【大好きな中華料理屋さん】您好!朋友 【大好きな中華料理屋さん】6月24日(金) 珍しくお店のご紹介。 紹介するのは「您好!朋友」。 王貞治三をはじめ多数の著名人の方々のお気に入りのお店。 実はこのお店、私の中高のお友達のお父さんお母さんが経営しているお店! ということもあり、福岡に帰ると何度も来店する。 おすすめは酸辣湯麺と炒飯。 残った酸辣湯麺に炒飯を入れて食べると味変してさらにおいしい。 福岡に帰省するとご飯を食べなくても顔を出しに行来たくなるほど、 フレンドリーで親しみやすいお母さんがお出迎えしてくれます。 いつも、食べにくると「わたなべくーん、いらっしゃい。今回はいつまでおると?」と話しかけてくださいます。 福岡のおすすめは?と聞かれたら出身地の糸島市と一緒に紹介するお店です! また、行きたいな~。 (マイサイトに挙げる予定で2022-06-26
4別府 【東洋軒】別府 【東洋軒】2022/06/25 妹の空手の大会観戦に大分県へ。 私の地元福岡県から車で約2時間半ほどで到着。 大分といえば椎茸、かぼす、とり天が有名。 ということで、とり天発祥のお店「東洋軒」へ。 家族で行ったため とり天、回鍋肉、酢豚、炒飯、カシューナッツ炒め と6品を注文。 どれも、家庭的な味でとてもおいしかった。 明日の試合、頑張ってほしい。2022-06-25
5立科町散策 【中山道】立科町散策 【中山道】立科町芦田宿は前の記事でも書いたとおり 中山道26番目の宿場町。 ということもあり、芦田宿移住サポートセンターでこの本を見つけた。 夫婦で中山道を歩いてみたという本。 中を見てみると、中山道を実際に歩いた記録があり、もちろん芦田宿もあった。 私は車を運転することは好きだが 歩くのが非常に嫌い。だから、時間がある際に中山道を東京、日本橋に向かって(逆向き)に車で走って見ようと思う。 中山道は538㎞のため、2日でいけるかなーというところ。 よく、周りの人に 「何でそんなに旅行行くところが見つかるの?」 と聞かれるが、 このように、旅行先で新たな旅行先を見つけ 新たな旅行先でまた新たな旅行先を見つけている、という感じがする。 自分自身でも驚くほどのスピードで旅行を行っているが 行きたい場所2022-06-25
6立科町散策④ 【気づき】立科町散策④ 【気づき】2022/06/21(火) 4時間ほど立科町を散策。 十分すぎる時間だろうと思っていたが予想以上に立科町は魅力あふれる町だった。 そのため、思っていた場所の半分も回れず……。 また、次の機会を見つけて訪れようと思う。 短い時間であったが多くの気づきがあった。 最も大きな気づき、感じたことは「もったいない」 ということ。 立科町は芦田宿・大庭遺跡・その他寺社仏閣等 何百年、何千年の歴史を持つ建造物、遺跡、自然が多数存在している。 しかし、そのどれもが生かしきれていないんじゃないか と思った。 宝の持ち腐れのような感じがしてならない。 せっかくおおきな魅力を持ち合わせたホンモノの建造物、ホンモノの資料、ホンモノの自然があるのなら 生かす以外の選択肢はないはずだと感じた。 もちろん、行政との兼ね2022-06-22
7立科町散策③ 【大庭遺跡】立科町散策③ 【大庭遺跡】2022/06/21(火) 立科町役場から少し歩いたところにある【大庭遺跡】へ。 長野県にきて驚いたことの1つは”縄文時代の遺跡が至るところにある”ということ。 小学校に縄文土器があったりして非常に面白い。 立科町にもその1つ大庭遺跡があると知り、訪れた。 行ってびっくり、 大庭遺跡は”古墳時代、奈良時代、平安時代わたる複合遺跡””とのこと。 縄文時代である約6500年前の竪穴式住居が17棟、墓が85基。 古墳時代~奈良平安時代である約1400年前の住居址18棟、高床式倉庫が1棟が検出されている。 この遺跡を見ていて考えたことは2点。 1点目は このような貴重な複合遺跡がなぜ全国的に、いや長野県内にすら知られていないのか。 もしかしたら、私が知らないだけかも知らない。 が、少なくとも周りにいた上田市民の知2022-06-21
8立科町散策② 【芦田宿】立科町散策② 【芦田宿】2022/06/21(火) 町役場近くのスポット【芦田宿】へ。 芦田宿は旧中山道26番目の宿場である。 旧中山道の宿場ということもあり、 非常に古き良き 宿場町である。 芦田宿には「芦田宿移住サポートセンター」がある。 最近、コロナウイルスの影響で移住者が増えていることもあり移住促進を促していた。 サポートセンター内にはリモートワークをしている方が2人。そして、移住の話を係の人としてる人もいた。 宿場を進んでいくと 芦田宿本陣土屋家が現存していた。「宿札」も残され往時を丸剤まで伝える建物は中山道唯一ともいわれている。 そのほかにも現存はしていないが 山浦家、土屋家などもある。 芦田宿は 歴史ある通りで非常に面白いのにも関わらず、なぜ多くの人に知られないのか不思議に感じた。 観光地とは、観光地2022-06-21
9立科町散策① 【立科町役場】立科町散策① 【立科町役場】2022/06/21(火) ご縁があり、長野県立科町へ。 長野に住み始めて3年目だが初めて訪れた。 まずは情報収集に町役場へ。 すると、入り口に豚熱まん延防止対策のため靴裏を消毒してくださいとの看板が。 豚熱とは「豚やいのししが感染する病気であり、強い伝染力と高い致死率が特徴」らしい。 私の地元(福岡県)では見たことがなく、 地域色がでてるなと早速実感。 初めてみた看板に戸惑いながら消毒をして町役場の中へ。 町役場の中には多くのパンフレットが。 自分の住んでいる上田市から とても近い所にこんな魅力的な町があったのか。 と驚きわくわくしながらパンフレットを手に取り散策へ。2022-06-21
10デジタルマップ 「全件表示」ボタンの提案デジタルマップ 「全件表示」ボタンの提案全件表示ボタンの案。 「記事を見る」の下(または右)に投稿された記事数を表示する。 例えば、信州上田デジタルマップでには3800件程の記事が投稿されている。投稿数が表示されれば「あ、これは全ての記事を見るボタンなんだな」とユーザーは直感的に理解することができると考えた。2022-06-20
11海楽フェスタについて海楽フェスタについて6月19日に大洗町で「海楽フェスタ」というイベントが行われました。 このイベントは毎年行われてきたものでしたが、近年は時勢もあり中止が続いてきた中での今回の開催でした。 駐車場には他県ナンバーの車も多く訪れており、各店舗も積極的な情報発信を行っていました。 今後、来場者数や客層、以前の開催時との差異を比較検討していこうと考えています。2022-06-20
12伊香保神社伊香保神社北海道旅行の投稿が滞っていることが気になるが今回もリアルタイムな投稿。 6月18日 伊香保神社へ。 温泉は火山活動から、山は昔、信仰の対象として崇められていたということもあり温泉地には大抵寺社仏閣がある。 温泉も寺社仏閣も大好きな私からすると たまらない。 伊香保神社は神社へ行く前に365段の石段がある。 偶然なのか必然なのか1年のと同じ。 「6月だから今この辺かな」とか思いながら登った。2022-06-20
13YouTubeに関する研究 6/20報告 「鉄道・旅行動画視聴者が望む動画」YouTubeに関する研究 6/20報告 「鉄道・旅行動画視聴者が望む動画」先週は1本の動画を投稿しました。 私のような知名度の低いチャンネルが週1本だと成長や変化が分かりにくいため、今後は週に複数本の投稿を確立させたいと考えています。 ここからはこの記事の本題としてタイトルにもある「鉄道・旅行動画視聴者が望む動画」について記します。 視聴者層は大きく2分化されます。「ナレーションを許容する層」と「ナレーションを受け付けない層」です。 まず「ナレーションを許容する層」。日本の鉄道・旅行系動画はスーツ氏や西園寺氏、がみ氏、謎のちゃんねる氏等の肉声ナレーションを用いる動画が伸びた(高視聴回数、高収益等)ためにそのような動画を求める視聴者が増加しました。 現在私が調査している海外向け鉄道・旅行動画とは異なる動画のスタイルであり、日本ならで2022-06-20
14霊泉寺・不明門(あかずのもん)霊泉寺・不明門(あかずのもん)968年の開山と伝えられる霊泉寺の「不明門」(あかずのもん)は、現地の説明板には「正和四年繁長の布金により建立された」と記されています。正和4年は1315年、繁長は隠岐守平朝臣繁長です。1878年(明治10年)の火災では不明門だけが火災から免れ、現在に残っています。現在の門はその上に風雨から守るための覆いの屋根が設けられています。2022-06-20
15霊泉寺の大ケヤキ霊泉寺の大ケヤキ樹齢数百年とされる霊泉寺大欅は、霊泉寺温泉の入口を守るシンボルとなってきましたが、2008年、その寿命を終えて倒木し現在は幹だけが残っています。倒木し幹の下部だけが残っているとは言え、根をはったまま生命を維持しています。年老いたひだがつくる表情の深さが何よりも雄弁にそのことを語りかけてきます。 ★上田市の文化財/霊泉寺大欅 このページに倒木前の大ケヤキの360度パノラマビューが掲載されています。2022-06-19
16塩田平の麦秋塩田平の麦秋6/19の夕方、塩田平の麦畑の風景が印象的でした。この時刻より1時間ほど前に大雨が降ったらしく、遠くに見える山々も空気遠近法で描いたかのような柔和な見え方をしています。収穫の麦秋ですネ。2022-06-19
17伊香保温泉伊香保温泉6月18日 群馬県伊香保温泉へ! 近くに草津温泉があるためかあまり知られていない温泉地。 しかし、非常に人が多くびっくりした。 もちろん、日帰り温泉に入浴。 今回えらんだ、伊香保温泉「黄金の湯館」はその名の通り少し黄色がかった温泉だった。 1700年程前から、親しまれている伊香保温泉。 昔の人はタオルをお湯につけていたためタオルがだんだん黄色に変色していたそう。 その黄色の変色具合がその当時の温泉でのステータスだったそう。 私は長くサウナに入っている人をみて「すげー」となる。タオルの話を聞いて昔の人に親近感が湧いた。2022-06-19
18初夏の上田初夏の上田6/18の昼、上田市築地の辺りのふと目にした風景。信号待ちでふとゲットした自然の風景です。千曲川に合流する浦野川の河口域です。目の前に展開している山の右端に千曲公園、岩鼻があります。山々の緑も次第に色濃くなり、田植えされた稲も少し伸びてきました。まだ暑くなりきらない、初夏の爽やかさを感じました。2022-06-19
19山中温泉山中温泉6月17日 石川県加賀、山中温泉へ。 温泉自体は知っていたものの、県庁所在地金沢から少し距離があるため今まで行った事がなかった。 車で訪れた今回こそ! と行ってみた。 山中温泉は松尾芭蕉も滞在したと有名な地域。 「山中や菊は手折らじ湯の匂い」 という句を詠んだ山中温泉「菊の湯」へ入浴。 真ん中に大きな湯船、周りに洗い場という昔ながらの温泉。昭和から建物も変わっていない。 町の人の生活の一部として昔から使用されているんだなーという感じがした。 入浴中、”昔の人も同じ湯船でこ天井を見ていたのかな”等と思うとうれしい気持ちになる。2022-06-18
20ガソリンの価格差:所沢と上田ガソリンの価格差:所沢と上田2022/05/29、埼玉県所沢市に行った際にガソリンスタンドで給油。「安~い!」 上田に戻ってガソリン価格をチェック。なんでここまで価格差が大きいの? と思います。       所沢  上田  価格差 レギュラー 152 174  22 ハイオク  163 185  222022-06-17
21富山富山6月15日(水) 弾丸富山旅行へレッツゴー! (実はこの記事は石川県金沢市で書いているのだが 笑) 富山=チューリップと薬売しかイメージがなかった私は何があるんだろーと思いながら運転をした。 すると駅前に「Amazing Toyama」と書かれたモニュメントが。 探してみると富山駅前だけではなく富山城にも! やっぱり、実際来てみないとその県、その土地の良さは分からないなぁと実感。 富山は道も町もとても綺麗。ご飯もおいしいし、住みやすい素敵な町だなとおもった。 さらに、なんと「あじさい」を発見! 今年初のあじさいを富山で見るとは! また、1つ素敵な思い出が増えた。 あじさいの葉言葉は「移り気」「浮気」「無情」 何でこんなネガティヴな花言葉になったんだろう。 梅雨の時期だから気分が憂鬱になる人2022-06-16
22草津温泉草津温泉6月14日 お友達と草津温泉へ。 お互い温泉好きということもあり、 西の河原露天風呂へ。 ここは、洗い場がないという珍しい温泉。 とてもおおきな露天風呂が1つだけあるという個性的な所となっている。 数多くの温泉に入ってきたが、露天風呂の大きさはダントツで大きい。 お気に入りの温泉。2022-06-15
23松本城松本城6月14日 松本城にお友達と訪れた。 松本城の周りを歩いて写真を撮ろうとしたら、 「そこからじゃなくて、こっちからだとより立体的に撮ることができるよ!」 と松本城のガイドさんが話しかけてくださった。 そして、写真まで撮ってくださった。 ポイントは城の3面を写すこと、そして手前にある木を写すこと、と説明してくれた。 確かに見てみると とてもいい写真。友達との良い思い出になった。2022-06-15
24夜の善光寺夜の善光寺6月14日(火) 高校時代のお友達がアメリカから長野に遊びに来た。 長野といったら善光寺。 ということで善光寺へ。 友達の到着が遅かったこともあり善光寺に着いたのは夜。 私は長野に来て5回目の善光寺だが夜の善光寺(写真)は初。 夜の善光寺は昼とは違った趣、雰囲気があった。 夜は光が少なく、視界がシロクロ。 ということもあり、より昔ながらのお寺だなー と感じさせられた。 昼と夜とでは見え方も異なるが、 感じ方も大きく異なる。 同じ場所なのに時間が違うだけで異なる楽しみ方ができる ということに気がつかされた。2022-06-15
25蚕糸の光について蚕糸の光について2021/10/30 会場:上田マルチメディア情報センター(長野県上田市) 話し手:糸のまち・こもろプロジェクト理事長 清水寛美 紹介資料:蚕糸の光(1956年6月号) 2022-06-13
26北海道③ 小樽 北海道③ 小樽 今回の北海道旅行で私が1番印象に残った町・小樽。 出身地・福岡県とは気候、風土、慣習も全然違うため 非常に興味深い町だった。 小樽の町で感じたことを思い出しながら。 縦の信号機が多かったり、 駅が町で高いところにあり、 港に向かって下がっていたり、 その町の気候に応じた町の景色を見ることができた。 学校の授業で歴史を学ぶ際 ~時代、~時代 といったように、区切って学ぶことが多い と思うが、 小樽で見た町の仕組みを見ると 歴史は断片的ではなく連続的であることが よく理解でき、 しっくりくるな、と感じた。 また、機会があれば別の機会にも 訪れたい。2022-06-13
27海野町レトロ写真館のお手伝い海野町レトロ写真館のお手伝い5月9日から13日まで海野町商店街にて開催されていた「海野町レトロ写真館」のお手伝いをしました。海野町の昔の写真と現在の写真をスライドショーにして比較するのは面白いなと感じました。今後も地域のイベントに積極的に参加していきたいです。2022-06-13
28字幕動画の利点とは字幕動画の利点とは先週の土曜日に動画を1本投稿しました。 海外視聴者向けや昨年度とは別の視聴者層向けの動画に内容を合わせるため、今後の動画は字幕を利用しナレーションの収録は行わないことにしました。 上記によって、編集が楽になった(ナレーションの力不足が生じない、編集の時短化や場所の制限が無くなる)点が最も大きな利点だと感じました。 一方で、再生数などの大きな変化があったかというと、特に何もありません。 その他の影響も最終的にまとめる予定です。 また、 海外視聴者向けチャンネル ・Travel Alone Idea 125万人 ・そろそろ旅行/Solo Solo Travel 46万人 ・Itsuka Japan 9.4万人 国内の最大手チャンネル ・スーツ交通 92.3万人 ・スーツ旅行 57.4万人 ・西園寺 25.8万人 などの傾向を比較、分析しています。2022-06-13
29【2022/7/2~7/3開催】民間で始まる蚕糸業ものがたり【2022/7/2~7/3開催】民間で始まる蚕糸業ものがたり 小諸市で2日間にわたり、小諸の蚕糸業について学ぶ「民間で始まる蚕糸業ものがたり」を開催します。 【民間で始まる蚕糸業ものがたり】 主催:特定非営利活動法人 糸のまち・こもろプロジェクト 【講演】 日時:2022年7月2日(土曜日) 10時~16時  会場:ステラホール(小諸市交流館内) 参加料:500円 講演1:午前10時「シルクの里 純水館ものがたり」~制作秘話~ CTK報道制作部長 後藤 理恵氏 講演2:午後13時30分「小諸の交通と蚕糸業」元長野県立歴史館総合情報課長 宮下 健司氏 【糸のまち・ツアー(着物参加大歓迎)】 日時:2022年7月3日(日曜日) 参加募集:20名(地元会員ガイドがご案内いたします) 集合時間:午後13時30分(ツアー所要時間2時間) 集合場所:荒町 酢久商店駐車場(純水館資料館)前より 荒町商人記録を巡る 渋沢栄一宿泊の家(小山久2022-06-10
30山家神社山家神社2022.06.09(木) 上田市眞田、山家神社へ。(写真) 山家神社は古くから上田城の守護神として、 歴代上田上藩主から一般民衆に至るまで 深い信仰があったとされている。 鳥居にはおおきな桜の木があり、 とても風情が感じられる。 境内に入ると森に入ったように 自然が周りに広がっており時間の流れをゆっくり感じることができた。(写真) 宮司さんの書いた「白山大権現」(写真)と私の御朱印帳の文字(写真)を見てみるととても字体がよく似ている。 御朱印は去年12月にいただいたもの。 きっと宮司さんが書いてくれたものではないかな、と思った。 現在、アリオ上田店「赤ちゃん本舗」と山家神社はコラボしており宮司直筆の腹帯守りと御朱印のプレゼントを行っている。 お堅いイメージのある神社が 少し2022-06-10
31地域学習モデル「蓼科学アーカイブ」(2019)地域学習モデル「蓼科学アーカイブ」(2019)【PDF左】研究発表予稿 【PDF右】研究発表説明資料 予稿は2017年、発表説明は2018年の蓼科学を対象とした点に違いがあります。 前川道博/スマホ・アーカイブサービスを適用した地域学習モデル「蓼科学アーカイブ」 デジタルアーカイブ学会第3回研究大会 2019年3月16日 ▼研究の概要 長野県蓼科高校の「蓼科学」は、生徒が地元立科町を学ぶ地域科目である。学習メディア環境にはスマホとアーカイブサービスを適用した。アクセス側の主体性において成立する自己開発/学習機能の実現にその主眼を置いている。「蓼科学アーカイブ」は、生徒たちの地域探検(取材)をアーカイブサイトに載せ合う形で地域理解を深める学習プログラムである。生徒がスマホを使って地域を記録し、皆で地域アーカイブを構築できる学習メディア環境「信州デジ2022-06-10
32こういう雰囲気が好きだなあこういう雰囲気が好きだなあ先日、別の授業の課題の題材探しに長野市権堂へ行ってきました。その時に「ポンッ」とあった看板です。 なにか大きなことが書いてあるわけではありませんが、しれっと「お買い物は権堂アーケードへ」の言葉が素敵だと思いました。 誰も目につかないような端っこに寄せられている看板に風情を感じました。2022-06-08
33前川ゼミ/海野町商店街思い出投影2022/05/09-13前川ゼミ/海野町商店街思い出投影2022/05/09-13海野町商店街思い出投影(スライドショー) チラシ 前川ゼミでは5月9日~5月13日、海野町会館で掲記のイベントを実施しました。商店街は数十年の間にはその都市環境も変わり、商店も入れ替わり、人々も世代交代していきます。さらに海野町にはマンションが建ち、現在新たなマンションがさらに2棟建設中です。昔からある商店街が、新たな住民がより多く住む「まち」に変わっていきます。 学生の足立光紅(あたち みく)さんは、海野町のすや呉服店さんにあった古い写真をデジタル化し、さらに海野町商店街振興組合さんのご協力もいただいて、海野町商店街の今昔、商店街の記憶の可視化に取り組み、次のデジタルアーカイブサイトをネット公開しました。 ★2022-06-06
34前川ゼミ/菅平小中・峰の原視察2022/05/06前川ゼミ/菅平小中・峰の原視察2022/05/06長野大学前川ゼミはICTによる地域学習支援をミッションの一つとする地域連携活動を進めています。その一つが学校でのICT活用支援、地域学習支援です。 この日はあいにくの雨模様ながら、菅平高原・峰の原高原を訪れました。本来であれば菅平高原の自然環境を満喫したかったところですが、雨も強い上に肌寒く冬のようなあいにくの気象条件。菅平湿原はそこそこの見学にとどめ、最初の目的地である峰の原高原のペンション「スタートライン」さんを訪問。オーナーの古川茂紀さんから菅平の社会環境や地域学習についてヒアリングをしながらフリーな意見交換を行いました。 続いて菅平小中学校を訪問し、小学校・中学校それぞれの総合学習とICT活用の状況をヒアリングしました。今後とも児童生徒の学習支援を継続的に意見交換していくこと2022-06-06
35企画展「ご近所さんの近代遺産 原町通り編」企画展「ご近所さんの近代遺産 原町通り編」池波正太郎 真田太平記館 同館で3/26~6/19の期間、企画展「ご近所さんの近代遺産~原町通りの商店編~」が開催されています。 →企画展 原町の古い写真を柱に、原町の商店とも関連する事物を展示する企画です。森田屋石森呉服店の道具、西澤書店の大正・昭和期の帳簿の束、河合薬局の衝立、「本草綱目」、各商店の色刷り広告などが展示されていました。太平記館の展示は展示会場が狭いということもあり、関連の企画展示を具体的にどのようにキュレートすればよいかのよきお手本でもあります。無理せず、原町商店街の「昔」を手際よく展示構成していました。2022-06-05
36益子輝之さんが語る上田の近代@真田太平記館益子輝之さんが語る上田の近代@真田太平記館6/3(金)午後、池波正太郎真田太平記館で益子輝之さんによる特別講座「近代の上田について」を聴いてきました。 この講座は現在、同館で開催中の展示企画「ご近所さんの近代遺産 原町通りの商店編」(3/26~6/19開催)にちなむ企画です。益子輝之さんにお会いするのも、お話を聴くのも久しぶりです。コロナ禍がそうした機会を妨げていたことは手痛かったですが、徐々に復調の方向には向かうことでしょう。 「近代の上田」というお題でしたが、前段でもある近世(江戸時代)のお話も長く、いつから近代に入るのかな?と思いながら、お話に聴き入ってしまいました。 明治2年に起きた青木騒動にまつわるお話は特に興味深く、神社の変遷、中納言などの位、明治天皇の御巡幸など、次から次へと矢継ぎ早に話は進み、メモしようがないぐらいに2022-06-05
37昔懐かしい庶民アイテムの新たな蘇生昔懐かしい庶民アイテムの新たな蘇生角川武蔵野ミュージアムの4階で「細野観光」と題する細野晴臣氏のデビュー50周年記念展が開かれていました。その会場の入口で関連のグッズ販売。ちょうちん、タオル、手ぬぐいなど昔懐かしい品々がことさらに商品化されて店頭に並んでいます。そう言えばタオルにのし紙を付け「感謝」と記していたかな? と思い、一つ一つがちょっと懐かしく微笑ましくなりました。ついついほだされて「細野晴臣」イラストのトートバッグを買いました。 2階のミュージアムショップにはさらに物凄い物量、種類の「昔懐かしい庶民アイテム」の数々が陳列してありました。眺めているだけで楽しく、また、遠いありし日々の記憶が甦ってきて不思議にうれしくなります。招き猫、駄菓子入れのガラス瓶、銘仙の筆入れ、がま口、ぞうり、etc.  新たな創作2022-06-05
38文楽『競伊勢物語』を観る文楽『競伊勢物語』を観る国立劇場 2022/05/20、国立劇場小劇場に文楽を観に行きました。前回国立劇場を訪れたのは、2019/02/10のこと。その後、コロナ禍となり、公演が中止となる期間も長く、コロナ禍も未だに収束してはいません。国立劇場も3年ぶりです。 演目は『競伊勢物語(はでくらべ いせものがたり)』です。1775年(安永4年)が初演。文楽の演目が歌舞伎になった例が数多くありますが、歌舞伎が文楽の演目になった非常にめずらしいケースの作品です。奈河環亀輔作。この作者も知りません。国立劇場で上演されるのは35年ぶりとのこと。非常にめずらしい作品で興味を持ちました。 1775年と言えば、モーツァルトがオペラを書いていた時代と重なります。翌日、新国立劇場で見たグルックのオペラ『オルフェオとエウリディーチ2022-05-22
39ハングルの地名表記が不統一の問題ハングルの地名表記が不統一の問題たまたま東京内を移動した際に目についたのが駅名のハングル表記。不統一がはっきり表れるのが「ツ」のハングル表記です。「ツ」という音は韓国語にはありません。「チュ(츠)」とするしかなく、代替音で表記するしかありません。 三越前(東京メトロ)미쓰코시마에(ミスコシマエ) 四谷(JR東日本)여츠야(ヨチュヤ) デジカメで撮っておいた記録。四谷はあいにく手前にピントが合い、背景の文字がピンボケしていました。 JR、東京メトロなどを筆頭に駅名表記が多国語表記(日本語、英語、中国語[簡体字]、ハングル)標準になったのは望ましい方向ながら、ハングル表記の不統一は常に気になっていました。 問題は2つほどあるかな。一つは日本人がハングル読みの音で聴いた時にどれがより「まともか」という基準の問題、もう一つは2022-05-22
40生島足島神社生島足島神社生島足島神社は行った事が無かった為にこの機会に行ってみる事にした。途中で大きな鳥居や信州なのに鎌倉道と書かれた看板に遭遇したりと不思議な物も見かけた。2022-05-17
41大学前駅周辺日中大学前駅周辺日中16:30分頃 2022-05-17
42大学前駅日中大学前駅日中16:30分頃 2022-05-17
43長野大学正門前夜間長野大学正門前夜間23:30分頃 遠くの家屋の光が見えるが真っ暗2022-05-17
44松本市の付近松本市の付近2022-05-17
45太陽光パネル設置率太陽光パネル設置率予てから思っていたが、地元の静岡より太陽光パネルを多く見る気がしてならなかった。 いざ家の屋根などに目を向けてみると、改めて見ても確かに多い。気になって「太陽光発電 普及率 都道府県別」で検索してみたところ、長野県は山梨県に次いで2位とわかった(但しデータは2014年とちょっと古いもの)。 しかしながら地元の静岡県も第4位に食い込んでおり、意外だった。 帰ったらもっとよく観察してみよう。2022-05-17
46塩田城跡を目指して塩田城跡を目指して実家を思い出すような激坂をのぼりながら随所に見られる案内を見る。 塩田城跡はどのようなものなのだろうか?2022-05-12
47龍光禅院??龍光禅院??龍光院なのか龍光禅院なのか、もっとよく見てみたかったが風穴までの道とは交わらない為、断念。 そもそも宗教上の理由から足を踏み入れられないのだが… 食事が提供されているとの事だったので興味を持ったら是非訪れては如何だろうか。2022-05-12
48塩田城跡??塩田城跡??塩田城跡との石碑があるが看板を見るに更に上に道が続くようだ。少し探索を行ったが土砂崩れとの看板や害獣用のトラップが見受けられたので深入りするのはやめておく。2022-05-12
49中津川市神坂 強清水中津川市神坂 強清水岐阜県の名水 強清水です。 風穴のついでに見ることができるので見てみることをお勧めします。2022-05-12
50中津川市 神坂の風穴中津川市 神坂の風穴地元の神坂にある風穴です。 独鈷山風穴に比べて整備されていますが規模が比較になりません。 近くには強清水もあり観光にはいいですね。2022-05-12
51健速神社手前の川と橋健速神社手前の川と橋旧北国街道から路地に入った大和屋小路という通りに流れる川とそれに架かる橋。車がすれ違えないくらいの幅の小さな橋で、道路の部分はコンクリートで舗装されているので古さを感じさせないが、少し離れて橋の土台を見るときれいなアーチで、古いものだと一目でわかる。もう一つの橋はアーチ型の土台ではないがその外観から古さを感じる。小川に架かる橋のバリエーションにすこし興味を惹かれました。2022-05-12
52上田市への感想上田市への感想初めて上田に来たとき山がとても近く360度を囲まれていると感じた。もともと海に近い地域で育った私にはとても見慣れない光景だったことを覚えている2022-05-10
53松本てまり松本てまり松本てまりは伝統的な民芸品であり、市内のマンホールのふたにもその絵柄が使われている。 実家に戻った際に、玄関をみてみると少し埃をかぶった松本てまりを発見した。鮮やかな色合いと手作りの温かみが感じられるつくりになっている。2022-05-10
54本とお茶を楽しめるブックカフェNABO本とお茶を楽しめるブックカフェNABO本と茶「NABO」by VALUEBOOKSに行ってきました。 NABOは落ち着いた雰囲気のレトロなブックカフェで、お茶を飲みながら本を楽しむことができます。店内とテラスに席があり、お茶を注文すると店員さんが席まで運んでくれます。 本が好きな人、お洒落なカフェが好きな人におすすめです。2022-05-10
55姨捨駅と姨捨の棚田姨捨駅と姨捨の棚田標高551mにあるJR東日本の駅『姨捨駅』 日本三大車窓の1つとして知られている。 全国でも珍しい「スイッチバック方式」を採用しており、本当に行ってよかった「鉄道ファンがガチ投票!駅総選挙2022」では、第5位を獲得し話題となった。 ホームからは棚田と善光寺平を見渡すことができ、姨捨夜景ツアーも開催されている。 姨捨の棚田では、「名月の里 おばすて 千曲市棚田貸します制度」で棚田のオーナーになり稲作体験もできる。 2020年6月19日に文化庁から「姨捨の棚田」が日本遺産に認定されたことをきっかけに、2021年12月22日にオープンした千曲市日本遺産センターにも注目。千曲市内の文化財とストーリーなどの資料の展示、歴史の紹介、イタリアン料理も楽しめる。2022-05-10
56駅の壁に描かれている絵駅の壁に描かれている絵これは、駅の壁に描かれている絵です。 この絵がいつ描かれたのか分かりませんが、いろいろ調べてみて、1993年以降だと考えました。 この絵と同じ風景を写真で撮って、見比べてみたいとずっと思っていました。 今回見比べてみると、時代の流れを感じました。2022-05-10
57独鈷山風穴へと到る独鈷山風穴へと到る長野大学より歩くこと1時間と15分、龍光院へと足を進めた。 そこよりさらに山に踏み入って、案内に従って風穴へと進む。 しかし、何かおかしい、途中にはいのしか対策のフェンス、転がる石ころ、更には害獣用のトラップが仕掛けられている。 道を間違えたかと、不安になりつつも進むと、私は独鈷山風穴へと到った。2022-05-10
58上田藩士・山口毅(平太郎)上田藩士・山口毅(平太郎)山口毅(つよし、通称:平太郎、号:玄山)1818年(文政元)-1873年(明治6) 山口家は初代権兵衛が1673年(延宝元)に召し出されてより代々上田藩士で、毅は6代目。松平忠礼が藩主を継いだ後、塩崎の旗本松平家へ養子となった弟の忠厚について塩崎知行所代官として仕える。明治維新後は権大参事職。明治2年に忠礼の御婚姻御用掛、明治4年には翌年にアメリカ留学を控えた忠礼と忠厚の御修行御供を命じられたが、病気のため次男の山口慎(別のファイル)に後を託し退職する。明治6年、東京の旧藩邸で死去、56才。2022-05-10
59旧イトーヨーカドー旧イトーヨーカドー(1~2枚目は2021年5月に、3~4枚目は2022年4月に撮影したもの) かつてイトーヨーカドー長野店だった建物。 BF~5階まである大型の商業施設であり、食品売り場は勿論、衣服や玩具等の販売エリアや、ゲームセンターや映画館も存在していた。 私も小中高生の時に友人と訪れる機会が度々あり、5階に存在していたゲームセンターとレストランに足を運んだ記憶がある。 しかし、地元の人に惜しまれながらも、2020年6月に閉店が決定した。開業したのが1978年、実に42年間の営業であった。 2022年春に「綿半スーパーセンター権堂店」がオープン予定との事だが、現在はまだ改装の途中である。2022-05-09
60江戸の上田藩中屋敷跡を対岸から望む江戸の上田藩中屋敷跡を対岸から望む▲上:上田藩中屋敷跡を対岸から望む ▼下:『江戸切絵図・浅草御蔵前辺図』の部分(屋敷は松平伊賀守と記されている)    (下記国立国会図書館の図版を使用) 隅田川のこの地点(▲上)は、東京都墨田区横網町になります。ちょうど背後に両国国技館がある辺りの位置です。対岸は浅草橋付近、かつては浅草瓦町と呼ばれた辺りで、上田藩中屋敷の跡地になります。向かって右手方向は幕府の御蔵(米蔵)が建ち並んでいた場所になります。言い換えれば、舟運が物流の主流であった時代、ここがまさにその物流の江戸の中心地でした。 上田藩の江戸屋敷は年代によって変遷します。上屋敷は長らく神田の昌平橋付近にありました。上田藩主松平忠固が老中になったのに伴い、上屋敷は大名小路(現在の皇居外苑)に移ります。その後、幕末はこの2022-05-09
61『埋もれた歴史』自費出版の労作『埋もれた歴史』自費出版の労作今から3年ぐらい前になるのかな? ふだんは翻訳のお仕事をされている東郷えりかさんが歴史の探求で上田市に来られてその時にお話をお聞きし、上田市教育委員会にご案内しました。その探究成果を『埋もれた歴史』という書籍にまとめられました。それが2年前の2020年です。 書籍の表紙の写真にご注目ください。馬に乗る人物が最後の上田藩主松平忠礼です。その傍に佇む方が東郷さんの高祖父の方になります。この方は「門倉伝次郎[LINK]」です。『上田市史・下巻[LINK]』(1940年、1238~1239頁)に記されています。 幕末、上田藩上屋敷は隅田川に面した浅草瓦町、幕府の御蔵のすぐ隣にありました(「2022-05-08
62フォギーな浅間サンラインフォギーな浅間サンライン5/1、軽井沢大賀ホールから上田への帰り道、浅間サンラインに入ると霧が立ち込めてきました。軽井沢町から御代田町、小諸市にかけて。沿道にあるピンクの芝桜も霧に覆われています。周囲の風景は霧にさえぎられて見えません。沿道の樹木がまるで日本画のように朦朧化して印象的な風景でした。小諸を過ぎると次第に霧は解消しました。2022-05-07
63軽井沢、5月に桜軽井沢、5月に桜ゴールデンウィークにまだ桜が咲いている地域があります。軽井沢町もその一つ。軽井沢は標高1000メートル。上田は標高400メートルです。上田、小諸、軽井沢と標高が高くなるにつれ、例年、桜の満開の時期が1週間ずつずれていくことは経験的に知りました。5/1、軽井沢大賀ホールの桜は葉桜にはなっていますが、まだ咲いています。一段と寒い標高にあることを改めて実感します。2022-05-07
64軽井沢の景観条例による色規制軽井沢の景観条例による色規制数年前から軽井沢町にあるお店などの看板が色規制され、単色の地味な色合いに替わって久しくなります。ローソンは濃い青色、コスモ石油やセブンイレブンは濃い茶色、マクドナルドは黒に近い灰色。景観条例以前に設置された看板はそのまま残っているので、セブンイレブンでも変更のないままの看板は少し残っています。 日本の社会環境における色公害は確かに私も気になるところです。軽井沢町のように条例を施行してその抑制をするのは一つの見識です。よいのではないかなと思いますね。2022-05-07
65軽井沢大賀ホールでデュオリサイタル軽井沢大賀ホールでデュオリサイタル5/1、ゴールデンウィーク中の日曜日の午後、軽井沢大賀ホールに神尾真由子・萩原麻未デュオ・リサイタルを聴きに行きました。神尾さんのリサイタルを聴くのは数年ぶり。前回も大賀ホールでです。 前半は次の2曲、シンディング/組曲『古い様式で』、グリーグ/『ヴァイオリンソナタ第3番』。それぞれ1889年、1887年の作曲。ともに初めて聴く作品。シンディングの曲を聴くのは初めてです。ほぼ同じ年代の作品というのも面白い。北欧らしいくすんだ感じの曲想の曲でなかなかによい。神尾さんの卓越した演奏で堪能しました。 後半の名曲集は何とも、です。『ヴォカリーズ』や『愛の挨拶』など。集客の意図からポピュラーな曲を集めたのでしょうが、もっと演奏者のよさが活かされる曲を聴きたかったという感想です。 長い間コロナ禍が2022-05-07
66写真 松平忠礼・忠厚兄弟と山口慎写真 松平忠礼・忠厚兄弟と山口慎アメリカ留学中 明治6年ニューヨークにて2022-05-07
67山口慎『白露日記』改訂・現代語訳(明治中期のペルー日記)山口慎『白露日記』改訂・現代語訳(明治中期のペルー日記)私の曾祖父・山口慎の『白露日記』(明治22-23年)の現代語訳を今回少し改訂しました。上田藩出身の武士道精神は潔く、故郷の多くの方に知っていただければと思います。 山口慎(1846-1913)は上田藩士・山口毅の次男で、明治5年に松平忠礼・忠厚兄弟公のアメリカ留学に随行し、帰国後、東京銀座で日本初の西洋酒問屋「清水谷商会」を営みました。明治22年、高橋是清のペルー銀山開拓事業に同行し、その顛末を『白露日記』として残します。明治45年、旧藩主・松平家の財政再建を頼まれ、東京の松平邸に移り住んで私財を投げうつも病いに倒れました。 五味篤氏の『銀嶺のアンデス』、板谷敏彦氏の『小説高橋是清』でも取り上げられた日記です。2023-05-20
68山口慎『白露日記』原本山口慎『白露日記』原本激動の明治時代を生きた上田出身の私の曾祖父・山口慎について上田の方々に知っていただけたらと思い投稿します。別ファイルに現代語訳があります。 山口慎(1846-1913)は上田藩士・山口毅の次男で明治5年松平忠礼・忠厚兄弟公のアメリカ留学に随行し、帰国後は東京銀座で日本初の西洋酒問屋「清水谷商会」を営む。明治22年、高橋是清のペルー銀山開拓事業に同行し、その顛末を『白露日記』に残す。明治45年には松平家から財政再建を頼まれて、東京の松平邸に移り住み私財を投げ打つが病いに倒れた。2022-05-07
69【5月9日(月)~13日(金)】海野町レトロ写真館【5月9日(月)~13日(金)】海野町レトロ写真館昔の写真をスライドショーで上映する「海野町レトロ写真館」を開催します。 【日時】 5月9日(月)~5月13日(金)14:00~17:00 ※お好きな時間に出入りできます。 【場所】 海野町会館1階 今回は、すや呉服店・海野町会館の方にご協力いただきました。 スライドショーで使用した写真は信州上田デジタルマップの「海野町レトロ写真館」に投稿してあるので、下記のリンクよりご覧ください。 また、昔の写真を自宅に所蔵している方がいらっしゃいましたら、信州上田デジタルマップへ投稿してみませんか? 興味のある方はチラシの連絡先にご連絡ください。 お待ちしております! 海野町レトロ写真館2022-05-06
70飯山のマンホール、一本杖スキー飯山のマンホール、一本杖スキーいつ頃からかマンホールカードが大ブレークし、全国でコレクターが急増しました。私もその恩恵を受けて飯山駅の観光案内所でマンホールカードをゲットしました。さらにこのキーホルダーを購入しました。 飯山のマンホール蓋「一本杖スキー」はこれまでにも見ましたが、このようなカラーバージョンに出会ったことはありません。絵柄もかわいらしく、色合いもいい。マンホールよりもむしろキーホルダー向きです。 カードの裏側には一本杖スキーの歴史についての解説があります。最初にこの地に伝わったスキーが一本杖スキーで大正初期まで盛んであったとのこと。子供が被っているのが「みのぼうし」で、これは昭和30年代まで利用されていたとのこと。なるほど、です。2022-05-05
71飯山・雪に覆われている春のブナ原生林飯山・雪に覆われている春のブナ原生林飯山市の戸狩を過ぎ、関田峠方面に向かってブナ林の山道を登りました。関田峠の手前で通行止め。そもそも除雪されておらず、その先には進めません。 春なのに残雪に覆われたブナ原生林の神々しく美しいこと。下界とは異次元の別世界です。 私も長野県内を各地見聞した中で最も印象的だった場所の一つが飯山のブナ林です。木々が芽吹く6月初旬ぐらいが一番美しい。さらに紅葉する秋もまた美しい。一般に観光地としてPRされていないこともあり、訪れる人はあまりいませんが、この美しさ、神々しさは他と比較しようがありません。2022-05-05
72飯山・戸狩から温井へ飯山・戸狩から温井へ関田峠の方面に向かう途中、飯山市の戸狩から温井を通過しました。戸狩の山の傾斜面にはスキー場のコースがはっきりと見えます。その手前の傾斜面に広がる棚田の美しさ、わら焼きと思われる煙がたなびく風景に日本の原風景を見る思いがしました。花桃も美しい。一段と寒い地区のせいで今頃になってやっと花桃が満開になっています。2022-05-05
73『朧月夜』と飯山『朧月夜』と飯山飯山の菜の花公園に『朧月夜』の石碑があります。 髙野辰之作詞、岡野貞一作曲。Wikipediaによると『朧月夜』が音楽の教科書に載ったのは、1914年(大正3年)『尋常小学校第六学年』の検定教科書とのこと。高野辰之がこの辺りの菜の花畑の情景をモチーフにしたのではないかと推察されています。 髙野・岡野コンビによる唱歌はいくつもあります。『春が来た』『春の小川』『紅葉』『故郷』。地域や世代を超えて永遠に受け継がれる音楽遺産を私たちに残してくれました。2022-05-05
74ラッキードロップ信州づくしラッキードロップ信州づくしインバウンド観光客に人気のお土産品?がラッキードロップのフィギュアです。JR飯山駅に販売機がありました。信州がフィギュア化されていて面白い。 スキージャンプ、上高地の河童橋、スキーをするアルクマ、ビーナスの土偶、信州そば、安曇野の水車小屋、E7系北陸新幹線。信州そばに八幡屋磯五郎の七味唐辛子の缶が添えられているのもほほえましい風景です。2022-05-05
75JR飯山駅の五島慶太翁碑JR飯山駅の五島慶太翁碑JR飯山駅の構内に石碑があるのに気づきました。「五島慶太翁碑」と刻まれています。 五島慶太(1882~1959)は東急グループの創始者です。「碑の由来」には、五島は飯山線の前身である飯山鉄道の敷設に援助の力を尽くしたと記されています。逝去翌年の1960年に飯山駅開業70周年を記念し、五島の功績を顕彰して建てられました。2022-05-05
76SL C56-144SL C56-144佐久鉄道が国有化され、昭和13年に小海線の輸送の主役として活躍した。引退してあと、昭和48年に小諸市に貸与されました。C56は日本には20台しか残っておらずとても貴重な文化財であると言える。機関車の重厚な車体は迫力があります。2022-05-05
77信州上田学2021/学びの成果発表会信州上田学2021/学びの成果発表会 (2時間1分)2022-04-22
78hybrid授業を希望する学生ニーズhybrid授業を希望する学生ニーズ「今どき教室で学ぶの?」という社会意識の変化が端的に示された調査結果です。学生はhybrid形態の授業を希望しています。 今週から授業をhybridにしました。私の授業は今後ともhybridを旨として進めていきます。 昨日の担当講義で学生に授業形態の希望を問うたところhybrid希望が61%。圧倒的に支持されていることが改めて裏付けられました。オンラインオンリー(Meet or オンデマンド)の合計は35%。この合計パーセンテージも厚い。教室で対面オンリーはほとんど誰も希望していません。教室は要らないということではなく「教室で学べる保証がありオンラインでも学べる選択の自由を望む」というのがhybrid支持の理由と思います。 来週の別の授業でも学生たちに問うてみます。「誰もが快適で活力に満ちた質の高い生活を送ることのできる人間中心の社2022-04-22
79上田小県の感染症に関する情報源泉ピックアップ上田小県の感染症に関する情報源泉ピックアップ『上田小県における感染症の歴史』 発刊記念研究発表会(2022/03/26)およびブックレット内容に関連する一次資料の一部を以下にピックアップします。 ★私共の村(『塩尻時報』第14号1920/03/11)トラホーム予防に就て(『塩尻時報』第14号1920/03/11)第二章 近代上田のはじまり/第四節 新しい生活環境へ  一 病気と対策  二 予防・衛生の普及  三 病院と医師・保健所 (『上田市誌 第14巻 近現代編(1)「新しい社会を求めて」』66~72頁)2002年10月) ★加美畑神社の疱瘡社(『神畑村誌』163,260頁)川辺村の赤痢1914年(『神畑村誌』1632022-04-03
80『上田小県における感染症の歴史』発刊記念研究発表会2022/03/26『上田小県における感染症の歴史』発刊記念研究発表会2022/03/26上田小県近現代史を考える集い 『上田小県における感染症の歴史』発刊記念研究発表会 2022/03/26(土)14:00~16:10 上田市立上田図書館大会議室 主催:上田小県近現代史研究会 協力:d-commonsプロジェクト(長野大学前川研究室プロジェクト) 後援:デジタルアーカイブ学会 地域アーカイブ部会 ▼全編動画記録 (116分) <発表会プログラム> ☆開会の挨拶 小平千文会長 ☆基調報告「社会科学の課題としての感染症」  桂木惠 ☆報告1「上田小県における『スペイン風邪』の実態と対応」 冨田隆順 ☆報告2「ジェンダーの視点から見た感染症」 清水たか子 ☆閉会の挨拶 村山隆 <発表ごとの記録(別ページにリンク)>開会の挨拶  小2022-04-02
81分散型地域デジタルコモンズ d-commons.netの開発分散型地域デジタルコモンズ d-commons.netの開発
▲デジタルアーカ犬
前川道博 d-commonsプロジェクト/長野大学
【1】はじめに 分散型地域デジタルコモンズは、地域デジタル知識循環型プラットフォームのコアとなる知識・データの共有地である[1][2]。その中核のクラウドサービスとなるd-commons.netを開発した。現在も地域資料のデジタルアーカイブ化、地域学習支援など多目的的で柔軟な運用、長期にわたる運用ができる課題解決の支援にd-commons.netを適用し、サービスの機能強化を図ってより実用性の高い、使いやすいサービスを目指している。 デジタルコモンズはさまざまな知識や学びの成果をどの地域からでも、誰でもが載せ合えるクラウドサービス上の「ネット上の本棚」(デジタルアーカイブ)、クラウドサービスと
2022-03-13
82第28号『上田小県における感染症の歴史』第28号『上田小県における感染症の歴史』上田小県近現代史研究会ブックレット第28号『上田小県における感染症の歴史』 【編著・発行】上田小県近現代史研究会 【発行】2021年12月10日 【定価】600円(税別)上田市内の書店でお買い求めください。  パンデミック(世界的大流行)はこれまでも幾度となく立ち現れ、先人たちもその度に脅かされてきました。多くの命が奪われ、社会活動に支障をきたしました。しかし、その都度全力で立ち向かい、できる限りの対策を講じて乗りこえようとしてきました。なす術もないと思われた時でさえ絶望せず、しばしば神仏に疫病退散を祈り続けました。(略)  もう一度各章にわたり取り上げたテーマについて、明らかにできた教訓や課題、厳しい条件の中でも命や暮らし、さらには文化を守るための人々の努力があったことを確認してみましょう。(2022-03-13
83当研究会発行のブックレット バックナンバー当研究会発行のブックレット バックナンバー号によっては品切れがあります。上田市内の書店でお買い求めください。または上田小県近現代史研究会事務局へお申込みください(下記に住所記載)。 号数 ブックレットタイトル 著者 発行年月 1 『深町広子と上田自由大学』上原民恵[著] 1995.03,2000[改訂]【品切れ】 2 『上田小県地方に空襲があった』新津新生[著] 1996.07,2005[改訂]【品切れ】 2 『上田小県地方に空襲があった 増補改訂版』新津新生[著] 2005.07【品切れ】 3 『信州の鎌倉 別所温泉―歴史と文化―』上田小県近現代史研究会[編] 1997.10,1998[改訂]【品切れ】 4 『2022-03-06
84ル・ヴァンル・ヴァン柳町にある、言わずと知れた天然酵母のパン屋さん 古民家を利用して雰囲気があり、来たら必ず行ってしまいます。 2階の畳とちゃぶ台の空間も、1階の庭が見えるレストランもどちらも好きです。店頭で、食べきれないほどパンを選んで。持ち帰ったりもします。 こちらは、2月にお邪魔した際のプレート。ごぼうのスープと赤米のキッシュ、パン2種とお惣菜・サラダです。 身体によさそうな滋味を感じる一皿でした。2022-03-03
85ハリツケザイクハリツケザイクこちらは9番目のハリツケザイク 大正4年10月5日印刷、8日発行で11月にも再版されています。 こちらも角源泉氏の寄贈、写真がありますので、もしかしたら保管されているもの全部なのかもしれません。こちらも発行後1か月以内に寄贈されています。2022-02-28
86外地との行き来外地との行き来志津衛の三男、祖父の俊三は大柄で、運動神経抜群。 京城中学校が甲子園に出場した時、ホームランも打っています。 外地の学校も、船で日本に遠征していた時の写真です。 甲子園での第12〜14回に出場し、成績も残っています。 12回大会は大正15年(1926年)なので、志津衛殉職の後7年後のこと。写真には手書きで、1927年とありますので、13回大会の時のものと思われます。 大正天皇は12月25日崩御なので、この年はすでに昭和2年の和暦となっています。 日本と京城間は、頻繁だったことに驚きます。2022-02-24
87発行元とシリーズ発行元とシリーズ先のサイクモノの裏表紙にある発行元、シリーズ等が記載されています。 東京教育大学の推薦図書といった宣伝文句があります。 12冊ほど発行の計画があったようです。最終の粘土、針金、木から、ヲリガミ細工に変更になったようですが、12冊と図解キリガミ12か月の13冊発行されたようです。 大正4年の2月から11月頃にかけて、順次発行されていて、印刷した三日後ぐらいには発行となっています。 片面印刷したものを2折にして糸で2か所綴じてあります。発行部数がいくらかわかりませんが、なかなかの短納期です。中には再版、3版もあったようです。 一冊拾八銭で、送料2銭、6冊セットや12冊セットなどで販売もしていたようです。 印刷所は神田三崎町にあった博信堂という印刷所、印刷した人の名前も書かれています。壬辰舎が2022-02-23
88書物とインターネット書物とインターネット何度か御参りしている時に、戒名にある”江南”ってなに?京城と関係があるのかな?と思い、なぜか鈴木江南と検索してみると、一つのブログ記事にたどり着きました。 これが大きなきっかけになりました。作家で古書収集がご趣味だった黒岩比佐子さんの古書の森という収集した古書について説明とコメントを書かれたものの一つがヒットしたのです。子ども向けの教材のようなものでした。小学校の先生をしていたことはわかっていましたが、そんなものを作っていたということは聞いていないし、教材は東京の京橋区あたりで出版されています。今の距離感から考えても、一致するとはいいがたい。ただ 教材の中には当時の戦争の色や仁川など韓国にある地名などの記述もあり、それっぽい。確信が持てないまま時間が過ぎました。黒岩さんにも直2022-02-21
89上田とのつながり上田とのつながりお墓は、上田駅から歩いて20分ばかりにある呈蓮寺さんにあります。曾祖父の代から上田を離れているので、全く縁はありませんでした。ただ本籍地が長野県にあるということぐらい。母が父と結婚する時に、京都から身上調査的なつもりで、祖母と上田に来たことがあったそうです。もう60年ほど前のこと、関西から長野って今でも距離感ありますが、そんな時代によくもまあ!と思います。どなたかに、会ってそこのおうちの方なら大丈夫みたいな(なんの太鼓判やねん?と突っ込みたくなりますが・・・)ことを聞いて帰ってきたようです。 私が学生の頃、父が車で大事故を起こしたり、(車が丈夫だったため無傷でした)経営している印刷会社の業績が厳しくなった時期がありました。アルバイト先の方に紹介していただいた占い師の方に観て2022-02-21
90自力で、ファミリーヒストリー自力で、ファミリーヒストリー人物伝に、曾祖父志津衛は、上田の士族、鈴木幸蔵の次男とあります。兄は平吉さん。こちらが本家筋になります。外地で殉職して、引き揚げてきたため、志津衛の墓石は、本家の隣に置かせていただいています。そこには古いご先祖様方の墓石があり、三太夫重明、彦三郎重義、重直、六郎衛門頼母などの名前が読み取れます。これら検索して行くと、静岡あたりにつながるようなのですが、どうなのでしょう?上田にはたくさん古地図が残っていてアーカイブ化されていますね。街中にも掲示されているものがあります。どれどれと探していると、鈴木姓がいくつか見つかりました。助之進という方は娘が殿様に嫁入りされたような・・・ 昨日、上田にお邪魔した際に、再度その地図を確認したところ市役所に隣接している場所に、鈴木平太左衛門とい2022-02-21
91はじめましてはじめまして関西在住ですが、父方の先祖が上田出身で、本籍地とお墓が上田にあります。年1回ぐらいのペースでお墓参りのためお邪魔しています。曾祖父が人物伝56に掲載されている、鈴木志津衛です。 個人的にいろいろ調べているところ、このサイトをみつけて登録させていただきました。 曾祖父のことで、調べて判明したこと、残しておきたいことなど、投稿していきたいと思います。もしご縁がある方がいらっしゃっれば、共有できると嬉しいです。 このサイトを開設いただきありがとうございます。 早速、曾祖父の写真を掲げてみます。 中央髭の人物です。軍人のようですが・・・2022-02-21
92後編・鹿教湯八景後編・鹿教湯八景鹿教湯八景には色々な名所が出てきます。 文殊堂、五台橋、笠岩、月見堂。 実際にある場所です。 そこにどんな話があるのか、素晴らしさがあるのかも 紹介されています。 歌詞は前編と後編の写真になっています。 歌だけでなく踊りもあります。2022-02-19
93千曲川と近代文学①千曲川と近代文学①近代の作家、島崎藤村は「千曲川旅情の歌」という詩を明治38年に発行された「落梅集」で初出している。 明治32年、小諸義塾の教師として信州・小諸に招かれ、小諸で6年間生活し、家庭を持った。 「千曲川旅情の歌」は「小諸なる古城のほとり」から始まる歌であり、長野での生活が藤村の歌に影響を与えていたことが分かった。 『国立国会図書館デジタルコレクション』に、 『落梅集』が収録されている。2022-02-15
94まとめ・参考文献まとめ・参考文献【まとめ】 今回は本を読む時間をとることができなく、ネットでの情報のみとなりましたが、楽しみながら調べることが出来ました。しかし物語についての情報はあったのですが、詳しい情報はすぐに見つけるのが難しく、計画的にやっておくべきだったと後悔しました。 【参考文献】2022/2/15参照 祈り岩〔源平屋島合戦古戦場〕|高松市 https://www.city.takamatsu.kagawa.jp/kurashi/kosodate/bunka/bunkazai/shiteibunkazai/shiseki/inoriiwa.html 扇の的弓道大会|日光の伝統行事|日光観光ライブ情報局 http://nikko.4-seasons.jp/festival/function_detail.shtml?0:41 郷土の誉れ那須与一|大田原市 https://www.city.ohtawara.tochigi.jp/docs/2013082771858/ 玄性寺 大田原市観光協会 栃木県大田原市の観光案内 https://www.ohtawara.info/spot_detail.html?id=6 那須与一が愛したお寺:即成院|レンタサイクル京都ecoトリップ2022-02-15
95那須与一に関係するイベントなど那須与一に関係するイベントなど『扇の的弓道大会』   中禅寺湖に浮かんだ船の上の扇を的とした弓道大会です。毎年約1500人が参加します。私も中学生の時に参加したことがあり、先輩から先頭の船に乗っている巫女の人形の名前はキャサリンだと教えられました。根拠はないため、ひとつの噂話として頭に入れていただけるとうれしいです。  場所→栃木県日光市中宮祠  日時→8月4日 8:00~15:00 『与一弓道大会』   那須与一の偉業を顕彰するための大会です。中高生の参加者は県北地区居住者に限られます。的が扇型になっています。  場所→大田原市福原玄性寺与一弓道場 『大田原与一まつり』   那須与一を称えるまつりです。昼の部には武者行列、子供みこしが、夜の部には与一踊りがあります。令和2年度から令和4年度の3年間休止されています。 『扇の2022-02-15
96イナゴを食べるイナゴを食べる平成 25 年 12 月に、「和食;日本人の伝統的な食文化」がユネスコの無形文化遺産に登録されました。 長野県の伝統的な食文化であるイナゴについてもおいしく食べて楽しく学ぼう! 〈農林水産省も推奨!!イナゴの佃煮の作り方〉 1 いなごは熱湯をかけ、足と羽を取り、よく水洗いし、水切りをする。 2 熱したフライパンにいなごを入れ、弱火で3~5分空煎りする。 3 鍋に砂糖・醤油・酒を入れて煮立て、いなごを入れ、強火で煎り煮する。 4 汁気がなくなる直前に、みりんを入れ照りをだす。 5 汁気がなくなったら火を止めて塩をからめる。(カラっとする) 6 ※いなごの足はすり鉢ですりつぶし味噌、砂糖などお好みの味でいなご味噌を作る。 7 ※いなごの下処理の別法:いなごをとった布袋のまま、熱湯でゆでた後、2022-02-15
97信州上田学を通して信州上田学を通して 信州上田学は上田市について詳しく調べるきっかけとなった。他人と友人が全然違うように、よく知っているということは愛着に繋がった。  私はサントミューゼについて探求して、サントミューゼが更に好きになった。色々な工夫や理念、ルーツが共感できたり、面白いと感じたりしたからだ。次、訪れる時には調べる前と違う視点で楽しめると思う。  信州上田学を通して、情報を夢中で探すことの楽しさに気づけた。インターネットで検索すれば、無料で簡単に手に入るからこそ、情報の価値に気づけていなかったように思う。実際にまち歩きをしたり、図書館や資料館を訪れたりして、自分の足をつかって・お金を払って情報を得るということが新鮮で面白く、重要だと感じた。  この投稿のように、ネット上に誰もがアクセスできるように情2022-02-15
98食糧難食糧難当時の上田は全体的に食糧が不足していたが、田んぼや畑を所有しているごく一部の人たちは周りに比べると豊かな生活をしていたそうだ。 祖母の話より2022-02-14
99じまん焼きの歴史と比較じまん焼きの歴史と比較引用 「富士アイス下諏訪店」で自慢焼き・上田店と食べ比べ https://simple-yuumin.com/wp-content/uploads/2018/04/IMG_3920-2-e1522716309126.jpg 上田のソウルフードの一つであるじまん焼きを作っているのが富士アイスという店だ。富士アイスは上田以外に長野県にいくつかある。岡谷店と下諏訪店だ。富士アイス上田店は昭和10年にオープンに対して岡谷店は昭和48年創業、そして下諏訪店は昭和58年に始まっており、割と最近になってから開業した。下諏訪店はあんこの水分が上田店より少ないなど、店によって皮とあんこの固さに違いがあり、それがまた個性となっている。 参考文献 「富士アイス下諏訪店」で自慢焼き・上田店と食べ比べ https://simple-yuumin.com/fujiaisu-30442022-02-14
100まとめまとめ松平忠固を調べる中で関良基さんの著書『日本を開国させた男、松平忠固』の比重が大きくなってしまったが、本書を読んで、慈悲深い領地運営や開国と交易の主張を貫いた姿勢から忠固の人となりが見えてきた。また、井伊直弼や徳川斉昭、開国、不平等条約改正などさまざまなものの見方が変わったことは収穫だったと思う。歴史から抹消されていた史実が掘り返されると通説が覆されることがあるので、本当の歴史を知っておくためにもそういった情報を仕入れていきたい。 参考資料等 ・関良基著『日本を開国させた男、松平忠固: 近代日本の礎を築いた老中』(1,2番目の記事の写真の出典) https://www.google.com/url?sa=i&url=https%3A%2F%2Fwww.amazon.co.jp%2F%25E6%2597%25A5%25E6%259C%25AC%25E3%2582%2592%25E9%2596%258B%25E5%259B%25BD%25E3%2581%2595%25E3%2581%259B%25E3%2581%259F%25E7%2594%25B7%25E3%252022-02-14
地図で見る

キーワード

ログイン トップページへ